太平洋戦争の時に日本は広島と長崎に原爆を落とされました。日本は世界で唯一の被曝国ですが、21世紀になってまた福島から放射能汚染が進んでいます。放射能が人体をはじめ農林水産業、そして野生の動植物に及ぼす影響をこれから科学的にフォローしていかなくてはいけないのですが、政府はもちろん、トヨタ、パナソニックなぞの日本の企業はそれをサポートするほどの余力はあるように感じませんし、政府に真っ向からNOと言える企業は無いように見うけられます。
本来なら東京電力が原発の責任を全部しりぬぐいしなければならないのですが、尾瀬の東電小屋をはじめ、環境コンサルの面で(内面はどうかわかりませんが)それなりに努力しているように見える、東電の中央電力研究所もどうなるか分からない状況なので、(日本人としては情けないのですが)ビルゲイツ財団とか、カーネギー財団とか、本当の大金持ちに当面は調査・研究のサポートしてもらって、何十年後かに東電が何とか持ち直した時点で資金の面だけでも代わってもらえればと、考えています。
放射能の影響は私の想像をはるかに超えていますが、今回の計画停電は、ベトナムにいるわが身としては、日本は豊かになった分貧弱になったのかなあ、と思いました。自分が子供の時は、夕立になるとよく停電になりましたし、実家がお店だったせいで冷蔵庫とかが多くて、夏の夜になるとテレビを見たり扇風機をまわしたら、すぐにヒューズが飛んでいました。そしてそれを直すのが、父親の仕事でした。
三月に帰国した際にレンタカーを借りましたが、その時に、計画停電になると突然信号が消えますから注意して下さいと言われました。ベトナムではしょっちゅう信号は消えていますし、たとえこちらが青で、絶対向こうは赤信号のはずなのに、バイクが、ビービー鳴らしながら突っ込んできます。昨日なんか、湾岸みたいないい道路やなあ、と、日本脳炎の蚊の採集の帰りに助手席でぼーっと感じていたら、いきなり、三車線の上り車線をダンプが逆走していました。日本だったら、それで事故になって新聞ネタになるのでしょうが、運転手の人は、私が焦ったのを見てケタケタ笑っていました。
日本では何でも整いすぎてしまって、ありえない、ということが起きたときに、全部の人とは言いませんが、とりあえず何割かの人達が対処できなくなっているのかもしれません。
北海道にいたときに、東京で大雪になると交通がマヒして、歩道橋を歩いていて滑って骨折をしたって聞くんだけど、あれはなぜなんだって、よく聞かれていました。東京の人間が軟弱なんだ、というのが私と北海道民との共通解でした。なので、ベトナムの電力と交通事情から見たら、今の関東近辺の状況は、当時の(っていうか今もそうですが)北海道と東京の状況と似ているように感じました。
他でもベトナムの解決法は近代的です。たとえば、バイクのシートの下に給油口とヘルメットを置くスペースがあるのですが、シートのロックを解除する鍵が壊れて、販売元のスズキのディーラーに修理に行ったのですが、とりあえず、シートが開けられるようにした後で、ロックする部分にオイルをぬぐっていたようなぼろきれを当ててロックされないようにして、これでオーケーだ(推定訳)、と言われておしまいでした。えっ、これじゃ、シートの下にヘルメットとか荷物とか置いて鍵をかけられないじゃないか、ともかく、お前はスズキの整備員だろ、と、思ったのですが、それを伝える語学力もなく、たとえ秘書のTさんに通訳してもらっても無駄なのはこの三年間で身にしみているので、結局そのままになっています。
今、部屋の空調がうるさいです。ハノイは湿気がすごいので、さすがにエアコンはつけたままにはしませんが、アパートの部屋の空調はずっとつけたままにしておきます。ですが、もうずっと4つの部屋のうちのどれかで、特にトイレの空調がうるさいのです。でも、どうにもなりません。うるさいから何とかしてくれと大家に言っても、空調のスイッチを切って、それで終わりです。
なんか最後はベトナムの不便さを愚痴ったようになってしまいました。ようするに言いたいのは、生きている限りあり得ない状況はないわけなので、体力(いろんな意味で余力)を蓄えながら、慎重に頑張り続けましょう。
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