« 2009年12月 | トップページ | 2010年2月 »

2010年1月

2010年1月31日 (日)

Rimg0014_4 乾季のはずなのに昨日雨が降ったんだろうかと思いきや、さにあらず。潮が満ちて川が増水、氾濫して床上浸水になったそうです。毎月二回、この地域では潮の満ち干で川が氾濫するそうです。昨日家の中に蚊をとるトラップを置かせてもらったので、犬のうんこやごみや何だかわからない、病気になりそうな水の中をサンダル履きでじゃぶじゃぶと取りに行きました。

 千葉県の職員住宅に住んでいたときに、共用入口の排水が悪くて大雨のたびにズボンをまくって出勤していたのですが、アスファルトでしたからそんなに汚いとは思ったことはありませんでした。でも、ベトナムですと正直、躊躇します。仕事で、自分が先頭切って入っていかないといくらベトナム人でも付いてこないと思うからやっているわけで。

 私の実家は田舎で、家を放れてからは貧乏暮らしもしてきましたが、ここの住民にとっては私なんか日本のもやしっ子に見えるかもしれません。

 それとは関係ないと思いますが、トラップを取りに行った家のおじさんが片言の英語で話しかけてきたと思ったら、いきなり目の前で指三本で腕立て伏せを始めました。私に、どうだ、といわんばかりだったので(こう言われたらやるしかないですか)、指四本でお返ししました(負けてるじゃん)。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年1月30日 (土)

テト中の予定

 二月中旬に旧正月がありますが、その間はさすがに仕事をベトナム人に頼むわけにはいかず、今年も私がNIHEに出かけてボウフラや蛹のチェックをします。けど、ホーチミンには来るわけも行かずと思っていましたら、今日、パスツール研のL室長さんが、テト休暇中の当番表を見せてくれました。研究員の誰かが毎日出てきて、蚊の世話をするので、心配しなくていいですと(涙)。

 じゃ、ハノイはどうなんじゃ。

 一週間ほど前に、たぶん他の施設に転勤した警備のおじさんとNIHEの構内でバッタリ会いました。

 テトー(旧正月のこと)、テトー。と言われた後、酒を飲むしぐさをしていました。

 去年は、午前中作業をした後で鍵を返しに行くと必ず警備の人達に呼びとめられ、鍋をつつきながらウォッカを飲まされました。

 ハノイには私を待っている人がいたか。男だけど。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年1月28日 (木)

事務仕事に追い立てられる

 昔、国の試験研究機関に勤めていた先輩が職場の独立法人化に伴って、これでようやく年度末に無理に予算を消化しなくてすむ、と言っていましたが、蓋を開けてみると、旧国立大学は少しも変わっていません。今年は事業の最終年度なので例年よりも早めに旅費やら何やら届け出しなくてはならず、自分の出張や他の人の訪越をサポートすることにここ数日時間をとられています。今週は一人、三月には二人、エントの関係者がベトナムにやってきます。

 4月以降の予定が全く立たないので、とりあえず新ボスに、来年度の私の境遇はどうなるのでしょうか、と、恐る恐る問い合わせたところ、とりあえず、4月の学会で発表して下さい、とだけ返事がきました。

 急いで講演要旨を書いてメールで共同演者に送信し、OKをもらったところ、再びボスから、緊急、電話下さい、とのメッセージが届いていました。こわごわ電話をすると、今度は、来年度のベトナムでの研究計画を明日までに提出して下さい。

 何とかします。

Rimg0013_3  今日訪問したビンドゥンの家の木になっていたジャックフルーツ。奥に写っているのはこの家のおばあさんで、我々が検査した後で家の前にある祭壇の花瓶に水を入れています。

 今日も現場は暑くて、Tシャツで作業をしました。

 一年中果物はなっているし、外で寝ていても凍死することはありません。

 仕事のストレスとかってわかってもらえないかも。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年1月27日 (水)

一月のハノイの媒介蚊調査

 先週やり残した蚊の調査を午前中にやりました。GPSが一台しかないので、一通り終わった後で別のチームが調査した家をマークして回らなくてはなりません。今回もマークして回っていると、一軒だけうちのチームが調査した家と重なっていました。先週の調査中に訪問する家がかぶりそうになったので注意したのですが、いかんせん、私の英語力でうちのスタッフに伝えてから現地のおじさんに伝えるのはむずかしいのを実感させられました。

 調査する地域を毎回ずらしているので現地のおじさんは毎回変わるのですが、次回からこのようなことがないようにうちのスタッフに注意しておきました。さらにもう一軒余分に調査しておきました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年1月25日 (月)

