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2009年12月

2009年12月30日 (水)

2009年の十大ニュース

私の2009年十大ニュース

1.新たに媒介蚊調査を南部、中部、北部で始める

2.マスターコースの学生を対象にした英語でのダニ学の講義

3.バンコクでのジョイントフォーラム

4.サッカーの広州遠征

5.熱帯医学研修でのダニの講義

6.大分大学でのDNA研修

7.正月と旧正月をハノイで過ごす

8.バイクの購入

9.ギターの購入と再開

10.伯母が施設に入る

 今年は仕事に、プライベートに、自分にとって新しい場所へ行く機会が多くありました。そこでいろんな出会いがありました。また、ハノイにいても人と知り合う機会が多かった一年でした。皮肉にも離婚した頃から知り合いがどんどん増えているような気がします。

 去年はまだ地に足が付いていない感じでしたが、研究も授業も今年から本格的に取りかかった感じがします。発表や講義を行うたびに英語力の研鑽を実感させられました。

 経済的に多少余裕ができ、バイクを購入したために行動範囲がかなり広がりました。アパートと職場との間の徒歩5分の距離ですべて賄っていました。一年前の今の時期は少々引きこもりがちでした。バイクがあるおかげで気晴らしに食事や買い物に行けますし、タクシーやバイタクでの変な緊張を味わうことも少なくなりました。

 正直、人に会うのが億劫なときもありましたが、来年も引き続き、仕事でもプライベートでもへたれずに進んでいこうと思います。

 みなさん、来年もよいお年を!

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2009年12月29日 (火)

退職パーティーの後、締め出しをくう

 エント室長のYさんと、疫学部部長のHさんの退職パーティーが昼間にブラジル料理店でありました。以前タイに行ったときにYさんにはフレラボのスタッフにたくさんワインをカンパしてもらったので、昨日お返しにワインを買っておいて今朝渡しました。それから、長崎のKさんと私とで花束を奮発して二人に贈りました。Yさんはかなり喜んでくれて、それを見ていたらこっちまでうれしくなりました。

 宴会の方は所長以下お偉いさん方が遅れたためにスタートは遅かったのですが、始まるや否や次々に料理が運ばれてきて、皆腹がすいていたせいか席を立ってついで回ることもなく、穏やかに過ぎました。

 食事の後、日本人同士でホアンキエム湖畔のアイスクリーム屋へアイスを食べに行きました。NIHEに戻ったと思っていたエントの人達は皆で「アバター」を見に行ったらしく、アイスクリーム屋に着いたときと勘定を支払う時にD君から誘いの電話が入りました。土曜日の慰安旅行の帰りにも誘いがあったのですが、仕事があったのと腹を壊していたので、断りました。結局土曜日は上映時間に間に合わなかったようで、今日にしたようです。アイスクリーム屋に着いたときから時間がぎりぎりでしたし、そもそもアイスを食べに行こうと言い出したのは私だったので映画を見るのは断りました。

 しかし、Yさんを始め皆見に行ったようで、NIHEに戻っても誰もいませんでした、というか、鍵を守衛に預けないで出かけたらしく、彼らが映画を観終わって戻るまでまったく仕事ができませんでした。

 一年前は結構内緒で昼飯を食べに行かれて、やはり鍵を持って出て行かれたので締め出しをくったこともありましたが、声をかけられるようになっただけましでしょう。それにしてもイベントに誘うのがいつも急なのは何とかなりませんかね。

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2009年12月28日 (月)

飯抜きでかえって良かったかも

 昨日は下痢のせいで、ほとんど腹の中のものは出してしまいました。今朝もなんとなく食事がすすまなかったので、飯抜きで集合場所のデーウーホテルに行きました。サッカーをするのは広州以来ですから一月ぶりで、広州に来れなかった人達と一緒に試合をするのは二カ月ぶりでした。仕分けの話は皆知っているらしく(ブログを見ている人もいますし)、いつ帰国するの、と何人かの人から聞かれました。とりあえず年内に通達が来ることはないようなので、あと三ヶ月はベトナムにいることになります。

