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2009年2月

2009年2月26日 (木)

ベトナムにいても忙しい年度末

 年度末が忙しいのはどこも同じです。日本にいた時には、この時期にマダニの活動が最盛期を迎えるのでその調査が忙しくて、おまけに3月下旬から4月上旬にかけて所属する学会(宗教団体ではありません)での発表があったので、平日は家に帰るのも遅く、土日も留守がちでした。

 ベトナムに来てから年度末は楽だろうと考えていましたが、日本からのお客さんが3月に入ると入れ替わりでやってきます。昨日は長崎のボスからもいろいろ話をしたいのでベトナムに来るというメールが入りました。4月からのプロジェクトの計画を立てて、早めに必要な器材や試薬を購入しておかなくてはなりません。ここのところ事務仕事が優先で、実務が後回しになりがちです。

 そんな矢先にY教授から来週の月曜日にジャーナルクラブをやるから、そこで発表してくれ、と頼まれました。えー、仕事増やさんでけろ(群馬の方言ではありません)、と思いましたが、来年度のプロジェクトに関連する論文を紹介することにしました。とりあえず、今は資料を読み漁っています。

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2009年2月23日 (月)

何とかゴールして床屋に行く

 今日は若いベトナム人チームとの試合でした。こちらのMKさんの2点目がまたも審判の誤審でノーゴールとなり、一時は1対4と苦しい試合になりました。今日からチームに加わったSGEさんのゴールとTKさんのPKで1点差まで追いつき、最後に相手ゴールキーパーのクリアしたボールが私に当たってそのまま前に抜けて、久しぶりにゴールを決めました。私の目の前にSGEさんがきちんとボールにつめていたのですが、「俺に蹴らせろ!」と叫んで、どいていただきました。ありがとう。

 と言いますのも、新年早々、次のゴールを決めるまで髪の毛を切らない約束をしてしまったため、床屋に行きたくても、行くに行けない状況でした。私は髪の毛が伸びるのが早いので、レゲエのおじさんみたいになったらどうしようか、と心配していました。なにはともあれ、よかった。よかった。

 夕方さっそく床屋で散髪してもらいました。

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2009年2月22日 (日)

河内バンドのライブ

 サッカーチームのキャプテンのTKさんから本人が関係している、在日バンドのライブがあるのでぜひ来てくださいと誘われて、オペラハウス近くのMy Wayというレストランに行ってきました。

 河内熱饗音楽祭

 はじめの二文字は「かわち」ではありません。ハノイと読みます(読ませます)。倫敦、巴里みたいなものですが、私は最初、大阪出身の人が中心になってやっているグループなんだ、と思っていました。

 6時半開演とTKさんから聞いて時間通りに行ってみたものの、まだ始まる気配はまったくなく、知り合いも舞台の端にいたTKさん以外に一人もいないので、帰ろうかと思っていると、日本から出張に来るとサッカーに加わるSKさんが来たので、二人で近くの席に着きました。

 SKさんとはこれまであまりお話したことがなかったのですが、見かけどおり人当たりが良い方で、今回いろいろと話ができてよかったです。

 「河内のおっさんの歌」とかやってくれないかなどど、私の中で勝手に考えていたら、おじさん主体のバンドで「ホンダガールの歌」というのを演奏してくれました。これ、面白かったです。

 それから、ベトナム語の歌の弾き語りをされた方がいて、一番ベトナム人のウェイターやウェイトレスに受けていました。実にいい声で、演奏も上手でした。

 この方の演奏とベトナム人の反応を見ていて、ベトナム人との仕事の進め方についていろいろと考えされられました。

 今週もバッチャンで調査をしてきたのですが、調査をしているベトナム人スタッフが記録したデータにミスがいくつかあって、それを指摘した後で、私たちが作ったデータシートがわかりづらいと苦情がありました。よく考えると、パソコンに入力したり後で解析しやすいように作ってあって、現場で時間に追われながら記録するには少しややこしいのかもしれないと感じました。先週の南部でのデータの記録ミスも多分、書きづらいフォームが原因だったかもしれません。彼らは記録するだけで、その後のデータの入力や解析の経験はほとんどありませんから、もっと、私のほうから歩み寄らないといけません。

 ライブの最後は「勝手にシンドバット」をみんなで歌って終わりました。今日はいい気分転換になりました。

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2009年2月18日 (水)

