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2008年4月

2008年4月29日 (火)

秘書さんの面接

 昨日、今日と新しい秘書の人の面接をしました。2日間とも4人ずつを予定していましたが、結局、昨日は3人、今日は2人の方が来ました。面接をしていて気づいた点は、面接に来た人たちの6人中4人が父親は大学教授でした。みなベトナムの中ではアカデミックな雰囲気の家庭でのびのびと育ってきた印象を持ちました。結局、そのなかで一番落ち着いて、しっかりした感じの方が最終候補に残りました。

 最終候補のもう一人は今日最後に来た人で、子供が二人いる人でした。外国人向けの観光ツアーを企画する韓国系の企業にいたそうで、交渉やホテル・飛行機の予約はかなり慣れているようでした。正直なのも好印象でした。彼女が来るまではもう昨日の人に決まったようなものでしたが、最後に彼女に会って面接した私たちに迷いが生じました。これから夕飯を食べながらスタッフで話し合って選考します。

 前の人と比べながら、それぞれ話を30分も聞いていると(もっぱらHさんが話してくれて私は観察していました)、なんとなくこの人はうまくやっていけそうかどうか、わかります。正確に言うと、うまくやっていけない感じの人がわかります。面接の最中に渡された名刺を丸めていたり、面接が終わってから握手をしてきたり、文化の違いからくる違和感かもしれませんが、日本人スタッフの中で、そして日本から来るお客さんを主に相手にして働くのであれば、そういう人にはマイナス点をつけたくなります。

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2008年4月28日 (月)

やっぱり必要、ベトナム語

 土曜日にようやく日本から船便で送った荷物が届きました。ひと月ぶりで、衣服にカビかキノコが生えているかと思いましたが、一足の革靴にうっすらとカビのようなものが生えていた程度で、正直ホッとしました。荷物のほとんどはこちらでこれから2年間に勉強したり、読みたかった本です。あとは椅子と本棚、疲れた時にすぐに横になれるベットがくればいうことないのですが...今回は日通にお任せしたのですが、こちらの担当の方が途中から日本人に代わってくれて何よりでした。そうでなければ配達は来週に延びていたかもしれません。

 金、土、日といつもの角田レストラン(=百円飯屋)で夕飯を食べました。金曜には、食事中に食堂の女の人からなにか尋ねられて、そのあと紙に何かを書いて渡されました。これは、告白か、と思いましたが(男っておバカ)、家でベトナム語の本で調べたら、「あなたは何歳ですか?}と、書いてありました。日曜日にもまた同じ質問を書いた紙を渡されたので、44歳だよ、とベトナム語で本人は言ったつもりでしたが、その場にいたベトナム人の人たちから発音を正されたのかなんだか笑われて、肝心の本人には伝わらないまま、終わってしまいました。フーテンの寅さんで、寅さんがしゃべったことが桜さんを除いて寅屋の皆さんに冗談に受け取られた雰囲気でした。

 金曜日には、なんか習慣になっていますが、アパートのベトナム人おじさんに酒を飲まされました。ウイスキーかと思ったら妙に生臭くて、蛇の絵を描いて見せたら、そうだ、そうだ。このおじさんは朝晩顔を合わせると、大きなゆっくりしたベトナム語で話しかけてきます。ごはんをたべましたか、とか、しごとにいくのですか、とか。

 動機は何であれ、やっぱりベトナム語を勉強しよう。

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2008年4月25日 (金)

秘書の募集

 ここ、ベトナム拠点のラボでは前の秘書の方が辞めたので、新しい秘書の人を雇わなければなりません。先週から募集を出したところ、八人の応募がありました。今日は午前中に二人、午後から二人の方を面接する予定でした。

 午前中に来る予定の二人は今日になっても連絡が入らず、結局来ませんでした。午後に一人来ただけで、もう一人はすっぽかしでした。二割五分。これではメジャーに行けません。それにしても連絡くらい入れるのが礼儀ってもんでしょうに。

