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2008年10月

2008年10月28日 (火)

親たちの老化

 父の一番上の姉は早くに連れ合いを亡くし、一人息子を抱えて実家に戻りました。今94歳なのですが、20年くらい前に家の前の横断歩道を渡っているときに車にぶつけられてから足腰が弱り、5年ほど前からすっかり耳が遠くなり、昨年からはかなりボケが進んできました。遠い昔のことならわりと覚えているようなのですが、直前に聞いたことはまったく覚えていません。もともと世話好きで、情に厚い人なのですが、今は伯母の性格が裏目裏目に出てきます。

 諸般の事情でうちの両親が面倒を見ているのですが、かなり二人ともストレスがたまっていました。二人とも前より痩せて見えました。さらに、母は足の病気が悪化し、杖をつかなければ歩けません。手術をしてリハビリのため3ヶ月ほど入院することを医師から勧められています。そんなことすればお店に来るお客がいなくなる、と母は言うのですが、このままの状態では筋肉が落ちていくばかりです。

 以前は妹夫婦がよく来てくれていたのですが、子供達が大きくなるにつれて自分たちのことでいっぱいいっぱいです。

 今の私の住み家はベトナムですが、親が生きている間は時間を見つけてなるべく実家には帰るようにしたいと思いました。

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帰国後のあれこれ

 金曜日から日本に帰っています。金曜日の昼間には熱研でたまっていた郵便物の整理も途中で、科研の清書も書きかけのまま、羽田行きのフライトに乗りました。

 土曜日は、美術館をはしごしました。まずは、東京都美術館のフェルメール展。絵はよかったのは良かったのですが、人が多すぎて疲れました。山種美術館に行く前に、国立博物館で琳派展をやっているのを知って、直行しました。これは期待以上に良かった。特に抱一と其一の絵が良かった。何枚か気に入った絵があったので、ベトナムへのお土産に何か買おうかなと思っていたのですが、グッズがあまりなくて結局絵葉書くらいしか買いませんでした。上野駅近くで昼食を取った後、次は山種美術館へ。ここは小さな展示場でしたが、土牛の「渦潮」とかいい絵が見れて、日本画関連のお土産ものも割と充実していて、お買い得感がありました。全部見終わったのが4時頃だったので、急いで新幹線で群馬まで帰りました。

 久々の帰郷でしたが、家の中は暗かったです。それについてはまた後で書きます。

 月曜日は、早目に家を出て、千葉中央博のOCさんを訪ねました。まずやったのが、科研関係のメールのチェックと申請書の修正、電子申請でした。とりあえず、これで科研の申請書書きはひと段落です。それから、ステーションからダニ布を持ってきてもらっていたので、それを長崎に送りました。OCさんと一緒にそごうの9階でウナギを食べて、食事中もその後のコーヒーでも話は尽きなかったのですが、そのなかで、昨年カモシカ調査の時に一緒だった、私と同じくらいの年の人が今年の夏にバイクの事故で亡くなったのを知りました。人生どこで何があるかわからないね、ということで二人とも納得しました。

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2008年10月23日 (木)

奢り、奢られて

 今日はフレラボのCOちゃんの誕生日だったので、お昼は皆で外に出かけました。TRさんお勧めの、オペラハウス近くの屋台で、米麺に厚揚げとさつま揚げのようなものをいっしょに甘酸っぱいタレにつけて食べました。確かにうまかったです。が、外だったもので、ベトナム屋台特有のお風呂場のイスに腰掛けて、テーブルなぞないものですからそのイスの一つをテーブル代わりにして食べました。やけにしぶきがかかるなあと思ったら、ビルの二階からエアコンの水が蒸気になって降っていました。レジオネラ菌がいたらどうするんだろう。今回は日本人スタッフのおごりにしようかと思っていたら、COちゃんが皆におごると聞いて、びっくりしました。でも、それがベトナム流らしいです。

