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2008年9月

2008年9月30日 (火)

目の回復具合とジャーナルクラブ

 一週間ぶりにフレンチホスピタルに行って受診してきました。目は中性を保っているのですが、まだ涙を分泌する細胞ができていなくて目が乾きやすい状態のままでした。人工の涙と目薬を頻繁に点していないと角膜を傷つけるそうです。仕事がらパソコンを使ったり、顕微鏡を覗いたりすることが多いので、目を痛めるのは致命傷です。回復までに数か月かかるそうなので、気長に取り組んでいきます。

 今日はジャーナルクラブの日で、私の担当でした。寄生虫と宿主との軍拡競争について書かれた論文を取り上げたのですが、方法の部分とモデルの消化が不十分だったためかなりわかりづらくなってしまいました。日本語で説明してどうにかわかってもらったので、ベトナム人のスタッフには申し訳なかったです。ダメ出しの日でした。

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2008年9月29日 (月)

ハノイの美術館

 土曜日には午後に美術館に行ってきました。美術館といっても日本と違って、博物館も兼ねています。上野の国立博物館を大幅にしょぼくして、県の美術館を足し合わせた感じでした。かなり酷な言い方ですが、美術館、博物館好きの私としては、辛い点をつけざるを得ない内容です。戦争を描いた絵ばかりでたいした展示がないなあ、と思って閲覧していましたが、夫と離れ離れになって涙にくれた女性の彫刻と、中国近くの農村の風景を描いた油絵だけは割とよかったです。

 あー、フェルメール展、見に行きたい。

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北朝鮮系のレストランとワインとカラオケに酔いしれた金曜の夜

 金曜日の午前中にはマーキングリキャプチャーをもう一度やり直すために、バッチャンにボウフラ取りに行ってきました。今後の計画も兼ねて、町の北部を中心に家々を回りましたが、あまり取れませんでした。おまけに、ボウフラを取るために、お爺さんが庭木にやるための水をバケツから撒けて怒られたりもしました。

 午後、来月からの6か月分のアパートの家賃を銀行から下ろして、夕方、大家さんに渡しました。本当は10月に入ってからでよかったのですが、このアパートを気にいっていますし、10月ま不在の日が多いので前もって渡しました。

 夜は、UCさん、YS教授、FYさんと私の四人で、北朝鮮系のレストランに行ってきました。真っ暗な公園のウォータースライダーの下にある、どうしてこんな場所にと、いかにも怪しい雰囲気のロケーションでした。料理はもちろん我々が朝鮮料理と呼んでいるそのもので、味はどれもおいしかったです。何といっても、7時半からウェイトレスの女性が衣装を着替えて、喜組のごとく歌と踊りを披露してくれました。いやあ、歌も踊りもうまくて、ザピーナツやキャンディーズの頃の昭和を思い出しました。YS教授はご満悦でした。

 二軒目はハノイには珍しくグラスで飲ませてくれるワインの豊富な店に行き、うまいワインを堪能しました。ここでも店の雰囲気とBGMにYS教授はノリノリになってしまい、結局、カラオケ屋に行って(カラオケ屋といってもベトナムのカラオケ屋はラウンジですが)12時まで歌いました。

 

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2008年9月26日 (金)

一日に二度頭を下げる

 昨日からの雨は朝になっても降りやまず、7時半にNIHEに集合して、バッチャンに調査に向かう予定だったのですが....

 昨日、9時までかかって蚊にマーキングをして、地図上に訪問した家を記入していったのですが、朝蚊のケージを見たらかなり死んでいました。車で運搬する際に水を入れた瓶が転がるのを防ぐため、マーキングの際に瓶を取り出しておいたのですが、飼育室が非常に乾燥していたため一晩もちませんでした。とりあえず、調査が中止になったことをバッチャンの保健所の人たちに詫びに行ってきました。もう一度最初から調査をやり直すために、明日、再びボウフラを採集しに行かねばなりません。

