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2008年7月

2008年7月31日 (木)

嫉妬深いベトナム人

 フレラボのベトナム人アシスタントのCoさんが、彼氏にふられたと朝から落ち込んでいました。彼氏は理由を話してくれないらしいのですが、どうやら先週我々とブンマトゥーに調査に行ったことが原因らしいです。

 すべての人に当てはまるとは言えないと思いますが、本などを読むとベトナム人はかなり嫉妬深いそうです。良く言えば情が深いのですが、悪く言うと相手のことを信じていない。彼女の場合もかなり縛られ地蔵だったようです。6月の歓迎会の時にも彼氏がお迎えに来ていましたし。

 一方、Coさんと同じ大学のSo君は、エントのラボに昨日から(どういう理由か知りませんが)彼女を連れてきています。あれっ、去年ニャチャンで紹介してもらった彼女と違うし、まだ付き合っていると確か言っていたけど、と思ってD君に聞いてみると、まだ他にも彼女がいるとか。

 4月に赴任してきた早々にエント室長のYさんからNIHEのある方を彼女にどうかと、しつこく勧められていたのですが、なんとなく腰が引けていました。ラボの引っ越しのあとにまた勧められてやんわりと断ったのですが、その方はつい先日、私よりさらに年配の方とご結婚されました。この話もD君にしてみたのですが、彼によると、結婚までは何でもOKだと。二股かけようが、三股かけようが、できる限りの可能性を探るらしいです。だったら相手に対して疑い深くなるのもわかります。自分と同じことを(心の奥底で)考えているのでしょうから。でも、結婚相手には親をはじめ親類縁者からかなりの制約を受けて、話を聞いていて理不尽だ、と憤るようなケースもあります(今回のケースは違うようですが)。そしていったん結婚するとなかなか離婚が許されません。

 私の周りのベトナムの人たちを見ていると、ベトナム人の嫉妬深い気質の根底には、日本に比べてかなり大きな結婚というハードルがあるのが原因の一つかも、と思えてきます。自分の定義だと、嫉妬深い=相手に逃げられる(もしくは釣り合わない)のではないかという自信のなさの表れなので、だったら余計な心配せずに今の自分をもっと磨きましょうという結論になります。いずれにせよ、Coさんは向上心があって、将来も仕事を続けたいと考えている女性なので、今回の嫉妬深過ぎる男性と別れて正解な気がします。まあ、余計なお世話ですが。

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2008年7月29日 (火)

一気に沈没

 昨晩遅くにフィールドからハノイに戻ったのですが、この土、日はきつかったです。

 土曜日はコウモリが60匹近くとれて、午前中いっぱいHBさんに手伝ってもらいながらなんとか寄生虫を取り終えました。果実食のコウモリにはほとんど寄生虫がいないのですが、昆虫食のコウモリにはシラミバエをはじめ、マダニ、おそらく中気門か前気門と思われるダニがたくさんついていました。宿主の社会性や食性と寄生者との関係を調べるのに面白いかも、と考えています。

R0010663 今回、コウモリの共同調査をした研究所。こちらにはこういう屋根型の建物が目立ちました。最上階は博物館になっているそうです。この建物の向かいは警察署になっていて、撮影禁止区域とベトナム語で書かれていたそうです。一応勉強したけれど、読めなかったからいいか。こちらの所長さんはダニや飲みノミなどの外部寄生虫が専門で、私とかなりかぶります。帰る際に、ご自身が書かれた、ベトナムの寄生性節足動物の本を私と長崎大のT教授に謹呈していただきました。ありがとうございました。

 仕事の方は順調だったのですが、オフの方がしんどかったです。土曜日はダライサップ滝という観光地がコウモリを捕獲するフィールドでした。コウモリの捕獲は夜なので、早めに夕食を取り、というか飲み始めました。しかもウォッカを一気飲みで。お客さんが来たら、入れ替わり立ち替わり一気をするのがこちらの習慣らしいです。ベトナムの中部地域は少数民族がいて、今日はその人たちの民族舞踏を(最初だけ)見られました。受け入れ先の所長さんが、「チュノダア」と手招きするので、キャンプファイヤーの如く炎の燃えている前に置かれた酒樽からストローで蒸留酒を飲んで(たぶん)へろへろで席に戻ってからは断片的な記憶しかありません。TcさんとCoちゃんに介抱されてホテルに戻り、部屋のトイレで胃を空にしました。よく帰りの車の中で大丈夫だったなあ。

