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2010年5月

2010年5月29日 (土)

ライバルの多い、デング熱の研究

 NIHEの所長と副所長が長崎大学を訪問していて、これからのプロジェクトについて日本側と協議しました。昨日、新ボスから届いたメールによりますと、オックスフォード大とフランスのパスツール研究所からもハノイのデング熱のアウトブレークについて共同研究をしたいとの打診を受けているそうです。さらに、できるだけ内容はかぶらないようにしたいという提案がベトナム側からあったそうです。悪い言い方をすれば、三股かけられているかもしれません。先週の日本とベトナムのエントのミーティングではそのような話は一つも出なかったわけですが、来週、私がベトナムのエントの腹を探ることになりました。こういうのは苦手ですが、これも仕事です。

 デング熱は世界中の熱帯域に、しかも都市部で多い病気なので、研究に対する需要が高く、研究を巡る競争が激しいです。なかでも、このウイルスのワクチンを開発することは、その社会的、経済的価値からみて人類に対するものすごい貢献です。

 昔は図書館に行ってCurrent Contentsという論文目録をちびちびチェックしなければならなかったのですが、今は便利になって、蚊とかマダニとか自分の研究に関連するキーワードを登録しておくと、毎週、蚊やマダニに関する新しい論文の目録がメールで送られてきます。蚊の論文は最低でも10本、多い時には50本ほど、毎週新しい論文が公表されています。そのうちの3,4割はデング熱媒介蚊、残りのまた3,4割がマラリア媒介蚊といった感じです。つまり、毎週、世界のどこかからネッタイシマカの論文が3本から20本くらい発表されています。正直やりつくされている感じもうけます。

 あまり他の人がやっていない、地味な、直接応用とは結び付かないテーマをやっていく方が論文を書けるし、自分に合っているのはわかるのですが、それだと医学系の職場では生き残るのが大変です。いかに医学的な貢献に結び付けるかを念頭に置きながら、今のところあまり注目されていない原石を見つけて、それをだんだん磨いていくことが今の自分の仕事だと思います。

 

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二本目を国内誌に投稿

 一月ほど前に戻ってきた論文は、結局リジェクトだったのですが、編集長は割と好意的で、レフリーからのコメントに従えば、特に家とボウフラの発生場所との関係についてデータを追加し、考察すれば何とかなりそうでした。地図で発生場所と最短の建物との距離を計測し、それを統計処理してみたものの、もともとのデータ数が少なかったためクリアな結果は出ませんでした。それで国外の雑誌に投稿するのはあきらめて、国内誌に投稿することにしました。

 手元の雑誌の投稿規程には電子メールでの受け付けについて書かれていなかったので、月曜日に原稿を2部プリントして日本に郵送しました。昨日、編集長から電子投稿をすることになったので、ファイルを送って下さいとメールが届きました。

 蚊の論文の二報目はなんとかなりますかね。

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2010年5月25日 (火)

運転免許証、その後

 運転免許証のその後ですが、代筆屋に苗字と名前を入れ替えた書類を作ってもらうように頼んだところ、それでは虚偽の書類になるという理由で断られました。Tさんと相談して、私が何も説明せずに黙って前の書類を出すしかないという結論に至り、月曜日に免許センターに行ってきました。Tさんは他の仕事があったため、私ひとりでした。

 行ってみると事務所の中はガラガラで、前回の女の人ともう一人女性の事務員がいるだけでした。椅子に腰かけて待つように言われ、しばらくして前回と同じ女性が立ち会って、同じ書類に目を通しました。結局、何の不備も指摘されず(もし何か言われたらTさんに電話することになっていました)、来週の金曜日に発行してもらうことになりました。前回のは何だったのでしょう?