 もっと重大なことがありました。10月から日本に研修に行くエントラボのベトナム人スタッフのビザが、出発の翌日に発給されることを昨晩遅く彼から知らされました。飛行機の予定を遅らせることはできないので、といいますか、研修のスケジュールを変更することはできないので、日本大使館に無理を言うしかありません。フレラボのHBさんとFYさんから、大使館のベトナム人スタッフからお役所的に対応されたはずだから、私も一緒に日本大使館に行って、日本人スタッフに会って直接お願いするしかない、と諭されて、バッチャンから戻った足でそのまま彼と大使館に行きました。

 タクシーの中で彼の言い分を聞いてみると、所長が忙しくてサインがもらえなかったそうです。いつ所長に書類を出したんだと尋ねると、二日前。9月頭に日本から書類が届いた時に英訳して渡して、日本大使館に行かせたはずだったのですが、どうやら申請書をもらってきて、そのままにしていたらしいです。

 大使館の受付のベトナム人に名刺を渡して、どうにか奥にいる日本人スタッフに出てきてもらって、状況を説明しました。ボスが忙しいのはご自身でわかっているのにどうして早めに申請しなかったのですか、そちらのミスですよね、という大使館員の回答に、ごもっともと腹の中では思いつつも、どうにかNIHE所長からの、(1)なぜ申請が遅れたのか、(2)いつまでに必要なのか、(3)今後このような不手際がないようにする、という文面を書いた書類をビザの発給を希望する日までに持ってくる条件で、発給の変更を許可してもらいました。いや、許可というのは正確ではありません。先方は立場上、確約しませんでしたから。

 職場に戻ってから改めて日本式にいう詫び状について彼に説明しましたが、ちっとも理解できず、昼休みに秘書課の知り合いに頼んで、詫びの部分を抜かした書類を作ってもらって持ってきました。これでは肝心の詫びの部分が欠けている、と説明したのですが、それは無理だ、彼には責任がないのだからという、いつまでたっても平行線の話に私も付き合っていられなくなり、ハノイ市保健局に行っていたボスのYさんと英語のできる、今の私の相棒のDc君の帰りを待ちました。

 Yさん、Dc君とはかなりシリアスな話になったのですが、結局、所長からの詫びの一文を入れるのは無理だ、ということになり、そうなるともはや私の出る幕ではないので身を引きました。

 結局、詫びなしの文書を大使館に持っていって、受け取ってもらったそうです。

 この件に関しては、日本に研修生を送り出すことで私よりも経験豊富なHBさんに相談にのってもらいました。彼からは、ちゃんと手続きしたのか、くどい位に何度も確認しなけりゃだめだ、とアドバイスをもらいました。

 わかります。だけど、言わせて下さい(自分のブログなので)。

 オフィスや実験室で仕事中に歌謡曲を流していて、うるさいと俺に注意されて腹を立てている奴に、そしてメールのアドレスを知りたがっている受け入れ先の人に早くメールを出せ、早く出せとせっつかれて煙たがるのだったら(まさかビザの申請まで出していないとは知らなかった)、自分のケツくらい自分でふいてくれ。

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2008年9月25日 (木)

犬肉デビューに涙

 今日からバッチャンにて蚊の調査を開始しました。Dc君と新人二人、保健所の職員二人の合計6人で午前に14軒、午後に12軒の家を訪問して、家の容器に発生したボウフラを確認し、蛹を持ち帰りました。バッチャンは陶器の町として有名で、町のあちこちに工房やお店があります。花瓶などが雨ざらしの状態で庭先に積んであれば、雨水がたまるとボウフラが発生します。下見をした際に、雨ざらしにしている工房が多い地域としていない工房が多い地域があることがわかったので、調査地には雨ざらしにしていない方の地域を選びました。本当は両方で試験したかったのですが、実験室で羽化させた蚊の数が少なかったので、一地域にせざるを得ませんでした。

 朝から曇り空で雨がぽつぽつ降っていたのですが、お昼過ぎから雨脚が強くなりました。ちらとDc君が、やめようか、と言いかけたのですが、保健婦の方と私とで半ば強引に次に調査する家に向かったので、そのまま従う結果になりました。それにしても皆雨の中がんばりました。