 唯一来た人は英語もペラペラで、明るい感じの人でした。頭の回転も速いので申し分はないのですが、逆に我々の言われるがままに仕事をするのが物足りなくなるのではないか、と思いました。

 来週、何割来るかわかりませんが、面接の後スタッフで話し合って最終的に判定します。

001  

ベトナム拠点のある、ハノイの国立健康疫学研究所。私が働いている場所です。見た目は渋いです。

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2008年4月24日 (木)

宝石店で換金

 同じ研究室のDさんに頼んで、日本円をベトナムドンに換金に行きました。彼が連れて行ってくれたのはバイマウ湖の近くの宝石店でした。レートが良く、店員のマナーもいいし、英語も通じるので日本人にはお勧めだそうです。ジャパニーズエンをベトナムドンにしたいと言ったら、すぐに電卓でレートを示して換金してもらえました。ほんの1分もかかりません。前回銀行で換金した際にはお客は他にいないのに10分近く待たされました。レートも銀行と同じでした。証明書こそ出しませんでしたが、私用のお金であればこれで十分です。

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2008年4月23日 (水)

食堂のご飯の盛り方

 お昼はいつも研究所の食堂で食べています。1万2千ドン(80円)と1万5千ドン(100円)の食券がありますが、当然いつも安い方です。奥でおばさんの一人が御飯茶碗にご飯を詰めて、それを皿にひっくり返して置いてあります。ちょうど子供の時に食べたお子様ランチの山のようです。

 お客の目の前には大きなトレーに盛られたおかずが並んでいて、これとこれ、ってな具合に指をさすとおかずの盛りつけ専門の女性がご飯山のまわりによそってくれます。80円のメニューでおかずが3品、100円のメニューで4品です。

 毎日食べていたらその日によっておかずの量がかなり違うことがわかりました。どうやら盛りつけの女性によってよそってくれる量が大分違うらしいです。同じ研究室のDさんの情報ですと年取ったおばさんの方が多く盛ってくれます。それから肉汁とかたれとかもご飯にたっぷりとかけてくれます。そういえば、最初の頃、3品というのをわからずに注文していたら、若い方の女性から、こわい顔で、あと一つ、と指で示されたことがありました。

 北大のときに同じクラブの先輩が、生協でご飯の盛りが少ないですよ、とおばさんに一言言ったら、目の前ではかりの上にそのどんぶりを乗っけて、「ほら。ちゃんと決められた通りによそってるだろ。」、と、言い返されたと、酒を飲んだ時にこぼしていました。昔のおばさんは、心意気で飯を盛ってくれたとも。

 確かにどこかの大学の食堂のように、目の前におかれた計量器で重さを量ってから出されたご飯は少しおいしくなくなると感じてしまうのは、私だけ?出す人によって量のばらつく食堂にはおかずを選ぶ以外にもそれなりの楽しみがあります。

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2008年4月19日 (土)

いきなり黄金伝説

 もうベトナムの銀行口座に在勤手当が振り込まれているはずなので、ベトナム人の学生さんに銀行に問い合わせの電話をかけてみたところ、口座には一円もないとの返事がかえってきました。え、冗談でしょ、と、大学の総務に問い合わせたところ、給与計算の段階で私のアパートの家賃がわからなかったので、今月分は振込せず、来月にまとめて振り込みます、という、いかにも役所的な返答が戻ってきました。

 アパートの契約書を三月早々に出したのに(実際は家賃一月分のデポジットの領収書でしたけど)、日干しにする気か、と文句を言いたい気になりましたが、「いきなり黄金伝説 ベトナム編を始めます」、と余裕をかましたメールを返しました。これからひと月一万円生活を送らなければなりません。

 ん、よくよく考えたら今日までの三週間と同じでした。

 とったどー

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2008年4月17日 (木)

気長に待つ

 朝、日通のベトナム支店の方に税関に必要な書類を研究所に取りに来てもらいました。先週の金曜日に送られてきた書類だったのですが、研究所の所長のサインをもらうのやら、おとといが祝日だったのやらで今日になってしまいました。これから税関で審査されて、その後で配達されます。日本から送ったのが3月末でしたので、3週間、下手すると一カ月かかるかもしれません。荷物のほとんどが衣類と本ですが、カビが生えなければいいですが。

