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2009年3月

2009年3月31日 (火)

DVDの交換とベトナム語の上達

 フレラボのTRさん、KOちゃん、UCさんと旧市街までお昼を食べに行ったついでに、昨日DVDを買った店に寄って黒澤明のDVDを交換してもらいました。お店の人とのやり取りはすべてTRさんにやってもらいました。何のために電子辞書を買ったのかと聞かれそうですが、まだ使いこなせていませんし、辞書を買ったからといっていきなり会話は上達しません。

 ただ、最近、ベトナム語講座で、文法的なことは以前よりわかってきたかな、と感じます。けれども、前に習った単語をなかなか思い出せませんし、覚えられません。これは恥をかきながら生活の中で覚えるしかないですね。エントのスタッフは情け容赦なくベトナム語で話しかけてくれるので、ある意味、助かります。

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2009年3月30日 (月)

脚の捻挫と旧市街で買ったDVD

 今日の試合は最初の15分で左太ももが痛くなったので途中交代しました。芝を張り替えたグラウンドで試合を行ったのですが、足元がつるつる滑りました。交代した後で気がついたのですが、左足首も捻挫をしていました。これは足の神経を切断してから、ずっと癖になっているのでしょうがないです。いつもサポーターで左足首を固定しているのですが、疲れがたまっているときなどは容易にぐきっといきやすいです。

 試合は2対0で勝ちました。久々に弱いベトナム人チームでした。

 昨日、今日と旧市街でDVDを買いました。昨日はテレビドラマ「フレンズ」全巻。日本では最低でも1万円以上しますが、こちらでは千円くらいでした。違法コピーに決まっているので、ちゃんと映るかどうかドキドキしながら家で再生してみると、最初の方は映像と音声がずれていて、俳優がしゃべった少し後で声が聞こえてきます。他は特に問題はありませんでした。

 今日はヒチコック作品集と黒澤明作品集をあわせて24万ドン(千四百円くらい)で買ったのですが、不幸にも黒澤明は3枚のDVDのうち一枚が映らず、いつの間にかもう一枚も映らなくなっていました。交換してくれるかどうかわかりませんが行くだけ行ってみるかと考えてみたものの、往復のバイタクで金がかかるし、足も痛むので、結局一枚だけを再生して映画を鑑賞しました。

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2009年3月27日 (金)

電子辞書とギターを買う

 昼休みに電子辞書を買いに行きました。私だけですと日本人ということで全然まけてくれそうにありませんし、店がどこにあるかもよく知らないので、フレラボのTRさんとKOちゃんに付いてきてもらいました。旧市街でお昼を取った後、目的の店に行くと、売り切れでした。ようやく4軒目にして、フエ通りに電子辞書を置いてある店が見つかったので、タクシーを降りて、辞書を選びました。日本語の変換ができるのもあるようですが、ネットでの和訳などを見ているといまいちですし、値段も高いので、ベトナム語と英語の変換ができるだけのシンプルなものにしました。これだけでたいていのことは間に合うと思います。値引きはしませんでしたが、充電池と小型のスピーカーをおまけに付けてもらいました。さすが、TRさん。

 その勢いあまって、旧市街のYAMAHAショップに行ってギターも買ってしまいました。一人の時間に本を読むのもDVDを見るのもいいのですが、何か楽器をやりたかったので。房総半島でマダニの調査をしていた時、天津のステーションに泊まり込んでいた熊ちゃんが仕事が終わるとギターをいつも練習していたのを思い出しました。

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2009年3月25日 (水)

ベトナムの家族から思い出した祖父のこと

 先週出張したホーチミンは暑かったのですが、ハノイもここ数日蒸し暑い日が続いています。本棚には革表紙の洋書が数冊あるのですが、古いのにはカビが生えていました。部屋にはエアコン以外にも空調設備があるので、全室いつもつけていますが、書斎にしている部屋の空調は故障しています。これから本格的に湿気との戦いが始まるので、今のうちにTRさんに頼んでベトナム語で管理人に伝えてもらった方がいいかもしれません。

 昨日のベトナム語の授業で、ベトナム語では祖父に対して父方と母方で呼び方が違うことを教わりました。他にも、日本では父や母の弟は叔父で済ませますが(ちなみに父母の兄の場合は伯父)、ベトナムでは父親の弟、母親の弟で呼び方が違います。叔母も同様です。

面倒くせえなー(ここは日本語)、なぜなんですか(ここだけ英語)?