 昨夜と今夜は日本から茨城大のGTOさんが、ハダニの調査に来ていたので、夕飯を一緒に食べました。昨晩はキノコ鍋、今晩は地元の人が行くフエ料理店でした。こちらに来てからあまりうまいものを食べていなかったらしく、出された料理にかなり満足された様子で、私も接待した甲斐がありました。

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2008年10月19日 (日)

点を決められなければ坊主

 ホーチミンのホテルでネットの設定をいじったせいで、ハノイに戻ってからずっとパソコンの調子がおかしく、家でのネットへの接続ができません。金曜日にも午後からメールの送受信ができなくなったので、今日は午後からフレラボに来てブログを書いています。

 科研の締め切りが近くなり、かなり焦っています。来年度は新しいテーマに挑戦したいので、その計画書を書いているのですが、これまで自分がやったことがないことですから、どう書いていいかわからず、かなりドンづまっています。大学院時代の友人にメールでいろいろ相談にのってもらっているのですが、なかなか具体的な部分が書けません。ぎりぎりまで何とか粘って提出します。

 今日の午前中はサッカーの試合でした。前半30分をFWで、後半15分をHFで出してもらったのですが、2回あったチャンスに点を決められませんでした。試合はどうにか勝ちました。試合後、監督から、よく走るようになったねえ、と褒めてもらえたので、あとは決定力です。

 そういえば、先月の’角田をいじる会’の飲み会の席で、11月にホーチミン市で行われるJ-ASIAカップで1点も得点できなかったら坊主にすると私は宣言してしまったらしいです。あの日はかなり酒が入っていたので、調子っこいて言ってしまったようです。おとといのMSさんの送別会の際に監督から聞かされたのですが、よく覚えていません。

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2008年10月14日 (火)

トラップの運搬

 蚊を捕獲するためのトラップをまたハノイに送るために運送会社に手配しました。手持ちのお金に余裕がなかったので、着払いかUSドル払いにしたかったのですが、着払いならハノイの集荷場に引き取りに行かなければならず(それじゃあ着払いとは言わないでしょうが)、USドルは受け付けないということから、手持ちのドルをベトナムドンに換金しなければなりませんでした。パスツール研の一番近くの銀行に行ったら100ドル紙幣を機械が認識できず、次の銀行で旅券番号と住所を記入する必要があったので用紙を持ち帰って記入して、再びその銀行で両替を待っている間に運送業者が来てしまいました。1時間後にまた出直してもらったのはいいのですが、領収書と伝票を記入するのにNIHEの秘書のTRさんに電話をかけて業者さんに話をしてもらって、ようやく送り出しました。あとは明日の午後に私が向こうで受け取らなければなりません。

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2008年10月13日 (月)

調査の雰囲気と調査員のサボータージュ

 土、日の二日間で対照区の調査をやり直しましたが、先週の結果と大きな違いはありませんでした。ただし、パスツール研のスタッフの一人にかなりごまかしをしている人がいたのがわかりました。その人が先週調査した家を昨日改めてTRさんがやり直したところ、実際には83個の水瓶があったはずなのに35個しか調べていなかったそうです。

 今日一緒に調査に回った人は新人だったのですが、屋外にあった水瓶以外の発生源を見落とししていたため、チェックをするように指示すると容器をいきなり逆さまにして、水をぶちまけました。彼には英語が通じません。他にも容器があったので、今度は、違うよ、ちゃんと記録するんだ、と記録用紙に書くそぶりをすると、地元の案内のおじいさんにボウフラがいるか見させて自分は記録し出しました。素人に結果の判定させてどうするんじゃ、お前がやるんだ、と、言葉が通じないのを承知で伝えたところ、ようやく自分でボウフラのサンプリングをやってくれました。