韓国とベトナムの男社会

 日曜日には韓国チームと試合をしました。またまた決定的チャンスをはずしたおいらのせいで1対2で負けました。試合後にいろんな人から、あんまり深刻にならないほうがいいですよ、と言われました。ひとつにはチームの雰囲気が暗くなることがありますし。

 試合後に韓国チームから日韓の交流と言う意味で、飲み会に皆で招待されました。焼肉屋とコリアンレストランをはしごした後で、三件目は日本のラーメン屋にしました。それにしても4時半からの酒はきついっす。男社会、それでもって年功社会の韓国人相手で、私は年長者だからシゴキに似た仕打ちはありませんでしたが、水曜日の韓国との合同練習に参加していて、サッカーのうまいGNさんはかなりかわいがられて、ぼこぼこにされていました。

 今日は、台湾に留学しているはずのDC君の新築祝いで、昼から彼の家にエントのメンバーがご招待されました。トマトと鶏肉の入ったベトナムなべと、奥さんの手料理でもてなしていただきました。彼の家は四畳半ほどの広さが二間あり、それが4階建てになっています。テレビ、エアコン、洗濯機、何でもそろっていて、サイドビジネスと奥さんの収入でがんばって建てたのかと思いました。ちなみにDC君と(私のカウンターパーとこの間まで思っていた)ZC君は名前も似ていますが、同じ大学の同級生でした。どうりで仲がいいと思いました。昼からワインを3時くらいまで飲んで、私だけ一足先に帰りました。

 NIHEに戻ると一足先に帰った女性陣から何で戻ったのかという反応をされました。実は今日はフレラボ秘書のTRさんの誕生日で彼女がケーキを作ってきてくれたので、それを食べていなかったので食べに帰ったのでした。それと、残った男連中がもう飲まなくなったので、きりがいいところで引き返したっていうのもあります。ちなみに昨日の昼に皆でTRさんの誕生日をお祝いしました。

 韓国にせよ、ベトナムにせよ、(見かけは)男社会だなあと、つくづく感じました。韓国のほうがかなりバイオレンスですが、たぶん実権を握っているのは女性なんでしょうね。DC君の奥さんも家事と子育てと婦人警官の仕事を夫のいない間もしっかりやっていて、強そうでした。

 いずれにせよ、昼間の酒は効きます。

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2009年2月14日 (土)

ハイテクセンター内に閉じ込められる

 昨日はホーチミンから朝9時半の飛行機で戻り、午後2時からバッチャンに出かけ、先週仕掛けたオビトラップを回収してきました。久々にハノイに戻ると日中の気温が高くなっていて、汗ばむほどでした。オビトラップの中の水も黄色く濁りかけていたのもあり、汚水に発生する種類の蚊が出ているトラップもありました。それよりも、トイレ代わりに使われて、しょんべんが入っていたトラップがありました(涙)。

 NIHEに戻ってから採集した卵の数を数えたり、ホーチミン出張中のメールをチェックしたりで、仕事が終わったのが7時過ぎでした。さらに少しネットをいじっていたら8時過ぎになりました。急いで帰ろうとすると、中央玄関の自動ドアは電源を落としてあり、テト休み中に使っていた入り口から出ようとすると鍵がかかっていました。

 閉じ込められてしまった.....

 一応建物はハイテクセンターと名前がついていますが、熱研のようにIDカードで出入りできるはずもなく、建物の出入り口の鍵、各部屋の鍵はNIHE全体の入り口脇にある守衛さんの詰め所で管理されています。

 三階の電気がついていたので、三階のP3施設の守衛のお兄ちゃんに開けてくれと頼んでようやく外に出られました。かなり焦りました。せめて中に人が残っているか見回ってから鍵をかけてほしいものです。

 

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最終日のトラブルとロンアン省調査への同行

 ホーチミンのホテルのインターネットがつながらなくなり、しばらく更新できませんでした。

 南部での調査では、いろいろとトラブルがありました。まず、前日の調査で私とTNさんが記録用紙をチェックしたときにかなり記入ミスがあったので、たぶんTNさんからきつく注意されたのでしょう。一緒にボウフラ調査にまわったベトナム人スタッフが記録用紙への記入でかなり混乱していました。それから、トラップを回収できなかった家が1件だけあったのでパスツール研のスタッフの一人に残ってもらって、午後に回収してもらいましたが、その彼がパス研に戻らずに自宅にそのまま帰ってしまったのにはがっかりさせられました。すぐ冷凍しなければならないのでドライアイスを持たせてあるのに、まったく責任感がありません。仕事に関して心配な人だったのでTNさんに夕方電話してもらったのですが、パス研に来たくない、という、お前金もらっとるんだろが、といいたくなる返事が戻ってきたらしいです。結局、彼はその日は来ませんでした。