R0010703 カスミ網にかかったコウモリを捕獲しているところ。現地スタッフの皆さんは一気をしてからもちゃんとコウモリの捕獲作業をしていました(今回一緒に行った、フレラボに来ているベトナム人学生アシスタントのCoちゃんが撮っていた写真を見てわかりました)。まあ、捕獲したあとが私の仕事なのだからいいのですが。

 次の日は午前中どうにかコウモリのチェックをしました。果実食のコウモリばかりだったので作業は楽でした。11時から研究所のスタッフの人たちにブオンドン村という観光地に連れて行ってもらいました。ここには少数民族の人たちが住んでいて、変な木彫りの像があったり、象に乗ったり、いくつものつり橋を渡ったりと、観光としては面白かったのですが、やはり昼食はきつかったっす。お酒はビールだったのですが、また一気でした。しかも、メニューに出た鶏の丸焼きの頭の部分にお椀をかぶせてそれを回して、お椀を取った時に鶏のくちばしが指していた方角の人が一気をしなければならない、という体調の悪い私には地獄のような仕打ちがありました。それから、食後のデザートにドリアンが出されたのですが、今回私は初めて食べました。好きな人も大勢いるらしいですが、最後に空港に向かう帰りの車の中に匂いが残っていて、胸やけがしてまた吐きそうになりました。

 夕方は、こちらの現地スタッフの女性の結婚式にHBさんが呼ばれたので私たちも付いていきました。こちらの結婚式は派手で、五百人はいたでしょうか。また、研究所の方たちと同じテーブルに座り、一気。さすがに、すでにへろへろでしたが、一緒に一気してくださいと頼まれた女性とは一気をしました。おバカです。6時から式は始まり、9時の飛行機に間に合うのかと思いきや、7時半には早々とお開きになりました。でも、私はすでに沈没。あとで、あの時顔がどす黒かったよ、とHBさんに言われました。

 

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2008年7月26日 (土)

コウモリのダニ取り

 朝から早速、昨晩こちらのスタッフに取っていただいたコウモリから採血して、そのあとで私はダニを取りました。コウモリの体は思っていたよりもきれいでした。ダニは19個体見たうちで3,4個体に食いついていました。コウモリにはいろんなウイルスを保有している種がいたり、全くウイルスを保有していない種がいたりします。そのような病原体の保有とコウモリが単独生活や、大家族で生活しているかといった社会性が関連していることが示唆されています。病原体の側としては集団生活している種に入り込んでいった方が(普通なら)生き残る確率が高いと考えられます。

 午後は実際にコウモリ取りに国立公園に行ったのですが、公園を管理する人がいなくて、我々が作業する許可をとれないので、現地のスタッフだけ残ってコウモリを捕獲してもらって、我々はまた戻りました。電話一本かけておいてから行けばよかったのにと思いましたが、次回はそのように取り計らってもらいましょう。

 8月に南部で始める調査に私が参加する際にNIHEの側からアシスタントが付いてくることについて、できる限りこちらの誠意を尽くして説明してみたのですが、今日パスツール研から来たメールを見ると断固としてNIHEを拒絶する態度でした。もしもNIHEの人間を連れてくるのなら、私の調査も許可しないという回答でした。ベトナム人はメンツを非常に大事にするということを本で読んだことがあったのを思い出しました。

 NIHEの側にもメンツがあるでしょうね。

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2008年7月25日 (金)

ブンマトゥー初日

 夕方5時にNIHEを出発してノイバイ空港から飛行機でブンマトゥーにやって来ました。いつもごちゃごちゃした、混乱の極みのようなハノイの市街地にいるせいか、空港からホテルまでの間に車の窓から見た町の景色は道も歩道も広くて、そのうえ車も少なくて、全体がゆったりとしている感じがしました。いい環境だったらジョギングしようと思って、その用意をしてきたので、明日は少し走ってみようかな。

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2008年7月24日 (木)

