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2011年5月

2011年5月30日 (月)

久々の韓国戦勝利

 今日は夕方6時から韓国戦でした。前回はM先生の送別会の翌朝で、皆二日酔いで走り負け、ボロ負けしました。自分もようやく開始時間に間に合ったくらいに飲んでました。

 ところが、今日は違いました。相手のゴールキーパーが二人ともおかまチックな高校生だったせいか(ちなみに私は彼がジャージを脱いだのを見たと仲間から言われるまで絶対女だと思っていました)、韓国チームの人数よりうちの方が多かったせいか、5対2で勝ちました。

 試合後は韓国チームからの接待の申し込みがあって、キャプテンと年長者の三人、あと若手一人が参加しました。もちろん韓国料理屋でしたが、うまかったです。

 試合前に、韓国チームから東日本大震災の義援金を渡されました。おまけに震災がらみでなぜか競技場代も全部向こう持ちでした。なんか次の試合で三倍返しをされそうな予感がします。

 

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ハータイでの日本脳炎媒介蚊調査

Imgp0214_2 先週は、月曜と火曜の午後にハノイ市郊外のハータイという村で日本脳炎を媒介する蚊の調査をしました。写真は、水田で蚊の幼虫を採集するHさんとS君(カフェを経営していなかった方のS君)。日本もそうですが、ベトナムでも今は稲がある程度生育すると水を切ります。ボウフラにとってはたまったものではなく、田んぼにできた農家さんの足跡に残った水たまりで細々と生き延びています。そのため、雨が降って田んぼが水浸しになるよりも、ある程度水が引けていた方がボウフラを効率よく採集できます。

Imgp0218  今回我々が調査したハータイという場所は一応今のところハノイ市内です。写真は二日目の調査地の様子です。

 札幌には定山渓というヒグマが出没する温泉街があるのですが、ハノイ版定山渓でしょうか(ベトナムにはクマはいませんが)。ハノイにもノイバイ方面以外に山があったんか、と認識させられました。空気が美味かったー。

 ベトナムで田舎に仕事へ行って、飯となったら地酒です。今回もつらかったです。一日目は薬膳酒でしたが、Hさんは飲んだ後は全く疲れなかったと言っていました。翌日はもっと透明なウォッカみたいな酒で、(よくないんだこれが)ヘロヘロでした。

 火曜、水曜と午前中はデング熱媒介蚊の調査だったので、少々きつかったです。来月はうまくスケジュールを組んで、ダブらないようにしたいものです。 

 

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2011年5月27日 (金)

蚊の調査で文句を言われる

 今週はまたデング熱媒介蚊の調査でした。火曜日は午後からハノイ市郊外で日本脳炎媒介蚊の採集もしたので、結構疲れました。そんな大変な一日の午前中はドンダー区で蚊の調査でした。

 朝、保健所に行ってみるとまだ鍵も開いていませんでした。少し待たされて、そろそろ行くのかと思ったら、今日は案内する人が一人もいないとのこと。大丈夫か、なんなら延期した方がいいじゃないかと、提案しましたが、大丈夫、何とか目的の家を探してみせる、というエントから一緒に来た相方のD君の意見にとりあえずは従ったのですが。

 案の定、ドンダー区は小さな家やアパートがごちゃごちゃした場所で番地もないので、家がわかりませんでした。結局、どこでもいいから目標の15軒の家を訪ねようと、ベトナムスタッフからの提案がありました。私の答えはNO!当たり前です。ランダムサンプリングをするために毎回乱数表を使って家を決めているのですから、適当に選んだのでは正当な標本抽出にはなりません。ランダム=適当、と考えている人は意外と多いかもしれません。

 幸運にも案内の人が一人見つかったのですが、その人もリストのうちの4軒の家しか知りませんでした。結局、5軒の家を調査した段階でこの日は打ち切りました。

 あらかじめ、1年前に調査した家も選んでおいたのですが、2軒訪ねて2軒とも拒否されました。前は割と好意的だったのですが、今回はくってかかるような言い方で文句を言われました。

 日ごろ、調査の後は、必ず、ありがとう、と声をかけるようにしていますし、調査の時間中はなるべくフレンドリーに努めていたはずなので、どこで粗相をしていたのか思い当たりませんでした。D君が言うには、このあたりの人達は、今、水道を止められているそうです。きちんとお金を払っている人もいるのに、毎月、我々がやってきて水の調査みたいなことをやっているのが癪に障るらしいです。

 NIHEに戻った時に、自分は田舎での調査の方が好きだと、D君がポツリと洩らしました。私も同感でした。

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2011年5月25日 (水)

