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2011年2月

2011年2月26日 (土)

立て続けに結婚祝い

 昨夜はAさんの結婚祝いをハノイにいる日本人仲間でやりました。Aさんは長崎大関係の人で、ベトナム語はたぶん長崎大関係者の中で一番堪能ではないでしょうか。友人の紹介で旦那様になる人と知り合ったそうですが、その人は千葉大出身の方で、これまでほとんど話をしたことはありませんが、私も知っている人でした。WHOのTさんがギターを持ってきて、自慢の歌を披露し、Hさんも最初から最後まで下ネタでしたが、井上陽水の曲を弾き語りました。私はTさんから披露宴の時に踊ってくれと言われてから4月の彼女の結婚式まで封印するつもりだった「赤城村音頭」をリクエストされて踊りました。いやー、おっさん三羽ガラスが盛り上がった金曜の夜でした。

 今朝はエントのGさんの結婚式でした。朝9時にNIHEに集合して、皆でハノイ市郊外の彼女の自宅に行きました。都市部の家ですと、結婚式の式場で両家親族友人知人が集まって宴会となるのですが、彼女の家は田舎にあるので(よく毎朝バスで通って来たものだと感心しました)、昼間はそれぞれの家で知人を招いて宴会をして、夕方新郎が新婦の家に来て、新婦を自分の家に連れていくそうです。うーん、ノスタルジック。今までベトナム人の結婚式には6回出席しましたが、今回のようなのは初めてです。

 10時過ぎから飲まされて、12時前に帰りました。今回、エントの属する部の部長のPさんの小学生の息子と仲良くなりました。彼は父親とNIHEに来た時に少し障害があるのは感じていましたが、でも、かわいい子供です。私はベトナム語は3年たってもさっぱりなので、言葉は通じませんが、彼がいい子なのはわかります。

 3月にはエントの若手の結婚式が二つ、4月にはフレラボ秘書のTさんの結婚式が控えています。去年から私のまわりでは麻疹にかかったかのように結婚が広がっています。俺はもう免疫ができちゃったからね。

 今回もカメラを持っていくのを忘れてしまいました。

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2011年2月24日 (木)

合気道の長所

 合気道を始めてよかったのは、ベトナム人の知り合いが増えたことが一つ。実際、NIHEにも習っている方がいて、先日はその方からほぼマンツーマンで教えてもらいました。

 二つ目は、腹式呼吸をするので、健康にいいです。NIHEの構内をジョギングするより痩せるような気がします。実際、食生活は変わりませんが、痩せてきています。

 合気道を始めた理由は、ある本に、武道は運動神経がなくても、同じ型を繰り返していけばいいので、ただ単純に練習さえしていればある程度までなれる、と書いてあったのを読んで、年をとってからも始められるだろうし、長くできるスポーツの気がしたからです。千葉大の研究生の時にM先生のもとで週二回空手を習ったのですが、こりゃ体が柔らかくないとできないな、と思って挫折しました。

 もちろん、合気道も体が柔らかい方がいいにこしたことはありません。練習で、マトリックスみたいにのけぞーる、動きがありますから。

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合気道入門編

 一週間前から合気道を習っています。平日に家に帰って、論文を書かなけりゃいけないし、勉強もしなければいけないし、(就職が決まっていない20代、30代の若手の人達には申し訳ないのですが、)だけど、もう仕事したくないって気持ちの時に、DVDを見るか、酒を飲むしかないベトナム生活において、それならもう少し楽しめる趣味を持ちたいと思って始めました。嫌になってやめてもともとの中途半端オーライの気持ちで始めました。

 火、木の7時から8時45分までと土日の夕方に1時間半の練習で、初心者には上級者が丁寧に教えてくれて月12万ドン(600円)は安いと思いませんか。教えてくれるのはベトナム人の有段者の人です。たぶん、といいますか、絶対日本人の人が最初に教えたのでしょう。実際、今、日本人は私を含めて3人なのですが、一番うまい人は六段で、ベトナム人全員から先生と呼ばれています。彼は、赴任者でなくて、出張ベースでベトナムに来ています。

 正直、日本人のおやじのくせに合気道初心者っつーのは格好悪いなあ、と思うのですが、いつまで続くかわからないけど、やれるところまで続けたいです。後ろ受け身とか頭を打ったりして、それなりに痛いし、肩が凝ったりして、翌日とか後に残りました。正直、私の半年前に入門している人たちは皆先生になるのですが、けれど、本当にベトナム人の先生たちは、親切に教えてくれます。だから、当分続けていきます。

 だけど、日曜に、サッカーして、タッチラグビーして、合気道はきついので、(時間的に可能なのですが、)最大二つにします。

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鶴さんの思い出

 かなり前の話になってしまったのですが、正月に実家に帰った時に当時私が衛研にいた時の細菌室の室長さんが亡くなったことを知りました。親分肌の人で、仕事のことよりも職場の行事とか野球とか飲み会でいろいろお世話になった方でした。奥様を10年以上前に失くされて、ご本人もガンを告知されて退職前に県職を辞められました。最初の手術はうまくいったそうですが。

 「俺のかかあはブスだけど、Mはいい女だろ。」とか言って、行きつけの店の若いママさんを紹介してくれたものでした。そのママが大学時代に付き合っていて、結局お水の道に行って振られてしまった彼女にそっくりだったので、何回かずるずると通ってしまったものです。

 衛研の職場旅行で我々は幹事だったのですが、宴会のカラオケで、「つのちゃん、もうこれでお開きにするから。最後は俺が北島三郎で閉めっから。それから閉めてくれ。」、と、言われたのはもう15年前になりますか。