 試合はボールをかなり相手に支配されたのですが、3対3で終わり、その後に相手方の希望でPK戦が行われ、4対3で勝ちました。久々の試合だったので、中盤の30分だけFWで出してもらいました。とくに大ミスもなく、無難に試合を終えました。前日にあまり食べなかったせいか、体が軽かった気がしました。試合に出ている間スタミナがもったのが何よりでした。

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2009年12月27日 (日)

NIHEの慰安旅行

 金曜日の午後にエント室長のYさんから、NIHEの若い人たちが明日旅行に行くから、角田も行った方がいい、とお誘いしてくれました。私は若くないし、明日も蚊の卵の観察をしなければいけないからいいですと、いったん断ったのですが、ぜひとも行かせたいらしく、観察だったら自分が代わってやってやる、とまで言われたので、時間をやりくりして行くことにしました。

Rimg0020_2  実際に土曜日の朝NIHEの門に行ってみると、若手を中心に所長以下100人弱の人が集まっていました。子供や奥さん、旦那さんを連れてきている人もいて、さながら慰安旅行のようでした。ハノイ市内を西へ向かい、Bic Cを過ぎてさらに西へ1時間ほど進んで、最初の目的地に着きました。何でもベトナムの最初の王の墓がある場所で、かなりみすぼらしい博物館がありました。さらに奥にあったお寺に行きました。

 皆お寺巡りが目的だったらしく、一日で三つのお寺をまわりました。写真は最後に訪れたお寺です。

Rimg0019_2  朝から腹痛で、行く先々でトイレに立ち寄っていたほどでしたが、山頂にあるお寺に向かう道すがら木々の緑を楽しんだり、写真のような牧歌的な風景を見るのはハノイではなかなかできないことなので、来て正解でした。

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2009年12月26日 (土)

今年最後のフレラボの昼食会と雇用でのポジティブ思考

 ニャチャンに出張中のYさんを除くと、年内にフレラボのメンバーがそろうのは今日で最後なので昼食会を開きました。場所は前年の同じ時期の昼食会でUさんがベトナム人おやじからゲ○をかけられた店でした。8人がけのテーブルに10人も座らせられてきちきちでしたが、今回は他に問題もなく終わりました。

 長崎のM教授から、来年度からの有期雇用などについての教授会の内容がメールで回りました。任期内に筆頭著者の論文が一本もないとまず再雇用は無理で、学長裁量の特別手当などは業績で決まるそうです。

 自分が学生の時、それから公務員だった時、年功だけで給与が決まっていた当時の社会に苛立ちを感じました。私がまだ若くてお金がなかったせいもありますが、勉強をしなくなり、論文も書けなくなってしまった元研究者の人達になんでこんな大金を税金から支払っているんだろうと感じたからでした。

 かつて私が見ていた、おじさんたちの年に実際に自分もなりました。すっかり社会全体が変わってしまって、あたかもスポーツジムのランニングマシーンの上でずっと走っていなければならない状況になりました。おじさんだからスタミナは無くなってきたし、走るよりも早くサウナに入りたい気持ちはわからないでもありません。

 ですが、少し前までの自分がそうだったように収入のない人や、研究を断念するかぎりぎりの状況にいる人は今もたくさんいます。

 今自分が給料をもらって研究をできる環境にいるのは幸運です。とりあえず、論文を書かなければクビになるというネガティブな思考でなくて、論文を書いたらボーナスが増えるというポジティブな考えで行きます。

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2009年12月22日 (火)

ベトナムの老人を見て感じること

 日曜日にハノイに戻りました。ホーチミンでは昼間の気温が28度でしたが、ハノイは18度。結構寒いです。

 今日からハノイでの媒介蚊調査を始めました。

 家々を訪ねていて感じるのですが、昼間のせいか、お年寄りが一人で、もしくは孫たちと留守番しているケースが多いです。中には4世代の家もあって、一番年寄りのおばあさんなどはベットに寝たきりの状態です。嫁かもしくは娘のおばあさんが世話をしているのでしょうが、自分たちも年寄りなのに介護とか大変だろうな、と考えてしまいます。

