2019年12月 8日 (日)

アシスタントHさんの反抗

 事故で骨折した足はだいぶよくはなってはいますが、来年の四十九日の法要が終わるまでは喪に服して仕事以外の活動は控えるようにしています。タッチラグビーと合気道はもちろん、飲み会と日曜のゴミ拾いも控えています。まだ父が死んでから二週間ですから、一ヶ月近くありますね。

 実験を専門にやってもらっているHさんですが、近頃反抗的です。サンプル数が多いと文句を言ったり、オフィスに戻ってから他のベトナム人アシスタントに対して不満をぶちまけているそうです。別に仕事が着実に進んでいればいいとあまり気にしなかったのですが、飼育アシスタントのTさんが、早く話し合った方がいいと私に言ってきたり、秘書のTさんが、私とHさんを取り結ぶから必要な時はいつでも声をかけてね、と珍しく自分から言ってきたのをみると、そうでもなくなってきたようでした。

 近頃は、明日チップが切れるとか、もうチューブが無くなったとか言うようになってきて、仕事がストップしてしまうような事態になってきました。もともとベトナム人スタッフからも頭がよくないと言われているので能力のせいで在庫管理ができないのか、仕事が面白くないので遅らせているのか見分けがつきません。

 もう一人の日本人スタッフに早々と見切られて行き場のなかったHさんを私が拾ったような形で彼女が私の仕事を手伝うようになったわけですが、ベトナム拠点の日本人スタッフも私もなあなあというか気を遣って、最初にそういう素振りは見せませんでした。そのためか、短期のレンタルだと本人は捉えていたようです。

 しかし、仕事に支障が出てくるようになったので、彼女が私の元で働くようになった経緯を先週の金曜日にメールで伝えておきました。今のところ返事はありません。

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2019年12月 4日 (水)

火葬場への遅刻と遺体を前にしての決意

 先月末の日曜日に父が他界しました。すぐに飛行機のチケットを取って、その日の夜の便で成田に向かい、午後には遺体の置かれている葬儀場へ。葬儀の日取りなどは私が帰るまで待っていてもらったので、夕方父の勤めていた葬儀社の人と段取りを決めて、私はそのまま父の遺体の安置されている家に泊まりました。告別式の前の晩は妹の一家が泊まったので、私は結局二泊しました。

 お通夜、告別式と滞りなく済ませましたが、火葬に遅れそうになって顰蹙を買いました。告別式は前橋市で火葬は渋川市で行ったのですが、火葬場に向かう時に駐車場でうろうろしている人がいたのでてっきり車がないものだと思い、車に乗せてあげたのですが、火葬場に着いたら駅に向かう予定だったと言われて、えー。

 何を今になって言っているのかと思いましたが、急げば15分くらいで行って戻って来れると思い、急いで駅まで送って戻ってみるとお坊さんをはじめ皆が私の来るのを待っていました。急いでお焼香を済ませたのですが、母と兄に咎められました。

 翌日、送ったからから詫びの電話が入り、実家に菓子折まで送られてきました。

 父の葬儀は80歳近くまで働いていた葬儀社の人たちに見送られての事で、会社の人たちに大変よくしていただきました。孫、ひ孫にも見送られて幸せだったろうと思います。一人も孫を残せていない自分が情けない。

 葬儀では事務的な仕事が多くて、それをこなすことに集中して、あまり悲しんでいる余裕がありませんでした。遺体と二日間を過ごしたわけですが、最後の夜だけ父の亡骸を前に飲みました。

 喪に服している間に自分のやり残している仕事を終えてしまおうとだけ強く感じました。

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2019年11月25日 (月)

父の死

 朝早起きして、久しぶりにザンボー湖の掃除に行きました。掃除を終えたら皆とカフェに行って、だらだらとお茶を飲んでから帰りました。家に帰る前にNIHEに寄って、先週吸血させた蚊の世話をしました。

