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2010年2月

2010年2月26日 (金)

高知城、桂浜、四国カルスト

Rimg0027_3  Kさん夫妻に高知市内のお薦めポイントを聞いたところ、高知城でした。写真は追手門から見た天守閣です。こちらは60万石ですから昨日の宇和島城とはやはり違います。山内一豊や妻の千代の像、幕末にかかわる人物の展示などがありました。

 私は高所恐怖症ではないのですが、ここの天守閣の上から下を見降ろした時はなぜか知りませんが、かなり怖かったです。

Rimg0031_2  こちらはがっかりポイントだと教わった、はりまや橋。川も流れてないのに、赤い小さな橋が歩道の片隅にひっそりと掛っています。時間がもったいなかったので信号待ちしているときに車の中から撮りました。

Rimg0034  高知といえば外せないのが、桂浜。竜馬の銅像を拝んでから浜に降りました。きれいな砂浜でした。ただし、波が荒く、夏でも遊泳禁止らしいです。「龍馬伝」効果でしょうか、平日だというのにかなり観光客がいました。右手奥には水族館があります。ウミネコとか展示しているのがちらと見えました。

 桂浜から、天狗高原に向かいました。そのまま、五段高原を走り抜けたのですが、あいにくの霧で、あまり四国カルストの景色は見えませんでした。

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佐田岬、宇和島城、須崎、高知

  朝7時半にホテルを出て、佐賀関のフェリー乗り場に向かいました。有料道路を通ったので、約一時間で乗り場に着きました。四国からの帰りも大分で同じホテルに泊まることにしたので、往復の乗船証を買いました。車を運転しているとき以外に読もうと思ってベトナムから持ってきた本を読んでいたら、1時間ほどで佐田岬の三崎に着きました。

Rimg0022_2  まず、向かったのが宇和島城。藤堂高虎が創建し、仙台は伊達氏の分家が代々ここ宇和島藩を治めてきました。小さいけれども、それなりの天守閣です。

 宇和島から本当は四万十川を下るコースを予定していたのですが、カーナビの設定がまずかったため、宿毛市を通るコースになっていました。結局、四万十川を渡るには渡ったのですが。

 夕方、須崎市にいる友人Kさんを尋ねました。彼とは房総でシカ調査をやっていたときからの知り合いで、十年前に彼が今の職を得てから会っていませんでした。彼は高知市内に奥さんと子供二人と住んでいるので、飲むのも高知市内にしようということになったので、須崎に予約しておいたビジネスホテルはキャンセルしました。高知市内のホテルはどこかは空いてるはずだというので。が、ネットで検索しても、電話をかけても、明日国立大学の入試があるそうで、どこも満室でした。仕方がないので、Kさんの家に泊めてもらうことにしました。

 車で一時間かけてKさんのいる県営住宅に行き、Kさんの家の近くの居酒屋で二人で飲みました。10時近くなったのでそろそろ帰ろうかと、お勘定を払おうとしたら、後ろで、バタン、という音が。Kさんがうつぶせに倒れて、鼻と顎から血を流していました。一時的に気を失ったようでした。とりあえず、少し落ち着くのを待ってからタクシーで帰りました。

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大宰府、湯布院、別府、大分

  健康診断と休暇のため、日本に帰国しました。今年の正月に帰った時にしか休暇らしきものを二年間取らなかったので、今回は思い切って二週間の休みを取りました。二月に入ってからベトナムがらみの事務処理が一つ入ったのですが、いいでしょう。

 福岡空港近くのレンタカー屋で車を借りて、まず向かったのが、大宰府天満宮でした。

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 天満宮近くの駐車場のおばちゃんに勧められたのが、国立九州博物館でした。建物だけでも一見の価値があると。天満宮の敷地からエスカレーターに乗って丘の上に出ると、ガラス張りのなんじゃこりゃ、と言いたくなる、ばかでかいガラス張りの建物がそびえたっていました。今は企画展として妙心寺展をやっていました。

 企画展はともかく、常設展も工夫を凝らしてあって、ボランティアのおじさん、おばさんの数も多くて、力入っているなあと感じました。

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 参詣路で梅が瀬餅を食べて、天満宮でお参りをしました。今回は四国の友人を訪ねるのが目的の旅ですが、なるべく下道を通った、寄り道の旅にしようと思いました。これは、由布岳です。日田から湯布院を抜けて、別府で、市営の永石温泉に入りました。こういう地元の人が入るようなひなびた温泉が私は好きなんです。とりあえず二年間のベトナムの垢を落としたかった。夜は大分駅前のホテルに泊りました。

 

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2010年2月25日 (木)

二年目の御用始

 月曜にはNIHEの御用始式が朝からありました。所長の挨拶の後、シャンペンが一人一人に手渡され、その後は歌が始まりました。ここらで私たちは引き揚げて、エントの部屋でウォッカを付き合わされました。職場に来て最初に蚊のチェックをしておいてよかった。

