恥ずかしながら、私は今の研究室で数学ができると思われています。一応、統計についてひととおりのことを理解しているからかもしれませんが、それに加えて私には数学科入学、中退という経歴があるせいかも知れません。
私が最初に大学を受験したときは今で言うセンター試験の前身の共通一次試験がはじまって3年目のときで、一次試験の成績を考慮して受かりそうな国立大学に応募したらたまたま受かったのがS大学でした。ただし、理学部生物学科を第一志望にしたにもかかわらず、第二志望か第三志望にした数学科に合格していました。生物を勉強したい決意は固かったので、本来なら蹴って予備校に通うかするはずですが、当時は父親の会社が倒産して間もなかったため、大学に行かせてやるだけでもありがたいと思え、という空気が親戚をはじめまわりに満ち満ちていたので、S大に通いながらもう一回大学受験にチャレンジすることにしました。受かったあとは自力で生活する予定でした。家の経済状態を考えたら、授業料免除も奨学金も何とかなりそうでしたから(実際なんとかなりました)。
同じ大学の生物へ編入という手もありましたが、空きが出ないと無理ということで、そんな他人任せの人生の選択はできないと思って、他大学を受験しました。教養の単位を取っておけば次の大学で活かせると聞いて一年目は真面目に講義に出ていましたが、二年目に専門の授業が始まると最初の一ヶ月でこれはついていけないと悟って、英語と体育以外はいっさいサボりました。特に難しかったのが、Y教授の「群論」でした。ちょこちょこっと黒板に内容を説明して、後は学生一人ひとり前に出て来させて練習問題を解かせるのですが、さっぱりできませんでした。そういえば、最初の授業で出席表の裏に、知っている数学者の名前を書け、と言われたことがありました。当時まだガウスもガロアも知らなかった私は、そんなもん、これから数学科の授業で教わっていくんじゃないか、と妙に反感を感じた記憶があります。そして、このときに数学に対するコンプレックスが生まれたような気がします。
本来は数学が好きなので、大学教養程度の数学をまた勉強しなおそうとも考えています。ところがどうにも、S大のときに身に沁みた数学コンプレックスはまだとても根深く、「数学に強い」とか人から言われると、ああーやめてくれー、と心の中ではムンクの叫び状態になってしまうのです。
受験の方は結局二回目で志望大学に受かりました。事後承諾となりましたが、まわりも金は生活費から全部自分で工面する、というので納得してもらいました。ただし、三歳下の妹が私のせいで大学進学を諦めました。この頃から私を応援してくれた妹には今でも頭が上がりません。
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