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2008年5月

2008年5月30日 (金)

ネットの接続とベトナム語漬け

 一昨日の晩からアパートのおとうさんがベトナム語で何か説明するのですが、インターネットしか聞き取れなかったので、昨日、ベトナム語の先生がアパートに来たついでに、彼女に通訳してもらいました。カフェでの勉強は音楽や人の話し声がやかましくて、先生の声がよく聞き取れなかったので、自宅でレッスンを受けることにしたのです。彼の話だと、私のパソコンが昼間ないために何が原因で接続できないのかわからなかったそうです。お父さんに、プロバイダー業者に電話をかけてもらって、都合のよいときに私がたちあうように言ってもらうと、これから来ますとの返事でした。ベトナム語の勉強がありましたが、どうせベトナムだから1時間くらいたってから来るだろう、と思っていたら、こんな時に限ってすぐにやって来ました。

 30分ほど悪戦苦闘したのち、どうにかセッティングが完了し、ネットにつながるようになりました。めでたし、めでたし。

 レッスンはネットの接続のため途中で中断しながらも一時間半やりました。私の部屋は窓を閉めるとかなり静かなので集中できるはずですが、やはり年のせいでしょうか、持続力がありません。次から途中で休憩を入れてもらおうと思います。

 ベトナム語の先生はハノイ大学の学生で、22歳だそうで、フレラボに来ている女子学生二人と同級生です。やけに私を年寄り扱いすると思ったら、お父さんと一歳しか違わないとか。それならおかしくないですが、本来ならこれくらいの年ごろの娘がいてもおかしくないのに、俺、何やってるんだろうと一瞬考えました。

 昨日教わったベトナム語の内容は家族や会社での年上年下の人に対する呼び方でした。ベトナム語には自分と両親の年齢を基準にして、周りの人に対する呼びかけ方にかなりバリエーションがあります。今朝、先生に教わった通りに秘書の人に、おはようと挨拶したら、それはかなり年上の人に対する呼び方なので、別の言い方にしてほしいとさっそく直されました。

 エントのラボに行くと、Yさんが偶然かもしくはどこかで聞きつけたのか、ベトナム語で挨拶してきました。うーん、これは大変なことになってきました。私の記憶力は限りなくゼロに近いのですが、皆さんの期待を裏切らないようにベトナム語を覚えるようにします。

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2008年5月29日 (木)

B型肝炎の抗体

 B型肝炎の検査結果を聞きに行ったら、すでに抗体を持っていました。いつ、どこでワクチンを注射したのか記憶にありません。衛研時代によくわからずに打っておいて、すっかり忘れてしまったのかもしれません。とりあえず、もう一回追加で打っておけば半永久的に抗体が残ると説明されたので、ワクチンを接種しておきました。これで、デング熱患者の血液とかを取り扱うのも一応大丈夫です。

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2008年5月28日 (水)

ベトナム語のレッスンとバイタク

 昨日からベトナム語の勉強を始めました。秘書さんにどこか近くに外国人にベトナム語を教えてくれるところはありますか、と尋ねると、マンツーマンでベトナム語を教えてくれる会社を教えてくれました。昼休みに秘書さんにカフェを選んでもらっておいて、夕方、そこで講師の先生と待ち合わせをしてお茶を飲みながらベトナム語を教えてもらいました。

 今回は一時間半、ベトナム語の発音を主に教えてもらったのですが、ずっと先生の口元を見て、それをまねることに集中したのでかなり疲れました。Nの発音などは「ン」という感じでどうしても口を閉じてしまうため、繰り返し練習しましたが、良くなったので先生がOKを出したのか、時間がなくなって諦めたのか、どっちだったのか。今日、昼間にフレラボの学生二人に発音をもう一度チェックしてもらったのですが、やはり昨日と同じ部分を直されたので、先生も疲れたのかも。