 昼は元室長のYさんの家にエントスタッフ一同招待されました。Yさんの手作りの料理を食べて、ワインを飲んで、ヘロヘロになったところで解散。と思ったら、Yさんの娘で新室長のHLさんのマンションへ移動しました。ま、ここではHLさんの赤ん坊を皆で愛でて、すぐに解散。と思ったら、カラオケに行くというので、私はまだ事務処理などが残っていたので、一人NIHEに戻ってふうふう言いながら仕事をしました。

 去年も書いていたかもしれませんが、ベトナムの公務員は昔の日本の地方公務員と似ています。職場の先輩だったMさんは、御用始の日は昼から酒飲んで、そのまま浅草に初詣に行っていたとか、楽しそうに話していました。

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2010年2月21日 (日)

テト明けのミニゲーム

 ひさびさにサッカーをしました。ヴァンフックでの日本人同士のミニゲームでした。少し肌寒いくらいの気温でしたので、それほどばてばてになることもありませんでした。テトが終わってまたいつものペースに戻った感じがしました。

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2010年2月19日 (金)

原稿の修正、石段を上るがごとき原稿書き

 昨年の夏に投稿して、半年近くも放置されていて、一月に問い合わせをしたら編集長がお詫びの言葉とともに第一査読者のコメントを送ってきました。その後、編集長自身が第二査読者となったらしく、コメントが返ってきました。第一査読者は好意的でコメントへの対応には苦労しませんでしたが、編集長への対応にはかなり時間がかかりました。原稿をようやく修正して先ほど英文校閲に出しました。

 昔は郵便だったので論文が通ったか通らなかったかはあちらから可否の知らせが来るまでは全くわかりませんでしたが、今は電子投稿なので自分の論文が今どの段階にあるのか、雑誌の出版社が運営しているホームページからわかります。もうひとつ、昨年の12月に出した原稿があるのですが、こちらもクリスマスから審査が止まったままです。こちらも編集長あてに、どうなっていますか、というメールを出しました。

 あとは去年のベトナム南部での蚊の防除試験の論文が残っています。それから千葉大時代のマダニとヒルの論文がかなり残っています。でもその前に、来年度からの蚊の研究計画を作成しなければなりません。山の上にあるお寺や神社の石段を上っていくときに、はじめから頂上に気を取られるとやる気が失せます。こういうときはあまり先を見ないで一歩づつ進んでいくに限ります。

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2010年2月16日 (火)

旧正月に年頃の娘のいる家を訪問

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 アパートのロビーに置かれた正月の飾りつけ。ついこの間までクリスマスツリーでした。ピンクに見えるのは桃の花です。赤いお札のようなのはお年玉袋です。

 昨日はハノイでの媒介蚊調査でいつもお世話になっている保健所の方の家にエントの室長のYさんと行ってきました。

 いつものように守衛で鍵を借りてハイテクセンターに入って仕事をすませ、また鍵をかけようとしていたところでYさんとばったり会いました。

 会うなり、Yさんが、

 これからZさんの家に一緒に行くから。12時から1時くらいがいい時間だから、ちょっと着替えてきて。

 前回、調査をしたときに、Yさんがなかば強引に角田をテト中に訪問させると設定してくれたというか、設定したのでした。Yさんはベトナムでの私の母というには年が近いので、姉のような感じで、私の嫁のことをいつも気に掛けてくれます。今回も、話を聞くと、

Z 彼は、年がいっているんじゃ...

Y 大丈夫、見た目は若いから。

Z 前に結婚したことがあったはずじゃ...

Y 過去を振り返らず、未来を見据えていきましょー。

という具合に、強引に設定してくれたらしいです。

 昔の自分ならその気はないと断ったのですが、年をとったせいか、ずるくなったというか、こういうこともめったにないから、経験しておこう、と開き直って、Yさんに連いていきました。Yさんがタクシーの中で言うには、十年前には外国人がテトにベトナム人の家を訪問するなんてできなかったそうです。

 Zさんのご家族はとても温かくYさんと私をもてなしてくれました。母親はよくしゃべり、気を遣い、父親は黙ってビールを飲みつつ、注ぎつつで、国は違っても、年頃の娘を持った親の気持ちは同じだなあ、と感じました。

 

 

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2010年2月14日 (日)

ハナムのC君の実家へのご招待

Rimg0015_2  NIHEは金曜の午後から旧正月のため休みに入りました。エントのC君が前々から家に招待したいと言っていて、今度の休みはぜひ家に来てほしいというので、彼の実家のあるハナム県に行ってきました。ハノイからタクシーで2時間弱で、お昼に飲んだビールがきいて、うとうとしていたらじきに着きました。周りを見回すといつも媒介蚊の調査で回っている、(失礼ですが)みすぼらしい家の中に、写真のようにお寺のような豪邸が建っていて、それが彼の実家でした。近頃またハノイは急に冷え込んでいたので、寝袋を持参すればよかったかもという危惧はとりあえずなくなりました。