R0010851_2  お昼は犬肉料理でした。一番手前はキュウリ、真ん中の3つの茶碗にはそれぞれ塩、海老で作ったタレ(ナマズ料理の時にも出てきました)、香辛料っぽいタレが入っています。一番右に写っているのは煎餅です。タレにつけたり、そのまま食べたりします。3皿の肉料理はどれも犬です。左の葉っぱでくるんで、お好みのタレをつけて食べます。奥の皿にはレバーと小腸が盛られています。このあとまだ皮と味付けされた肉が二皿でてきました。

 食べる前に目薬をつけたせいか、うっすらと涙が滲んだ気がしました。これがまた、肉がちゃんと切れていなくて、でかくて、泣けました。味は、・・・やはり豚か牛の方がいいです。

 そういえば、今日はよく犬に吠えられました。

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2008年9月24日 (水)

ハノイの残暑に薬も溶けだす

 今日のハノイは暑かったです。昼間の気温は35度に近かったのではないでしょうか。台風の後のフェーン現象のようでした。目薬の一つにゼリー状のビタミン剤があるのですが、外出した際にそれが溶け出して目の周りがべとべとになっていました。おまけに日焼けして顔が赤くなり、夕方、一応スーパーで買い物をしたら店員の子から、またお酒飲んできたんですか、と聞かれました。

 そもそも目が痛くなった原因と考えられた蛍光色素は、たしかそれほどの劇薬ではなかったはず、と思い出したので、前にK農試のYTさんからのメールに添付された写真を見直すと、白衣を着た女性が実験室内でゴーグルもマスクもつけず、ゴミ袋くらいの大きさのビニル袋を持って立っていました。袋の中はオレンジ色に染まっていて、女性の背後には同じく白衣を着た人達が、談笑しながら椅子に腰掛けて作業をしている写真が写っていました。

 一応、次に作業をするときには、念には念を入れてゴーグルとマスクをつけるつもりですが、それにしてもなんでこんなことになったのか、今もってよくわかりません。

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2008年9月23日 (火)

目が開けられなくなって緊急入院

 金曜日から今日まで入院していました。木曜日の夜中に目が痛くなって、金曜の朝は目が開けれれない状態になってしまって、通勤途中で会ったHBさんから病院へ行くように勧められてフレンチホスピタルに行ったら、即日入院するように言われました。

 金曜日からマーキングリキャプチャーの調査が始まるので、木曜日にいろいろと準備をしておいて、その日の夜はサッカーチームの仲間が「角田をいじる会」なるものを開いたので、主賓の私は大いに飲み、二次会のカラオケにも行ったので、アパートに帰ったのは12時を回っていました。それまで何の痛みもなかったのですが、夜中にトイレに起きた頃から目が痛みだし、翌朝は二日酔いと寝不足と目の痛みで散々でした。それでも私が行かないことには始まらないのでタオルで目を押えて約束の7時半にNIHEに着いたのですが、どうにもひどくなるばかりだったので、エントのDc君にとりあえず病院に行ってから調査をするか決めるように頼んで、病院まで連れて行ってもらいました。

 原因としてすぐ頭に浮かんだのは、前日の準備の際に、マークした蚊に紫外線ランプを当てたときに自分の目にも影響があったかもしれないことでした。以前スキーをしていた際に軽い雪目にかかったのですが、それと似た感じでしたし、目の周りは熱かったです(これは飲み過ぎのせいだったかもしれません)。次に、蚊にマーキング用の粉を振りかけた際に粒子が目に入った可能性も考えられました。しかし、その後の飲み会でも全く異常はなかったので、やはり紫外線かと考えたのですが、医師の見立てだとアルカリ性の薬物が原因でした。通常はヒトの目のphは7なんだそうですが、その時の私の目は10と11のアルカリ性でした。

 入院してからは、3時間おきに目を点眼薬で洗い、ワセリンのような薬を最後に塗りました。日曜日には退院する予定だったのですが、検査の結果まだアルカリ性だったので、今日ようやく中性に戻り、退院の許可が出ました。薬をどっさり持たされて、毎日4回4種類の目薬を点さなくてはなりません。涙を分泌する細胞もかなりダメージを受けていて、目が乾いた状態になっているらしいです。