軟弱な日本、だからってこれでいいわけじゃないベトナム

 太平洋戦争の時に日本は広島と長崎に原爆を落とされました。日本は世界で唯一の被曝国ですが、21世紀になってまた福島から放射能汚染が進んでいます。放射能が人体をはじめ農林水産業、そして野生の動植物に及ぼす影響をこれから科学的にフォローしていかなくてはいけないのですが、政府はもちろん、トヨタ、パナソニックなぞの日本の企業はそれをサポートするほどの余力はあるように感じませんし、政府に真っ向からNOと言える企業は無いように見うけられます。

 本来なら東京電力が原発の責任を全部しりぬぐいしなければならないのですが、尾瀬の東電小屋をはじめ、環境コンサルの面で(内面はどうかわかりませんが)それなりに努力しているように見える、東電の中央電力研究所もどうなるか分からない状況なので、(日本人としては情けないのですが)ビルゲイツ財団とか、カーネギー財団とか、本当の大金持ちに当面は調査・研究のサポートしてもらって、何十年後かに東電が何とか持ち直した時点で資金の面だけでも代わってもらえればと、考えています。

 放射能の影響は私の想像をはるかに超えていますが、今回の計画停電は、ベトナムにいるわが身としては、日本は豊かになった分貧弱になったのかなあ、と思いました。自分が子供の時は、夕立になるとよく停電になりましたし、実家がお店だったせいで冷蔵庫とかが多くて、夏の夜になるとテレビを見たり扇風機をまわしたら、すぐにヒューズが飛んでいました。そしてそれを直すのが、父親の仕事でした。

 三月に帰国した際にレンタカーを借りましたが、その時に、計画停電になると突然信号が消えますから注意して下さいと言われました。ベトナムではしょっちゅう信号は消えていますし、たとえこちらが青で、絶対向こうは赤信号のはずなのに、バイクが、ビービー鳴らしながら突っ込んできます。昨日なんか、湾岸みたいないい道路やなあ、と、日本脳炎の蚊の採集の帰りに助手席でぼーっと感じていたら、いきなり、三車線の上り車線をダンプが逆走していました。日本だったら、それで事故になって新聞ネタになるのでしょうが、運転手の人は、私が焦ったのを見てケタケタ笑っていました。

 日本では何でも整いすぎてしまって、ありえない、ということが起きたときに、全部の人とは言いませんが、とりあえず何割かの人達が対処できなくなっているのかもしれません。

 北海道にいたときに、東京で大雪になると交通がマヒして、歩道橋を歩いていて滑って骨折をしたって聞くんだけど、あれはなぜなんだって、よく聞かれていました。東京の人間が軟弱なんだ、というのが私と北海道民との共通解でした。なので、ベトナムの電力と交通事情から見たら、今の関東近辺の状況は、当時の(っていうか今もそうですが)北海道と東京の状況と似ているように感じました。

 他でもベトナムの解決法は近代的です。たとえば、バイクのシートの下に給油口とヘルメットを置くスペースがあるのですが、シートのロックを解除する鍵が壊れて、販売元のスズキのディーラーに修理に行ったのですが、とりあえず、シートが開けられるようにした後で、ロックする部分にオイルをぬぐっていたようなぼろきれを当ててロックされないようにして、これでオーケーだ(推定訳)、と言われておしまいでした。えっ、これじゃ、シートの下にヘルメットとか荷物とか置いて鍵をかけられないじゃないか、ともかく、お前はスズキの整備員だろ、と、思ったのですが、それを伝える語学力もなく、たとえ秘書のTさんに通訳してもらっても無駄なのはこの三年間で身にしみているので、結局そのままになっています。

 今、部屋の空調がうるさいです。ハノイは湿気がすごいので、さすがにエアコンはつけたままにはしませんが、アパートの部屋の空調はずっとつけたままにしておきます。ですが、もうずっと4つの部屋のうちのどれかで、特にトイレの空調がうるさいのです。でも、どうにもなりません。うるさいから何とかしてくれと大家に言っても、空調のスイッチを切って、それで終わりです。

 なんか最後はベトナムの不便さを愚痴ったようになってしまいました。ようするに言いたいのは、生きている限りあり得ない状況はないわけなので、体力(いろんな意味で余力)を蓄えながら、慎重に頑張り続けましょう。  

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2011年5月22日 (日)

日本人向けのバー

 合気道に行ったら、日本人らしき少年が母親に連れられて練習に来ていました。稽古は英語のできるベトナム人の若者が対応していたようです。後で話しかけてみたら、日本人学校の先生の紹介で最近来るようになったとか。そういえば、タッチラグビーの飲み会で知り合った日本人学校の先生が、先週稽古に来ていました。稽古の後で全員の師範格にあたるMさんからもう一人日本人の方を紹介されました。