 ところで、当然入居時に部屋に入っているはずだった椅子、シングルベットもまだ部屋に入っていません。本棚も要求した半分の大きさだったので、不動産屋に間に入ってもらって改めて要求したのですが、正式な返答がありません。職場も3月中に新庁舎に移ると言っていたのが、まだ引っ越しの予定が立っていません。

 公私ともにスタートから躓いています。ただ、新しい仕事を始める準備期間だけは今のところたっぷりあります。ここでは気を長く持たないとやっていけないです。

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2008年4月16日 (水)

ハノイの散髪料

 髪の毛が伸びてきたのでそろそろ切りたくなってきました。研究所の前の道端で時々散髪している人を見かけます。昔は研究所の壁伝いにずらっと床屋さんがいて青空のもと散髪をしていたそうですが、景観が悪いということで退去させられたそうです。今は隅っこの方でおじさん一人を見かける程度です。だいたい100円前後だとか。よく髪を切っているY先生によると、中部のニャチャンですとこの値段よりも安く、そのうえ耳かきのサービスも付くそうです。フレンドシップラボに来ている女子学生は300円程度でカットしているそうですし、むちゃくちゃ安いですね。今度の日曜にでも切ろうかな。

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2008年4月14日 (月)

カビ

 今朝朝食を食べ終わった後で、残ったパンにカビが生えていたことに気がつきました。ということは、今朝は知らずにそのまま食べてしまったわけです。あらためて周りを見回すと、電子レンジの中もカビだらけでした。ベトナムの湿気、恐るべし。まだ雨季の本番前だというに、もう家の中にカビがのさばってきました。

 午後、カビのことを思い出したせいか、はたまたひっきりなしに電話をしまくっている昆虫ラボの人たちのベトナム語にあたりすぎたせいか、少し気分が悪くなりました。今夜は胃の中をアルコールで消毒しようか。

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2008年4月12日 (土)

サイドビジネス

 昨日の続きになりますが、私のアパートの家賃のことでがっかりしていたDさんに、「生活するのが大変だろうけど、何かサイドビジネスをしているの?」、と思いきって尋ねてみました。彼の答えは、「薬を売っている。」でした。薬って、まさかヤクじゃないだろうな、とか一瞬考えましたが、彼が付け足して言うには、シャンプーとか洗剤らしいです。

 今、室長のYさんが南部に調査に行っているせいもありますが、残っている昆虫研のスタッフはあまり研究所に来ません。Dさんは社会人院生のせいもあって午前中は講義に出てからお昼前に来て、3時過ぎには帰ります。いちばん長くいるのが大学から実習に来ている学生で、朝8時過ぎから夕方5時か6時くらいまでいます。女性スタッフが他に二人いるのですが、一人は子供が小さいせいかわかりませんが、9時過ぎにきて時々いなくなって3時前には帰ります。もう一人の人は最近あまり見かけませんが、来ない時に何をしているのかわかりません。

 当然、夕方になると昆虫の研究室には私を除いて誰もいなくなるのですが、日本人の私は安全のため夜まで残ってほしくない、とYさんから言われているので、4時過ぎから日本人スタッフのいるフレンドシップラボに来て、メールと文献のチェックをします。こちらのネットの速度は昆虫研に比べてかなり速いので、インターネットを使うような作業は4時以降に行うようにしています。

 私はあまのじゃくなことろがあるので、環境に恵まれなかったり、虐げられると、かえってやる気が上がります。マゾかと人から言われそうですが、得な性格だと思います。

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2008年4月11日 (金)

安全を込みにした家賃と管理のおじさん

 大学の総務にアパートの契約書とか領収書とかを和訳付きで提出しなければならないため、昨日、アパートの家賃の領収書を同じ部屋のDさんにベトナム語を英語に直してもらいました。そのあと私が英語から日本語に直して、日本に送りました。契約書は結構ページ数があり、われわれ研究者になじみのない不動産関係の単語あって訳すのに骨が折れました。