 去年大学院生のAT君と調査したときのように、日本人スタッフとベトナム人スタッフがマンツーマンで仕事をやらないとむずかしいのを実感しました。自分は今、調査などでかなりしつこく念を押すようにしていますが、それでも下までうまく伝わっていないのを実感させられます。

 木曜日は日本から来たポスドクのOB君の調査に付き合って、ロンアン省に行ってきました。車で片道4時間だったのでさすがに厭きましたし、なにより腰が痛くなりました。私は自分の調査地の下見が目的だったので、現場の雰囲気を味わった後は、地元の家で出してもらったお茶を飲んで、干しえびや焼きたてのせんべいをいただいていました。

 ここは海に近いため海産物が豊富で、道端で売っている貝を買って食堂に持ち込んで昼飯を作ってもらいました。昼食ではヤシの実に入っている酒を飲みましたが、あまりうまくありませんでした。遅めの昼食後、帰りは4時間半かけて戻り、それから羽化した蚊をサンプル管に入れて凍結させる作業をしました。これで、ベトナム南部でのネッタイシマカの現地調査は一応終了しました。

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2009年2月10日 (火)

最後のボウフラ調査でヤシの実に涙する

 Tan Changの家々をまわってボウフラを捕るのも今日で一応終了です。明日、BGトラップで取れた蚊を回収する仕事が残っていますが、主な仕事はだいたい今日で終わりました。最後にまわった家でヤシの実のジュースをいただきました。前回もヤシの実をいただいた家で、この家のおばさんが私のことを覚えていてくれました。ほかのグループが来た時も出さずに、私がまた来た時のために取っておいてくれたそうです(涙)。おばちゃん、ありがとうございます。

 ホーチミンに戻ってから記録シートをチェックしたり、成虫になった蚊を取り出したりと、いろいろ仕事があって、かなり疲れました。

 昨日の夜は日本人だけで日本料理屋で食事をしたのですが、今日は私を除いて三人とも具合が悪く、ポスドクのOB君は食当たりでダウンしました。私は免疫ができたのでしょうか。そういえばベトナムに来てからあまり下しません。上からは増えましたが。

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2009年2月 9日 (月)

今回もへこんだ試合と大詰めの南ベトナム調査

 昨日の試合相手はベトナムの貿易大OBチームでした。中盤までうちが勝てそうだったのですが、私のミスがそのまま失点につながり、続けて1点追加されました。今回もへこみました。交代してからボーっとしていました。今年に入ってからサッカーに関してはいいとこないです。技術がないから、プレーに自信が持てない。それが結果的にミスを呼び込んでいるとわかっているのですが、なかなか修正できません。

 仕事の方は日曜の夜からホーチミンに出張しています。水がめに蓋をしてネッタイシマカの発生量を調べる試験は今回で終了です。今回は長崎から3名参加しています。さっそくフィールドに向かう車の中で、3月初めまでに結果をまとめるようにKさんから発破をかけられました。

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2009年2月 6日 (金)

エントの新人の退職

 去年の10月からエントラボに新人が4人加わったのですが、そのうちの一人の子が今日辞めていきました。ベトナム語の会話はさっぱりわかりませんが、なんとなく雰囲気でわかりました。

 彼(辞めた人)は、いつもニコニコしていて性格はいいのですが、英語がまったくできなくて、その上ちょっと気が利かないので、仕事の上でコミュニケーションをとるのが大変でした。昨日も、蚊の卵を実験台の上にこぼしてそのままにしてあったので、コンタミするからだめじゃないかと注意したのですが、通訳に入ったもう一人の新人の男の子にはわかってもらえても、彼にはまったくわかってもらえませんでした。

 彼はNIHEを辞めて大学院に行くそうです。といっても試験があるので、その準備をする時間がほしくて仕事をやめるそうです。けれどもじきにお金がなくなるので、仕事を探さなければならないだろうと、別の新人の女性が話してくれました。