 翌朝早くにサッカーがあったので初級コース1時間半の後の中級コースの稽古に参加するのはやめました。自宅に帰る途中で、ラグビーのAさんがお薦めしていた、「Esperanza」というバーに寄りました。日本人が経営しているので、店の雰囲気はあまりベトナムっぽくなくて、心地よかったです。ママさんはずっと日本にいたので、ほとんど日本の若い女の子と話している感じでした。

 先月、やはりAさんが見つけた、夜景のきれいなレストランも、夜の10時過ぎになるとベトナム人の若い男女がガヤガヤとやってきて、音楽もディスコサウンドになってしまって、雰囲気ぶち壊しでした。お店の人としゃべったり、音楽を聴きながら一人でもちびちび飲める店があったらいいな、と思っていたので、満足です。日本人の住んでいる地域から遠いので、最初はなかなかお客が来ないかもしれません。

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2011年5月21日 (土)

タイビンでの蚊の採集

Imgp0210 二週間前に日本脳炎媒介蚊の調査の下見にタイビン省へ行ってきたのですが、今週は実際に調査へ行ってきました。写真はトラップで蚊を採集した翌朝にホテルにサンプルを持ち帰って、仕分けしているところです。トラップの中にはクモなどが入っていることがあるので、最低限の作業としてそういう捕食者を研究所まで運ぶ前に取り除いておかなくてはなりません。

 朝9時半にNIHEを出て、12時にはタイビン省についたのですが、途中でお昼を食べたときに運転手さんが当たり前のようにウォッカを注文したので、Hさんと飲まされました。

Imgp0209  1時半にホテルに着いて、2時半から地元の保健所を訪問して、保健婦さんと現場に向かいました。NIHEのスタッフと私の連絡が悪くて、予定していた大規模豚舎ではなく小規模な豚舎で調査を行うことになってしまいました。一か所で集中して行うよりもとれない時のリスクが分散して、結果としては良かったのですが、こっちが当たり前と思っていたことでも念を押さなければだめだと反省しました。幼虫採集やトラップの準備、夜間採集をすべて終えたのは夜の8時半でした。少々早すぎる感じもしましたが、蚊はかなり取れていたので良しとしましょう。

 地元の保健婦さんのが手配していてくれたおかげで夕飯を食べそびれずに済みました。写真はメインの魚と鶏肉。が、何と言ってもビールが旨かったです。

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ヘルメットを 盗まれる

 木曜日の合気道は夕方6時から開始なので、仕事が終わったらすぐに家に戻ってこられるようにバイクで出勤しました。

 お昼休みもそこそこにして、仕事を早めにかたずけて、さて、家に荷物を置いてこようかとバイク置き場に行くと、バイクに置いておいたヘルメットがありません。バイクは朝停めておいた場所と違うところに置かれていました。誰かが黙って借りて行ったのか。と考えてみたものの、どうやって自分に返すというのか。どう考えても盗難です。

 お昼にバイク置き場の管理をしているおじさんが食堂にいたので、お昼御飯のあとでエントのC君に事情を説明してヘルメットについて聞いてもらったのですが、やっぱり知りませんでした。

 予備のヘルメットを持っていたのでとりあえずは何とかなっていますが、それでもあまりい気持ちはしません。

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2011年5月16日 (月)

久々のフォワードと中間報告会の準備

 年のせいなのでしょうか、先週、今週と怪我が続きます。もともと体が硬いですから。頭はベトナムに来て多少柔らかくなったと思います。時々忘れた頃に、えっ、と驚くベトナム人の行動を見ていますから。

 今日のサッカーの試合はバックスの数が多かったのでフォワードにまわりました。一年ぶりくらいかもしれません。相手は「おふくろ亭」のMさん率いる、Vタワー人チーム。Vタワーで働くベトナム人が主体でした。試合には半分出て、チャンスは3回ありましたが、得点なし。Kさんのコーナーキックからのヘディングは惜しくもゴールポストに当たりました。結果は3対3の引き分けでした。やっぱりエースのMさんが先月に帰国したのが痛いです。皆、ボールがまわらないと言っています。

 明日、中間報告会があるので、試合後はNIHEに直行して蚊の観察をして、あとは家でスライド作りをしました。昨日の合気道と今日の午後のタッチラグビーは明日の準備のため休みました。

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2011年5月13日 (金)

蚊の翅の標本を千個作成

 今週の昼間はずっと蚊の翅の標本を作ることに時間を費やしました。エント元室長のYさんに手伝ってもらって、五日間で千匹くらいの蚊の翅を切ってスライドに封入しました。これは一昨年のベトナム南部の夏の分だけで、あとは冬の分とハノイの一年分がまだ残っています。たぶん全部で五千匹近くになります。とするとまだ三分の一程度が終わっただけです。