 いつものようにDさんと一緒にお昼を食べていると、彼がむっつりしながら、「僕がここで稼いだ金の一年分の給料の家賃に君が住んでいてびっくりした。」、と言いました。

 「俺だって、公務員宿舎にいた頃の一年分の家賃のところに住むのは気が引けるよ。」と最初は思ったのですが、(1)もし事件が起きた場合、自分以外の日本人スタッフに多大な迷惑をかけるので、安全が第一であり、(2)これでも不動産会社から紹介された中で一番安い物件だった、と答えました。

 私のアパートも、共用の玄関を入ったところに常に管理のおじさんがいてくれるので、安心です。これが家賃の高いアパートだと受付のお姉さんがいたり、英語を話せるボーイみたいな人がいて、ホテル並みです。私のところは男の人二人が交代で勤務していて、若いほうの人は片言の英語を話しますが、おじさんの方は英語が話せず、初日に部屋の説明をしてくれた時は全部身振り手振りとベトナム語で通しました。とにかく二人とも明るいです。特に、おじさんは夜の勤務が多いのですが、なにかあると、一階のソファに座らせて、ワインを勧めてくれます。お世辞にもあまりうまいワインではありませんが、注がれた酒を残すわけにはいきません。「しょーがねえなあ。」、と日本語でぼやいて飲みます。私は人の好い、酒の好きなおじさんに昔から好かれましたが、それはベトナムに来ても変わりません。

 それにしてもお互い全く言葉は通じませんが、なんか、懐かしさを感じます。

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2008年4月10日 (木)

公園の肥料

 街を歩いていて気になるのは、道端にゴミを捨てる人が多いことです。夕方、清掃局の人だと思うのですが、きれいに掃いてゴミをさらっていきます。きれいにしてくれる人がいるからみなわりと平気で捨てているのでしょうけど、掃き清められた道を歩くほうが気持ちがいいのにといつも思います。

 ところで、私のアパートから研究所までたかだか100m程度です。途中に小さな公園がありますす。今朝、いつもどおりに公園の脇を通り抜けていこうとしたら、清掃局らしき服を着た女の人が花の手入れをしていました。ああ、こういう人がいるおかげで公園もきれいになるのだと感心したのですが、大きな木の根元でおじさんも作業をしていました。しゃがんでいたので背中が出ていました。女性ならともかく、おじさんの背中は見たくないな、と思ったら、そのおじさんはズボンを下ろしていました。肥料を出していたのです。朝から、びっくりしました。

 すぐ離れた公園には公衆トイレがあるのですが、有料だそうです。なので、入る人はほとんどいません。研究所に来て、他の日本人の人に肥料おじさんの話したらハノイではわりと普通の光景だそうです。ホアンキエム湖は観光地として有名ですが、昔はあの湖のほとりでよく大きいのとか小さいのとかしていたそうです。公園を散歩していたら犬のかりん糖を踏んじゃった、の騒ぎではありません。

 歩道を歩いていてもバイクが突進してくるし、下にどんな地雷が仕掛けてあるのかわからない。日本と違って、ぼーっと歩いていられません。

 それにしても今朝見たおじさんは、私が帰りがけに食料を買いに立ち寄るお店の主人に背格好が似ていたような気がしたけど。いつもにこにこしながら食料の入った袋を手渡してくれるのですが、まさかね.....

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2008年4月 9日 (水)

お金が絡んで感じる言葉のハンデ

 今日、日本に一時帰国していたウイルスのHさんが戻られたました。彼は、私の前任者の方が置いていってくれた電子ジャーやら調味料やらを預かっていてくれたのでお昼休みにお宅まで一緒に取りに行きました。

 行きのタクシーのおばさん運転手は真面目に最短距離を走ってくれてさらに小型車であったせいもあり、1万1千ドン(だいたい80円)で研究所からHさん宅まで行けました。しかし、帰りは別の運転手の車に乗ったのですが、3万ドンを請求されました。Hさん宅からほとんど研究所までと同じ方角で同じ距離にあるのに、明らかに道を間違えて遠回りされて、実際どこへ連れて行かれるのかと最初不安にもなりました。2万8千ドンしか小銭がなかったので、英語で「Your mistake」と押切りました。わかってはいなかったと思いますが、お金が絡むような時、やっぱりベトナム語は話せたほうがいいと思います。