 これから業務で患者の血液などを扱うために、念のためB型肝炎の予防接種を受けにフレンチホスピタルに行ってきました。昨日からハノイは超暑く、昼の気温は35度くらいなので、歩いて移動する気にとてもなれず、バイタクを使いました。乗る前に行先を見せて(私の発音では通じない)、値段を交渉して(外国人だとボッタクろうとする)、研究所から病院、お金がなくなってきたので病院から銀行、銀行から研究所とすべてバイタクでした。病院へ行くまでのおじさんは目的地の病院の前を通り過ぎて、正門に向かうのかと思いきや別の建物に行って、ここか?、と尋ねたのでまたもと来た道を引き返しました。かなり時間に余裕をもったつもりでしたが、結局10分前に着きました。

 病院から銀行から研究所に戻るときに乗ったバイタクのあんちゃんは、明らかに小遣い稼ぎでやっている感じで、途中他のバイタクのおじさんと信号待ちの見知らぬおじさんに道を聞いていました。まあ、私は道を知っているからいざとなったら指示を出しましたが、知らない場所で乗るのは正直言ってまだちょっと怖いです。

 今日はB型肝炎の抗体を持っているか否かを検査しただけだったので、明日また病院へ行って結果を聞いてから、ワクチンの接種するかを決めます。

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2008年5月26日 (月)

お父さん達と衛研時代のKさん

昨日、久々に角田レストランに行きました。いつものように適当におかずを注文して、席について、さて食おうかと思ったら、向かいの席にいたお兄ちゃんとおじさんがこちらに手を振っているので、こちらも、やあ、という感じで手を振ったら、飲もうぜ、という素振りをしたので、じゃあ、すみません、となって、すぐ合席で飲み会になりました。

 お兄ちゃんは、ほとんど片言の英語でしたが、ナガサキ、ナガサキ、と言っていたので、ひょっとしてどこかで会っていたかもしれません(今日、新庁舎の作業場で見かけました)。顔もどこでか忘れたけど、北大の同期のNに似ていてイケ面のベトナム人でした。でも、彼の話はベトナムとジャパンとグット以外はベトナム語なので、私には理解できず、どうもシリアスらしく、だんだんお父さん達はシラケてきました。私がベトナム語をできないために、お兄ちゃんは空回りしたみたいだけど、結局、飲むんだったら楽しく飲まなきゃ、っていうのは万国共通です。

 アパートに帰ると、警備のお父さん(これまで管理人のおじさんと呼んでいました)に酒を飲んできたのがばれて、ここ座って、飲もうといわれたので、ちょっと待ってもらっていったん部屋に戻り、前任者のHさんがエントに置いていったタロイモ酒を持って下に降りました。一口、お父さんは飲むと、うまい、と言うと、またヘビ酒を出してきて、体にいいからと、交互に飲まされました。確かに、口当たりはまったく違いますが、かなりきつかったです。

 ベトナムでお父さん達と飲むといつも思い出すのは、千葉衛研の時のKさんです。奥さんを40代の時に亡くされ、御母堂と三人のお子さんを育てられました。でも、奥さんのことを忘れられず、そして仕事での鬱屈もあって、毎晩、キャバクラ、スナック、キャバレー杯一(千葉の栄町に昔ありました)を辞めたおばさんがやっていた小料理屋に通っていました(すごい)。奥さんが亡くなる時に、お父ちゃん、私が死んでも私以外の人に浮気しないでよ、と言われたそうで、オネエチャンのいる店に行っても律儀にそれを守っていました(もっとすごい)。飲みに付き合うと一切我々に払わせず(なおさらすごい)、あんまり悪いので我々がお誘いを断るとすごくさみしそうな顔をしていました(すみませんでした)。

 私は衛研を辞める際の挨拶で、ここで皆さんに会えたことは私にとって財産でした、と述べたのですが、飲みに関していえばKさんとのいろいろな思い出があったから、ベトナムのお父さんとすぐ仲良くなれるので、本当に感謝しています。

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2008年5月24日 (土)