 4日間ひたすら看護婦さんに目薬を点してもらい、食事以外はひたすら目をつぶって過ごしました。しょっちゅう思い浮かんだのは、マダニの調査でよく入った房総と丹沢、それと赤城の森でした。

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2008年9月16日 (火)

一筆逆転で拍子ぬけ

 昨日は日本では祝日でしたが、ベトナムでは平日だったのでいつも通り出勤しました。今週行う予定だった調査もなくなったので、明日から夏休みを取るつもりでした。

 朝、エントラボでD君から、NIHEの所長の調査申請書(=お墨付き)をこれから書いてもらって、それを計画書に添えて市当局に提出すれば、調査ができるのだけれど、いつから開始するか、と尋ねられました。

 はあ?

 そんな紙切れ一枚で許可が下りるのか、そもそも蚊を放すこと自体が問題だったのであって、それは全く改善されないのに、大丈夫なのか、と疑いましたが、夕方にはD君からあっさり、全部順調だ、と聞かされました。

 何なんだろう、と思います。

 本質的な問題は置いておくとして、オーストラリアに出張中のYさんからD君に電話がそうするように指示が入ったようです。だったら、最初からそうすればいいのに、と正直思いました。うれしいというより、拍子抜けしました。週末はとりあえず仕事のことは忘れて、今週は夏休みを取ってハロン湾にでも出かけようと考えていましたので。否応なしに調査の準備を再開しましたが、いったん遊びモードに入りかけていたので、なかなかモチベーションが上がりません。

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2008年9月14日 (日)

サッカーもボロボロ

 朝、5時半に起きて朝食をとって、6時にタクシーで集合場所のDaewoo Hotelに向かいました。今日の対戦相手は日系企業のベトナム工場チームでした。今日も人数が多かったので途中二回15分ずつ出してもらったのですが、ボロボロでした。決定的なチャンスを逃し(でも後ろにいた人が決めてくれてよかった)、奪われたボールでそのままドリブルされて点を入れられました。あちゃー。どうにか2対1で試合には勝てました。

 試合時間も早かったし、他にグランドを使うチームがなかったので、一人5万ドンずつ出しあってグランドを一面借りて、さらに紅白戦をしました。個人的には早く帰ってビールを飲みたかったのですが。紅白戦もボロボロで、途中で腿を痛めたり、取られたボールで点を入れられたり。ハアー。

 昨日、今日とボウフラが一気に蛹になっているので、NIHEに行って飼育室にて蛹を取り続けました。飼育をしてくれるベトナム人の人がいますが、休日に出て来てもらうわけにはいきません。大変ですが、動物の世話は自分にはあまり苦ではありません。

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2008年9月13日 (土)

ベトナム、最初の仕事の挫折

 バチャンでの蚊のマーキングリキャプチャーの試験は没になりました。昨日、NIHE側担当のD君に念押しのために、再度研究計画を説明しました。彼から、1000匹の蚊を放すのか(=知らなかった)と今になって初めて知ったかのごとく尋ねられた時、ちゃんとボスのYさんから説明を受けていなかったのか、俺の計画書を読んでいないのか、と本気で心配になったのですが、悪い予感は当たり、ハノイ市保健局から許可がおりませんでした。というか、なんで計画の最初の段階で保健局の許可を伺わなかったのでしょうか。来週からバチャンで試験を開始する予定で準備してきたのですから。彼らも蚊の飼育をしたり、電話をかけて車の手配をしたり、人員を揃えたりと、コストを払っていたはずです。

 私にも落ち度はありました。私の頭の中では、計画がダメになるかもしれない可能性は7月にYさんとの話し合いでOKが出たときに消えてしまったのですが、最初にもっとYさんに念を押しておくべきでした。自分で調査、実験をして論文を書く、学生を指導する。こういう仕事と外国人相手の交渉・折衝はまるっきり違うわけで、私は力不足でした。言い訳になりますが、私には外国人と共同で研究をしたり、外国人を人足として使った経験がありません。これは場数を踏んでいくしかないと思います。ベトナム人との交渉などは日頃のY教授、一緒にフィールドに行った際のHBさん、KDさんのやり方を学んでいくしかありません。