 確かドイツはつい最近まで授業料がタダだったはずですし、日本にもいろいろと新聞で問題にはなりますが育英会というのがあります。ベトナムは社会主義の国なのにそういった補助制度ないのでしょうか。超優秀な学生が国費留学で日本や欧米に留学するのは、去年もNIHEに来ていた女性でそういう方がいましたので、実際に知っています。いずれにせよ、エリートは手厚く保護して海外に留学させるのでしょう。エントで修士号や博士号を持っている人はみな国外で学位を取っています。しかし、この国の方針として、国内で裾野を広げることにはそれほど熱心でないようです。

 海外で修行を積んできた人が帰国してからバリバリと仕事をして、論文を書けば、下にいる人もその背中を見て何かしら刺激を受けると思います。けれども現実には、NIHEの場合、日本やオーストラリアの委託や調査補助のようなことをやってベトナム語の報告書を書いてそれで終わり。仕事が空いた時間は教科書を勉強したり、論文を読んだり、いろいろやることがあると思うのですが、エントの若手は音楽を聴いたり、ネットで遊んだり、しまいには私が仕事しているのにここで音楽を聴いてもいいかと聞いてきます。

 (仕事の内容が)地方衛研と同じだ、とあるとき私がつぶやくと、それを聞いたフレラボのY教授は、それじゃあ日本の衛研の方に失礼だと、おっしゃいました。確かに、私が衛研にいたときは何人かの人が論文博士を目指したり、いい雑誌に論文を掲載することを目指したりしていました。私も、伊藤嘉昭さんの本を読んで、大学にいなくても、またいい指導者がいなくても、自分しだいで何とかなるものだ、と感じたものでした。

 今回、新人が辞めていったせいで他の若手は動揺したようです。ある人は私の帰り際に、もし、私がNIHEを辞めて他の仕事を見つけなければならなくなったら、スノダ、私をサポートしてね、と頼んできました。あのね、だったらせめてもう少し一生懸命仕事をしようね、と答えた後で、その前にちゃんと俺の名前を発音してね、と言い忘れたことに気がつきました。

 

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2009年2月 5日 (木)

原稿チェックを催促したら、逆に用事を頼まれる

 月、水はY教授と、火、木は日本からベトナムに遊びに来たMZさんと夕飯を食べました。テトが明けて飲み屋もレストランもいつもどおりに戻りました。日本料理屋で外食するとたいてい35万ドンから50万ドン(2千円から3千円)、小ぎれいなベトナム料理屋で食事をすると10万ドンから20万ドン(700円から1200円)。角田レストランだと2万ドン。日本料理屋で食事をするのはベトナムでは贅沢です。

  一月ほど前に書き上げた原稿を長崎のT教授に送ったのですが、いっこうに返事が来ないので、今日電話すると、気にはなっているのだが忙しくて見ている暇がなかった、と言う返事が戻ってきました。そうですか、では時間があるときに目を通してください、と頼んで電話を切ろうとすると、悪いけど、M省に提出する書類のネタがないので、何か書いて送ってくれ、と逆に用事を頼まれてしまいました。幸い、今日の会議のために準備した資料が使えそうだったので、それをコピペして、送っておきました。次の原稿も蚊についてですが、そのほかはダニなので、蚊の原稿は早く送りつけてしまって、チェックを待っている間にダニの原稿を書くようにします。

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2009年2月 3日 (火)

意味ありのお年玉

 お年玉はベトナムにもあります。赤は縁起がいいようで、赤いお年玉袋に赤っぽい色のお札を入れます。たとえば、千ドン札とか、1万ドン札とか。

 金曜日にフレラボに行った際に秘書のTRさんがベトナム人スタッフをはじめ、われわれにもお年玉を配ってくれました。

 偉い!

 私は初めてのベトナムの旧正月だったので、偉そうにお年玉を渡すのもなんだしとか、いくら渡すのがいいのかわからないとかいろいろあったので、結局、日本から持ってきた千代紙でなるべく赤い色を選んで、鶴を折ってフレラボとエントのベトナム人スタッフに渡しました。

 せこい。

 エントの室長のYさんにも鶴を渡したわけですが、同時に彼女からお年玉をいただきました。、ありがとうございます、とお礼を言った後で、ちらと中身を見ると20万円札が数枚あるではないですか。えっ、こんなにいただいていいんですか、と尋ねると、今年、あなたがとても幸運で、たくさんプロジェクトを持ってきてもらえるように願って、と彼女は答えてくれました。

 うーーん。やりがいがあります。

 良しにせよ悪しきにせよ、正直、エントに自分の机があってよかったと、はじめて思いました。

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