調査の付添

 私はベトナム国立健康疫学研究所(略してNIHE)-長崎大学(NU)フレンドシップラボラトリー(フレラボ)に所属しています。フレラボにはYI先生と共用の机もありますが、本来の机はNIHEの医学系昆虫学研究室(エントラボ)にあります。これは、長崎大学の私のボスであるT教授の方針で、エントの人たちと一緒に活動をするのだから常日頃から同じ釜の飯を食えという、獅子の子を谷底に突き落とす、まるで「巨人の星」のような勤務形態が前任者の時から続いています。実際にはエントラボは朝9時過ぎにならないと誰も来ず、5時になったら早く帰ってくれという調子です。そのペースに合わせているとちっとも仕事が進まないので、私は朝と夕方5時以降はフレラボで仕事をしています。

 確かに普段から似たような研究をしているベトナム人スタッフと一緒にいるのは公私に及んでいい面もありますが、悪い面もあります。たとえば、私はベトナム人しか知らないような場所や物事を彼らに教えてもらっていますし、隣の席のD君はひょうきんなので、しょっちゅうおバカな話をしています。悪い面としては、調査に行く時はいつもスタッフのだれかが付いてくるような暗黙のルールがあります。フレラボの他の人にはそのような制約はありません。これはベトナム語を話せない自分には便利ですが、交渉や共同研究をする相手が英語を話せれば別に必要ありません。

 ベトナムにはNIHEのほかにも、パスツール研究所という有名な医学系の研究施設があります。パスツール研はベトナム国内に4か所ありますが、一番大きなのはホーチミン市にあります。それぞれの研究所が所在する地域周辺をカバーするといいますか、ベトナムは日本以上に縦割りなので、別の言い方をすると縄張りにしています。NIHEは国立の機関なので全国区で仕事をするわけですが、一応その地域の研究施設には筋を通す必要があるらしいです。

 私は8月からホーチミンのパスツール研の人たちと一緒に仕事をするのですが、やはりエントラボのスタッフを連れて行くことになりました。けれど、最近、NIHEとパスツール研の昆虫研同士の関係があまりよろしくないようで、パスツール側からかなり不快感を示されて困っています。人手が足りないのならパスツールから出すとか、なぜチュノダだけ一人で来れないんだ、とか言われるのですが、しょーがねえだろ、としか正直なところ自分には言いようがないです。

 

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2008年7月23日 (水)

ビギナークラスの卒業証

 ベトナム語講座はとりあえず先週で終わったわけですが、今日は先生がわざわざ卒業証を届けに来てくれました。評価も書いてあって、AからDの4段階評価でBでした。ちょっと甘いんでないかい、と内心思いましたが、とりあえずめでたしです。

 今度の日曜日にあるベトナム語学校主催の旅行に誘われましたが、コウモリ調査に行くのでお断りしました。あとは次のレベルのレッスンについて簡単に説明を受けましたが、8月、9月は野外調査が多く、とても継続してベトナム語講座を受けられそうにないので、しばらく休むことにしました。その間テキストで基本的な単語と文法をおさらいしておきます。

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2008年7月22日 (火)

筋肉痛と野外調査の準備

 今日は、いつもの倍の時間をかけて通勤しました。両腿の裏側が筋肉痛で、まともに歩けませんでした。ハノイには温泉も公衆浴場もないので、こういうとき風呂のある部屋にすればよかったかなと思います。徐々に体が慣れてくるのでしょうが、八年間のブランクは相当きついです。

 八月にはホーチミン市まで二回往復しなければなりません。一度は打ち合わせと講演、もう一回はデング熱媒介蚊の調査です。調査は10日間ほどかかります。それからハノイ近郊で蚊に目印をつけて放し、再び回収する試験を近々行うため、その下見と器材の準備もしなければなりません。今週の木曜日から日曜日まではHBさんについて中部山岳地帯に行って、コウモリの捕獲と外部寄生虫の回収を行います。だんだんフィールドに出る機会が増えてきます。

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2008年7月21日 (月)

久々のゴール

 朝5時半に起きて朝飯を食べたらすぐにタクシーに乗って集合場所のデーウーホテルに向かいました。グラウンドはさらに車で20分ほどのところだったのですが、今日はデーウーホテルの従業員さんチームとの試合がありました。後半30分出ますか、との監督からの問いかけに、やれるところまでやりますと答えはしたものの、まだ左足に違和感があるし、内心はびくびくでした。

 いざ試合を始めようとすると、相手チームが三人足りませんでした。うちのチームの補欠は四人。とりあえず私も助っ人で出ました。10分ほどやった頃にデーウーチームに点が入ってしまい、ちょうど遅れてきた人たちが着替え終わったので、ここで交代しました。どうにか味方も1点を入れたところで前半が終了。