 今回の結果を長崎のボスにメールで連絡したところ、「貴君にはいい勉強になった。・・・・・結局は、期間の限られた中でインパクトファクターの少しでも良い雑誌に結果を残すことが貴君の使命です。」との返答がありました。厳しいですが、途中経過はともかく最後の結果がベストになるようにもっていくだけです。

 まだ一年半あります。もう一度、一から計画を練り直します。

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2008年9月11日 (木)

試験結果の実用化に携わる人

 サッカー仲間のTKさんが昼間私のところに来ました。私が今関わっている、水瓶に蓋をすることでデング熱を媒介する蚊の発生を抑えるプロジェクトに興味がわいたそうです。彼はもしこのようなプロジェクトがうまくいった場合、それをさらに普及させる際に我々とNGOとを仲介することを専門にしているそうです。へえー、そういうことを専門にしている人たちがいるのか、とまず最初に感じました。

 研究者はなぜそうなっているかを突き詰めたりするのは(普通の人に比べて)得意ですし、その守備範囲では、馬鹿じゃないの、と思われても仕方がないくらい頑張るんですけど、実用化となると、苦手です(って自分基準で言いきってしまいます)。もし、両方飛び抜けている人がいたとしても、100人に一人の貴重な人材だと思います。だから、私のような人間ですと、自分の能力の足りないところをサポートしてしてくれる人が欲しいです。

 TKさんはベトナムで10年以上仕事をされていて、現地の人と同じようにバイクで通勤し、ベトナム語もペラペラです。バイクに関してはよく事故らないなあと感心しますし、ベトナム語はエントのスタッフもフレラボのTRさんも感心していました。彼がベトナムに溶け込もうとして仕事をしているのを会話の中でも垣間見た気がしました(私は仕事ではなく日常で溶け込んでいます^^;)。

 また、ベトナム語、勉強しようかな。

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2008年9月 8日 (月)

プロ意識

 昨日の試合は貿易大が相手で2対2の同点でした。私は後半に決定的なチャンスを作ったのですが、惜しくも得点にはなりませんでした。昨日は朝のうちは雨で中止かなと思ったのですが、8時くらいから雨が上がり、試合が始まってからは日も出て、かなり蒸し暑くなりました。かなりばてたのですが、後半もスタミナが落ちなかったのが収穫でした。徐々にですが日頃のトレーニングの成果が出ています。腹の脂肪も取れてきました。

 いつもの場所でビールと昼飯を食べて、家に戻ってからは紀伊文庫で借りてきた小説を読んで過ごしました。少しは仕事か勉強しようかとも思ったのですが、疲れが取れなくて、9時くらいに寝てしまいました。

 今日は、午前中にホーチミンに出張中のHBさんから代わりにNIMPE(マラリア学・寄生虫学・昆虫学研究所)にコウモリの標本を取りに行くように頼まれたので、ウイルス部門のTQさんとタクシーで行ってきました。

 そういえば、昨日、試合後の飲み会を終えて帰宅した時に、我々の乗ったタクシーの運転手がチームの監督を降ろした後で道路わきに車を止めました。ベトナム語がわかるTKさんによると今から借金取りが金を取りに来るので少し待ってくれと言っていたそうです。

 はあ?