今週末はカメラさん

 金曜日も雨だったので、蚊の調査は来週の火曜日に延期しました。

 土曜日は霧雨。日曜日だけは雨が上がりました。日曜日はデーウーホテルで長崎大学の公開講座がありました。新型インフルエンザとデング熱に関する講演があったのですが、どちらもわかりやすかったです。お客さんは30人くらいでした。やっぱもっと知り合いが来てくれないときついです。去年は前日にNIHEで研究集会があったので他の拠点の先生方が来てくれたのが大きかったです。

 今日はハノイ日航ホテルでランチョンミーティングがありました。私は昨日今日とカメラ係でした。でも、学会とかオフィシャルな食事会の写真って、堅苦しいから、あまり面白くないし、面白くないからあまり撮らないというパターンになります。普段なら10枚くらいしか写真を撮らないのですが、フレラボのHPにアップするらしいので、私としては多めに撮っておきました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年1月22日 (金)

落ちていた免許証

 朝からずっと雨が降り続きました。今日も蚊の調査だったのですが、昨日仕掛けたトラップを回収しただけで現場から戻りました。

 今日も忙しくなると思っていたので、少しまったりした気分で事務仕事をしていると、フレラボの日本人の同僚から電話が入りました。

 「なにか、すごく大切なものを落としませんでしたか。」

 なんだろう。パスポートがとっさに頭に浮かびましたが、家に置いてあるはずだし、今日現場から戻った時には自分の持ち物は全部オフィスに運んだし。

 「とりあえず、気がついたら取りに来てください。」

 同僚の話し方に、なんてもったいつけるんだ、と腹も立ちましたが、とりあえず何を落としたのかさっぱり分からぬままオフィスに行ってみると、私の免許証を渡されました。話によると、JICAのOさんがハイテクセンターの玄関で拾ったそうです。

 え、これ、更新をするために秘書のTさんにだいぶ前に渡したはずじゃないか。

 その免許証をTさんに見せると、代筆屋がなくして探し回っていたらしいです。

 そういえば、年明け早々に彼女に免許の更新手続きを頼んであったのですが、先日、所長の決済がなかなか取れないので免許証の更新はテト明けになるかもしれないと言われて、冗談じゃない、早くしてくれと、せかしたのでした。

 それにしても、免許証が我々のオフィスがあるハイテクセンターの玄関に落ちていて、しかも拾ったのが日本人の人でよかったです。そして、お客の免許証を落としていく代筆屋、所詮ベトナムのサービス業だと感じました。とりあえずすぐにOさんの所へお礼を言いに行きました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年1月19日 (火)

また下痢になる

 風邪気味だったので昨晩は早めに寝たのですが、腹が痛くなって10時過ぎに目が覚めました。ひどい下痢でした。30分位の間隔でトイレに行って、12時過ぎには固形物がなくなって液体だけになったのですが、それでも1-2時間おきにトイレに行きました。さすがに肛門が痛くなりました。

 今朝は下痢が止まったので、ハノイ市内の蚊の調査に出かけました。私が責任者ですし、調査の後にもいくつか用事がありましたので。おかげさまで腹の方は午後にはすっかり治りました。

 しかし、ここのところ毎月のように腹をこわしています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年1月18日 (月)

紅白戦と充電したい気分

 日曜日は久々にサッカーをしました。ベトナム人チームが相手でしたが、2対0で負けました。かなり人が多かったので15分を二回出ただけでしたが、二回のシュートチャンスをトラップミスで逃しました。とほほ。試合後、紅白戦を行いましたが、こちらはどうにか動けて1点を決めることができました。

 いつ日本の戻るのですかと、いろんな人から聞かれるのですが、まだはっきりしません。帰国でもベトナムに延長でも4月以降に住む場所を決めなければなりませんから、2月くらいには決めてほしいです。本心を言うと、日本でもベトナムでもどちらでもよくて、ただ無職になるのを避けたいです。

 4月までに健康休暇とT教授の退職パーティーで二回帰国します。今のアパートには浴槽が付いていないので温泉で湯治でもして二年分の疲れを癒したいですし、日本には訪れたことのない場所がまだたくさんあるのでこういう機会に行ってみたいです。ここのところモチベーションが下がってきているので、充電したい気分です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年1月14日 (木)