 後半はなんとか6分のペースで、最高でも7分のペースで走りました。8分を超えてダッシュをするとまた足をつりそうでした^^;)。また味方に一点が入ったところで、右からゴール前にセンタリングが上がり、ボールは味方のFWをすり抜け、相手のDFもすり抜け、私のところに来ました。落ち着いて腹でトラップして、右足で振りぬきました。よく思い出せませんが、たぶん8年ぶりのゴールでした。気持ちよかったっす。それから、後半30分何とか走れたこと、さらに30分ハーフの試合をした中で残り10分で出してもらったのですが、また走れたことが何よりでした。前回は5分くらいで足がつりましたから、大きな進歩です。徐々に馴らしていって、次はもう少し早く、長く走れるようにしましょう。

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2008年7月18日 (金)

論文の校正とハノイの気候

 昨日、ようやくカメムシの飛翔速度のゲラの校正を終えて、応動昆英文誌の編集部に返送しました。先週はマダニの集合性の論文のゲラの校正を済ませました。どうにかこれで去年から持ち越された仕事にけりがついたわけですが、今投稿中の論文がありません。昨年度長崎大学でやっていた蚊の産卵行動をまとめているのですが、全体の構成がまだ固まっていません。マダニの論文もまだいくつか埃をかぶっています。論文は生もの、早く料理しないといたみます。

 ハノイはここのところ毎日雨が降ります。エントラボのDPさんによると、5月から7月が夏で、8月から10月は秋なので、そろそろ季節が変わるとか。嘘だよ、この調子で暑いんだったら8月も夏じゃないか、と言ったものの、彼女の話だと、これから雨や嵐が多くなり(今よりも多くなるんかい!)、冬はとても寒いとか。(うーん、でも所詮-18度とか、そこまでいかなくても水道が凍結するとかってことはないんだから、たかがしれてるだろうな。)

 いずれにせよ、これからいやでも体感します。

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2008年7月16日 (水)

とりあえずベトナム語講座が終わる

 今日は二十回目のベトナム語の授業、すなわち最後の授業でした。簡単な復習をしたのち、試験をしました。声調の試験の後で、文法の試験でした。声調の方は最初はわりとすんなりできていたのですが、途中からとたんにできなくなりました。正解は半分くらいでしょうか。文法は、どうにもボキャブラリが不足していて、「黄色」なんて単語すらもわかりませんでした。全体では半分もできませんでした。文法はだいたいわかったつもりでしたが、細かいミスをなくすにはもう一度やり直すしかありません。ただし、これからフィールドに行くことがかなりあるので、蚊のシーズンが終わりになる10月か11月位から再開する予定です。

 採点が終わったら、土砂降りの雨でした。先生が帰ると言うので、大丈夫ですかと聞くと、この季節はいつも6時過ぎから雨で、こんなのはいつものことで慣れている、と言って出て行きました。すごい。

 私は、今日は飲みのお誘いがあったのですが、正直この土砂降りの中を出掛けるのはかなり億劫でした。HTさんに電話をするとかなり明るい声で、待ってるよー、というお答だったので豪雨の中をタクシーを呼んで出かけました。実は、試験直前に携帯が鳴って、どうせY教授からの飲みの誘いだと思って、しかも日本から直前に電話が来ていたので無視していたのですが、しっかり携帯メールにお店の名前が書かれていました。

 それでタクシーですが、何箇所か雨で通れなくなった道を迂回して、最後にHTさんからお店の人に電話を代わってもらって、近くまで行きました。というのも、お店の前の道も川になっていて小型車ではとても行けそうになかったので、100mほど手前で降りて、歩道を走るバイクをよけながら歩いていきました。

 なんやかんやで二時間ほど三人で日本料理を食べながらビールを飲んでいると、帰る頃にはすっかり水はひいて元通りの道になっていました。日本だったら翌朝まで雨が降り続いたりして、いろいろ被害が出るでしょうに、ベトナムの雨で道の水が増す速さと引く速さには驚かされます。

 だけど、普段あれだけ汚している道で、おまけに下水管と側溝が共用だから、やっぱキタネエはずだよなあ。

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2008年7月15日 (火)

