« 2009年8月 | トップページ | 2009年10月 »

2009年9月

2009年9月28日 (月)

ホーチミン三週間出張

 サッカーは前回の乱闘事件でミーディングランド使用禁止令が出たのですが、ベトナム語の堪能なキャプテンのおかげでなんとかまた試合ができるようになりました。試合は2対0でベトナム人チームに勝ちました。しかし、このところ全く走っていなかったので、私はボロボロでした。

 試合が終わって速攻でアパートに戻り、研究所に行って蚊の卵の観察をして、ホーチミン出張に必要なサンプルと試薬をアイスボックスに入れて、またアパートに戻ったら待ち合わせのタクシーの来る30分前でした。仕事をしている間にやっておいた洗濯物を取り込んで、荷物を点検していたら、もうタクシーが来ていました。

 ホーチミンのいつも泊っているホテルに着いたら、泊るはずの部屋の窓が全開になっていました。空気を入れ替えていたんだ、と思って、窓を閉めようとすると、絨毯もベットもびしょびしょでした。

 窓の外は雨、雨が降ってるー(雨の物語 by イルカ)。古い歌ですみません。

 部屋を取り替えてもらって、試合の後に飲まなかったビールを今飲んでいます。明日から三週間、蚊からデングウイルスを取り出す方法を教わって、車に揺られて蚊を取りに行きます。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年9月26日 (土)

太っているともてる?

 ベトナムに来る直前、今から一年半前は体重が64kgでした。先月、ホーチミンから戻ってきた直後に体重をはかったら74kgでした。そういえば、ズボンをはくときウエストがきつくなったと感じていました。バイクに乗る機会が増えたせいか、歩く時間が少なくなったような気もします。 

 ひと月ほど少し夕食を控えるようにして、今月タイでもう一度はかったら71kgでした。もう少し減量しないと。

 ベトナムでは、太っている方が好まれると誰かから聞いたことがあります。痩せていると貧乏そうに見えると。確かにこちらに来て実感したことですが、貧乏で太っている人はほとんどいません。

 エントでいつもホーチミン出張の時に一緒に行動するS君はまだ25そこそこですが、かなり腹が出ています。彼に、ベトナムでは太っている方がいいのか、と尋ねたところ、マネージャーみたいで偉そうに見える、と答えが返ってきました。

 しかし、ベトナムでも糖尿病患者などがこれから増えてくるでしょうし、そうなってきたら価値観が変わってくると思います。

 太った豚より痩せたソクラテス。

 もうあと5キロ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年9月24日 (木)

日本のテレビドラマと目と足の故障

 先週、先々週は日本のテレビドラマのDVDを見ました。米倉涼子の「交渉人」、岡田准一の「SP」、萩原聖人とキムタクの「若者のすべて」(古かった)。どれも7万ドン(400円くらい)で買えるので、レンタルでなくてもお得です。「不揃いの林檎たち」とかも断片的にしか知らないので見てみたいですが、こちらのDVD屋には置いていないです。11月に一時帰国するのでその時に見ることにします。

 最近、急に、小さいボウフラが見えなくなったり、蚊の背中の模様が見えなくなったりします。年なのか、それとも暗い照明で本を読んだり、Hなネットを見たりして、目の使いすぎなのか。とりあえず、パソコンに向かう時、文献や本を読む時は明るくするようにします。

 それから左足が痛みます。走ると足首の周りが熱をもちます。これも日本に帰国したときに病院で診てもらおうと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年9月22日 (火)

フレラボでデング熱患者

 日本は今連休の真っ最中ですが、ベトナムは休日ではないので普段どおり、と言いたいところですが、朝、久々の大雨と雷だったため遅れて出勤しました。日本からのメールはほとんどなく、日本は明後日まで休みなので、事務仕事が滞っています。

 フレラボの一人がデング熱に感染しました。去年はサッカーのOさんが感染しましたので、デング熱はかなり身近な病気の気がしてきました。今年のハノイはデング熱の患者数が例年より多いそうです。患者のピークはいつも10月なのでこれからさらに増えるでしょう。

 明日からハノイで蚊の調査です。よく考えたら、結構危険な仕事ですね。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年9月18日 (金)