と先生に尋ねると、それは日本とベトナムの習慣や文化の違いだそうです。いとこ同士でも、父が長男が次男かでいとこ間のランクが決まり、相手の親族内ランクが上だと年下でもチイ(一般に自分より年上で両親よりも若い女性に使う呼び名)と呼ぶそうです。

 この話をしていて、サザエさんを思い出しました。波平、舟が正面に座り、カツオ、わかめ、タラちゃんの順に対面に座って、いつも同じ席順で子供達は波平の話を黙って聞かされます(いつも3人は背中向きです)。

 私が物心ついたころ、家には両親と兄妹のほか、祖父、伯母、いとこがいました。食事をするときの席順はサザエさん同様我が家も決まっており、隠居して一番仕事をしていない祖父が一番偉い席についていた(テレビの真正面)のを子供心に変だ、と思っていました。ちなみに私はテレビが一番見づらいという点においても、末席の中の末席でした。保育園(田舎なので幼稚園ではありませんでした)の頃だったか、一度、反抗して、祖父が席に付く前に祖父の席に座ったことがありました。このときはかなり祖父に怒られました。今では祖父の苦労も多少わかり、敬う気持ちもありますが、当時の自分には全くわかりませんでした。

 祖父は妹を可愛がり、その妹を私はよく泣かしていたので、よく怒られました。新聞紙を丸めて蠅をたたいていた、その紙で、そのままよくたたかれました。時には蠅たたきでたたかれました。子供心に、僕は蠅じゃない、と感じたものです。

 何の因果か、今は蠅や蚊でメシを食っています。

 三つ子の魂百まで。

 

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2009年3月22日 (日)

韓国戦とスポーツ交流会の延期

 ホーチミンでの会議はとりあえず終わりました。採集した蚊をまだ全部見終わっていないので最終的な結論はでませんでしたが、処理区では蚊の個体数が一ヶ月後に減り、三ヵ月後から無処理区と変わらなくなる傾向がわかりました。今度の8月にもう一回会議があるので、そのときまでに全部の蚊を同定し、データを解析し終わっていなければなりません。4月から新しいプロジェクトを始める予定なので、毎日少しでも時間を見つけて蚊を見ていったほうがいいでしょう。

 日曜日は朝8時からミーディンのメインスタジアムで韓国チームと試合をしました。40分を4本やりました。両チームとも20人以上も人が集まったので何度も人が入れ替わりましたが、それでも皆ばてました。気温は30度近くあったかもしれません。私は20分ずつ3回出してもらいました。3回目は右ハーフだったのですが、かなりきつくて走れなかったです。試合は4対4の引き分けでした。MKさんが3点、私が1点。前回の得点はかなり顰蹙をかったので、今回は胸を張れます。

 韓日でスポーツ交流会を4月に行う計画があり、その打ち合わせもかねて、試合後韓国チームとの交流会がありました。しかし、ある意味メインとなる、少年チームのサッカーの試合が、こちらの都合で予定した日にできないため、今回の計画は秋に持越しとなりました。

 

 

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2009年3月21日 (土)

プロジェクト終了前の飲み会

 ベトナム南部でのプロジェクトの最後のミーティングをするためにホーチミンに来ています。今回のプロジェクトは失敗かもしれません。「かもしれない」と書いたのは、研究のゴールはどれだけインパクトのある論文をどれだけ多く書いたか、ですから、現時点では最終的な結論が出ていませんので。けれども、お金と労力がかかった割には実りが少なかったです。それはひとえに自分たちの計画が悪かったからでしょう。

 最後のミーティングの前に最後の飲み会をしました。珍しくTRさんもお酒をたくさん飲んでいました。

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2009年3月19日 (木)

OB大の調査終了とHYさんの送別会

 仕事が忙しくて、更新が滞りがちです。OB大との鳥フルの仕事は、一日目にノイバイ空港近くの養鶏場に行っただけで、あとは調査には同行しませんでした。ハエを取るのは専門家の二人の仕事で、蚊はトラップを仕掛けて翌日回収するのでベトナム人スタッフが一人いれば十分でした。私は、毎日、彼らが帰ってくるまで、これまで南部調査で採集した蚊がどの種類か判定する作業に追われていました。見分ける鍵が蚊の頭の上にある毛の色が白いか先だけ黒いかだったりするので、一匹ずつ顕微鏡でそれを見分けるのは大変です。

あ"ーーーこのやろーーー

と言いたくなるのをこらえて、一時間おきに休憩を取って、それでも一日一軒分の蚊しか判定できなかったりします。ちびちびと一日の仕事の半分は顕微鏡で蚊の判別です。顕微鏡の数が少ないので、お客さんが帰ってくる頃までに仕事を終わらせておきます。