YIさんの企画

 お昼にフレラボスタッフ全員でYIさんお勧めのドジョウ料理を食べに行きました。今度YIさんの後任としてくるYNさん一家と、秘書Tさんの彼氏も一緒で総勢13名でした。YNさんとは去年知り合っていました。彼は去年の熱帯医学研修を受けていて、私はよく聞きに行っていたので、彼のことは知っていましたし、彼も私のことを覚えていました。奥様と4歳のかわいいお嬢さんと一緒にこれから二年間ハノイで暮らすわけで何かと大変でしょうが、頑張りましょう。

 で、肝心のドジョウの方ですが、ちょっと油っこくてまあ話のネタにはなりますが、私は柳川なべの方がいいです。お店の二階の天井が子供の背丈位しかない部屋で、お風呂場の椅子に座って食べました。

 夕飯もYさんお勧めのキノコ料理屋で食べました。前回同様、ここはうまかったっす。今日は全部Yさんに支払っていただきました。自分の送別会はいらない、その代り皆に自分の感謝の気持ちを伝えたい、と云うのでYさんはやってくれたわけですが、私は短い付き合いでしたけど、水臭いと思いました。友人は頼りにし、頼りにされるもの。一方通行ではないと思います。

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2008年7月12日 (土)

お客様とベトナム人

 フレラボには日本からいろいろな方が来ます。長崎大学以外の大学、研究所の関係者、時には長崎県の県議さんも来られます。日本的な慣習で、皆さんお土産を持ってこられます。ベトナム人の女子学生Toちゃん、Coちゃん、秘書のTさんはまだ若いし、日本の女性と同じでお菓子とかに目がないので、こうしたお土産を正直な話楽しみにしています。

 今回、立て続けに日本からの訪問客があってお土産をたくさんいただきました。Tさんはもうすぐにも開けたがっていて、これはおいしいの、とか聞いてきました。うーん、ちょっとまて、と、私は(心の中で言ってから)、日本ではお客様が帰る前にお土産を開けるのは失礼だから、やめたてほしいと言うと、ベトナム人女性、最近博士号を取るために入ってきたLさんも交じって、それは文化の違いだ、と反論されました。お客様のいる前で喜んで開けるのがベトナムの礼儀ですと。確かに日本でもそうではあるけど、それは親しくなった友達の場合だ、と言ったのですが、とりあえず、日本の礼儀とベトナムの礼儀とは違うと少しはわかってもらえたのかなあ。

 私は友達の家(たいがい夫婦です)にお呼ばれされたときは自分(達)がうまいと思うケーキ屋さんのケーキを買っていきました。そしてたいがい食事をとった後で一緒に食べました。気がおかない付き合いだからそうするんですよね。だから、ベトナム人の人間関係はシンプルなのかと思いました。単純な発想ですが。

 自分は喜怒哀楽が顔にすぐ出るのですが、ベトナム人の友達から御馳走を出されると素直に喜びます。そんなときは大好物の骨をもらう前の犬みたいな顔をしているのかもしれません(それほど可愛くねえか)。でも、いつもベトナムの人はそんな私を見て喜んでくれているのがわかります。あー、よかったー、チュノダが喜んでるって。

 たぶん、そのおかげでベトナムの人と仲良くなっているのかもしれません。

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2008年7月10日 (木)

ベトナムの離婚事情

 エントのラボでは、中部高地から研究員が一人、ハノイ市内の保健大学から学生が一人研修に来ています。二人とも二十代の男性で、話した感じではいい奴そうです。今日はエントの相棒のD君とお昼を食べた後で四人でカフェに行って少し話をしました。

 話がいつの間にか離婚のことになり、ベトナムの事情について聞いてみると離婚率は非常に低いそうです。6%くらいとか。日本では、(1)暴力、(2)夫が収入を家に入れない、(3)浮気、のどれか一つの条件を満たせば離婚が成立しますが、ベトナムでは、夫の暴力にも妻は耐え、夫が働かないで酒を飲んだくれていても、妻は働きに出ていくそうです。代わりに夫婦喧嘩はかなりすごいらしいですが、なんかそこまで耐えなくてもさっさと次の幸せを見つければいいのにと思います。けれども、家族をはじめとして周りの縛りが強くて簡単にいかないようです。

 自分の場合は、カミさんが実家に帰ってからじたばたもがきましたが、別れてもいいと思った最大の理由は、相手が完全に自分への愛情がなくなって、もう元には戻らないと感じたからです。