 五分後に運転手に似た顔の男がバイクでやってきて、金を持っていきました。それにしても客を待たせて、本当にサービス精神といいますか、プロ意識というのが欠けています。

 バチャンへの下見も今週行く予定でしたが、さっきDC君から他の仕事が入ったので来週に延ばしてほしいと言われました。やっぱり自分で先週の土曜日に行っておいて正解でした。

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2008年9月 7日 (日)

バス、バチャン

 ハノイ近郊は昼間ずっと雨でした。昨晩、秘書のTRさんにバチャンへの行き方を教えてもらったので、そのとおりに研究所の裏のバス乗り場から最初にLong Bien行きのバスに乗り、次にバチャン行きのバスに乗り換えました。ベトナムでバスに乗るのは初めてでしたが、一路線だったらどこでも三千ドン(20円くらい)で、しかもLong Bienからバチャンまで40分近くかかるのですがそれでも三千ドンでした。それから、乗り降りがすごかったです。バスが停止せず、スピードをゆるめながら乗り降りするので、降りるときは特にビビりました。水たまりにボシャンしている人もいましたし。これだけ安いのだからこの程度サービスというかマナーは我慢しますが、それにしてもお年寄りや障害者はどうするんでしょうか。

 雨の中、2時間近く町の中を歩き回り、ポイントをGPSに落としました。陶器を作るのに使う土のせいで白や黒に濁った水たまりが裏道のあちこちに出来ていましたが、お構いなしにじゃぶじゃぶと渡りました。傷口とかあったら病気になりそうでした。来週、エントのDさんともう一度来る予定ですが、どのあたりで調査をするか街を歩きながら確認したいと思います。

R0010846   雨で人通りもまばらなバチャンの町。

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2008年9月 6日 (土)

フィールドに気楽に行ける自由

 これからやる研究の試験地をもう一回下見したくて、フレラボのアシスタントの人たちに気軽に頼んでしまったのですが、いろいろと問題が多くて取りやめました。自腹でお礼とかと考えていたのですが、やはり研究目的で半日、しかも休日に拘束するわけで、やはりきちんと筋を通すべきでした。

 前回、8月にボウフラの採集のついでに試験地を下見をしたのですが、エントのスタッフのほかに健康保険省の人が一人、県の役人が一人、市の保健所の人が一人ついて、ランクルにぎゅうぎゅうづめで移動しました。エントのヘッドから調査の目的が伝わっていなかったらしく、どこもみな同じだから、早くみやげ物屋に行こう、行こうで、それに気おされて十分に下見ができませんでした。またエントで頼むと大掛かりになるので、たいした金額ではないから、休日を利用して気心の知れた人に個人的に頼んで行こうと思ったのですが、私が軽率でした。

 北大と中央農研にいたときは研究に必要なほとんどの雑誌と本がカバーされていました。千葉衛研ではほとんどの雑誌がなくて、数カ月に一遍、東大の農学部に行って雑誌をチェックし(今みたいにインターネットが普及していなかったので)、千葉県の公立図書館で絶版になった日本語の本は借りていました。私は基礎的な研究が好きですし、千葉県に関連する研究以外はかなり締め付けがあったので、他県でデータを取るには自分で助成金を当てるか、いろんな縁故(奥さんの実家とか)を頼りながらの自腹かどちらかでした。北大にいたときに研究に必要な本は自腹で買うものと思い、千葉衛研に来て、どうにもならないけど研究に必要なものは自分で買うようにしました。奥さんにも我慢してもらいました。

 今の環境ですと、分野によっては1990年代以前の論文とか手に入れるのに苦労しますが、他大学からとりよせたりして公費で払ってもらっています。学術雑誌をどれだけフォローできるのかはお金があるかないかのバロメーターかもしれません。文献に限らず今は金銭的には恵まれているのですが、その分自由が利かなくなったような気がします。

 信大を退職されたU先生は、松本キャンパスから朝、アルプスの山と雲を見て、晴れそうだったら車でダニを取りに行くとおっしゃっていました。うらやましいです。その日の天気を判断して気軽にフィールドに行けるのですから。 

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2008年9月 5日 (金)

DC君の送別会と衛研時代の仕事の区切り

 昨日は、エントラボから台湾に留学するDC君を送別する昼食会が開かれました。英語が話せて、おバカを言えて、お酒が飲めるのは彼だけなので、いなくなるのは淋しいです。ビールを飲んでも、午後も仕事を頑張ったのですが、6時に力尽きて帰宅し、そのまま翌朝まで寝ました。途中で二度目が覚めたのですが、腹もすいていないし、減量したかったので夕食は取りませんでした。昼間っから飲んでいいのかとか赴任したてのころは思いましたが、半年もたたぬうちにすっかりベトナムに馴染んでいる自分がいました。