会議での最初の報告

 昨日は日本で研究の打ち合わせをする飛行機のチケットの手配、B型肝炎のワクチン接種の予約、ベトナム語教師との連絡をまとめて秘書さんにやってもらいました。英語で要点だけ伝えれば、ベトナム語でどんどん電話をかけて処理してくれるので本当に助かります。

 夕方5時からベトナム側と長崎側の合同会議がありました。だいたい一、二カ月に一度開いているようですが、それぞれ研究の進捗状況を報告したり、意見交換する場所となっています。が、昨日はベトナム側の部長クラスの人がエント(=昆虫部門)を除いて誰もいなかったため、日本側だけの発表でした。日本側は教授クラスの人が出席する会議なのですが、私は日本とベトナムの二人の日本人ボスから、これからは会議に出席してエントを積極的にアピールせよ、と命じられているので、今回から(渋々)参加しました。ここのエントのスタッフと共同で調査する他の人の研究計画ですが、スライド2枚にまとめて報告しました。

 もともとはPさんが報告していたのですが、彼女は英語があまり話せないのと、パワポが作れないため、今回からこういう形で私が報告、Pさんが付け足すという形になりました。海外に医学系の研究拠点は長崎大以外にもいくつかありますが、昆虫部門があるのはベトナムだけです。熱帯をフィールドに研究するとなると、媒介昆虫というのは一般受けしやすく、それだけにもっとアピールしてほしいというのがボスたちの考えです。ごもっとも。

 ただし、昆虫の野外調査はすぐに結果が出るわけではないし、まだ自分の研究計画でいっぱいいっぱいの段階なので、当面は他の人の研究の状況について報告していかざるを得ません。

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2008年5月22日 (木)

新庁舎

 Photo

 新しい庁舎です。一階の左奥にエントラボのオフィス、右奥に実験室があります。二階の右奥にはフレラボのオフィス、左奥には実験室があります。なんでオフィスと実験室を互い違いに分けるのでしょうか。設備の面で能率的でない気がしますが、これも風水で決めちゃったのかな。

 新庁舎でインターネットもつながり、フレラボに机と椅子も揃いました。

 引っ越し祝いしたいなあ。

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2008年5月21日 (水)

NIHEメシ

Nihe_4  いつもお昼に食べている、研究所の定食です。私たちはNIHEメシと呼んでいます。右下の白いのがご飯、右上からゆでたウリ、揚げ春巻き、豚肉の炒めもの、ジャガイモのスライスです。左は汁で、豆腐とニンジンが入っています。味付けはたいてい薄味なので、物足りない人はおかずをトウガラシを入れた魚嘗をつけたりして食べます。これで、12000ドン(日本円でいうと80円くらい)。1万ドン、1万5千ドンのコースもあります。値段によっておかずの品数とご飯の量が違ってきます。

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2008年5月20日 (火)

安いホテルの予約

 やっと、エントラボの引っ越しも終了して、今日から新しいオフィスの机に移りました。あとはフレラボの机と椅子の到着を待つのとインターネットの接続です。新庁舎ではネットがまだ使えないので、事務処理とかは古い庁舎のフレラボのオフィスでやっています。

 昨日から新しいベトナム人秘書さんも来ているので、こちらに調査に来る人のホテルの手配などをお願いしています。今まではベトナム人の学生さんたちに実験の合間にやってもらっていたのでいささか気が引けました。前の秘書の方は活発な感じだったと聞いていますが、今度の方は物静かな感じです。

 ところで、昨日、日本のある知人からホテルの手配を頼まれたので、一泊40ドルのホテルを紹介したのですが、できるだけ安くしたいので10ドルくらいのホテルはないか、と返答がありました。秘書さんに、悪いけど、高いそうなのでキャンセルしてもらえますか、と頼むと、じゃ、交渉します、と彼女から答えが返ってきました。えっ、ホテルって交渉次第でそんなに金額を安くできるんかい、と、またまた日本の常識が通じないことに、それとどちらかというとお嬢様育ちの雰囲気の人から当たり前のように言われて、びっくりしました。結局、そこは5ドルしか負けてくれなかったそうですが。