 士気とか雰囲気は調査の際にとても大切です。調査をする人のモチベーションを上げるには、その調査の意義とか目的をきちんと伝えることは重要です。これまで、現地のリーダー、今回の場合パスツール研のLAさんとTRさんですし、NIHEですとYEさんやDC君、に調査目的を説明したにもかかわらず、それがちゃんと下の人たちに伝わっていない感じが時折していました。今回のことで、現地のリーダーに調査の目的や意義も部下に伝えるよう、念を押す必要があると感じました。

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2008年10月11日 (土)

調査のやり直し

 本当は今日で仕事が終わって、明日の朝、サンプルをパスツール研の冷凍庫から取り出してハノイに戻る予定でした。ところが、調査の結果が芳しくなくて。処理区で蚊の数が減るはずだったのですが、対照区よりも数が多くなっていました。

 昨晩、パスツール研のエントの室長のLAさん とプロジェクトの実質的なマネージャーのTRさんと話をししました。彼女たちは、調査する人間の精度の違いが大きい可能性があるため、来週もう一回やり直したい、と言ってきました。調査のやり直しと聞いて、私なりにどうすればいいのか考えました。マダニの野外調査をするときには、自分なりにやれそうな人を選び、自分なりの精鋭ですが、皆植物についてはど素人だったので、コドラート調査をする際、特に被度などは15サンプル位をああでもないこうでもないと確認し合い、さらにその後でそれぞれにテスト用紙に自分の回答を記録してもらい、回答の相関を求めたりして、その後で本番の調査をしていました。今回、どうすればいいのかいろいろ考えていたときに、私たちのラボについてどう思いますか、と聞かれたので、グッド、ととっさに答えたのですが、その後で、それはさておいて、調査の時に特定の人が特定の地域をずっとやるのをやめて、日替わりで処理区と対照区をやるようにするように述べました。それから、LAさんとTRさん以外の人たちが要領がいいのかどうか知らないけれど、11時前にさっさと仕事を切り上げてお茶を飲んでいるのはおかしいし、LAさんが来年退職して、TRさんがどこかの国に留学したら、私はとても不安で、仕事をお願いできません、とはっきりと述べました。二人とも私の二番目の意見は、言ってもらうのを待っていたようにその時感じました。

 結局、明日明後日、また調査をしなければなりません。ハノイに帰って、日曜日にはサッカーをしたかったのですが、致し方ありません。

Rimg0840

 今泊まっているホテルの部屋の壁にかかっている絵。油絵と思ったら、タペストリーでした。私のフィールドのバッチャンは周りを池や川で囲まれていて、山こそ見えませんが、バッチャンを思い出させる、そして、なんとなく気持の落ち着く絵です。

 

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2008年10月 8日 (水)

実施一月後の調査

 昨日からまたホーチミンに来ています。先月、KWさんが中心となって水瓶に蓋と蚊を寄せ付けない網を配ったので、一ヶ月後にボウフラの数がどうなったのか調査に来ました。

Rimg0834_2 これから調査をするところ。実際は30個近くの水瓶がありました。水の中に虫取り網の目の細かいのを入れて、5回回してボウフラと蛹を採集します。それにしても、これだけの数の水瓶を検査するのは大変です。

 実際に現地に行ってみると、雨水をためる専用の瓶の蓋を普段あけていて、そこから水を汲み出して別の瓶に入れていました。あれっ。もし、汲みだす水に ボウフラが既に入っていたら、全部の瓶に広がってしまいます。

 このことをパスツールのスタッフに話したのですが、そのような現地の人の習慣を直すのはとても難しい、場合によっては調査に協力すること自体を拒否されるから、との回答が返ってきました。

 ボウフラの採集は現地のおじさんが、記録はパスツール研のスタッフが行うので、私は研究所で取ってきたサンプルを同定し、管理するだけでいいと当初考えていましたが、現場に行ってみないとわからないことはやはりありました。

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2008年10月 7日 (火)