 というのも、やはり自分の親もかなりの年ですし、介護施設に入っていた伯母がこのごろかなり衰弱してきたという知らせを家から受けたので、他人事には思えません。伯母はつれあいと早くに死別して、私が生まれる前に子供を連れて実家に戻ってきました。年が私の父とかなり離れているせいか伯母というよりも家の中では祖母に近い感じでした。

 いざ何かあったらという時に、やはり日本にいた方がいいと、こういう時に思います。

 

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2009年12月20日 (日)

うまいパンもだいなし

 ようやく今日で12月の南部の調査が終わりました。あとは2月にもう一回残っています。

 パスツール研に戻ってからの作業も早く進み、4時に仕事が終わったので、ひさびさに近くのお気に入りのパン屋へ行ってみました。

 なんたることか。店の中はベトナム人でごった返していました。高校生らしき若者が店の隅でパンを食っていて、部活帰りに立ち寄る店に変わってしまい、一年ほど前にベトナム人には敷居が高かった雰囲気はなくなっていました。

 パンを選んでいると、目の前にいたベトナム人おやじがおもむろにパンに手で触り、中身が何なのか確かめてまた戻しました。

 お前、何やってんだー。

 と、日本語で叫びましたが、伝わるはずもなく、会計を済ませていた奥さんの方へ歩いて行きました。

 別に、ベトナム人は店に来るなとは言いません。けど、直接パンに手で触って戻すのはやめてほしい。店員も見ていたら注意してほしい。常識のないベトナム人のせいでうまいパンも店の雰囲気もだいなしぞな。

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2009年12月19日 (土)

コウモリ、その後

 今朝、4時くらいに部屋の中が騒がしかったので目が覚めました。見ると、コウモリが部屋の中を飛び回っていました。コウモリですから音を立てないで飛ぶのですが、時々壁にぶつかってごつごつ音を立てていました。

 夕方、ホテルに戻って浴室を見たときには姿が見えなかったのでいなくなったと思っていたのですが、部屋のどこかに潜んでいたのでしょう。

 例によって力尽きてきたのか、また低空飛行になってきたので、窓を開けてやると、何度か窓の前で旋回を繰り返してから、ようやく明けの空に飛び立っていってくれました。

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2009年12月17日 (木)

朝食にも縁起担ぎ

 調査に出発する時間がだいたい朝の5時とか6時なので、いつも途中で朝食を取ります。たいていはフォーとか麺類が多いのですが、昨日の朝はフォーの店と普通の飯屋が二軒並んでいるところで朝食を取りました。

 Lさんが、どっちにしますか、と尋ねたので、フォーにしますと答えると、他の人達はいつも麺類だと縁起が悪いのでご飯にするそうです、との返事が戻ってきました。彼女自身、隣の店からおかずをのせたご飯を取りよせて、私と一緒にフォーの店先で食べました。

 栄養が偏るとか、毎日麺だと飽きるとかだったら話はわかりますが、アンラッキーだというのは日本人には理解できません。しかし、そこがいかにもベトナム的です。

 ラーメン大好き小池さんなんて、ベトナム人にしたらかなりアンラッキーな人なんだろうか。

 結局、お昼は麺類でした。

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2009年12月16日 (水)

ホテルの浴室にコウモリ乱入

Rimg0018_2  ようやく調査も三分の二が終わって、ホテルに戻ってゆっくり湯船につかっていると、突然浴室の天井でガサガサと音がしました。いやだな、ゴキブリでも落ちてくるんだろうかと、天井を見上げると、なんとコウモリが飛び回っているではないですか。

 仕事柄、コウモリには寄生虫が多くて、いろんな病気を持っていることを知っているので、浴室の窓を開けてさっさと出て行ってもらおうとしたのですが、浴室内を飛び回るだけでちっとも出て行ってくれません。

 そのうち疲れてきたのか、私の頭すれすれに飛ぶようになったので、手で追い払おうとすると、また少し持ち直して高いところを飛び回っていたのですが、ついに体力が尽きたのか天井の板の継ぎ目にへばりついて飛ばなくなりました。かなりお疲れのようですが、朝までに出て行ってくれるといいのですが。

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2009年12月14日 (月)