 ただ、日本の免許証のコピーがあったにもかかわらず、免許証を返してもらえなかったので(パスポートは返してくれました)、失くされないか心配になりました。

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2010年5月20日 (木)

C君の夢

 エントの隣の席のC君は私に親切で、旧正月に実家に招待してくれたことは前に書きました。彼の夢は、家と車を持つことだそうです。そのせいか、蚊の調査で立派な家に行くと、仕事は上の空で、この家具がいくらかとか、家の人と話していたりします。そのたびに、私は、仕事をしろ、と注意します。

 今日の調査で最後のトラップを仕掛けようとしたところ、部品の一部がありませんでした。彼に尋ねると、落としたんじゃないかと。えっ、じゃ、探しに行くぞ、という私に対して、買えばいいじゃないか、と。

 ベトナムボケしつつあった私でも、さすがに怒りました。トラップは一個4万円近くして、ドイツに発注するので届くまでに数カ月かかります。それをいとも簡単に、買えば、だと。だいたい自分で金を出す気はさらさらないのに。

 とりあえず、ガイドのおじさんに事情を説明して、一軒一軒今日たどった家々を見て回ったのですが、ありませんでした。

 しかし、これから探しに行く、という私に、露骨に厭な顔をしたのにはさらに腹が立ちました。責任感とかないのか、と思いました。なによりも、一応ベトナム人には研究者で通しているのですから、人から言われた仕事をするのでなくて、いつか自力で研究をするようになりたいとか、ないんですかね。

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2010年5月19日 (水)

外で作業をして、ビールを飲んで、少しもやもやを晴らす

 先週は公私ともに厭なことがあって暗くなったのですが、精神的に少し持ち直しました。今日は蚊の調査の日だったのですが、外で作業をして、その後スタッフと昼食を食べているうちにもやもやも晴れてきた感じがしました。

 ちなみにお昼は鶏の丸焼きでした。熱くて、茶碗に入れてしばらくおいてたら、私が毎朝作る目玉焼きに使っているくらいの量の油がたまっていました。

 殺虫剤研究室の方が時々助っ人に来てくれるのですが、彼女はいつもお昼にビールを注文して、決まってコップ1杯だけ飲みます。私と同じくらいかと思ったら年上で、来年55歳になるので、定年だそうです。ほんと、いつも助かっています。

 

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2010年5月15日 (土)

飲み会続きで体調を崩す

 火曜日に日本に帰国するFさんの送別会をやってから、水、木と二日続けて結構遅くまで飲んでいたので、今週は体調が悪かったです。特に、木曜日にエントの前室長のYさんのお宅にデング熱の新しいプロジェクトにかかわる日本人スタッフ全員で呼ばれた時は、後半ウイスキーのイッキがあったので大変でした。特に家に帰ってからがひどかった。

 火曜日から土曜日までデング熱にかかわる新しいプロジェクトについて検討するために、日本から3人のスタッフが来て、私も交えてベトナム側に説明しました。その事前に日本人同士で調整をしたのですが、私の新規の案は没とされ、結局去年からの仕事を少し修正するだけになりました。

 去年までのサンプルの活用とデータの整理に今年は専念しようと思います。

 

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役所の理不尽さに慣れた自分に驚く

 運転免許の申請に行ってきました。実は去年取得したばかりでしたが、12月の誕生日に合わせて日本の運転免許の期限が切れたので、それに合わせてベトナムの期限も切れたのでした。

 一時帰国から戻って落ち着いた4月にさっそく申請に行ったのですが、書式が違うというので突っ返されました。連休明けの先日、秘書のTさんを連れて運転免許証の申請に行ってきたのですが、今度は私の苗字と名前が逆になっているというので突っ返されました。去年申請した時にはこれで問題がなかったとTさんが抗議したのですが、担当の女性は、私は知らない、の一点張りで、取り合いませんでした。

 これには、Tさんが、何回出しても、いちいち文句をつけて突っぱねるんだから、お金がもったいない、もう免許の申請なんてしなくていい、と怒ってしまいました。私はこういう理不尽なベトナム人の振る舞いに腹も立たなくなった自分に驚いていました。慣れてしまったのでしょうか。それとも、俺は精神的に疲れてるんだろうか、とも思ったりしました。結局、Tさんにもう一度何から何までやり直してもらうことにしました。

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2010年5月10日 (月)