群馬のお土産とベトナム人とのコミュニケーション

 実家に帰った際に、フレラボの人達にも持って行けと、母親から山椒のつくだ煮とかおからとかを持たされました。私の家は赤城の大沼から流れ出た川が作った谷間にあります。

Rimg0001  家から見た隣近所の風景。

 山椒の木は私がまだ小学生の頃に母が山から引っこ抜いてきて、庭に植えました。毎年春になると母は朝5時ころから近くの山から遠くの草津や新潟の湯沢まで、山椒やぜんまいを取りに行っていました。山菜を取って、家に戻って夜の10時とか11時過ぎまでぜんまいの綿をその日のうちに取ったりして下ごしらえをしていました。あとで時間のある時に調理するのですが、結局ほとんど近所の人達におすそ分けしていました。山に入って、山菜を取って、人に上げるのが本人にとっては当人には喜びだったようです。今は年を取り、おまけに足を悪くしてるので、わざわざ遠征に出ることはしなくなり、庭に植えてある山椒の葉を摘んで、料理しています。

 前回はフレラボの日本人スタッフへのお土産は母の手作りこんにゃくだったのですが、今回の山椒のつくだ煮とおからも皆に好評でした。日本にいるときにはわからないのですが、おふくろの味を味わえるのはすごく幸せなことかもしれません。

 家に帰るときは、成田や羽田からとりあえず上野駅に出て新幹線に乗って高崎駅でいったん降りるのですが、今回高崎駅でベトナムへのお土産に「旅がらす」というお菓子と小さいだるまを買いました。旅がらすはベトナムにも同じようなお菓子があるので、ベトナム人スタッフにも好評でした。だるまはフレラボの3人のベトナム人スタッフにあげました。

 一応、願掛けする際にだるまの片方の目を入れて、願がかなったときにもう片方の目を入れると、拙い英語でベトナム人の女の子たちに説明したのですが、今日Tさんにどうしたのか聞いたところ、

 目が小さかったので、書ききれずにほっぺたの辺まで書いてしまった。

と、答えが返ってきました。

 えっ。違う、目の玉を書くんだ、と言いなおしたのですが、目を描く(draw)でなくて書く(write)と説明した私も悪かったのかも(汗!)。目玉でなくて汗か涙みたいなベトナム語になってしまったわけね。

 こんな時外国人とのコミュニケーションてつくづく大変だと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年1月13日 (水)

日本にもいた

Rimg0003_3 実家の最寄り駅から見た風景。遠方に見えるのが榛名山。

 正月と先週、実家に戻っている間、家族や親せきにベトナムの話をしました。

 先週、湯灌のため、父の運転する車で葬儀場に向かっているときに、着任早々、公園で排泄しているおやじを目撃したことを両親に話しました。「本当にまだベトナムにはそういう人がいるんだよ。」と言いながら窓の外を見ると、県道から少し入ったところにあるアパートの前で黄色い服を着た人が歩いていたのですが、いきなりこちらに尻を出してしゃがみました。

 絶句。というか、タイミングがいいというか。

 群馬にもそういう人がいたのでした。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

伯母の告別式

 私の実家は赤城の山麓にあります。祖父の葬儀は自宅でしたが、父が葬祭業の会社に勤めているので、父の勤務先である前橋市の葬儀場で伯母の湯灌と告別式を行いました。

 土曜日が湯灌で、日曜日は告別式でした。「送り人」では湯灌などをする人が描かれているそうですが、遺体を棺桶に移したり、杖を棺に入れたりと映画を見るよりも先に実際に参加しました。生前伯母から、私が死んでも来ない、と言われていたので、「男の方、ご遺体を移しますので手を貸して下さい」とか、「ご棺を車に移しますので、手を貸して下さい」とか言われると、真っ先に加わりました。

 日曜日には近所の人達をはじめ、親戚や昔伯母や父と親交があった人が遠路わざわざ来てくれました。昔一緒に遊んでいた一学年上の子も、近所のお兄さんも、いとこも、皆すっかり老けこんでいて、あれーあの人誰だっけ、という人が多かったです。そういう自分も老けたと思いますが。体型はともかく、人相がすっかり変わっていたりすると、自分の人生を顧みたりします。顔の良し悪しはどうにもなりませんが、人相は年月とともに変わるのを実感します。かといって私は易とかできません。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年1月 7日 (木)

伯母の訃報

 この前ハノイに戻ってきたばかりですが、また日本に帰ります。今朝、伯母が亡くなりました。10時頃に妹から電話がありました。急いで秘書のTさんに航空券を取ってもらい、明日の深夜の便で群馬に帰ります。暮れに病院に行ったときに覚悟はしていましたが、あまりにも急でした。