 男だねー。鶴さん。

 海の男はよー ってね。

 それはさておき、奥様が亡くなった後のTさんの落胆は気の毒でした。今は天国で、最愛の奥さんと、Yさん、Mさんと楽しく飲んでるかもしれません。

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2011年2月17日 (木)

エントの部屋の鍵

 先日、五時半過ぎにフレラボに行って文献をプリントアウトしてからエントに戻ると、元室長のYさんがいて、「なぜ、ドアに鍵を閉めなかったのか。」と、激怒されました。10分位だからいいかと思って、ドアに鍵をかけないでフレラボへ行ったのですが。過去に泥棒に入られたことがあったらしく、それがかなりのトラウマになっているようです。部屋に一人でいるときはトイレに行くときにも鍵を閉めて行けと言われます。過去に泥棒があった、という理由で、部長・室長以外に合いかぎは絶対に持たせてくれません。

 翌朝、Yさんから、今後のために、もしエントのスタッフがいない場合は、5時以降はナガサキラボ(フレラボのこと)に行ってもらう、と引導を渡されてしまいました。そうは言うものの、4時過ぎには皆さっさと帰り支度をしますし、お昼を食べに行って3時過ぎまでそのまま戻らないことなどざらにあるので、ほとぼりが冷めたらまた元通りだろうな、と思いました。

 昨日の夕方、エントの男性は奥さんやガールフレンドを連れてサパに旅行に行きました。今朝は、誰もいなかったので、私が守衛の所へ行って鍵を受け取って開けました。お昼過ぎに蚊の飼育をするためにGさんが来ただけで、彼女も4時には帰宅しました。Yさんは娘がオーストラリアの旦那のところへ行ったので、家で孫の面倒を見ています。

 結局、今日は私が最後に鍵を閉めることになりました。

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2011年2月12日 (土)

C.イーストウッドとラッセルクロウ

 アパートのインターネットは無事接続できるようになったのですが、NHKプレミアムは相変わらずです。この間帰宅したときに、若い方の守衛の人が、直った、直った、といいながら一階のテレビの前に私を引っ張ってきて、NHKのチャンネルに変えたのですが、画像が動いていませんでした。思わず、これのどこが直ったんだー、と日本語でどなってしまいました(本人がわかるまで30秒ほどかかりました)。

 それで、食事を作ったりするときはいつもニュースを流していたのですが、最近は音楽のDVDを流しています。サイモンとガーファンクルのセントラルパークのコンサートとかビージースのワンナイト復活コンサートとか。古すぎます?でも、なによりも歌が素晴らしいです。

 テト休暇中の夜とかは映画のDVDを見ていたのですが、最近よかったのはC.イーストウッドの「グラン・トリノ」とラッセル・クロウの「シンデレラマン」でした。名優といわれるデニーロとか、香川照之とかは、顔の表情がとても豊かですが、イーストウッドはなにせ顔が渋すぎて、演技自体は採点のしようがありません。演技はともかく、70後半であれだけの体で、あれだけの動きができるのは驚きです。映画自体は、昔のイーストウッドの映画だったら、必ず彼が悪をやっつけて終わっていたのに、この映画では自ら非行少年に撃たれることで決着をつけるというのが、物悲しく感じました。男臭いヒーロー役はブルースウィリスに譲ってしまったのでしょうかね。一方、「シンデレラマン」は大恐慌時代のアメリカの話で、失業中で電気もガスも止められた、奥さんと子供三人か抱えた元ボクサーが世界チャンピオンになるという、いかにもアメリカらしい、実話にもとづいたお話でした。

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2011年2月10日 (木)

知人宅を順に訪問

Imgp0016 NIHEの旧館の正面玄関を入ったところに置かれた鉢植えの桃の木。新年のお祝いのメッセージカードが飾り付けられています。

 今日のお昼は、皆でS君のカフェに行って、Yさん手作りの料理を皆で食べました。テト中はもちろんですが、テトの後にも知人の家を訪問するのがベトナムの習慣だそうです。S君の家でたらふく食べた後、S君同様新婚ほやほやのT君のお宅を訪ねて、最後に去年退職したLさんの家にお邪魔しました。バイクの後ろに乗って、お茶を飲んでいただけなのですが、それでも疲れました。

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2011年2月 6日 (日)

テトの変化

 テトになってからハノイはポカポカ陽気が続いています。高校の時の古典の時間に正月から春と教えられて、まだ寒いじゃないかと、違和感を持ったのですが、旧暦を使っているハノイだとしっくりきます。

 今年で三回目のテトですが、最初の年に比べてハノイに残っている人が年々多くなっているような気がします。そのせいかテトだからといってあまり長く休まず、早くに商売を再開する店が多くなってきた感じがします。そのうちハノイでも日本のデパートのように初売りが始まったり、24時間営業のコンビニができてくるかもしれません。

 今、日本企業のハノイ支社に勤務されていた方が書いた、「ベトナムの微笑み」という本を読んでいるのですが、実にベトナム人をよく観察されていて、途中で何度も、うん、うん、とうなずいています。この方は90年代にベトナムに赴任されたそうですが、ハノイはこの頃から劇的に変わっていったのでしょうね。

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2011年2月 3日 (木)

2011128  一昨日のNIHEの周辺。旧正月に家で飾る金柑が歩道いっぱいに置かれています。売る人はどこにいるのでしょうか。

Imgp0013_2

 昨日のNIHEの正門前の様子。金柑の木と同様、桃の木も家に飾りつけます。桃と金柑は日本でいったら門松でしょうか。

Imgp0014

 本日、旧暦の1月1日のNIHEの前の通りです。いつもなら交通量の激しいここの通りも、今日は車もバイクも走っていません。

 今年もテトはハノイです。これで三年連続です。

 来年はどこかほかの場所で旧正月を過ごしたいなあ。

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