ホーチミン遠征

 今月で日本に帰国するGさんの引退を記念して、ホーチミンへ遠征に行ってきました。夕方4時からの試合だったので時間があると思っていたのですが、ホテルでチェックインをして昼食をとったら、あっという間に試合場への移動の時間になりました。

 ホーチミン在住の日本人チームと40分ハーフで2本試合をやりました。先行され追いつくという展開で試合が進んだのですが、結局3対2で突き放されました。後半の20分間、またキーパーをやったのですが、きれいなロングシュートを一本決められてしまいました。とにかくホーチミンは暑かったです。

 試合後は交流会が日本料理屋であったのですが、例によってイッキとなり、ホーチミン側は以前うちのチームにもいたKさんが、こちらはGさんではなくIさんが撃沈しました。

Rimg0003_2 翌日は、ミトーまでメコンデルタツアーに行ってきました。船でメコン川を渡って島へ行き、蜂蜜入りのお茶を飲んで、ココナッツキャンディの工房を見学して、ジャックフルーツやスターフルーツなどの木を見物しました。

Rimg0005_2_2 島の奥からボート乗り場までは写真のような手漕ぎの小舟に乗りました。途中でオールを渡されて、私も漕ぎました。

 Row, row, row your boat.

  Gently down the stream.

  Merry, merry, merry, merry,

  Life is but a dream.

 昼食をとって、ホーチミンに引き返し、空港へ向かう前に寿司などを食べて、夜の10時頃にアパートに着きました。

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2010年5月 7日 (金)

サパ旅行(2日目)

Rimg0042 サパといえば棚田が有名です。 長崎にだって日本の棚田100選に選ばれた棚田があるぞ、どうせベトナムの棚田なんて大したことない、と思っていました。

 山の上の方は霧に覆われていますが、どうです、斜面のほとんどは棚田です。左手前などは地図の等高線そのまんまです。

Rimg0040 今回は行程7キロのトレッキングツアーを申し込んだオですが、ホテルから黒モン族の女性たちがお客さんをサポートするために付いてきました。私にはチイさんという、49歳になるおばさんが付いてくれたのですが、手先の器用な人で、歩きながら竹の皮で馬を作ったり、シダで写真のような、ハート形のものを作ってくれました。行程の半分くらいの場所にチイさんたちの住む集落があってそこでお昼を食べました。当然、工芸品などを売りつけられたのですが、半分ガイド料のつもりで支払いました。

Rimg0055_2 川で遊ぶ黒モン族の子供たち。この子たちは比較的しつこくなかったのですが、お昼を食べた場所の周りにいた子供たちは、英語で、買ってください、というセリフを歌を歌う感じで覚えていて、まとわりつきながらずっと言い続けるので閉口しました。買わないとわかると、なにやら言葉をはいて去っていこうとしたのですが、さすがにベトナム人からみても聞き捨てならない言葉だったらしく、ガイドの人が注意していました。

 そんなに生活は貧しいのか、と考えたりしましたが、チイさんの家に立ち寄ると、民族衣装の下は普通のベトナム人の格好でした。テレビはあるし、台所を覗いたGさんによると、電気炊飯器があって、携帯を充電していたそうで、彼はまたがっかりしていました。

Rimg0049  サパの周辺にもあちこちに道路が作られていて、ベトナム人の旅行客もそれなりに見かけました。何年か後には少数民族のいるところまで歩いていくのではなく、車で行くようになるかもしれません。歩いて、汗をかいて、不便をある意味で楽しむ自然派のツアーは、欧米から入ってきましたが、ベトナム人に果たして定着するのでしょうか。

 川の近くで、レンタルの民族衣装を着て、馬鹿騒ぎをして写真を撮っていたベトナム人の若者のグループがいたのですが、たぶんサパにもこれからベトナム人旅行客が増えてくるのでしょう。ベトナムの経済は右肩上がりですが、精神的にも成長してほしいものです。 

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2010年5月 6日 (木)

サパ旅行(ラオカイとバックハー) 