 人には、さあ、次は頑張ろうぜ、って気楽に言えますけど、自分のことになると腰が重くなります。

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2008年7月 9日 (水)

私の出勤風景

 毎朝8時15分過ぎに家を出て研究所に行きます。エレベーターで下に降りて、まずアパートの管理人や掃除のお姉さんたちに会うと、「シンチャオ」。アパートから研究所の門まで5分程ですが、いつもきまった時間に歩いていると、いつもきまった人たちに会うので、その人たちにも「シンチャオ」。

 通勤路には、雨の時以外は年中無休でバイクを洗っている少年二人がいます。いつの間にやらその脇で新聞を読んでいるおじさんが加わりました。彼らとはだいぶ前から顔見知りだったのですが、二週間ほど前から挨拶をするようになりました。この前の日曜日にいつもの通り挨拶をして通り過ぎようとすると、椅子を置いて座れというので座ると、おじさんは英語をしゃべり始めました。聞けば、日系の企業で運転手をしているとか。2ヶ月間免停をくらってしまったので、今は暇だとか。(だからいつも新聞を読んでいるのか)。少年二人はどちらも超童顔なので、家が貧乏で中学にも行けなくて働いていると勝手に思い込んでいましたが、実は二人とも17歳でした。

 それからいつも同じ席でカフェを飲んでいるこれまた10代にしか見えない青年と、宝石店かなにかわかりませんが、いつも門の前にいる制服を着たガードマンのお兄さんたち、黒っぽい服をいつも着てお茶しているおばさんに挨拶をします。

 さらに通勤の律速段階となる横断歩道を渡り、NIHEの門の前で何回か利用したバイタクのお父さん達と挨拶を交わし、門を入ったところで門番さんたちに挨拶をします。そのまま古い庁舎を突っ切って裏庭に抜けると通称ハイテクセンターが見えてきます。時折、前に角田レストランで酔って「ジャパン、ベトナム、スモール」のメッセージだけを送ってきた修理屋のお兄さんを見かけると挨拶をしてセンターに入ります。

 四畳半のような生活圏ですが、職場に着くまでかなりの人と挨拶を交わしています。ベトナムに来て三か月、仕事とは直接関係ないところで知り合いが増えました。

Photo  5分間の通勤圏で起きた交通事故。タクシーがバイクをはねた後です。たちまち人だかりができました。このとき、バイクに乗っていたおじさんは見たところ無傷だったのでタクシーのお兄ちゃんはそのまま逃げようとしましたが、通りの商店街のお兄さんがすかさずキイを奪っていきました。見事な連係プレーでした。

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2008年7月 8日 (火)

Oさんからの献本と近藤紘一

 今日日本から送られた本がどきました。共同研究者であり、友人でもある、千葉県立中央博物館のOさんが、この本の原稿にコメントをしたお礼にとわざわざベトナムまで送ってくれました。ありがとうございます!

 Oさんは大型哺乳類の専門家で、三十年以上もの長期間のカモシカのデータを取り続け、それを一流国際誌にpublishするだけでなく、すでに何冊か本にもまとめています。自分も見習わなくてはと思います。房総では毎年三月のカウント調査の際に研究の話やらおバカな話をいつもしていましたが、先日このブログに書いたようにステーションもなくなるのでそれもできなくなるのは淋しい限りです。前に一度彼のもう一つのフィールドである下北半島に誘われたのですが、大事な時だったため機会を逃しました。

 ベトナムに赴任した当初にOさんからメールをいただいたのですが、彼にとってベトナムというと真っ先に思い浮かべるのは近藤紘一だそうです。最初の妻と死に別れてからベトナム人女性と再婚して、現地の人たちの住む地域で生活しながらサイゴン陥落を記録した新聞記者です。

 ハノイ市内の日本料理屋「紀伊」の入り口の本棚から二週間ほど前に借りてきた、近藤紘一の「サイゴンの一番長い日」を昨日から読み始めています。近藤は最初の妻とパリに留学した際、自分がフランス語の勉強に取り組むために奥さんに雑用を一切任せきりにした結果、妻を病気に追いやったことに対してすごく自責の念を感じたていたようです。それが行間から伝わってきました。