ベトナム人のハンカチと二十年後の民度

 日本では新型インフルエンザでの死亡が何人か大変そうです。今回のフォーラムでも圧倒的にインフルエンザ関連の発表が多かったです。ただし、最先端の発表なので私にはさっぱりわかりませんでした。今日の午前中はホテルの部屋で論文書きをしていました。

 ベトナムにも新型インフルエンザは入ってきているようですが、なぜもっと感染が広まらないのか不思議です。日本人から見たら衛生という概念が欠如していますから。

 オフィスやトイレの洗面台に多少気のきいたところですとタオルがぶら下がっています。そしてタオルが汚れたら新しいタオルを隣に掛けています。日本人の感覚ですとタオルの共有はウイルスの感染につながるので、衛生的でないと考えるのが常識ですが、ベトナムではまだそのような考え方は定着していません。

 ベトナムの女性はハンカチとかタオルを持ち歩きません。日本に帰った時にハノイとホーチミンのエントの人たちにハンカチをお土産に買っていったのですが、辞書でハンカチという単語を指して、これは何をするために使うのですか、と後で尋ねられました。外で手を洗って拭いたことないんだ、とわかると、こりゃ説明しようがないなと思い、とりあえず、涙を拭くときに使います、と答えておきました。

 フォーラムが終わり、ベトナム人の人たちと長崎から来た教官も含めた日本人スタッフと一緒に夕飯を食べました。庶民的なタイ料理店でしたが、そんなに騒がしくなく(一気とかやっていない)、店もきれいでした(床に残飯やごみを捨てる客がいない)。帰りに電車に乗ったのですが、切符の販売機が故障していたのが直ったとたん、自然と一列に行列ができたのには感心しました。まずベトナムでは我先に切符を買おうとするでしょう。

 ハノイは二十年後にはバンコクのようになるとあるベトナム人が言っていましたが、民度もそれと並行して上がっているのかとふと思いました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年9月17日 (木)

ジョイントフォーラム二日目

 今日は各拠点の代表者が自分たちの仕事の内容を紹介しました。我らがベトナム拠点はY教授が紹介しました。拠点を比べると、一番規模のでかいのが阪大のタイ拠点で日本人スタッフが十人くらい、それに同じくらいのタイ人スタッフがいるようです。その他の拠点は日本人が三人とかで、ベトナム拠点は規模でいったら中間くらいでしょう。フランスの本家本元のパスツール研究所からPBさんが参加していて、世界のパスツール研究所のネットワークとアジアにおけるパスツール研究所の歴史について講演をしていました。新たにラオスにも60人程度のスタッフが務める研究所を建設中だそうです。日本でも昨年、東北大学がフィリピンに、北大がタンザニアに海外拠点を作りました。昔はバイタリティのある研究者が個人的に海外に乗り込んで開拓していったようですし、実際、長崎大のベトナム拠点とケニア拠点は先人の苦労があったからこそここまでになれたと思います。まだまだパスツール研究所程ではないですが、日本も世界各地に研究拠点を広げつつあります。

 ポスターは何人かの人が見に来てくれました。新しい人と知り合いになれたのが何よりよかったです。

 夜のバンケットは途中で抜け出して、市場の二階にある食堂でトムヤンクンとカキの卵とじ、カニみその料理を食べました。どれもはおいしかった。私自身はポスターの準備でいっぱいいっぱいでなにもリサーチしていませんでしたが、今回の学会はかなりバンコクについて予習をした人が同行してくれるので助かります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年9月16日 (水)

バンコクでのジョイントフォーラム初日

 日本の大学の海外拠点の集まりでバンコクに来ています。いやー、ハノイとは違います。空港からホテルまでタクシーだったのですが、高速道路は羽田から千葉に向かう湾岸線を思い出すほど、道が広くてきれいでした。市内の道路もきれいで、広いし、何よりも人がどこからでも道路を横断することがないので、タクシーに乗っていても快適です。市内を走る電車もきれいで、5分おきくらいに来ますし、何より乗客がキチンとホームに並んで待っていたのが印象的でした。ベトナムではありえません。