 私の離婚が伯母にとってかなり心の痛手になったのに気づいたのは、一昨年帰った時に、両親がいなくなった居間で、「私はたかちゃんが、かわいそうでかわいそうでならねえ。」と、まるで子供がするように手で涙を払いながら言われた時です。結婚して早くにつれあいに先立たれたせいか、私のことがなおさら不憫に思えたのかもしれません。そう言われたときに、私はその場から逃げました。90歳を過ぎた老人としては、粉飾がなくてあまりにもストレートでしたので。本当に申し訳なかったのですが、本人からは恨まれました。あとで母から、「私が死んでも葬式には出ないと言ってた。」と言われました。それだけ、私の対応が冷たくて、寂しかったのでしょう。私と伯母との関係では私は子供です。甘えかもしれませんが、私は自分に正直な反応をしてしまいました。

 愚痴めいた話ですが、私のブログなので勘弁して下さい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年1月 5日 (火)

急激な近代化と衛生概念の鈍いベトナム人

 エントラボがあるハイテクセンター一階の男子トイレで掃除の女性が時々シャワーを浴びていることはずいぶん前に書きました。最近は、大きい方の用を足そうとトイレに行くと、中から携帯で話をしているベトナム人女性の話声が聞こえてきます。

 今日は運よく空いていたので用を足そうとしたところ、便座に足跡が付いているではありませんか。洋式トイレなのに和式スタイルで用を足しているようなのです。非常に清潔なのか、それともあまりにも田舎者で洋式トイレを知らないのか。

 お昼に皆でブンチャーという焼き肉入り麺を食べに行ったところ、トッピングでつけ足されたもやしを手にとって、「ツノー」、と意味もなく私に見せつけてからそのまま皿に戻したエントの若手に、「戻すなー。」、と注意したところ、最初は本人も含めてベトナム人スタッフは意味がわからなかったようでした。どう考えてみても、ベトナム人に清潔すぎる人はいません。

 フレラボでこの話をしたところ、Hさんが言うには、これでも昔に比べてましになったそうです。以前は、紙はないし、トイレの器具を盗んでいく奴がいたので、いつもトイレに鍵がかかっていて、トイレに行くには必ずベトナム人の誰かに声をかけて一緒に来てもらって鍵を開けてもらっていたそうです。

 トイレに行くにもいちいち許可を得なければいけないとは、モーガンフリーマンが「ショーシャンクの空に」で演じていた囚人みたいです。腹をこわしていたらどうするんだ。

 ベトナムがあまりにも急激に近代化しているので、中には付いていけない人がいるのだと解釈することにします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

成田空港で見かけた芸能人と長崎大初仕事の原稿への返答

 帰国の際に成田空港の本屋でお土産に買う雑誌を物色していたら、「上を向いて歩こう」を隣で口ずさんでいる人がいて、誰かと思ったらウォーキングエクササイズのデューク更家でした。派手な服装で、ロングブーツを履いていて、どう見ても一般の人には見えませんでした。少し地味にして、オーラをなくせば、フレラボのHさんがそっくりなことにハノイに戻ってから気がつきました。それにしても、鼻歌も職業に関連するとは、流石です。

 8月に投稿した論文の返事がまだ戻ってこないので、エディターにメールを出したところ、すぐに返事がきました。一人のレビュアーからは好意的な返答が来たので、おおむね論文を通す方向で考えています、という内容でした。添付されたコメントの日付を見ると、このレビュアーは一週間以内に返事をよこしたようでした。もう一人はまだみたいです。やっと長崎大に来てから行った仕事が論文になりそうです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

実家での正月とボケについて

 31日から3日まで実家の群馬に帰っていました。紅白を見て、初詣をして、初日の出を見て、元日と2日はほとんどテレビを見ていました。あとは兄と妹が来たので話をしたり、甥とキャッチボールをしたり。31日には伯母の様子をみに父と病院へ行ってきましたが、意識がなく、点滴で生きながらえている状態でした。父は万が一の時のためにこの二週間は晩酌をしていないそうで、正月もノンアルコールビールを飲んでいました。

 ボケるというのは死ぬことの恐怖から逃れるために、神様が授ける引導だと、ある漫画に書いてありました。家族の苦労はさておき、うまいこと書いてあるなあ、とその時思ったのですが、逆に、死に対峙できる人はボケずに死ぬのか、とあとで考えたりしました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2009年12月 | トップページ | 2010年2月 »