 郷に入ったら郷ひろみ

 久しぶりに千葉中央博のOさんとカモシカとキョンの寄生虫のことで連絡を取りました。日本の哺乳類に関する本の製作に関わっているそうです。一応、ScopusとMedlineとで文献検索をしてみましたが、マダニに関してはほとんど報告がありません。キョンのダニについては自分が早く報告しないと。

 つい先日、Journal of Parasitologyにマダニの集合性の論文が掲載されました。これで衛研時代の仕事は一通り論文にしました。次は、千葉大時代の仕事です。あっ、昨年の熱研での仕事が先ですね。

 論文を書き、書く、書け、書こう、賀来千香子

 

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2008年9月 3日 (水)

出張中の机と久々の休養

 昨日一週間ぶりにエントのオフィスに行くと、私の椅子がありませんでした。どうしたのか、とS君に尋ねると、他の人の椅子が壊れて修理に出しているので、とりあえず自分の椅子を使っていてくれ、と言われました。とりあえずその場しのぎで、いない人のものを使っていくのがベトナム流です。それにしてもいつも長期の出張から戻ってくると自分の机に何かが起きています。延長コードが持っていかれて使われていたり、コーヒーをぶちまけられていたり。

 今日のベトナムは独立記念日で祝日です。先月はホーチミン出張を3回行い、土日の休みも半分しかなかったので、体を休めるにはよかったです。昨晩もフレラボスタッフから焼き肉に誘われたのですが、疲れていたのと痩せるため、お断りしました。代わりにひと月ぶりに角田レストランに行きました。そのあと一応スーパーで食料を買い出ししました。昨日から蚊の飼育を始めたので、今日はその世話に昼ごろ少しNIHEに出かけて、あとはアパートで静養しました。

 ここが今の自分の生活場所で、やっと普段の生活に戻った感じがしました。

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2008年9月 1日 (月)

ホーチミン市滞在中の鬱屈

 一時間ほど前にアパートについて、ガードマン兼管理人のおじさん二人と一杯ワインを飲んで、そのあと自分の部屋で焼酎を飲んでいます。

 土日に必死で働いた結果、何とか蚊の同定と整理が終わり、トラップで採集した分も大まかに仕分けできました。トラップの個体は持ち帰ったので、ハノイで一月かけて同定していきます。

 今回は空港からアパートまでのタクシーは正規の料金でしたし、運転手のお兄ちゃんも今度は感じのいい人でした。けれど、たいていはホーチミンに行き来するときには気分が塞ぎがちになります。まず、空港で感じる、民度の低さ。バイクでの信号待ちじゃないんだから割り込むなよ、って、チェックインカウンターで待っている間、飛行機に乗り込む時、荷物を受取るとき、タクシーを待っているときにいつも思います。それから携帯のマナーの無さ。飛行機に乗ってもいつまでも携帯をかけていて、着陸するとすぐに携帯をかけます。ベトナム語は今だわかりませんが、おそらく、今着いたとか、何時に迎えに来てくれ、なんて会話、飛行機を降りてからにしてほしい。

 パスツール研でいつも我々日本人スタッフの世話をしてくれる方は空港まで我々を送り迎えしてくれて、タクシー代をいつも全部一人で払い、決して受け取りません。そして、滞在中に頻繁に一緒に食事をするのですが、決して食事代は受け取りません。本当かどうかわかりませんが、客をトコトンもてなすのが南部の習慣らしいのです。個人的にはもう友達(のつもり)ですが、彼女は決して譲りません。私は滞在中、飯を奢ってもらって、最終日にはブルーになっています。

 今日の昼飯でも、私は馬鹿正直なので、気分的にどうしてもうまいと思えない日本料理をおいしくない顔して食べて、その人と友人たちに不快な思いをさせたことを今になって後悔してます。「奢ってもらって、それでいいじゃん。」と言う方もいるでしょうが、自分はだめですね。

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