 やっとジョイントフォーラムという、海外に研究拠点を持つ大学の研究者が集まる研究会が終わりました。ハノイで開催されたので、5月から隔週位に会議をして、煮詰めていって、三日前くらいからあとはやるだけの状態になって、最後までベトナム人との交渉を繰り返したなかでどうにか無事終わりました。自分なりに疲れました。皆さんお疲れ様でした。長崎からはるばる応援に来ていただいた熱研の事務の方々も本当にありがとうございました。

Rimg0834_3  盛況だったポスター会場。狭っこい会場だったので、窓と壁をまず埋めてから配置を考えざるを得ませんでした。どうにか形になってほっとしました。そして、土曜日にみんなに手伝ってもらって、ボードのぞうきんがけから始めたポスター会場でした。本当にありがとうございました。

 もう、ハノイ在住中はこのような会議はないと願っています。 

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2008年10月 5日 (日)

ポスター会場設営

 午後二時から、長崎大学から応援に来ていただいた事務の方にも手伝いに加わっていただき、ポスター会場の設営をしました。まず、ポスターボードを設置し直してから、ボードの表面がえらく汚いのでぞうきん掛けをしました。次に、ボードに取り付けされたポスターナンバーがバラバラなので銀色テープで隠し、新たに作ったナンバーを張り付けました。今日も30度近くある暑さの中、皆で二時間近くかけて作業してどうにか終わりました。

 念のため、フレラボのTOちゃんのポスターを張ってみたのですが...ガーン!なんと既定の横幅のサイズを5cm近くはみ出しているではないですか。これだと、ベトナムで作ったポスターはほぼこのようにはみ出していると考えられます。うーん、このような人がいることを一応考えてはいましたが、灯台もと暗し。当日は一人でも少ないことを祈るしかありません。

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2008年10月 4日 (土)

私のニックネーム

 NIHEの関係者には果物や野菜にちなんだあだ名が付いています。H所長はジャガイモ、DA副所長にはキュウリ。顔を思い出すと、アーなるほど、と納得いきます。日本人スタッフにもあだ名があります。YS教授はいつも髪の毛が立っているから、ランブータン。飲み屋に行って、ボトルをキープする際にチョムチョム(ランブータンのベトナム名)と書くと、お店の人にいっぺんで覚えられています。まあ、キャラも強いせいですが。HBさんは、バナナ。そういえばエントラボのYさんが、HBさんは外見が中国人っぽいので、中国人というベトナム語の発音が訛ってバナナになったようなことを前に言っていました。

 私にもNIHEのベトナム人からあだ名が付けられました。Dau Da(ゾウザと読みます)。小さくて赤い、少し酸味のある果実だそうです。フレラボ秘書のTさんは、ツノダとゾウザの発音が似ているからつけられたんだ、というのですが、どうなんでしょうか。飲むと顔が真っ赤になるからかも。いずれにせよ、あだ名をつけられたということは、ここの人たちに受け入れられたと好意的に解釈します。

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2008年10月 1日 (水)

ベトナム人の研修

 ベトナム人の研修受け入れ先のSBさんから、今日、メールが入りました。

 角田さんにもCcでメールを送っているのですが、S君から返事が来ません。ちゃんと届いているのでしょうか。

 SBさんは、自分に厳しいぞ、だから、音楽なんか聞きながら仕事するな、メールをもらったら早く返せ、と言ったのですが、やっぱりわかってもらっていませんでした。

 今日、JICAの人たちと飲みに行きました。帰りがけにHBさんから教えてもらったのですが、研修のテーマから何から何まで自分たちは全部フォローしてあげなければならない、と言われて、自分が全く分かっていなかったことに初めて気がつきました。今回のことは、自分の今の研究のことでいっぱいいっぱいでテーマなんて考えてやれなかったし、S君とのコミュニケーションも欠けていました。

 自分の研究と(日本人学生の)教育と指導だけやっていたのとは状況が違うのだ、と改めて気づかされた日でした。

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