 昼過ぎにホテルに到着したので、中心街に買い物に行きました。デパートも日本にいるのかと思うくらい、品ぞろえがありました。値段はチェックしませんでしたが、唯一紀伊国屋で買った本が日本の定価の二倍くらいでした。Y教授は二倍でも手に入るだけまし、と言っていましたが、確かにその通りです。

 夜の7時からレセプションがありました。料理が少しと飲み物だけだったので、終わった後で幾人かで屋台に行って、卵焼きをのせた焼きそばみたいなのを食べました。それからその店の名物のオレンジジュースを頼みました。どちらもうまかったです。

 いやー、いいですね。バンコク。

 ところで、今朝は6時15分に私のアパートでベトナム人のTさんとKちゃんと待ち合わせをしたのですが、目が覚めたのが6時20分で、やベー、と思った瞬間、Tさんからの電話が鳴りました。空港までの車中でずっと文句を言われました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年9月14日 (月)

サッカーチームのソフトボール

 日曜日、本来ならサッカーなのですが、日本人学校のグラウンドを借りてサッカー部でソフトボールをしました。遅れて行ったので、ろくに練習ができませんでした。

 早々と2チームに分かれて練習試合を始めました。守備のまずさを見抜かれたのか、ピッチャーに指名されました。山なりのボールしか投げてはいけないという、独特のルールがあったので、言われたとおりに投げたら、それが幸いして皆打ち損じるケースが多かったです。確かに、フアーっとした山なりのボールは打ちづらいです。

 試合は私のいたチームが勝ったのでビールをおごってもらえたのですが、ポスターを今夜中に仕上げなければならないので、真っすぐ家に帰りました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年9月13日 (日)

Vさんの送別会

 金曜日は、エントラボのVさんがさ来週から一年間日本に留学するので、皆をお昼に招待してくれました。周りがお金を出して送別会をするのではなくて、本人が全額持ちで招待するのがベトナム式です。エントだけでなく、うちと関係の深い動物学研究室のひと達も来ていたので、かなりの出費になったことでしょう。

 昼間ですが、飲む人は飲む人たちでかたまって、当然私は飲む方に入れられていました。斜め向かいに座ったおじさんに酒好きオーラが見えた気がしたのですが、案の定、ビールをコップ一杯飲み干すとウォッカを注文しました。彼はリケッチアなどが専門らしいのですが、英語はあまりできないようなので、仕事の話は全くできませんでした。その分、彼の周りにいた私とズック、ドックは飲まされました。

 来週バンコクで行われる、ジョイントフォーラムのポスターはまだ出来上がっていなかったのですが、ヘロヘロになってしまい、5時半きっかりに家に戻りました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年9月11日 (金)

ズックとドック

 昨日の夜はズックとドックと飲みに行きました。ズック(D君と以前書いていました)が来週台湾にまた戻るというので、じゃあ、しばらく会えなくなるから飲もうぜ、ということになりました。彼らは大学の同級生だそうで、(たまたまかどうかは知りませんが)同じ職場で働いています。仕事をそれぞれの立場で一生懸命にやって、お酒が好きで、オネエちゃんが好きで、冗談が通じるので、(彼らが私のことをどう思っているのかわかりませんが、)たぶん、いい友人です。いろいろディープな話がありました。

 ドックはJSPSの関連で11月に日本に1ヶ月間研修に行くそうです。日本に行ったら、チクングニヤを蚊から分離できるようになりたいそうです。中国、タイ、インドでチクングニヤ熱の患者が出ているのにベトナムではいないのはおかしいし、絶対に病気はあるはずなので、ぜひとも日本でトレーニングをしたいと言われました

 長崎大学が窓口となってベトナムから日本に1ヶ月間研修生を送り出すプログラムは今年度で終了です。バンメトートに行ったときに、ぜひ自分も日本に行って勉強したいとある人から言われたとことがあって、下っ端の下っ端にいる自分としてもできるなら何とかしたいなあ、と思ったことがありました。(ベトナムでは)優秀かもしれないですが、やる気のない人を送り出すより、とりあえず、わ(た)しはこれをやりたいんじゃー、という目的を持った人を送り出してやりたいのが、人情というものです。