 昨日も、道端で果物を売っていたおばさんからみかんを買おうとしたのですが、かなり余計に買わされそうになりました。このときも小銭がこれしかないということで、乗り切り?ましたが。へたに声をかけなきゃいいのにと言われそうですが、これも経験のうちと思って買ってみたわけです。顔を覚えられたので、次はもう少しましな買い物ができると思います。それにしても果物の値段は長崎にいたころと大して違いはありません。もっとも長崎では農家さんが一袋百円で道端に置いてあるみかんを食べていましたが。

 こちらには日本では見かけなかった果物がいくつかあるので、これから試してみたいと思います。

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2008年4月 8日 (火)

洗濯の匂い

 昨日は夜早く改築工事は終わると書いたのですが、11時過ぎまでダンプで搬出作業をしていました。朝起きたら、それは家ではなくお寺でした。

 昨日は音について書きいたので、今日は匂いについて書きます。

 今住んでいるアパートは週3回、平日私のいない時に掃除をしてもらっています。その時に洗濯もしてもらっています。もちろんお金は後からとられるのですが、きちんとアイロンもかかっているので満足しています。それに加えて、なんともいい匂いがします。日本にいたときに洗剤のCMで、「ふぁふぁー、とレ○ア」、とか、「ハミ○グ」とかがありましたが、なんともいい匂いです。長崎拠点のラボに行くとよくこの匂いがします。私も加わった日本人のオジサンたちからの臭いではなく、ベトナム人の若い女性たちからの匂いであることは間違いないと思います。

 洗濯もので匂いを感じるのは、子供のころ以来ですか。

 シャボンのあわーのにおいでしょー。

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2008年4月 7日 (月)

騒音

 朝5時に道路を挟んで向かいの家の改築工事の音で起こされました。今、ベトナムは好景気で、ハノイでも至ることろで建築ラッシュです。それにしても、朝5時から仕事を始めるのもすごいですが、住民から苦情の出ないのもすごいです。その代わり、わりと早く工事は終わります。暑さ対策でしょうか。

 工事の音が止むとスピーカーで何やら町中に放送が流れます。何を言っているのかさっぱりわかりませんが、この時点でベトナム語に対する拒絶反応が出てきます。

 こちらに来る時に英語のスキルアップとベトナム語を話せるようになるのを目的としましたが、ベトナム語は早くもくじけそうです。家でどちらからやろうかとなると、つい英語になります。今日、研究室に英語圏の方が来たのですが、彼の英語を聞いて正直ホッとしました。日本人とわかってゆっくり話してくれるせいもあるのでしょうが、よくわかりました。

 ベトナム人の会話が耳障りになったのは私の耳が勝手に話を聴いているせいでしょうか。私の出身である関東北部の人の話し方は喧嘩をしているようだと聞いたことがありますが、こちらの人の話し方はそれを彷彿させます。「オーイ」とか、「ヨオ」とか「ライ、ラ、ライ(昔アリスの歌でありました)」、日本に似た掛け声がいくつかあります。

 昨晩はアパートの周りで1時間くらい「エムーイ(=おネエチャン、私がわかる数少ないベトナム語の一つ)」と叫ぶ少年の声がしていました。なにはともあれ、ベトナム語を勉強するにはかなりモチベーションを上げなければなりません。

 昨日街中を歩いていて、静寂のある場所を見つけました。お寺です。表通りの喧騒が嘘の様に静かで、落ち着きます。市内のあちこちにあるので、いらいらした時には時々避難しようと思います。

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2008年4月 4日 (金)