 今日で鳥フルの調査も無事終わり、皆さん、予定以上の大量のハエと蚊のサンプルをもって帰国されました。かなりの収穫だったようで、それがなによりでした。

 今日はエントのYさん、ほとんど現場での仕事をサポートしていたDC君、私とOB大の皆さんで、夕食を食べに行きました。軽めの夕食という事でフォーを食べたのですが、縁起を担ぐYさんがガチョウの肉を近くの店で買ってきて、みなで食べました。なんでも、ベトナムでは友人と別れるときに食べる習慣があるそうです。鶏は普段単独でいるけど、アヒルやガチョウは集団でまとまって行動するので、これからも末永く友人関係を保つために食べるらしいです。

 OB大の皆さんをアジアホテルまで見送ったあとで、サッカー仲間で20日に帰国する人の送別会に行きました。同じ40代で、(彼の方がずっと上手いですが)同じポジションで、試合では半分ずつ出ることが多かったですが、サッカーよりも飲み会での印象の方が強かったです。HYさんの日本でのご活躍をお祈りします。

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2009年3月14日 (土)

OB大との調査と積もる話

 朝8時半にアジアホテルにOB畜産大の人たちを車で迎えに行って、そのまま調査に向かいました。調査場所はノイバイ空港近くの工業団地からさらに奥に行った場所です。ここでハエや蚊を捕るわけですが、とにかく時間がかかりました。昨日の予定では、午前中日課を採集するトラップを仕掛けて5時くらいにまた回収に出かけることに決めたのですが、それを提案したNJさんがいきなり夕方また来たくないといきなり言いました。この近くの工業団地から市内まで毎日通っている人が私の知り合いにもいますが、本当に御苦労様です。一日二回も往復したくないですよ。

 田んぼのはずれにある、鶏を比較的多く飼っている家でサンプリングをさせてもらいました。でも私はBGトラップを仕掛けただけで、OB大の先生たちが網を振ってハエを取っていた1時間の間は他にすることはありませんでした。

 1時過ぎにようやく仕事が終わり、昼飯を食べて帰ろうとしたら、いきなりの突風と雨になりました。道路が変なことなっていなければいいけど、と嫌な予感がしたのですが、案の定、帰りはあちこちで渋滞にはまりました。12時にUCさんから、TG教授が来ているけど、角田先生大丈夫ですか、と電話が入ったので、3時半くらいにBic C(ハノイの郊外にある大型スーパー)のあたりでTRさんに電話を入れると、5時45分には日本に帰ると聞いて、かなり焦りました。どうにか、4時半にNIHEに帰れて、まずTG教授のところに行くと、今わしも手が離せないんや、という返事だったので、自分の仕事をかたづけていたらいつの間にか5時半になってしまいました。再びTG教授のところに行くと、Y教授とシリアスな話をしていたのでそのまま引き下がりました。

 どや、うまくってるか。

 はあ。どうにかベトナムに馴染みましたし、エントの連中とも最近はうまくやっています。

 そか、そか。それが何よりや。

 はい。

 それでな、あんたやったらどこでも生きていけるさかい、4月からケニアに行ってくれるか。

 えっ、....

 もしかして、そのような展開もありえるかも、と憶測したりして、ドキドキしていたのですが、実際は、

 近いうち日本に帰ってくるんか。

 いえ。当分予定はないです。

 そか。

 これで、いろいろ積もる話は終わりました。

 ほっとしたのと同時に、疲れました。

 

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2009年3月13日 (金)

疲れがとれにくかった日曜、月曜

 そういえば日曜日は、サッカーをして昼飯を食べた後、NIHEに戻ってボウフラの観察をしたらもう3時でした。

 エントのオフィスのカギを返しに守衛さんたちのところに行くと、セキュリティ会社の社長さんはじめ年長者の方がいて、時計を指しながら口に手を当てて何かを吸うふりをしています。どうも、夕方5時からここで飲み会を開くから、私を誘っているようでした。その日の夕方は、サッカーチームで3月末で日本に帰国する人を囲んで飲む約束があったので、無理、と言ったのですが、私のベトナム語とボディランゲージが貧弱なせいで、わかってもらえませんでした(というか早くアパートに戻って洗濯したかった)。