Rimg0001 連休を利用して、サパに行ってきました。

 土曜日の夜にハノイを出発して日曜日の朝にラオカイに到着。写真は夜のハノイ駅。

 朝の5時半にラオカイ駅に到着して、ツアー会社の人が迎えに来てくれたのまでは良かったのですが、彼は、駅前の食堂でここで朝食をとっておいて、と言い残してそのままどこかへ消えてしまいました。

Rimg0003  1時間待っても戻ってこないので、ツアー会社に連絡をすると、8時半までそこで待て、と返事が返ってきました。

 いい加減にしろ、と腹が立ったのですが、食堂のメニューの一番後ろのページに、バイクで中国国境まで案内します、20分ほどで一人3万ドン、とあったので、腐ってもしょうがないので行ってみることにしました。写真はベトナム側から見た中国。左側にあるのがモイ・キエウ橋です。

Rimg0024  ようやく8時半にマイクロバスが迎えに来ました。1時間半ほど車に揺られて、バックハーに到着。ここは日曜日の午前中に開かれるマーケットが有名で、食料品や日用品から民族衣装の露店がずらりと並んでいて、花モン族と観光客で賑わっていました。

Rimg0020 動物も売り買いされていて、牛、馬、豚、鶏、犬が市場の一画で取引されていました。写真は牛と水牛の取引場所。手前に写っているのは花モン族の女性。

 今回はサッカー仲間のGさんと一緒に旅行しました。彼は少数民族の生活が昔のままであってほしいという期待があったようで、街を歩いていて、花モン族の人が携帯をかけていると、あー、携帯をかけてる、バイクに乗っているのを見ると、あー、バイクに乗っている、といちいちがっかりしていました。

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2010年5月 1日 (土)

森ガール

 日本の女性雑誌はファッションの参考になるから買ってきてくれとフレラボのTさんから頼まれてから、日本に帰国するといつも空港で女性雑誌を買って帰ります。後半には、思わず冷めた彼の一言とか、おバカな記事が載っていますが、この間買ってきたのをパラパラとめくっていたら、「森ガール」なる単語が目に入りました。

 Wikiで検索すると、”ファッションスタイルとしては、おおよそどこかクセのあるAライン気味のゆるいレトロな花柄ワンピースにタイツとぺたんこ靴を合わせるといったコーディネート”とありました。

 Hさんは日本の森ガールなんて多分知らなくてホーチミンのTさんにフォレストガールのあだ名を献上したのでしょうが、ベトナム版も日本に負けじとナチュラルだったりするのです。

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クックフーン国立公園へのバイクツアー

 フレラボの同僚の人と旅行会社のバイクツアーでクックフーン国立公園へ行ってきました。朝8時に旅行会社へ集合だったのですが、タクシーの運ちゃんが道を知らず、焦りました。いざ出発という段になって、日本の携帯がないことに気づき、アパートに立ち寄ったのですが、見つからず、タクシーに置き忘れたかと焦りました。結局、お昼にリュックの中にあったのがわかりました。

 我々が借りたバイクはソ連製の古いもので、燃料はガソリンとオイルの混合で、千葉大時代に使っていた草刈り機を思い出しました。メーターがないため何キロで走っているのか、わかりませんでした。ベトナムは今日から月曜日まで連休で、道は大渋滞でした。バイクなので日本だったら車の脇をすり抜けていけそうなものですが、バイクの数がやたら多くてバイクも渋滞していました。

 3時間近くかかってようやく公園に着くと、そこは熱帯林で、セミや鳥の鳴き声が聞こえてきましたが、それも我々のバイクの音でかき消されました。しかし、空気はきれいで、公園の周辺ものどかで、これが映画や本で自分が思い描いていたベトナムな感じがしました。

 霧雨の中を2時間近く走って、森林のきれいな空気を名残惜しみながら、帰路に着きました。途中で牛が飛び出してきて思わずぶつかりそうになりましたが、どうにかボロバイクは激突も横転もせずに止まってくれました。ハノイに着いた時には、排気ガスと埃で髪はパサパサ、顔は真っ黒でした。案内のベトナム人がスピードを出しまくって、我々にはきついツアーでした。

 

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