 エントラボのベトナム人スタッフにホテルについて聞いてみたところ、今のハノイで10ドルはないそうです。旧市街にはツーリスト向けのそこそこ安いホテルがありますし、3月には私も15ドルから20ドル位のホテルに泊まっていました。けれど、それ以下はあっても英語が全く通じないし、安全面を考えたら薦めたくないそうです。一日千円の違いだったら、海外旅行時の保険にでも入ったと思って、私なら納得しますか。

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2008年5月19日 (月)

チェーと山椒魚

 昨日、アパートの近くの床屋で散髪しました。手振りでこの位切ってくれと説明して、かなり短めに切ってもらいました。正直言いますとB型肝炎が怖かったのですが、一応、剃刀の刃は新しいのと換えていました。ひげそりと洗髪なしなので、30分もかからずに3万ドン(=200円)でした。

 今朝、フレラボでベトナム人の女の子二人と髪を切った話をしていたら、ベトナム人のジンクスに話が発展して、何か奢らなければならなくなりました。ちょうど、ガイド本に載っていたチェーという豆や芋を甘く煮たぜんざいを食べたかったし、いい店を教えてほしかったので、お昼休みに食べに行くことにしました。

 小さめのジョッキグラスにさつま芋、きくらげ、ココナッツ、豆が入っていて、皿に盛られたかき氷をそれに入れて、よく混ぜて食べます。これは初めての味でした。日本でも受けるかも。

 今日はエントラボの引っ越しなのですが、例によって遅遅として進まず、午前中に冷凍庫などを運んでもらって終わりでした。私は、自分の机周りの荷づくりが済んでいない人たちを横目に、少なめにしておいた自分の荷物をさっさと運んで、食後のデザートを食べに行ったりしました。

 さて、午後の作業はというと、人足さんは他の現場に行ってしまったので、書類をたっぷり積め込んだ箱を自分たちで運ばなければなりませんでした。だから早くやっておいて、しかも書類は小さめの箱に入れとけって、言っても無駄でした。結局、手の空いている私が荷物を下に降ろしました。

 最後にまた人足さんを呼び寄せて、P3用の実験設備を運ぼうとしたのですが、実験室のドアが狭くてつかえてしまい、おまけにもう一つのドアのカギがなかったので、30分近く、井伏鱒二の「山椒魚」状態になりました。何とか新実験棟に運んだものの、台を外したときにラバーの一部が壊れたため、設置は明日になりました。

 山椒魚は悲しんだ。

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2008年5月16日 (金)

だらだら引っ越しの本番と入金の確認

 今日からエントラボの引っ越しと思いきや、8時の集合時間にはYさんと大学生のS君しかいません。8時半ころから業者に荷物を運んでもらいました。実験室は見かけはさっぱりしましたが、オフィスは全くそのまんまです。私がオフィスの自分の荷物を運ぼうとしたら、月曜でいいですと、言われました。日本では引っ越しは一日のうちに全員が100%から120%の力を出してするものですが、こちらは30%の力で3割の人が三日間かけてだらだらと行うようです。引っ越しの日だというのに私はネットで文献を検索し、論文を読み、一時間半かかってお金を下ろしてきました。

 お金と言えば、今日、ようやく銀行にお金が入りました。昼に確認の電話を入れたらまだ入っておらず、3時半頃にもう一度かけてようやく確認できました。4時に銀行が閉まるので、バイタクに乗って急いで銀行のあるビルに着いたのはいいのですが、最初はフロントの人に聞いてもフロアがわからず、電話をかけてY先生に教えてもらいました。閉店5分前に滑り込み、いよいよ下ろせると思いきや、またしても、行員さんから、ミスターツノダ、ノーマネー。はあっ、さっきお金が入ったって電話で確認したから、もう一度調べて下さいと、念を押したら、どうにか確認してもらえました。おかげさまで、どうにか3か月分のアパート代と共益費などを下ろせました。それにしても今回は最後までドタバタしました。

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2008年5月15日 (木)