下痢で朝食をとれず

 昨日から腹の調子が悪かったのですが、今朝はさらに下痢がひどくなっていました。パスツールエント室長のLさんに電話をかけて、休もうかとも一瞬考えたのですが、結局、調査に出かけました。行き帰りの車ではずっと寝ていて、皆途中で朝食をとったのですが、私は食堂のトイレに直行しました。とりあえず温かいお茶だけ飲みました。私が朝食を取らないのをLさんが心配して、薬を買ってきてくれました。

 仕事はエントで問題のある人と一緒に回ったのですが、彼は二人で作業をする分にはちゃんと仕事をするので、あまりストレスを感じませんでした。昼飯はご飯を食べたくなかったので、フォーにしてもらいました。腹は午後から徐々に回復しました。

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2009年12月13日 (日)

フォレストガール

 我々のプロジェクトのメンバーがホーチミンに来た際にいろいろ手配をしてくれる、パスツール研のTさんはまだ独身です。フレラボのHさんが、彼女についてよくフォレストガールと叫んでいたのを思い出したので、本人になぜフォレストガールなのか、先日尋ねてみました。

 彼女の実家はカンボジアとの国境に近い場所なので、てっきり野生児だったからだと考えていました。彼女の説明ですと、Hさんにボーイフレンドはいるのですか、と尋ねられた時に、私のボーイフレンドは今森の中で迷っていて、私のもとへ出てこれません、と答えてから、そう呼ばれるようになったそうです。

 しかし、日本人なら、今彼氏がいないんです、とか、彼氏がいないのでいい人紹介してくれませんか、とか答えるところです。それが、さしずめベトナムだったらジャングルでしょうが、森の中で迷っている、と答えるところが、勝気というか、プライドが高いというか。

 樹海だったらそのまんま出てこれないぞ。

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熱帯医学の勉強に来た女子学生

 9日からホーチミンに来て、いつものようにベトナム南部の蚊の調査をしています。今回は最初のBinh Du'o'ngの調査にKM大から医学部の学生さんが参加しました。

 そもそも10月に突然、熱研の総務から、その方からのメールが私の宛名で届いて、どうしたものでしょうか、と相談をされたのがきっかけでした。メールを読んでみると、熱帯医学を勉強したいという意欲が伝わってきたので、総務と再度連絡して、旅費・宿泊費は出せないこと、事故が起きた場合大学側は責任を取れないこと、を本人に確認して来てもらうことにしました。あとで、どうして私にメールをよこしたのですかと本人に尋ねたところ、熱研の先生でメールを公開しているのが私だけだったからだそうです。以前、ダニのことでブログに問い合わせがあった時、研究や教育に関する問い合わせはメールを通すのが本筋な気がしたので、熱研の研究室のプロフィールの所にアドレスを載せておきました。私でなくても熱研の先生ならだれでもよかったと思いますが、自分の将来のことについて考えている若い人が、現場を見る機会を作ってあげられたのですから、良しとします。

 さて、そのKM大のHさんですが、英語も全く問題ないし、同年代の女性同士の方がいいと思ったので、現場ではTさんと一緒に回ってもらいました。午後パスツール研に戻ってからは蚊の仕分けを手伝ってもらいました。ダニや蚊の話をメモに取り、後でノートに整理して、自腹で来るだけあって、終始かなりやる気モードでした。ここに来る前にインドで熱帯医学の現場を見てきたそうで、そのためのお金はバイトで貯めたそうです。私の後はニャチャンへ移動して、Yさんのプロジェクトに一週間参加します。もともと熱帯の医療現場に興味があったようですが、蚊を毎日採って、それをじっくり見る機会なんて、おそらく今の医学部教育ではなかなかないでしょうから、将来どのような道を進むにせよ、いい経験ができたことでしょう。

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2009年12月 8日 (火)