 「人間とは他愛なく、そして恐ろしく罪深いものだ、というような気がした。」

 我が身を振り返ると、今自分がベトナムにいること、研究の仕事を続けていられることは別れた妻のおかげです。感謝しています。そして、数年分の彼女の人生を犠牲にしたことに対して忸怩たる思いがあります。

 一方で、昼間、ベトナム人の若い女の子と楽しくお話している自分もいます。そんな時は思いっきり目尻が下がって、鼻の下が伸びているでしょう。

 どちらもありのままの自分です。

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2008年7月 6日 (日)

新任紹介としてのプレゼン

 9時から私とHさんのプレゼンテーションがありました。新庁舎の2階の会議室を使ったのですが、思っていたよりも人が集まっていました。30人くらいでしょうか。ウイルス、細菌のラボの若い人が目につきました。エントの部屋からはYさん、PAさん、POさん、Dさん、ドクター以上の人が聴きに来てくれました。私はマダニとシカに関するこれまでの研究について話をしました。

 マダニについてその生物的なことを最初に簡単に説明した後、現場での疫学調査についてふれてマダニとシカとの関係について問題提起をし、調査内容、結論について述べました。シカによる森林の更新の阻害や裸地化による土壌流出が日本でも問題になっており、マダニすらも住めなくなる状況が起きていることを伝えました。最後に、秘書のTさんに教えてもらったベトナム語の歌詞を示して、ベトナムがいつまでも美しい自然を残していくことを願っています、と話を締めくくりました。この歌は私たちの歓迎会の余興でベトナム人の方々が歌ったものでした。

 美しいベトナム、それを残すのは、あなた次第。

 (ほんとは歌って締めたかったんだけど、最後のスライドの話が長くなってしまって、すべりそうな気がしたのでやめました。)

 

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2008年7月 4日 (金)

プレゼンの練習とベトナム語講座

 今日もベトナム語講座はピンチヒッターの先生でした。ベトナム語の質問を最初に30分ほど受けたのですが、あまりの私の不出来に先生の集中力が切れてきたらしく、突然英語を話し出しました。彼女の話を聞くと、なんでも午後からすでに日本人二人に英語を教えてきてストレスがたまっているとか。

 昨日はレッスンの復習をしましたか、と聞かれたので、酒を飲んでましたと真っ正直に答えると、どうしていつもお酒を飲むのですか、とさらに質問をされました。長いこと生きてりゃ人生いろいろあるんだよ、と答えたかったのですが、話が混乱しそうですし、さらに突っ込まれそうな気がしたので、奥さんを忘れるためだと答えたら会話がぷっつり途絶えてしまいました。

 翌日のプレゼンに使うベトナム語の歌詞を教えてもらおうとパソコンを取り出してパワポを見せたところ、結局全部の話の流れを説明することになり、結果的に予行練習をしていました。昼間にもベトナム人学生のCちゃんにプレゼンの内容を全部説明したので、結局、朝一番にY教授に日本語で説明したのを加えると三回練習していました。おかげでどこがわかりずらいのか指摘してもらえました。

 ベトナム語講座は先生が今日は申し訳ないからと、なかったことになり、来週以降に持ち越されました。

 翌朝起きたら、携帯にCちゃんとベトナム語の先生から、プレゼン頑張ってくださいと、メールが入っていました。クー、泣けるなあ。

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2008年7月 3日 (木)

リュウキュウヤマガメ

 フレラボのHTさんが何を思ったのか、急にカメを飼いたくなったらしいです。そうだよな、一人暮らしはさびしいしさ、犬やハムスターと違ってカメは少しくらいほったらかしにしても大丈夫そうだし。秘書のTさんがカメを飼っていて、昨日はそのカメがフレラボの流しのことろに一日いました。ガメラみたいに甲羅の周りにギザギザがあって枯葉色をしていました。陸ガメだというので、リュウキュウヤマガメだったりしてと思ったら、今朝HSさんが調べたところ本当にそうでした。沖縄の山の中にいる希少種のカメで、そしてダニがいっぱいついているカメなのですが、琉球から大陸づたいにベトナムにまで分布しているそうです。それが、こちらのペットショップに普通に売られているらしいです。

 Tさんにお店を教えてもらってHTさんは早速買いに行ったのですが、私も野次馬根性を出してハノイのペットショップを一緒に見に行きました。ハノイ市内の繁華街のお店は、靴屋、婦人服屋と同業者がある通りに固まっています。ペットショップ街に行ってみると、どこも小さなお店なのですが、金魚、熱帯魚をそれなりに売っていました。