だらだら引っ越し準備とFさんのお子さん

 今日もエントのラボは夕方からだらだらと引っ越しの準備を始めました。けれども、アルコール漬け標本やガラスの額縁をそのままダンボールに入れて、本や書類を大型ダンボールに入れているので、2年間3回引っ越しの経験をしている私としては黙ってみていられなくなりました。液浸標本をビニル袋に入れ直したり、額縁を段ボールから出しているのを見て、細けえ奴だ、と感じているベトナム人と、お前らに荷物の運搬を絶対に頼みたくない、と思う日本人がいました。

 差し入れの食事を食べていると、昆虫(=エント)部門のヘッドのFさんがお子さんを連れてきました。噂には聞いていたのですが、小学校高学年の割に小さく、Fさんがかなり老けて見えるので、母子というよりも祖母と孫のようです。私にも小学生の甥姪がいて二人とも群馬の田舎にいますが、今の日本の子はもっと生意気といいますか、ませています。でも、彼には全くそういうのがないですし、お笑い系のほのぼのとした雰囲気を持っていました。日本人が珍しいのか、Fさんの陰からチラチラこちらを見ていました(こういう子も日本では見なくなりました)。

 Fさんが帰った後、エントのフタッフから彼は私に似ている、特に目が、と言われました。うーん、複雑な心境。

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2008年5月14日 (水)

エントラボの引っ越しと差し入れ

 フレラボの引っ越しから3日経ちました。実験室の方はトラブル続発でのろのろですが、オフィスの方は今日机が来ました。とはいうものの、一から組み立てているので全部完成するのは明日になると言っています。こちらの人は、今日やることを明日に延ばすな、とか、サービス残業という言葉を知りません。

 一方、エントラボは今日の夕方から急に引っ越しに準備を始めました。珍しく気が早いと思ったら、ボスのYさんが言うに、昼間ある人に会って金曜日の方が日がいいと言われたから早めたそうです。冗談半分で聞いていたのですが、本当の話で笑ってしまいました。

Photo 夕方入った差し入れ。右が開封前で葉っぱに包まれています。左は、すみませんが私の食いかけで、味と食感はべとべとした豚まんみたいな感じです。ベトナムではよく屋台で売られています。気になっていた食べモノでしたが、結構いけました。一番左に写っている白いまんじゅうみたいなのは(すみません、これも食べかけです)、お米でおにぎりともちの中間みたいでした。塩をつけて食べます。野外調査に行く時などに持っていくと言っていたので、まるっきり日本のおにぎりですね。

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2008年5月13日 (火)

引っ越しと風水

001  昨日、今日とフレラボの引っ越しでした。昨日は夕方までかかってダンボールに梱包し、今朝は冷蔵庫の中のものを移しました。運搬は引っ越しの業者さんがやってくれて、大型機械のセットアップは日本から専門の業者さんが来てくれているので、私達は荷物の梱包と開封が主な仕事です。とりあえず、今日でほとんど運搬は終わりました。

 一方、エントのラボは今度の土曜日に引っ越しです。なんでわざわざ土曜日にやるのかというと、日がいいからだそうです。ベトナムの人は風水とか縁起を担ぐのが好きらしいです。たぶん福毛もそうなのでしょう。エントのボスのYさんは特にそういうのを気にするらしく、毎朝本をぱらぱらめくって、今日は日が悪いから調査は延期しようとか、3人で出かけるのであれば大丈夫、とか決めているという話を耳にしました。

 今朝のテレビの星占いで超アンラッキーな星座だったので調査に行くのをやめてもいいですか、と学生がもし言ってきたら、普通の教官なら、お前何冗談言ってんだ、となるでしょうね。

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2008年5月11日 (日)

啓蒙誌への投稿

 共同研究者に送った原稿がいくつか修正されて戻ってきました。もうこれでOKです。この原稿は、「植物防疫」という、農業分野の雑誌に掲載される予定です。この雑誌は農業試験場や農業改良普及所で働く方の啓蒙誌的な存在で、専門家が分野外の人にもわかるように解説しています。農学部にいた頃私もこの雑誌に目を通していました。いつか自分の書いた原稿を載せてみたかった雑誌の一つです。ついこの間別の雑誌にアクセプトされた原稿に少し新しい知見を加えて、日本語でわかりやすく書き改めてあります。二重投稿みたいですが、オリジナルを掲載する編集長の許可を得ていれば問題ありません。