Rimg0017_2  夕食の前に彼の家の周りを散歩したのですが、前の写真のような濁った池ばかりで、どこも池の中に家が建っている感じでした。池しかない田舎というのも珍しく、田んぼすらありませんでした。写真は夕食の様子で、ござを敷いた周りにC君の両親、姉夫婦、おじさん夫婦が車座になって座りました。一番手前の皿は家の前の池で捕れたという魚の煮付けです。大きな鯉くらいの大きさでした。真ん中の大皿には、鳥の蒸し焼きと正月の時に食べる、バイチュンという豚肉と緑豆の入ったおこわです。彼の両親の手作りだそうで、おいしいというと帰りに二包みも持たせてくれました。

 夕食後はなにをすることもなく、8時くらいでしたが先に休ませてもらいました。時間があったら暇つぶしに本でも、と思って持ってきた小説が役に立ちました。

 翌朝、4時半くらいから家のすぐ隣から聞こえてくる町内放送のようなので起こされました。せめて明日までいてほしいと彼の家族から何度も引き留められたのですが、正直言って私でも辛いものがありました。温かいシャワーとか、ネットとか、そうでなくても野生動物のいる自然とかが恋しくなってしまいました。皆さん素朴で親切でいい方なのですが、とてもここでの生活に耐えられそうになくてバスでハノイに戻りました。

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2010年2月12日 (金)

Kちゃん、Tちゃんの送別会

 ハノイに戻ったのですが、連日暑いです。気温は25度前後で、夜も時々服を着て寝ていて寝苦しいです。酔っぱらった時ですが。

 火曜日はフレラボのアシスタント二人の送別会でした。一人はオーストラリア留学のため、もう一人はハノイの大学院の勉強に専念するためです。Ashimaというキノコ鍋で有名なお店で送別会は行われました。

 それぞれHさん、Y先生の下にいた女の子たちなのですが、朝からHさんは、よーし、今日はKちゃんの送別会だー、と気合が入りまくり、Y先生は、もうTちゃんはいなくなるのか、とかなり対照的だったそうです。ま、一次会は二人ともハイテンションでした。

 二次会はベトナム人の女の子三人とHさんの家の隣のカラオケ屋に行きました。ここでもHさんはハイテンションでしたが、お約束通り眠りにつきました。めでたし、めでたし。

 

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2010年2月 7日 (日)

変な夢とベトナムの家でのフィールド調査

 ビルの地下駐車場の出口に寝っ転がっていて、駐車場にいるテロリスト(強盗だったかも)に撃たれる夢を見ました。相手を見た瞬間、とっさにやばいとわかったのですが、面倒くさいからこのまま横になっていようと思ったら銃撃された、変な夢でした。 

Rimg0033 調査の時はいつもサンダル履きです。なぜならすぐに脱げるから。特に蚊のトラップを回収するときにはぐずぐずしていると家の人がコンセントを抜いて持ってきてしまうので、すぐ脱げるサンダルが一番です。

 この写真の家は土間で、土足で入っていってもいいかもと最初は思ったりします。家の人もそのままどうぞ、というそぶりをしますが、彼らが裸足でいるので、やっぱり土禁なのかと思って私も裸足で入ります。でも私の後から犬がぺたぺた入ってきたりして、意味なかったかもと思うことがしょっちゅうあります。

 たまには仕事帰りにプロ野球やJリーグを観戦したり、週末にスキーやドライブに行ったり、絵を見に行ったりしたいなあ、と考えるように、日本の山に帰ってダニや蛭の調査をしたいと無性に思うことがあります。何せ十五年も房総の山で調査していましたし。けれどこの頃は、人の暮らしている中に、ちょっとすみませんね、という感じで入っていって、害虫と病気の調査をするのも悪くないかも、と感じるようになってきました。

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2010年2月 6日 (土)

「龍馬伝」の弥太郎

 「龍馬伝」の岩崎弥太郎が汚すぎるというクレームが三菱関連の方々から漏れ聞こえるそうです。私は司馬遼太郎の「竜馬がゆく」でしか、坂本竜馬と岩崎弥太郎のことを知りませんが、香川照之の演ずる弥太郎像は私が本からイメージした岩崎弥太郎によくはまっています。ちなみに坂本竜馬は今まで見たドラマの竜馬役の中では「JIN-仁」の内野聖陽が一番しっくりしました。