 洗濯は5時半に終わり、守衛さんたちの所に行くと、皆もう腹ごしらえが終わって、飲みだけに入っていました。おじさんたちにとっていただいた鶏肉と川魚の煮付けたのを食べて(あまり腹いっぱいにならないように食べたのですが)、ウォッカの一気で乾杯を繰り返し、6時過ぎにはかなりまわってきたので、サッカーのKTさんに、SOS、のメールを送るとすぐに、どうしたんですか、と電話が返ってきました。これで、他の人に呼ばれたように見せかけて(犯罪者みたいだな)、ありがとうと、さよなら、だけ伝えて、知り合いのバイタクに乗ってなんとかキンマー通りの日本料理屋に向かいました。

 日曜は疲れてしょうがなかったので、一次会で帰りました。月曜日も疲れが取れなくて、Y教授からしつこく飲みに誘われたのですが、さすがに行く気力がありませんで、ベトナム語講座のあと夕食をとったら8時に寝てしまいました。

 おじいちゃんか。

 ちなみに日曜日の試合相手は汚い、危険なプレーが多くて、絶対負けたくないタイプの相手でしたが、2対1で勝ちました。

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2009年3月12日 (木)

年度末、千客万来

 年度末で忙しい毎日です。4月から蚊の体からウイルスを抽出する実験を始めたいと思っているのですが、そのための器具をいろいろ取り揃えなければなりません。自分でやったことがないので、フレラボのUCさんやHBさんにいろいろ教えてもらって、実際に蚊から抽出の実験をされている先生方にもメールで問い合わせをして、今年度の予算の中で必要なものをカタログを見ながら選ぶ作業をしています。ようやくリストアップの作業が終わり、昨日から秘書のTRさんを通じて業者さんから見積もりを取っています。今年度の予算を使って準備を進めたいと思っているので、来週中には発注を済ませ、お金を振り込んでもらわなくてはなりません。

 その準備と並行して、ベトナム南部で採集した蚊の同定作業を時間を見つけて進めています。来週末にホーチミンで最終的な報告会議があるので、それまでに終わらせなければなりません。何とかなるかな?

 さらに今日、ベトナムで衛生害虫の調査を行うために日本から3人の方がいらっしゃいました。一週間ほど毎日その作業に付き合わなくてはなりません。皆さんハノイのお店に詳しいわけではありませんから、慣れるまではできる限り夕飯は付き合うようにするのも私の仕事です。ちなみに今日の夕飯は、私を含めて4人の日本人でベトナム人相手の海鮮料理屋に行って、貝と海老を腹いっぱい食べてきました。とりあえず、喜んでいただいてよかった。

 明日は長崎からボスがベトナムに来ます。メールには、いろいろ話すことがあるから、と書かれていましたが、いろいろ話すことって何でしょう。1年前に、ベトナム行ってくれへんか、と突然言われましたが、今回も何を言われるか、予想がつきません。

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2009年3月 7日 (土)

女性の日のケーキとアパートの鍋パーティー

 日曜日が国際婦人デーなので、昼間、ウイルスの男性陣がフレラボの女性陣に花をプレゼントしにやってきました。それではわれわれも何かしなくてはと相談した結果、ウイルスとフレラボの女性陣にケーキを買うことにしました。私は個人的にエントのスタッフにも買う必要があったので、昼休みに買いに行ってきました。みな喜んでくれて何よりでした。 

 夕方は、数日前から管理人のおじさんに今度の金曜日に鍋をやるから参加しなよ、と誘われていて、今日がその日でした。新しく入居した日本人の歓迎会か、それとも出て行く人の送別会かと思っていたら、日本人は私一人だけ。あとは管理人兼ガードマンのおじさんが二人、ハウスキーピングをしてくれている女性がすでに辞めた子も入れて三人、おじさんの息子とその彼女てな具合で全員ベトナム人でした。もう一人付き合いのよい若い日本人がいるのですが、彼は今回欠席でした。

 鳥鍋でしたが、いつもバッチャンで食べているのに比べて美味かったです。私はこの前ホーチミン出張のおみやげでいただいたココナッツの酒を出しました。食後、カフェに行こうと誘われたので、バイクの後ろに乗せてもらってハノイタワー近くまで行ってお茶を飲みました。それから旧市街によってハンダオ通りに並んだ夜店を見ながらぶらぶらしました。バッチャンのマーケットでやっているような、人形や皿を買って自分で絵を描く店もあって、私も工芸品に下手な色を塗りつけました。

 ここのところ、来年度の研究計画の目途がなかなか立たず、いらいらしていたので、軽い気分転換にはなりました。

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2009年3月 6日 (金)