 衛生研究所にいたとき、Fさんという、古生物学で有名な人とよく話をしました。彼は衛生研究所の所属なのに恐竜とか化石で学会やマスコミに名前が知られていました。彼から、オリジナルペーパーを書くのも大事だけれど、3本なり5本なりいくつか書いたのをまとめて、解説もしくは総説を学会誌や啓蒙誌に出すことも名前を売る点でも、社会的な貢献という意味でも大事だ、と言われたことがありました。なるべく心がけていましたが、前のボス、つまり今回の共同研究者が農業関係で顔が広いためにようやくチャンスが巡ってきました。

 Fさんは若い頃お金がなくて、「遺伝」とか、「自然」とか、原稿料を出してくれそうな雑誌に片っ端から電話をかけたそうです。彼は印税で生活費を稼ぐのを人生の目的とし、退職するまでにかなりの財産を残しました。動機はさておき、そのバイタリティは見習わないといけません。

 今回の原稿料は、共同研究者が奥さんを連れて今度の8月にハノイに来るので、その時に何かうまいものを食べるのに使う予定です。

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2008年5月10日 (土)

洗濯の続き

 昨晩アパートに帰ると、管理人のおじさんがベトナム語をしゃべりながら近寄ってきました。また飲むのかな、と思っていると、新しい靴下を2足手渡してきました。どうやら、どこへやったのかわからなくなった靴下を女の子か誰かが弁償してくれたようです。「コ ムーン(ありがとう)」と言って、受け取ってからよく見ると、アディダスで12ドルと表示されていました。ユニクロで3足990円のうちの1足の弁償としては、それに失礼ですがベトナム人のお給料から見れば大きいです。

 部屋に入ると洗濯物入れにあった衣類は洗濯されてきれいにたたんでありました。一昨日の晩に、これから自分で洗濯をするので、時間のあるときに洗濯機の使い方を教えてください、もう怒っていません、と英語で書いた紙を、洗濯する女の子に渡してくれるようにおじさんに頼んでおいたのですが。

 今日の午後、最上階に洗濯をしに行くと、女性が二人アイロンがけをしていました。若い方の人はこのところ私のところに服を届けに来た人で、少し英語ができたので、洗濯機と乾燥機の使い方を教えてもらいました。靴下を指してお礼を言うと、その人はぽかんとしていましたが、アイロン掛けしていたもう一人の方は笑っていました。

 乾燥が終わる時刻になったので洗濯物を取りに行くと、英語はめちゃくちゃでしたが、どうやら運転時間を書いたメモが洗濯機と乾燥機に貼ってありました。伝えたい気持ちだけはしっかりと通じました。

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2008年5月 9日 (金)

洗濯した女の子からのお詫びと原稿2本

 おとといの夜、アパートに帰ったら管理人のおじさんが何やらベトナム語で話しながら英語のメモを渡しました。本当にごめんなさいと、書かれてあったので、洗濯をしてくれている女の子がおじさんに頼んだのでしょう。エレベーターで自分の部屋に行こうとしたら、おじさんがまた何か言いながら、プラムのような果物を渡しました。おじさん、いいよ、と断ったのですが、まあ、いいからさ(勝手な推定訳)、と。結局、4月分の洗濯代は全額出さなければなりませんが、これでよかったのかも、と思っています。自由に洗濯機と乾燥機が使えるのですから。

 応動昆の英文校閲が終わり、原稿が戻ってきたので、急いで原稿を修正して送り返しました。これであとはゲラのチェックを待つのみです。植物防疫に載せる原稿も共同筆者からかなり赤が入って戻ってきました。指摘された箇所をすぐに直して、夕方に修正原稿をメールに添付して送りました。あと滞っているのは研究計画のみです。何人かの人に意見をもらったら、来週には日本に送りたいです。