 家でメールをチェックしてから論文を読もうかと思っていたら、妹から、父が死んだという連絡が入っていました。日本で使っているスマホは仕事には持っていくのですが、ベトナムでは家でラインのチェックをする程度で普段は持ち歩きません。部屋のwifiの電源を入れたためか、このスマホのラインにも数分前に連絡が入っていました。父親が危篤なので病院に車で向かっているという連絡と、その30分ほど後の死んでしまったという連絡でした。

 ネットで海外赴任中に肉親が死んだ時の対処法について調べて、まず飛行機のチケットを取りました。運よく今夜の分が取れたので、その後上司をはじめ仕事に関わる人たちに一週間ほど帰国しますと連絡を入れました。最初は金曜日に戻ろうかと考えていたのですが、土曜日のベトナムPCOの設立記念会は別にスピーチも仕事もないので、日曜の夜の便で戻ることにしました。

 母と妹は病院か父の勤めていた典礼会館に行っているのか昼間は連絡が取れなかったのですが、夕方に妹と電話がつながりました。通夜と告別式は私が帰ってから決めるそうで、明日にでも相談しなくてはなりません。

 6年前に父が倒れて一時は持ち直したものの、それから痴呆が進み、足腰もだんだん弱りました。今年の7月に再び倒れて、延命治療に入ってからは母と覚悟はしていたものの、先々週に顔を出した時には前よりも元気そうに見えたので、来年の正月までは大丈夫かなと思っていたのです。

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2019年11月22日 (金)

立て続けのバイクのパンクと借金まみれのアシスタントの夫

 昨日の夜、ジムで汗を流して帰ろうと思ったら、バイクの前輪に空気が入っていませんでした。パンクです。仕方がないのでそのまま乗って帰り、橋を渡り終えてから押して家まで帰りました。今日の夕方修理してもらいました。

 実は先週の土曜日もジムから帰る途中、橋の上で後ろのタイヤの異常に気が着いて渡りきったところから押しました。幸い昼間だったので修理屋は空いていて、その日のうちに修理できました。誰か愉快犯がパンクさせているのかな。

 昨日のベトナムは先生の日でした。私のアシスタントは子供の行事があるからと早退し、今朝は早めに来て観察の準備をしておくと言っていたのにやっていません。実験室の鍵がなかったとか明らかな嘘をついてしょうがない奴だな、と思いながら、別の実験の準備を先に終えて、蚊の観察を始めようとしました。

 実験台を見たらアシスタントはうずくまっています。具合でも悪いのか、悩みでもあるのか、言い出すまで待って、さくさく観察に取り掛かると、昨日、家にヤクザが夫の借金の取り立てに来た、と話し始めました。

 彼女の夫は元エントのスタッフで、私の仕事も過去に何度が手伝ってもらいました。嫁にもっと金を稼げと尻を叩かれたのかどうかは知りませんが、嫁さんの実家から借金をしてネットビジネスをやってみたのもの失敗して借金まみれになり、家を手放しました。その穴を埋めようと彼は嫁に内緒でサラ金に手を出したようで、昨日はその取り立てに押し掛けられたのでした。

 ハノイにいた日本人の知り合いで弁護士事務所で働いていた人がいるので、彼女に簡単に事情を説明するメッセージを送って誰かいいベトナム人弁護士を紹介してもらえないか頼んでみました。それと彼に、奥さんの実家が資産家なので、とりあえず借金はそこから返済してもらって、奥さんの実家だけに借金を返す形にするようにメッセージを送りました。私のできるのはその程度でした。

 夜、アシスタントから明日の朝、銀行へ行くので遅れるというメールが届きました。

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2019年11月15日 (金)

ブルーにハノイに戻る

 昨日の朝、胃検診でバリウムを飲み、検診の後ですぐに検査技師の人から言われた通りに下剤を飲みました。病害動物の部屋に行って、少しだけメールのチェックをして、お腹の成り行きを見守っていたのですが、10年くらい前にやったときほどすぐに急激な腹下しはなく、1時間ほど経ってからトイレに行ったら、普通の便でした。

 あー、もう、長崎空港に行かなければ、となり、ホテルに預けてあった荷物を受け取って、空港行きのバスに乗りました。バスの中ではどうにか持ち堪えたので、空港のトイレにとりあえず行くと、少し白っぽい便が出ました。

 お昼を食べて、飛行機で羽田に行き、電車で成田に移動して、そこでもとりあえず用を済ませましたが、ほんの少しでした。

 成田からハノイまでのJAL便(びん)は通路席ではなく真ん中で、しかも通路側に座っていた人がたぶん身長170cm、体重120kgくらいの人で、おまけに氷入りのコーラをCAにせっついているか寝ているかのような状態だったので、なるべくトイレに行かないようにビールとコーヒー、お茶を控えるようにしました。その努力もあってフライト中に一度もトイレに行くことはありませんでした。

 やっと空港に着いたら、税関で呼び止められました。プラスチック!と騒ぎ立てられて、長崎から持ち帰ったキアゲンの検査キットが申告違反だ、とずっと繰り返されました。もう夜の11時過ぎで早く家に帰りたかったので、エント部長に深夜ながら電話をして状況を理解してもらって税関と話をしてもらったら、彼から50万ドンか100万ドンを渡してけりを付けるしかない、という指摘をされたので、仕方なしに50万ドンを渡して夜の12時半くらいに帰りました。

 ああいう時のベトナムの税関はヤクザと一緒です。英語を話せる税関からの、カメラが見ているからお金をこの紙の間にはさめ、という指示通りにしたのですが、チッというその人の反応を後ろに聞きながら、そろりそろりと帰ろうとしたら、50万ドンが少なかったらしく、まだ自分のボスが納得しないから戻れと言われました。もう一回、荷物受け取り台から荷物チェックの検査所の間の場所に戻されて、もう一回、スーツケースを開けさせられて、チンピラみたいな若手から、これはプラスチックばかりだ、とか騒がれても、そのまましれっと突っ立っていたら、もう取り立ては無理と悟ったのか、比較的若い、そのボスは、英語のできる税関吏に一言話して、ようやくお役御免となりました。

 そういえば、前回はキットを新聞紙を包んで無事スルーしたのですが、今回は全く失念していました。それだけ日大での講義と熱帯医学会の準備が頭の中でいっぱいだったのでしょうか。

 帰る前に知人からPM2.5の数値が、ハノイは260台、北京は110台、東京は20台と知らされ、長崎は朝のNHKのニュースで17で国の基準を下回る数値と聞いて、あー、また、あの空気の汚い場所へ戻るのかと思ったら気分が落ち込んだ後で、ノイバイ空港に着いて、あーやっぱりベトナムに着いた、と思い知らされた昨日でした。

 

 

 

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2019年11月10日 (日)

上野、松戸、群馬、長崎、沖縄、折れていた右足首

 先週の土曜日から日本に来ています。まず、成田に到着して北千住のホテルに荷物を預けた後、上野の森美術館でゴッホ展を見てきました。その後で東京で有害動物の研究会に参加して、ホテルに戻ってラグビーW杯の決勝をテレビで見ました。あー、まだ準備が残っているなと思いながら寝てしまいました。

Imgp0028  翌日は、東京都美術館でのコートールド美術館展へ行ってきました。いやー、予想よりもずっとよかった。俳優さんによる絵の説明をケチりがちな自分ですが、途中で引き返して借りてしまいました。

 午後は松戸へ行って、農薬の講演を聞いた後で千葉大の応動昆研究室のOB会に参加させてもらいました。結構遅くまで飲みすぎてホテルに戻ったのが12時で、翌朝は8時くらいまで起きられませんでした。

 のろのろだらだらとメールでの事務処理を済ませてから10時近くになってからホテルを出たので家に着いたのは2時近くでした。母親の家の仕事を手伝って、掃除をしたらもう夕方になってしまいました。家の風呂が調子が悪いので敷島にある赤城温泉に行ったのですが、連休なのにガラガラでこれでやっていけるのかと心配になるほどでした。

 翌日は日大に行って先輩のAさん夫妻に歓迎の食事に連れていってもらった後、木曜日の午前中はマダニのことを聞きたいという助教の方がいたので、その方の研究室で群馬県の試験研究機関の方や他大学のマダニ を研究中の人と議論をしたりしました。

 夕方は病原体の媒介者についての特別講義をしました。学生院生だけかと思っていたら、午前中にあった人たちをはじめ、日大獣医関係の教官も聞きにきていてびびりました。文字が多かったので、もっと絵や図表を増やしたほうがよかったのではないかと、後の祭りですが、思ったりしました。

 そして、今週の土日は沖縄で日本熱帯医学会に行ってきました。金曜日にポスターをやっと仕上げて、土曜日の午後3時にようやく会場に着いてポスターを貼り、5時20分からの説明会になんとか間に合わせました。今日の午前中は興味のある発表があったので、それを聞いてから長崎に戻ってきました。

 ところで、金曜日に長崎のホテル近くにある整形外科に行ってみたのですが、足首の骨も折れていました。もう特に何かをする必要はなく、温めて血行をよくするしかないそうです。後は右肩の痛みは事故の後に50肩になっているそうで、できるだけ動かしたほうがいいそうです。写真は学会のお昼休みに比較的近くにあったのですが、それでもバスで出かけていって食べた沖縄そばです。

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2019年10月13日 (日)

怪我の回復とアシスタントと旦那

 先週は午前中に仕事、午後3時過ぎに病院へ行って傷口の手当てをしてもらって家に帰るという毎日でした。金曜日にようやく自宅で自分で処置してもよいという許可が出ました。右足も徐々に痛みが取れてきて松葉杖なしでも歩けるようになりました。

 金曜日に少々無理をして感染実験をやったので、土日は毎朝NIHEに行って蚊の世話をしました。土曜はこわごわバイクも運転してイーオンに行って、ジムを休暇するにあたってスタッフの人にお金を立て替えてもらっていたのでそれを精算して、来月も2週間近く休むことになるので休暇を延長してもらいました。

 ところで、感染実験は延期してもよかったのですが、アシスタントのTさんが今月辞めるかもしれないということで無理やしスケジュールを詰め込みました。旦那が借金を返済するために陰で借金をして投資や賭けごとにお金をつぎ込んでいたのを知って嫌になったので実家に帰るかもしれないとか。ところが、土曜日に、辞めるのは旧正月後にするという連絡がありました。

 勝手にしてくれ。

 無理して郊外の環境の良い場所に引っ越してお金がないから雇ってやってくれとYさんとPから頼まれて彼女を雇ったわけですが、旦那がもっと収入のいい職場へとNIHEを辞め、その旦那にもっと副収入を増やせと焚きつけて実家からお金を借りさせて失敗したわけですから自業自得なわけです。

 もちろん、子供が小さいのに無理して来てもらったので感謝はしていますが、旦那は元エントのスタッフで私もよく知っている人物なので気持ちは複雑です。親が金持ちで子供を甘やかして、子供の将来がダメになるのは日本もベトナムも変わりません。本人は私の年齢になるまでわからんだろうな。

 あー、若い時貧乏しておいてよかった。

 決して今は裕福だという意味ではないです。若い時と違って、これを買いたいとかそういう物欲が少なくなったので蓄えができるようになっただけです。ベトナムで車を買ってもしょうがないとか、ゴルフをやる時間がないとか、遊ぶ時間があったら家で休みたいとか、そういうことの積み重ねです。

 

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2019年10月 2日 (水)

バイクの事故

 日曜日のタッチラグビーの帰りに事故を起こしました。幸い人を轢いたりとか同乗者とかはなかったのですが、バイクは右のミラーが割れ、工具を入れる部分のカバーを無くしました。早く家に戻りたかったので、あまりバイクの状態を確認していません。