広州遠征

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 週末は、サッカーチームの遠征で広州へ行ってきました。といってもハノイジャパンからの参加者は7人で、あとは今回の取りまとめ役であるSGさんの前にいたチームから5名の方が参加した混成チームでした。土曜の朝8時25分のフライトで広州へ飛んで、宿泊先のホテルで着替えた後すぐに近くのグラウンドに移動しました。広州市は中国第三の都市であることすら知らず、空港が成田級であることに驚き、市街地に向かう高速道路が湾岸線並みに広く、整備されているのに感動しました。ベトナムだったらバイクが逆走していますから。でも、完全にベトナムから来たお上りさん状態でした。写真は試合を行ったグラウンドです。超高層ビル群に囲まれています。試合は4対0で負けました。

 試合の後で、広州チームの人達と懇親会を兼ねて夕食会を行いました。広州料理はおいしいはずだったのですが、試合中に相手とぶつかった際に顎を強く打って、あまり口を開けることができず、料理を堪能できませんでした。白酒と呼ばれている中国版焼酎の一気もありましたし。一次会の後は皆ダッシュで二次会のカラオケに行きました。

Rimg0008_3 翌日は、皆で飲茶を食べに行きました。昨日より少し口が開けられたので、今度は堪能しました。帰りのフライトまでは自由時間だったので、私は地下鉄で越秀公園に行って散歩をしたり、博物館を見学したりしました。写真は五羊仙庭という、五人の仙人が乗ってきた羊の像です。足に疲れが残っていたので公園をゆっくり散策してたらいつの間にか4時を過ぎていました。

Rimg0016  写真は、孫文を記念して建てられた、中山記念堂です。手前に立っている銅像が孫文です。

 試合を行った競技場といい、越秀公園といい、市街地に緑が多く、地下鉄やバスも整備されていて、住みやすい印象を受けました。

 いつもは必ず蚊の観察があって、土日も仕事をする毎日ですが、今回はアシスタントの人に観察を頼んで、パソコンも持たず、つまりメールのチェックすらせず、完全に休養しました。

 たまにはこういう週末があっていいものです。

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誕生日祝い

Rimg0003_2 12月1日は私の誕生日でした。誕生日祝いにフレラボのベトナム人スタッフの女性三人からもらったのが右側の黒いポシェットです。フィールドで蚊の調査をするときに使ってと、渡されました(涙)。

 ベトナム式ですと本来なら誕生日に私が御馳走しなければいけないのですが、あいにくその日は日本からハノイへの移動日でしたので、翌日皆で昼食を食べに旧市街に行きました。ホアンキエム湖近くの店でワンタン麺を食べて、その後アイスを食べていると、物売りのおばちゃんたちがやってきて、タバコやら雑誌やらを売りつけてきました。「フィールドへ行くときについでにこれもかぶっていけ。」と、Hさんがおばちゃんから買ってよこしたのが、ノンと呼ばれている、ベトナム版陣笠。ベトナムの女性が外で作業するときに帽子代わりに使います。しかもあごに掛けるひもがピンク。うーん、これかぶって作業していたら目立ちます。

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2009年12月 4日 (金)

成田からハノイへ

 研修が終わって、成田からハノイに戻りました。成田では朝11時のフライトだったので、前日は千葉港のホテル「オークラ」に泊りました。20日前に予約すると素泊まり5千500円で泊れるので、かなりお得な感じがありました。千葉駅も東口はそれほど変わりはないですが、西口はだいぶ変わっていました。東口から千葉公園に向かう途中に「風月」という、定食屋があるのですが、そこで夕食を食べました。この店には衛研にいたときに、組合のTHさんやYさんによく連れてきてもらいました。安くて魚がうまかったのですが、再開発で店も小奇麗になったせいか、値段が高くなった気がしました。店のマスターがTHさんの電話を調べてくれて、ひさびさにTHさんと話をしました。

 成田ではまた10キロ重量オーバーになったのですが、本をリュックに移してなんとか甘くみてもらいました。荷物の重量制限はもう10キロくらいゆるくならないもんだろか。

 飛行機の乗ると、ベトナム航空のもの悲しげな音楽が耳に入って、ハノイに戻るのだなあ、と実感しました。

 ハノイに戻ってから、スイカを探したのですが、見つかりません。第二空港ビルの改札を出たあたりか、第二空港ターミナルでなくしたのかもしれません。電話で問い合わせてみたのですが、見つかっていません。

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