 来週はいろいろ新庁舎へ引っ越しです。月曜にフレラボ、土曜にエントラボと週の初めと終わりに関係する研究室の引っ越しが予定されています。ひと月たって徐々に仕事をする環境が整いつつあります。

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2008年5月 7日 (水)

洗濯料金5千円

 昨夜、管理人のおじさんから四月分の諸経費の請求書を渡されました。電気代、電話代、ネット代、どれも納得できましたが、洗濯料金 50USD×16000VD(ベトナムドン)=800000VD、と書かれていて、腹が立ちました。週3回でひと月の洗濯料金が五千円です。クリーニングといっても下着やGパンにまでするわけではありません。あまりにふざけています。

 あまりに高すぎるとクレームを言いましたが、七千円のところもあるのでこの値段は妥当だとの答えが返ってきました。それから、明日ベットの寝具を入れるから、残りの三カ月分の家賃を払いなさいと。結局、洗濯は屋上にあるのを使って自分でやることになりました。

 日本にいるとなかなか実感できないでしょうけど、こちらにいると本当に仕事以外で疲れます。

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2008年5月 6日 (火)

いい匂いのしなくなった洗濯物

 昨日は掃除と洗濯をしてもらう日でした。アパートに帰ると部屋はきれいになっていましたが、洗濯物が戻ってきていませんでした。ベトナム語の本で洗濯という単語を見つけて、それを紙に書いて管理人のおじさんになんとか伝えました。二時間くらいたって若い女の子が洗濯物を持ってきました。実は、先週も長袖のシャツが戻ってこなくて苦情を述べたばかりです。結局、この日も靴下が一足ありませんでした。

 五月から掃除洗濯をする人がアルバイトの学生に替わったようです。前にも書きましたが、以前は洗濯物からいい匂いがしたものですが、最近はなんといいますか臭いです。日本でなら、人に洗濯してもらって贅沢言うな、と言われそうですが、洗濯代は家賃と別にしっかり取られていますし、なにより苦情を伝えるのも一苦労でストレスがたまります。

 行きつけの”角田レストラン”でも、雑貨屋でも、バイトの女子大生が多いです。現在、ベトナム国民の平均年齢が27歳だそうですが、確かに至る所若い人が多いです。ハノイはベトナムの大都会なのでなおさらそう感じるのでしょう。日本でいうと、コンビニやレストランでアルバイトしている大学生ですが、仕事中にここで英語を教えて下さいと頼んできたり(雑貨屋で買い物していたら従業員の女の子から声をかけられました)、洗濯が仕事なのにそのまま帰ったり、私の知っている日本の学生達と比べると、勤労意識が低いんじゃないの、と言ってしまいたくなります。 

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2008年5月 5日 (月)

苦手だった統計の勉強法

 ずっと、統計が苦手でした。衛研在職中に放送大学の統計講座を聴いたり、本を何冊も買ってみたものの続きませんでした。

 最初のポスドクの話がダメになった後、腰を据えて統計の勉強をすることにしました。ちょうど、農環研の三中信宏さんがブログで、卒業実習に来ていた学生と統計の勉強会の進捗具合を公表していました。テキストはZarStatistical Analysisで、だいたい週一回一章のペースでした。私は平日、毎朝大学に行くと最初の一時間を統計の勉強に充てました。

 私は、Zarの本を主軸にして、Sokal & RolfBiometry石居進生物統計学入門で相当する部分を勉強しました。Biometryには藤井先生訳の簡略版もあるので、おもにそちらを読んで、日本語版に入っていない部分だけは本家のほうを勉強しました。また、必ずExcelなどを使って練習問題を解きました。三中さんらはRを使っていましたが、自分も公開されているR関係のHPを参考にできるだけRでも解きました。

 Zarの本はSokal & Rolfに比べて、例題と練習問題が多いので、自習用にはいいです。ただし、多重比較などに誤用があるので、問題ありの箇所をわかっている人から聞いておいた方がいいと思います。