 「龍馬伝」の岩崎弥太郎は、貧乏で女にもてなくて、自尊心が人一倍強くて、それでもってぼんぼんで女性にもてる竜馬を嫉妬しながらも認めています。私は弥太郎に共感を感じる部分があります。自分が学生時代の頃、貧乏で、(半分冗談が入ってたと思いますが)こ汚いとか言われていました。でも、俺はお前らと違って親をあてにせず、自分の力で大学に通っているんだ、という自負だけはありました。そして、何を研究したらいいかわからないけど、何か成したい、という気持ちだけはもっていました。

 昼間、日本からの仕事にからんで厭なことがありました。

 ベトナムの人は騒音に鈍感です。今宿泊しているホテルも昨日は夜の10時ころまで金槌で何かを叩いている音がしました。

 ホテルに帰って、風呂上がりにビールを飲んでから、

 バッカヤロー

と、叫んだら、少し気分がすっきりしました。

 日曜日までホーチミンで、月曜からはハノイで蚊の採集です。旧正月が近いので、その分仕事が詰まってきます。

 月曜からの段取りをエントのGさんに問い合わせると、すべて準備しておくから、心配しないで頑張れ、と返信が届きました。

 ベトナムで救われました。

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2010年2月 5日 (金)

住民とのコミュニケーション

 いつも蚊を取るトラップを家に置いてもらう時に、明日取りに来ます、とか、電源を抜かないでください、と、ベトナム人スタッフを通じていってもらっているのですが、ボウフラがいないか検査を終えた後、去り際にもう一度念を押して伝えてもらうようにしています。何度も翌日留守にされたり、電源を抜いて持ってこられたりしているので。

 ベトナム人スタッフに言うように伝えると、時々ハッとした表情で相手に言うことがあるので、彼らも忘れることがあるようです。

 でも、それも、ベトナム人スタッフの誰かが英語を喋れればの話で、今日のようにパスツールのスタッフも保健所のおばちゃんも英語ができないとなると、私がこれまで以上に何とかしなければなりません。

 本当に日本人を見たことがないらしく、多くのベトナム人の住民は、私の顔をじっと見て、スタッフに、日本人かと、尋ねたりします。これは、俺が直接話した方が効果があるかも、と思って、昨日、知っている限りのベトナム語で話しかけてみたのですが、通じませんでした。

 ただし、「ホン、ヒュウ。」(わかりません)

 と、相手がしゃべったのはわかりました。

 ポジティブシンキング。ヒアリングは上達したぞい。

 今日、去り際に、「ガイ、マイ、ヘンガップライ。」(明日、また会いましょう)と言うと、なんと通じたではないですか。ちゃんと留守にせず、電源を切らずに待っててくれるかなあ。

 パスツール研究所に戻って、採集したサンプルの整理をしていると、今日一緒に回ったスタッフが、ツノダは今日うれしそうだ、とTさんに話したそうです。

 あれっ、もとをただせばお前が1から5までの数字しか英語を知らないからじゃないか。まっいいか、俺もベトナムの数字を言えないことが何度もあったし。

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2010年2月 4日 (木)

朝青龍引退

 朝青龍が引退。酔って人を殴ったとか数日前に取り立たされていたと思ったら、いきなり引退です。確かにいろいろ問題があった人ですが、それくらいいいではないか、と言いたくなります。酔って車を運転して人を挽いたのなら問題ですが、草薙君の時も今回の朝青龍も、マスコミが正義感振りかざして騒ぎすぎです。なにか日本人が非常に堅苦しい、面白みのない社会に向かっているように感じます。

 「ボクは算数しかできなかった」、という数学者の自伝がありますが、いいじゃないですか、数学で超一流ならば。

 土俵では死に物狂いで相撲に取り組んでいれば、多少品格が欠けていても私は相撲を続けていいと思います。品格という点では反面教師として居続けさせてよかった。

 朝青龍にバッシングを浴びせた人達の中で、人生で一度も道を踏み外したことのない人、馬鹿をしたことがない人が何人いるんでしょうか。自分を棚にあげておいて他人のことをとやかく言うのがマスコミと言われればそれまでですが。でももしいたら、私はこう尋ねたいです。

 そんな人生楽しいですか。

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2010年2月 3日 (水)

スイカ丼

 家々を回って調査をしていると家の主婦の方がどんぶりを片手に食事を取りながら作業の様子を見に来ると前に書いたことがありました。もちろん、子供もよく見に来ます。

 アルミのボウルは、日本だと料理の下ごしらえに使ったり、古くなるとペットの餌台になりますが、こちらの人はどんぶり代わりにして猫飯を食べます。今日は、ある子どもがアルミのボウルにご飯をいれて、その上にスイカを載せて、というか敷き詰めて食べていました。最初は下の白いのは氷かと思ったのですが、ねこ飯でした。主食とデザートを一緒に食うのもいいですが、いくらなんでもご飯にスイカは合わないと思いました。

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