 それで肝心要のカメですが、どれもホアンキエム湖で中学生が釣ってきたようなミドリガメばかりでした。10軒近くの店を回ったのですが、彼女が欲しかった陸ガメはどこにもありませんでした。Tさんの情報ですと2匹陸ガメが売られていたらしいのですが、残念。

 個人的にはカメよりもカメキララマダニの方が気になります。

Photo_2 HTさんが撮影したカメ。ぶんぶく茶がめ。

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2008年7月 2日 (水)

知花くららと臨時の先生

 朝からフレラボのHSさんは、1時半くらいに知花くららがNIHEに見学に来る、と騒いでいました。実際にはNIHEの敷地内にあるJICAに見学に来るのが本当でした。夕方、忘れた頃になってから、突然、フレラボのドアの前にJICAの所長さんと美女が現れました。まず、背が高いのが目立ちました。同じ沖縄県出身のY教授は、出身高校の話やら知り合いの話やらをしていました。うーん、これは知花さんについて下調べしていたな。それにしても、落ち着いているといいますか、受け答えがしっかりしていました。

 6時からはベトナム語講座。今週は先生が実家に帰っているため、臨時の先生が来ました。最初からベトナム語で質問しまくりで、弱りました。あまりにもベトナム語での質問が多く、"No English, No Japanese"だったのでかなり頭を使いましたが、不思議なことに次第に先生の質問の内容がわかるようになってきました。いつもは長いと感じるレッスンも今日は短く感じました。最初は拷問じゃと思いましたが。

 先生をバス停まで送った後、夕食を食べようと角田レストランに立ち寄りました。通常は8時閉店で、閉店ちょうどの時間だったのですが、言葉がわからないと思ったのか、常連だからやむなしと思ったのか、内装工事をする前にもかかわらず、食事を取れたのですが。

 私以外の最後の一組の客が帰ったとたん、工事が始まりました。すぐに、下水管が破裂。いつもはその客がいた場所が指定席でしたが、あそこにいたらもろに汚水をかぶっていたでしょう。ドリフのコントで、荒井注なら、「なんだ、ばかやろ。」というところでした。今日はもっと外側にいたので難を逃れ、一応道路の向かい側に小さなテーブルとお風呂場の洗い椅子のような椅子を移動して臭い夕食をとりました。

 帰り際に一応スーパーに寄りました。外見はどう見ても日本のコンビニ以下の規模なのですが、こちらではそれでも一応一通りの品物を置いてあって、目印に柱が緑色に塗ってあればスーパーと呼ぶので、私の行きつけのこの店は勝手に一応スーパーと呼んでいます。ここで、朝食の卵を買おうとすると、新入りの店員さんが何やら話しかけてきましたが、長老格らしい店員さんがこの人ベトナム語わからないよ、というようなことを話しかけたらしく、下がってしまいました。家に帰ってみると卵が一個割れていました。あー、そうか、だから注意してくれたんだ、と納得しましたが、だからって別のと変えてくれたらいいのに、とも思いました。そういえばこの店で顔見知りの店員さんが前に一度交換してくれたことを思い出しました。

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2008年7月 1日 (火)

家庭を持つ強さ

 今朝、ベトナム関連のYさんが来月で辞める話を本人から聞かされました。ご家族と離れた生活が長い間続いていましたが、これからはご家族と一緒の生活を送るため研究を辞める決断をされました。Yさんとはここに来てからの短い付き合いでした。失礼だけどちょっと変わっていますが、非常に繊細で、優しい方です。自分ができなかったせいかもしれませんが、家族のために次の人生を踏み出せる人は心から応援したくなります。

 寂しい知らせもあれば、うれしい知らせもありました。最近連絡を絶っていた知り合いに、昨日留守電を入れたのですが、今日メールが届きました。千葉大にいたときに就職のことやお互いの相手のことなど相談し合っていた人なのですが、なんと、昨年結婚して、来年おめでたの予定だそうです。いろいろ試練はあったのを本人から聞いていましたが、一生の相手と決めた人と見事成就できたのですから、見上げた根性です。

 家庭に憧れるくせに(見かけと違って)少しも家庭的でない自分。

 なにはともあれ、家庭について考えさせられた一日でした。

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