« 2011年6月 | トップページ | 2011年8月 »

2011年7月

2011年7月31日 (日)

北京の銀座、王府井

PhotoPhoto_3 午後から時間が空いたので、北京の銀座と言われている王府井(ワンフーチン)に行ってきました。宿泊しているホテルから一番近くの地下鉄の駅を目指したのですが、行けども行けども辿りつかず、どうしたんだろうかと思いましたら、通り越していました。地下鉄といえば日本なら道路の下に作られていて、道の両側の数か所に出口があるのですが、北京の地下鉄の出入り口はわかりづらいです。写真は王府井のグランドハイアットホテルです。

Photo_2 グランドハイアットホテルから建国門方面を見たところ。6車線の道の両端に自転車専用道路、さらにその端に歩道があってかなり広いです。見かたによってはつくばに見えなくもないか。でも光と空気の感じが全く違う感じがします。北京は乾燥しているというか、埃っぽい感じです。昔は中国というと自転車での通勤ラッシュが有名だったのですが、今ではベンツ、アウディ、BMWとドイツ車がやたら目立ちます。たまに自転車専用道路を走っているのは電動自転車だったりします。


 グランドハイアットホテルの一階と地下一階が東方新天地という場所で、北京で一番大きなショッピングモールです。高級ブランド店が軒を連ねていました。こりゃハノイは相手になりませんな。

 

Photo_4 王府井のメインストリートは歩行者天国になっていました。ちなみにここが北京の銀座なら正面のデパートの時計台は和光でしょうか。東方新天地といい、人の数がすごかったです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年7月30日 (土)

一応、一区切り

 私の発表もどうにか終わり、今ビールを飲んで一息ついています。

 30人でいっぱいになるような狭い会場で、半分くらい席が埋まっていたでしょうか。もともと自分に関連するセッションの議長がマダニの疫学で有名な教授だったのでこの会議の参加を申し込んだのですが、蓋を開けたらその教授は参加を取りやめていて、私の発表はかなり浮いていたように思います。

 発表の15分前までにスライドの入ったファイルを会場の担当者に渡すはずなのですが、担当の中国人の若者は私と入れ違いに出て行ったきり、セッション開始ぎりぎりまで戻って来なかったのでやきもきしました。私のほかにもファイルを渡せていない人が何人かいました。日本の学会なら会場係は会場につきっきりでいて、前の演題が終わったら次のスライドを用意したりするものですが、他に彼のやったのは照明のオンオフだけでした。

 前の人の発表の内容が面白くて、かなり自分はプレッシャーを感じました。練習もしたのですがいざ本番となったら、ぶっ飛んでしまい、終わってみたら中身を少し端折っていました。議長も含めて欧米人に対する反応はイマイチでしたが、私のスライドが良くできていたのでコピーをほしいと申し出た人もいました。

 ホテルに戻って、あーあ、やっぱり俺は発表が下手だな、とへこんでいたのですが、福島原発の放射能の影響についての東大の先生の国会での答弁をY-tubeで見て、こんなくらいでへこたれていてはいけないと感じました。久々に、胸を打つ言葉を聞きました。いかに真摯に事実と向き合ってきたのか、そしてそれをいかに相手に伝えたいのか。英語の上手下手ではなくて、一番大事なのは相手に伝えたい熱意でしょう。そして、それは毎日ベトナム人と一緒に仕事をしたり、合気道を稽古したりして、いつも感じていることです。

 変に相手を意識したり、自分をよく見せようと色気づくから空回りをするわけです。わかる人はわかってくれる。本番までは少しでもわかってもらえるように努力して、特にわかりやすいスライドに直していって、それでもわかってもらえなかったら、それでいいじゃないかと開き直ることにします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年7月29日 (金)

北京一日目

 媒介蚊調査は大丈夫か気になりつつ、ハノイをあとにして北京へと旅立ちました。

 4時間のフライトで北京国際空港に着いたのですが、私の名前か、せめて国際学会のプラカードを持った人がