2020年1月22日 (水)

日本の大学を辞めるにあたって考える経済的なこと

 先日、ホーチミンに行った折にパスツール研究所の職員のTさんと会ってきました。彼女は長崎大学のうちの研究室に留学していたのですが、まだ学位を取れていないため、折を見てケアをするようにしています。私がメンターだったわけもありますが、特に何か彼女に有益なアドバイスをしたのかと言われると、うーん。

 契約が切れるため3月末で帰国する予定だと話すと、ベトナムの大学に就職する気はないのかと、尋ねられました。あっ、それもありか、と気づいたので、彼女に話を進めてもらいました。

 すると、帰りの飛行機の搭乗を待っている間にカントー市にある大学に話をつけたのでCVを送ってくれ、という電話が入りました。

 早い。

 家に帰って、すぐにCVを送りました。

 ただ、3日ほど経ってから考えたのですが、給与がどうなのか。ハノイ 国家大学で日本語を教えている知り合いの方は月5万円だそうですが、彼は日本の一流企業を退職して、悠々自適の生活を送っているので、参考にはなりません。遠慮して月10万円でもいいと答えていたのですが、社会保険だとか医療保険だとか年金だとかのことを考えると、10万円ではやっていけません。同僚で給料が安いからあげてほしいという人もいますが、それでも日本の大学に就職している方が待遇の面で恵まれていると言えます。

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2020年1月 4日 (土)

喪中の年越し

 帰省してから一週間経ちましたが、大掃除と明日の四十九日の準備をしていたらあっという間でした。

 毎日だいたい7時半に起きて、朝食を食べて、新聞を読んだら9時近く。母親の手伝いをしながらメールのチェックと文書を少し書いたら12時でお昼。三箇日は昼過ぎにテレビを見ながら寝てしまったのですが、他の日は片付けをしていることが多かったです。健康のために、夕方1時間ほど家の周りを散歩して、車で敷島温泉へ行って戻るともう6時過ぎ。夕食を食べてなんだかんだと9時くらいまで母親とテレビを見たり、話をして、それから一人でパソコンに向かって12時前に寝るという日常でした。

 その間に10月に投稿した論文の結果がメールで送られてきました。

 Withdraw。退却。

 ん?Rejectじゃないのか。

 よく読んでみると、もう一回投稿し直してみてくれ、という内容でした。レビューに2ヶ月もかかっています。

 前回のParasite & Vectorsの時はレビューに時間がかかってrejectされたと勘違いして、再投稿して結局rejectされたわけですが、もう一回同じ雑誌に挑戦してみようか考えています。

 明日は四十九日の法要です。これで一区切りです。

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2019年12月30日 (月)

2019年の十大ニュース

 私の今年の十大ニュースです。

1. 父の他界。

2. バイクの事故で腓骨を骨折した。(まさか折れているとは思わなかった。)

3. 来年度の契約更新がないという通知を受けた。(論文が出ていないから言い訳できない部分はあります。)

4. ザンボー湖の清掃活動に参加した。(怪我と喪中で最近は行ってません。)

5. 札幌でのフラテの同窓会に参加、北大総合博物館でS先生に再会、I君と五色温泉へ行く。(今思えば、無理して行っておいてよかった。) 

6. 松戸で松虫会に出席。(これも出ておいてよかった。)

7. 日大で特別講義をした。(学生以外に教官も来ていたので焦りました。)

8. Hさんがアシスタントに加わり、ウイルスの準備と分子生物的実験をやってもらう。(誤解もあって反抗されました。)

9. 久々に苗場でスキー。(義弟にウェアを借りました。)

10. 日本用とベトナム用にiPhoneを2台買う。(1台は4月から母親に譲ります。)

 実は先週にアップしたはずなのですが、消えていたので書き直しました。前よりポジティブになりました。 

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2019年12月24日 (火)

気持ちを切り替えるための掃除

 土曜日の午後はアパートの本棚を中心とした書斎、日曜日はキッチンと寝室を主に部屋全体、月曜日はオフィスの自分の机と本棚の掃除をしました。捨てる物がわりと出たので、明日は掃除のおばさんが大変かもしれません。

 今年の出来事とか、ベトナムに駐在した12年間の出来事をいろいろ思い出していたら、あー、俺何やっていたんだろう、と暗くなりました。進歩していねえなあ。

 心が折れそうになるのを踏みとどまって、掃除をしたら少しだけ前に進んだ気になりました。

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2019年12月12日 (木)

おめでたい人

 今日、フレラボの日本人スタッフでお昼を食べに行きました。9月末の交通事故から始まり、父親の他界、そして自分の就業のことで悪いこと続きで頭がいっぱいの中、

 今年もあと残すところわずかですな。

 そろそろおでんの季節ですね。

 同僚のスタッフの何気ない会話に今の自分を鑑みて愕然としました。

 俺は何もなし得ていないのに、全然焦っていない。

 5年前なら、あー論文が間に合わないから首かもとか愚痴っていたりして、帰る帰る詐欺とかタッチラグビーの仲間から揶揄されながら、最低限の宿題であるノルマをギリギリ首の皮一枚で乗り切っていたのですが、この4年間今の仕事関連の論文を全く出していませんでした。

 まるで焦っていなかったのです。

 切腹ものですね。

 事故があって、なんか十数年前に千葉衛研を辞める前の状況と似ていたのに、直属のボスの仕事の要求に応えていると思って満足して、来年度も仕事をこのまま続ける気になって、これから採用するつもりのアシスタントのことで気に病んだり、ベトナムの新たな携帯電話の契約をしたりして、本当におめでたいですね。

 全然成長していない。

 

 

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2019年12月 8日 (日)

アシスタントHさんの反抗

 事故で骨折した足はだいぶよくはなってはいますが、来年の四十九日の法要が終わるまでは喪に服して仕事以外の活動は控えるようにしています。タッチラグビーと合気道はもちろん、飲み会と日曜のゴミ拾いも控えています。まだ父が死んでから二週間ですから、一ヶ月近くありますね。

 実験を専門にやってもらっているHさんですが、近頃反抗的です。サンプル数が多いと文句を言ったり、オフィスに戻ってから他のベトナム人アシスタントに対して不満をぶちまけているそうです。別に仕事が着実に進んでいればいいとあまり気にしなかったのですが、飼育アシスタントのTさんが、早く話し合った方がいいと私に言ってきたり、秘書のTさんが、私とHさんを取り結ぶから必要な時はいつでも声をかけてね、と珍しく自分から言ってきたのをみると、そうでもなくなってきたようでした。

 近頃は、明日チップが切れるとか、もうチューブが無くなったとか言うようになってきて、仕事がストップしてしまうような事態になってきました。もともとベトナム人スタッフからも頭がよくないと言われているので能力のせいで在庫管理ができないのか、仕事が面白くないので遅らせているのか見分けがつきません。

 もう一人の日本人スタッフに早々と見切られて行き場のなかったHさんを私が拾ったような形で彼女が私の仕事を手伝うようになったわけですが、ベトナム拠点の日本人スタッフも私もなあなあというか気を遣って、最初にそういう素振りは見せませんでした。そのためか、短期のレンタルだと本人は捉えていたようです。

 しかし、仕事に支障が出てくるようになったので、彼女が私の元で働くようになった経緯を先週の金曜日にメールで伝えておきました。今のところ返事はありません。

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2019年12月 4日 (水)

火葬場への遅刻と遺体を前にしての決意

 先月末の日曜日に父が他界しました。すぐに飛行機のチケットを取って、その日の夜の便で成田に向かい、午後には遺体の置かれている葬儀場へ。葬儀の日取りなどは私が帰るまで待っていてもらったので、夕方父の勤めていた葬儀社の人と段取りを決めて、私はそのまま父の遺体の安置されている家に泊まりました。告別式の前の晩は妹の一家が泊まったので、私は結局二泊しました。

 お通夜、告別式と滞りなく済ませましたが、火葬に遅れそうになって顰蹙を買いました。告別式は前橋市で火葬は渋川市で行ったのですが、火葬場に向かう時に駐車場でうろうろしている人がいたのでてっきり車がないものだと思い、車に乗せてあげたのですが、火葬場に着いたら駅に向かう予定だったと言われて、えー。

 何を今になって言っているのかと思いましたが、急げば15分くらいで行って戻って来れると思い、急いで駅まで送って戻ってみるとお坊さんをはじめ皆が私の来るのを待っていました。急いでお焼香を済ませたのですが、母と兄に咎められました。

 翌日、送ったからから詫びの電話が入り、実家に菓子折まで送られてきました。

 父の葬儀は80歳近くまで働いていた葬儀社の人たちに見送られての事で、会社の人たちに大変よくしていただきました。孫、ひ孫にも見送られて幸せだったろうと思います。一人も孫を残せていない自分が情けない。

 葬儀では事務的な仕事が多くて、それをこなすことに集中して、あまり悲しんでいる余裕がありませんでした。遺体と二日間を過ごしたわけですが、最後の夜だけ父の亡骸を前に飲みました。

 喪に服している間に自分のやり残している仕事を終えてしまおうとだけ強く感じました。

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2019年11月25日 (月)

父の死

 朝早起きして、久しぶりにザンボー湖の掃除に行きました。掃除を終えたら皆とカフェに行って、だらだらとお茶を飲んでから帰りました。家に帰る前にNIHEに寄って、先週吸血させた蚊の世話をしました。

 家でメールをチェックしてから論文を読もうかと思っていたら、妹から、父が死んだという連絡が入っていました。日本で使っているスマホは仕事には持っていくのですが、ベトナムでは家でラインのチェックをする程度で普段は持ち歩きません。部屋のwifiの電源を入れたためか、このスマホのラインにも数分前に連絡が入っていました。父親が危篤なので病院に車で向かっているという連絡と、その30分ほど後の死んでしまったという連絡でした。

 ネットで海外赴任中に肉親が死んだ時の対処法について調べて、まず飛行機のチケットを取りました。運よく今夜の分が取れたので、その後上司をはじめ仕事に関わる人たちに一週間ほど帰国しますと連絡を入れました。最初は金曜日に戻ろうかと考えていたのですが、土曜日のベトナムPCOの設立記念会は別にスピーチも仕事もないので、日曜の夜の便で戻ることにしました。

 母と妹は病院か父の勤めていた典礼会館に行っているのか昼間は連絡が取れなかったのですが、夕方に妹と電話がつながりました。通夜と告別式は私が帰ってから決めるそうで、明日にでも相談しなくてはなりません。

 6年前に父が倒れて一時は持ち直したものの、それから痴呆が進み、足腰もだんだん弱りました。今年の7月に再び倒れて、延命治療に入ってからは母と覚悟はしていたものの、先々週に顔を出した時には前よりも元気そうに見えたので、来年の正月までは大丈夫かなと思っていたのです。

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2019年11月22日 (金)

立て続けのバイクのパンクと借金まみれのアシスタントの夫

 昨日の夜、ジムで汗を流して帰ろうと思ったら、バイクの前輪に空気が入っていませんでした。パンクです。仕方がないのでそのまま乗って帰り、橋を渡り終えてから押して家まで帰りました。今日の夕方修理してもらいました。

 実は先週の土曜日もジムから帰る途中、橋の上で後ろのタイヤの異常に気が着いて渡りきったところから押しました。幸い昼間だったので修理屋は空いていて、その日のうちに修理できました。誰か愉快犯がパンクさせているのかな。

 昨日のベトナムは先生の日でした。私のアシスタントは子供の行事があるからと早退し、今朝は早めに来て観察の準備をしておくと言っていたのにやっていません。実験室の鍵がなかったとか明らかな嘘をついてしょうがない奴だな、と思いながら、別の実験の準備を先に終えて、蚊の観察を始めようとしました。

 実験台を見たらアシスタントはうずくまっています。具合でも悪いのか、悩みでもあるのか、言い出すまで待って、さくさく観察に取り掛かると、昨日、家にヤクザが夫の借金の取り立てに来た、と話し始めました。

