昨日からの雨は朝になっても降りやまず、7時半にNIHEに集合して、バッチャンに調査に向かう予定だったのですが....
昨日、9時までかかって蚊にマーキングをして、地図上に訪問した家を記入していったのですが、朝蚊のケージを見たらかなり死んでいました。車で運搬する際に水を入れた瓶が転がるのを防ぐため、マーキングの際に瓶を取り出しておいたのですが、飼育室が非常に乾燥していたため一晩もちませんでした。とりあえず、調査が中止になったことをバッチャンの保健所の人たちに詫びに行ってきました。もう一度最初から調査をやり直すために、明日、再びボウフラを採集しに行かねばなりません。
もっと重大なことがありました。10月から日本に研修に行くエントラボのベトナム人スタッフのビザが、出発の翌日に発給されることを昨晩遅く彼から知らされました。飛行機の予定を遅らせることはできないので、といいますか、研修のスケジュールを変更することはできないので、日本大使館に無理を言うしかありません。フレラボのHBさんとFYさんから、大使館のベトナム人スタッフからお役所的に対応されたはずだから、私も一緒に日本大使館に行って、日本人スタッフに会って直接お願いするしかない、と諭されて、バッチャンから戻った足でそのまま彼と大使館に行きました。
タクシーの中で彼の言い分を聞いてみると、所長が忙しくてサインがもらえなかったそうです。いつ所長に書類を出したんだと尋ねると、二日前。9月頭に日本から書類が届いた時に英訳して渡して、日本大使館に行かせたはずだったのですが、どうやら申請書をもらってきて、そのままにしていたらしいです。
大使館の受付のベトナム人に名刺を渡して、どうにか奥にいる日本人スタッフに出てきてもらって、状況を説明しました。ボスが忙しいのはご自身でわかっているのにどうして早めに申請しなかったのですか、そちらのミスですよね、という大使館員の回答に、ごもっともと腹の中では思いつつも、どうにかNIHE所長からの、(1)なぜ申請が遅れたのか、(2)いつまでに必要なのか、(3)今後このような不手際がないようにする、という文面を書いた書類をビザの発給を希望する日までに持ってくる条件で、発給の変更を許可してもらいました。いや、許可というのは正確ではありません。先方は立場上、確約しませんでしたから。
職場に戻ってから改めて日本式にいう詫び状について彼に説明しましたが、ちっとも理解できず、昼休みに秘書課の知り合いに頼んで、詫びの部分を抜かした書類を作ってもらって持ってきました。これでは肝心の詫びの部分が欠けている、と説明したのですが、それは無理だ、彼には責任がないのだからという、いつまでたっても平行線の話に私も付き合っていられなくなり、ハノイ市保健局に行っていたボスのYさんと英語のできる、今の私の相棒のDc君の帰りを待ちました。
Yさん、Dc君とはかなりシリアスな話になったのですが、結局、所長からの詫びの一文を入れるのは無理だ、ということになり、そうなるともはや私の出る幕ではないので身を引きました。
結局、詫びなしの文書を大使館に持っていって、受け取ってもらったそうです。
この件に関しては、日本に研修生を送り出すことで私よりも経験豊富なHBさんに相談にのってもらいました。彼からは、ちゃんと手続きしたのか、くどい位に何度も確認しなけりゃだめだ、とアドバイスをもらいました。
わかります。だけど、言わせて下さい(自分のブログなので)。
オフィスや実験室で仕事中に歌謡曲を流していて、うるさいと俺に注意されて腹を立てている奴に、そしてメールのアドレスを知りたがっている受け入れ先の人に早くメールを出せ、早く出せとせっつかれて煙たがるのだったら(まさかビザの申請まで出していないとは知らなかった)、自分のケツくらい自分でふいてくれ。
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