 家に戻ってからシャワーで傷口を洗い、皮膚に優しい絆創膏を貼って寝たのですが、体の右側が痛くて右に寝返りを打てませんでした。

 翌日、右足首が腫れて歩くのもままなりませんでした。行きつけの日本人の医者のいる病院へ電話をして、車でアパートに迎えに来てもらって診察してもらいました。右足首は骨は折れていないのですが、右膝の擦り傷の他に腓骨が折れていました。そこからフレンチホスピタルへ紹介状を書いてもらって、改めて足首の検査とその後に傷口の処置をしてもらい、さらに血液が滞らないように注射をし、破傷風のワクチンの注射もしてもらいました。

 松葉杖を借りたのですが、アパートからNIHEに歩いていくことを考えたらブルーになったので、月、火と休みました。

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2019年9月21日 (土)

日本で開催のラグビーW杯と戦闘前の儀式

 ラグビーW杯が始まりました。私の周りには日本での開催は一生に一度あるかないかなのだからと、もう仕事どころではない人達がたまたま多いです。

 ハカはオールブラックスの試合前の伝統の儀式で、元を辿れば50年前の日本テレビのドキュメンタリー番組で紹介していたニューギニアの首刈り族、じゃなかった、伝統的社会の人々が戦さの前にやっていた儀式です。南太平洋のトンガとかフイジーとかも同じような儀式をしますが、それ以外の国はそういう儀式を試合前にはしません。

 で、日本だったら戦さの前に何をしたのかとかいろいろ考えて、信長の敦盛とか、武田軍団の「御旗楯無」かと思ったら、日本代表の合宿には赤備えが鎮座されていました。

 うーん。映画やテレビでは、御旗楯無もご照覧あれ、というのは武田勝頼が家臣の制止を振り払って、この鎧を前にして文句を言うな、と説き伏せるシーンが多いので、やっぱり死を覚悟してとか、君が代とかに至るような気がしてしまいます。

 ハカって、実はなんて言っているのだろう。

 

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2019年9月20日 (金)

銀行口座の閉鎖、実験室のエアコン故障と結膜炎

 これまで長崎大学から送金されていた給与を取り扱っていた日本のとある銀行のハノイ支店から9月15日をもって全ての個人口座を閉鎖することになりました、という通知が送られてきました。口座に残っていたお金をゆうちょ銀行へ送ろうとしたところ、受け付けてもらえず、手数料だけ取られそうになったり、その銀行の長崎支店で事情を説明して口座を作ろうとしたところ海外に居住する人は口座を作れないと拒否されたりしましたが、最終的には十八銀行の口座へ送ることができました。口座への振り込みに当たって確認の電話が日本からあったので、事情を説明して了解してもらいました。

 今後は先月ベトコムバンクに作った口座にお金が振り込まれるわけですが、日本から送られてきたメールによると今回は4千円も手数料がかかったそうです。今後は毎月4千円ずつ差し引かれるのかと思ったら、日本料理屋での飲み会を毎月1回減らすのと同じなのかと、ふと考えたりしました。

 月曜日の朝にNIHEは急に停電になり、その後電気は復旧したのですが、1階の実験室と飼育室のエアコンが効きません。日中は34度近くのままです。常温なら問題ないはずの試薬やRNAキットでも、35度近くだとさすがに悪くなるかもしれないので、ひとまずオフィスに移しました。

 飼育担当のアシスタントの子供は月曜の夜に高熱が出て父親のS君が今勤めているビンメック病院に入院したのですが、容態が悪化したので病院を移りました。今は落ち着いたようです。

 私は流行性結膜炎になり、なるべくパソコンでの仕事をしないようにと言われているのですが、科研費の申請の締め切りが近いのもあってパソコンに向かう時間が長いです。また、エアコンが故障しているため蚊の観察を少々するだけで、感染実験後のRNA抽出や翅の標本作成をせずにいるのも理由の一つです。

 ちょっと仕事は停滞気味です。 

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