 彼女の夫は元エントのスタッフで、私の仕事も過去に何度が手伝ってもらいました。嫁にもっと金を稼げと尻を叩かれたのかどうかは知りませんが、嫁さんの実家から借金をしてネットビジネスをやってみたのもの失敗して借金まみれになり、家を手放しました。その穴を埋めようと彼は嫁に内緒でサラ金に手を出したようで、昨日はその取り立てに押し掛けられたのでした。

 ハノイにいた日本人の知り合いで弁護士事務所で働いていた人がいるので、彼女に簡単に事情を説明するメッセージを送って誰かいいベトナム人弁護士を紹介してもらえないか頼んでみました。それと彼に、奥さんの実家が資産家なので、とりあえず借金はそこから返済してもらって、奥さんの実家だけに借金を返す形にするようにメッセージを送りました。私のできるのはその程度でした。

 夜、アシスタントから明日の朝、銀行へ行くので遅れるというメールが届きました。

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2019年11月15日 (金)

ブルーにハノイに戻る

 昨日の朝、胃検診でバリウムを飲み、検診の後ですぐに検査技師の人から言われた通りに下剤を飲みました。病害動物の部屋に行って、少しだけメールのチェックをして、お腹の成り行きを見守っていたのですが、10年くらい前にやったときほどすぐに急激な腹下しはなく、1時間ほど経ってからトイレに行ったら、普通の便でした。

 あー、もう、長崎空港に行かなければ、となり、ホテルに預けてあった荷物を受け取って、空港行きのバスに乗りました。バスの中ではどうにか持ち堪えたので、空港のトイレにとりあえず行くと、少し白っぽい便が出ました。

 お昼を食べて、飛行機で羽田に行き、電車で成田に移動して、そこでもとりあえず用を済ませましたが、ほんの少しでした。

 成田からハノイまでのJAL便(びん)は通路席ではなく真ん中で、しかも通路側に座っていた人がたぶん身長170cm、体重120kgくらいの人で、おまけに氷入りのコーラをCAにせっついているか寝ているかのような状態だったので、なるべくトイレに行かないようにビールとコーヒー、お茶を控えるようにしました。その努力もあってフライト中に一度もトイレに行くことはありませんでした。

 やっと空港に着いたら、税関で呼び止められました。プラスチック!と騒ぎ立てられて、長崎から持ち帰ったキアゲンの検査キットが申告違反だ、とずっと繰り返されました。もう夜の11時過ぎで早く家に帰りたかったので、エント部長に深夜ながら電話をして状況を理解してもらって税関と話をしてもらったら、彼から50万ドンか100万ドンを渡してけりを付けるしかない、という指摘をされたので、仕方なしに50万ドンを渡して夜の12時半くらいに帰りました。

 ああいう時のベトナムの税関はヤクザと一緒です。英語を話せる税関からの、カメラが見ているからお金をこの紙の間にはさめ、という指示通りにしたのですが、チッというその人の反応を後ろに聞きながら、そろりそろりと帰ろうとしたら、50万ドンが少なかったらしく、まだ自分のボスが納得しないから戻れと言われました。もう一回、荷物受け取り台から荷物チェックの検査所の間の場所に戻されて、もう一回、スーツケースを開けさせられて、チンピラみたいな若手から、これはプラスチックばかりだ、とか騒がれても、そのまましれっと突っ立っていたら、もう取り立ては無理と悟ったのか、比較的若い、そのボスは、英語のできる税関吏に一言話して、ようやくお役御免となりました。

 そういえば、前回はキットを新聞紙を包んで無事スルーしたのですが、今回は全く失念していました。それだけ日大での講義と熱帯医学会の準備が頭の中でいっぱいだったのでしょうか。

 帰る前に知人からPM2.5の数値が、ハノイは260台、北京は110台、東京は20台と知らされ、長崎は朝のNHKのニュースで17で国の基準を下回る数値と聞いて、あー、また、あの空気の汚い場所へ戻るのかと思ったら気分が落ち込んだ後で、ノイバイ空港に着いて、あーやっぱりベトナムに着いた、と思い知らされた昨日でした。

 

 

 

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