 とりあえずタイの共同研究者に今週の分の標本を送って、彼にデジタル化と解析をしてもらいます。

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2011年5月 9日 (月)

早朝のガス交換と科研の結果

 今朝は管理人のおじさんに起こされました。昨晩飲んで帰った時に部屋のプロパンガスがなくなったのを管理人のおじさんに言っておいたのですが、なにも朝の6時15分に業者を呼んで持ってくることはないでしょうに。ベトナム人は本当に朝は早いです。

 科研を申請した結果が送られてきました。不採択でした。今回は昔の指導教官や拠点事務のHさんにも見てもらって、わかりやすい申請書を作ったつもりでしたが、力が及びませんでした。コメントをいただいた人には面目ないです。

 また9月になれば、来年度の申請書を書かなければなりません。予備データを取ったり、蚊の投稿論文を書いたりと、それまでにやっておかなければならないことは山ほどあります。気持ちを切り替えて、次には必ず通るように準備を進めたいと思います。

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サッカーで知らぬ間に手首を打撲

 日曜日は朝6時に起きて、デーウーホテルに集合しました。その後、皆でグラウンドに移動。今回も7時から紅白戦を1時間やってから、ベトナム人チームと試合をしました。

 朝だというのにかなり暑く、紅白戦では15分間ゴールキーパーをやったのですが、そのあとサイドバックになった時には暑くてふらふらでした。当然、紅白戦の後の試合でもバテバテだったので、30分×2本で正直ホッとしました。試合は2対1で久々の勝利でした。

 試合中いつ痛めたのか気がつかなかったのですが、左手首を打撲していました。これでは合気道はもちろんタッチラグビーもできそうにないので、休みました。

 ラグビー仲間で来週帰国する人がいるので、夕方6時からカウザイ区の「赤とんぼ」で送別会をやりました。皆は近いようでしたが、私のアパートからですとタクシーで1時間弱かかりました。

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2011年5月 6日 (金)

タイビン視察と父親の酒

Imgp0149 日本は連休の後半ですが、私は4日と5日に日本脳炎媒介蚊の予備調査でタイビン省へ行ってきました。朝の集合時間に一緒に行くはずのYさんが来ないので電話してみると、別の車ですでに向かっていました。おかしいな、と思ったら、タイビン省で保健所の人達を相手にデング熱媒介蚊の講習会を行う予定でした。私の調査は彼らの仕事に便乗させられていたのでした。写真は講習会の様子です。ベトナム語なので何を話しているのかまったくわかりませんが、スライドを見ると何とかわかりました。

 お昼はタイビン省の保健局の副所長さんをはじめとした人達と会食でした。副所長さんはたぶん私よりも年配の女性なのですが、酒が強く、何度かウォッカの飲み交わしをさせられました。

Imgp0164 仕事の方は大規模に豚を飼育している現場を案内してもらいました。旭市や諫早の農家さんと同じくらいで、この一軒だけでした。まわりは畑と水田に囲まれていて、素晴らしい環境でした。

 夜は再び保健局の人達と会食でした。また、副所長さんに飲まされて、かなり酔いました。

 自分が子どもだったころ、家に帰ってこずに接待やらで仕事関係の人達と酒を飲んでいた父親を、子供心に何なんだ、と思っていました。そんなにまわりに気をつかわなくちゃ生きていけないんかと。父はもともとそんなに酒が強くなくて、母方の実家に行くのをすごく嫌がっていました。母方の叔父達は皆酒が強くて、飲まされるので。当時の父親の年代になってようやくわかりました。今思うと、父なりに体を張っていたのです。 

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2011年5月 2日 (月)

連休中も蚊の観察とタッチラグビー

 日本では2日が平日で3日からまた三連休ですが、ベトナムでは土曜日から3日(火曜日)までが連休です。日本に比べてベトナムの休みは非常に短いのです。

 初日の土曜日は、ラグビーのAさんとMさん宅でジンギスカンパーティーがあったので、オーデリーのチーズを手土産に夕方から行ってきました。味付きジンギスカンでしたが、久しぶりに食べたらうまかった。十時くらいまでいて帰りました。

 日曜日は午後三時からタッチラグビーをやりました。気温は25度くらいあったでしょうか、とにかく暑くてばてました。ラグビーの後はビールを飲んで、日本食屋で夕飯を食べて帰りました。

 連休中も毎日午前中はNIHEでヤブカの卵の観察です。来年はせめて近場でいいから旅行に出かけたいものです。

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