なんでダニや蚊の認知度は低いのかと国際婦人デー

 昨日の調査でまた見慣れない種類があったので、エント室長のYNさんから種類の判定について教えてもらいました。これまた、蚊の脚に白線があるのないので種類が違うという、一般人から見ればどうでもいいような基準で種類がわかれます。

でもよく考えると、クワガタムシの場合だと顎の形で、ノコギリクワガタとかミヤマクワガタとかわかれるのはたぶん大部分の昆虫少年少女と元少年少女だったら納得できるし、縞模様のあるのがトラで模様のないのがライオンといわれたら、たいていの人は納得します(骨格だけではトラとライオンの区別は専門家でも難しいと最近読んだ本にあったのでこの例を出しました)。生き物の認知度はその生き物の大きさがかなり影響しているような気がしました。

夕方、ばたばたと仕事をしていると、なにやらエントの皆が帰る様子でした。余計にあわてて仕事をしていると、PN君が、一緒に皆で食事に行きましょうと、誘ってきました。

珍しい。

私を誘ったのはともかく、エントの人たちと夕方に食事に出かけるのは初めてでした。皆でフォーを食べに行きました。アルコールはなしでした。

実は今度の日曜日は国際婦人デーです。ベトナムではこの日に女性に感謝の意を込めて、職場の女性に食事をおごったり、花を贈ったりするらしいです。それで、スタッフで食事に行ったわけです。私とPN君とDC君、男性は年の順に三人だったのですが、会計ではDC君がまとめて支払ってしまいました。PN君とどんな話があったのかはわかりませんが、私は私で何かした方がいいかも。

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2009年3月 3日 (火)

ジャーナルクラブでの発表と次年度のプロトコール

 今朝はフレラボでジャーナルクラブがあり、私の順番だったので、早めに起きてスライドを練り直してから研究所に向かいました。こちらに来てからためていた、蚊についてのおもしろそうな文献から、4月以降に自分が行う研究に比較的近いテーマの論文を紹介しました。幼非常に難しいけどなくてもストーリーがわかる部分は端折って、さらに重要なセンテンスはそのままスライドに載せました。本当はキーワードだけスライドに入れて後は自分の言葉で説明するのが一番いいのでしょうが、英語でのプレゼンですし、おまけに他人の研究なのでいまいち実感がつかめませんから、文章を読み上げる方がやりやすいのです。今日は発表の途中で適度に突込みが入ったので、こちらとしては説明しやすかったです。

 プレゼンの後で、HBさんとUCさんに共同研究者として私の研究計画について相談にのってもらいました。打ち合わせをする前にHBさんから、Y教授にUCさんのことについて伺いを立てておいた方がいいよ、と言われていたのですが、UCさんも私も大して気には留めませんでした。私が作ったプロトコールを元にいい感じで打ち合わせが終わったのですが、念のため、午後にY教授にUCさんに共同研究者として参加することについて伺いを立てたところ、NO! UCさんから分子生物学の技術を教わりたかったのに、ヒー、がっかりです。これから大変だ。

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2009年3月 1日 (日)

久々のベトナム料理のレストラン

 昼間にH1さんから、北大のA先生が今調査のついでにハノイに来ていて夕飯を一緒に食べるから、よかったらつのっち(H1さんは私のことをつのっちかピロさんと呼んでいます)も来ない、と誘われたので、食べ物屋の多い、チューベットボーン通りのシンサンというベトナム料理店に行ってきました。H1さんはいつもこの店の前を通っているので、今日の昼間に予約を入れに来たときもマネージャーにすっかり顔を覚えられていたそうです。

 スープに始まって生春巻きと焼春巻き、サラダとソフトクラブのから揚げ、鶏肉のから揚げ、ご飯とスープ、果物を腹いっぱい食べて、ビールを飲んでその後でワインを飲んで、一人30万ドン(1700円くらい)はかなりリーズナブルでした。

 この頃はベトナム料理というとバッチャンに行った時に昼飯で食べる鳥鍋だったので、久しぶりに美味いベトナム料理を食べた気がしました。ベトナムの鳥鍋は、鶏の頭から足の先まで全部鍋に入れます。足とか頭を椀によそってもらったり、自分ですくった時には失敗したー、といつも思ってしまいます。野菜はニンジンとタロイモ、青物はヨモギとか日本でいうと雑草が後から入るので、スープの旨みが後の方になると草のあくでなくなります。ベトナム人は鳥鍋が好きなようですが、私はもういい加減飽きていましたので、今日は胃のほうもリフレッシュした感じがしました。

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