 私のような意志の弱い人は勉強会に出席したり、ネットで進捗状況を公表している人に合わせて勉強しないと続きません。おかげでようやく統計についてひととおりフォローできるようになりました。人間万事塞翁が馬です。

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2008年5月 3日 (土)

酒は百薬の長

 昨日は朝からおなかが痛かったので、夕飯は軽くすませようとしたのですが、アパートに帰ると管理人のおじさんがにこにこしながら私の手を掴んで奥のソファに座らせて、またお酒を飲まされました。それからおじさんの一方的ベトナム語講座を10分間聞かされました。この日はウィスキーだったのですが、飲んだら腹の具合が急に良くなった感じがしました。

 同じアパートに日本人の若者二人、中年男性が二人住んでいます。私がおじさん相手に酒を飲んでいると、若者二人はベトナム人の彼女とバイクで夕飯を食べに出て行きました。私はだいぶ腹の調子が回復したので、注がれた分だけ飲み干すと、百円飯を食べに出かけました。

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 昔、日本でも車の埃を払うときに使っていたもの。10年以上前にC県衛生研究所の公用車で見かけたのを最後に個人的には日本で絶滅したと思っていましたが、ベトナムには生き残っていました。

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2008年5月 2日 (金)

身銭を切ってベトナム語

 昨年ベトナム語を勉強したいのでいいテキストを教えてもらえないかと、ベトナム人の友人に頼んだら、CD付きのテキストをいただきました。けれど、CDの規格が日本とベトナムで違うのか読み出せません。その人に頼んでUSBにコピーしてからパソコンに取りこみました。そのときは全部で3枚のCDをコピーしたつもりでしたが、2番目のCDをコピーしておらず、レッスン3でベトナム語は滞ったままになっていました。今日残りの1枚をコピーしました。

 日本人スタッフの中には週末にベトナム語の家庭教師を1回90分10ドルで雇っている方もいます。毎朝家でCDで勉強したあと、昼休みに10分位ベトナム人スタッフの人に発音を矯正してもらおうかと考えていたのですが、私のような性格は自腹を切らないと上達しないと鋭い指摘をY先生から受けました。確かに、そう思います。

 給与が入ったら前向きに検討させていただきます。

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2008年5月 1日 (木)

家具が来た!

 昨日は南ベトナム開放記念日、今日はメーデーで休みです。これに土日が加わるので日本より少し短いゴールデンウィークです。

 一昨日アパートに戻ると、管理人のおじさんが興奮して何か話しながら私の部屋に付いてきました。あ、家具が来たのか、とすぐにわかりました。本棚はどこも大きめで、これならA4判サイズの本でも入ります。前のはB5判サイズがきちきちではいる感じでした。ただし、全部A4判サイズです。大きいだけでなく重いので、一人では動かせません。昨日の午前中に、昼間の管理人の人にお願いして、寝室と書斎の本棚を入れ替えました。椅子は木製ですが、ベトナムらしくていいかと思うようにしています。代理に使っていた食卓の椅子よりも座り心地がいいです。ちなみに、おじさんはずっとベトナム語で説明していました。

 今日の午後、目をつけていた電気屋に行ってスタンドを買ってきました。これでようやく、夜、机に座って仕事ができます。

 前に書いたかもしれませんが、こちらでは家具付きのアパートが普通です。入居前にベットと本棚、事務用の椅子を請求してからサインしました。ひと月たってどうにか揃ったと言いたかったのですが、問題はベットです。木の骨組みだけで寝具がついていないので、このことを大家に言って寝具を揃えてもらわなければいけません。それから前の人が使っていたままになっている枕やシーツ、マットを交換してもらわないとお客さんに出せません。気が利かないというか、目先のことしかわからないというか、ワザとやっているのかと勘繰りたくなることがあります。今度来る秘書さんに要求を英語からベトナム語に直してもらって、直訴しなければなりません。まだ家具の交渉は終わっていません。

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