じりじりするこの数日間

 研究所内で私がいつも利用する場所は、今いる昆虫部門の研究室と長崎大学のベトナム拠点がある部屋と、それからお昼を食べている食堂です。こちらに来る時に自分のデスクを、日本人のいない昆虫学研究室と日本人スタッフのいるベトナム拠点の部屋とどちらにするかと聞かれたのですが、昆虫学研究室にしました。前任者もデスクを置いていましたし、これから彼らと一緒に仕事をしていくのですからできるだけ馴染まないと。って思っていましたが、不具合が出る、出る、前のパソコンはDell(やっちまった)。

 こちらではワイアレスを使っているのですが、昆虫のラボでネットをすると極度にスピードが遅くてイライラします。設定を変えればいいのでしょうが、今のところお手上げです。それから基本的に夕方5時でみんな帰宅します。部屋の鍵を預かって残っていこうとしたのですが、セキュリティーの問題で私には残られると困ると言われました。前任者は5時近くなると拠点部屋に移って仕事を続けていたそうです。こちらの人は、朝9時近くに来て夕方4時半から5時半になるとサアーっといなくなります。そんなに早く帰って何をしているのかと思ったら、ほんとかどうかわかりませんが、サイドビジネスをしているそうです。そういえば私の大家さんは市役所に勤め、ハノイ市内に7軒もアパートを経営しています。

 先月に引っ越す予定だった新しい研究棟はまだ完成せず、引っ越しも来月になるそうです。本業に取り掛かる前にいろんな事でなかなか事態が進まず、じりじりしています。なによりもベトナム語がわからねえ。

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2008年4月 2日 (水)

着任早々の失敗

 今日ようやくメールを送信できるようになったと思ったら、お世話になった総務のYさんに個人宛で出したつもりのメールが研究所のメーリングリストに流れてしまいました。トホホ。赴任早々の粗相です。

 昼間はアパートの契約書を和訳することにほとんどの時間を費やしましたが、まだ終わりません。わからない英単語はネットでいくらでも調べられるご時世ですが、インターネットの接続がいまいち良くなくて、えらく時間がかかっています。ベトナム語から英語に直してもらったのだから、そのまま提出していいと思ったりします。ダイヤル回線でインターネットを使っていたころを思い出す状況で、さらにイライラが募ります。今週はいろいろな書類書きの雑用で終わりそうです。

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2008年4月 1日 (火)

今度こそゼロからの再スタート

 今日からハノイの国立健康疫学研究所(通称NIHE)にある長崎大学のベトナム拠点で働きます。半年前にこのブログを始めた時に3月末にはどうなっているかわからないと書きましたが、現実になりました。こちらで二年間、デング熱を媒介する蚊を中心とした研究をします。

 今年の所長の年始のあいさつは、「この中にベトナムへ行く人がいますが、決して左遷とは思わないように。......最終的には研究者としての評価は論文で決まります。」という内容で、かなり厳しいことを言うなあ、と思って聞いていたら、そのすぐあとに教授室に呼び出され、「ベトナムに行ってくれるか。」と、打診(申し渡)されました。それからは、いろいろな事務手続きが行われ、ハノイで部屋探しをして、引越しの準備をして、その間には、リサーチの学生との研究やら、飲み会と禁酒やら、房総へのダニ採集やらがありました。今振り返るとかなり濃い3ヶ月でしたし、あの挨拶は私への激励ととらえています。

 この三か月ブログでも触れたように忸怩たる思いも正直ありました。人生で辞表を書くのは一回きりと思って県職を辞めたつもりでしたが、二度目の辞表を書いた時はため息が出ましたし、二年間に三回引っ越しするのか(一回目は離婚で、二回目は長崎赴任)と思うと気も萎えました。一度は安定した生活を手に入れたつもりになりましたが、また期限付きかと思うと、気持もへこみそうになりました。どうにか乗り切って、今はベトナムでの仕事と生活を充実させることを考えられるようになりました。

 長崎に来た時は一からの再スタートとは思っていたものの、貯金が全く足りなかったせいもあってテレビなどの電化製品や車を千葉から持ってきました。今度は本と最低限の着るもの以外は全部処分してゼロからの再スタートです。

 というわけで、吸血動物研究者ベトナム編を今日から始めます。

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