 それにしても、ズックとドックの名前は、ムーミンのトフスとビフス(双子でいつも靴の中で寝ている)、(ちっちゃくなる光線を浴びてちっちゃくちっちゃくなっっちゃった)トムとジャック(いつもオフィスの引き出しにいる)を連想します。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年9月 8日 (火)

ファウルからもみ合い、乱闘、そして終了

 日曜日は貿易大と試合をしました。前半30分にFWで出たものの、二度の絶対チャンスのシュートはどちらもキーパーの真正面で、守備もボテボテでした。言い訳ですが、かなり暑かったです。ハーフタイムには口を利きたくありませんでした。

 試合は4対1でリードして、残りあと20分を切ったところで、味方へのファウルをきっかけにもみ合いが始まり、止めに入ったはずのベトナム人がいきなり殴りかかるわで、乱闘になりました。うちのチームは2、3人を除いて冷静だったのですが、残りの人は止めに入ると逆にベトナム人から殴られました。幸い、私は殴られずにすんだのですが。それにしてももみ合うたびに石を取りに行っていたデブのベトナム人には腹が立ちました。

 試合はそのまま終了となりました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年9月 5日 (土)

M君の送別会と自分の任期

 サッカー仲間で、日本に帰国するM君の送別会を木曜日にYamadayaで、プチ送別会を先週の日曜日に「うまかもん」で行いました。彼は丸一年の任期を終えて帰国するわけですが、他人事ではありません。7月に帰国した際に、「どこか次の当てを見つけたんか。」、とT教授から尋ねられて、「まだベトナムで結果を出していないのでもう少しがんばりたい。」、と答えたところ、「そら反対で、世間一般では結果を出していないから首切られるわけやろ。」、と切り替えされてしまいました。

 木曜日の帰りのタクシーは、久々にM君、キャプテンのT君、私の三人で帰りました。日曜日の試合の帰りや飲み会の帰りなどは帰る方向が同じなのでいつもこの三人でタクシーに便乗して帰ったものですが、私がバイクでサッカーに行くようになってから三人で帰ることはなくなりました。T君も今年の10月以降に転勤が決まったそうです。俺のベトナム生活はもがいてばかりで、まだ何も残していないな、とふと感じました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年9月 2日 (水)

昨年度のプロジェクトの検討会

 水がめに蚊の忌避剤をつけた蓋をすることでデング熱の患者減らそうという、昨年度のプロジェクトについての検討会をホーチミンのパスツール研で行いました。日本からわざわざKさんも来て、蚊の数の変化、住民の抗体価の変化などを討議しました。私はBGトラップで捕えた蚊の成虫について解析したのですが、蓋をすることで特に変化はありませんでした。一方、統計処理の方法に間違いがあったので今の時点ではっきりとは言えませんが、水がめを含めた容器にいたボウフラと蛹の数については違いが見られそうでした。これについては、後で解析し直します。住民の抗体価については蓋をすることで子供には効果がありそうだったのですが、いかんせん、サンプル数が少なくて、統計的な差は出ませんでした。とりあえず、なんとか一報は書けそうだということでKさんと納得しました。

 会議の後、ホーチミンパスツール研のウイルス部長のHさんに、蚊からのウイルス抽出について教えてもらえないか頼んでみたところ、快諾をいただきました。この返事を聞いてまたほっとしました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年9月 1日 (火)

オフサイドの一声で紅白戦に勝つ

 日曜日はベトナム人チームと試合をしました。この計画投資省チームには最近勝っていません。私は、右サイドバックで30分だけ出ました。久々の試合でバテバテでした。おまけに相手は速かった。何回かぶっちぎられました。試合は2対3で負けました。

 これで終わり、と思ったら、監督が隣のグランドを借りて、紅白戦をやりました。負けたチームがグランド代とビール代を払うので、真剣にやりましたが、それでも残り20分はもう走れず、声を出しているだけでした。私は1点を入れ、さらに味方バックスが躊躇するなか相手のオフサイドを大声で指摘したので、ゴールを決められた後でしたが相手の1点を取り消すことができました。おかげでなんとか勝ちました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2009年8月 | トップページ | 2009年10月 »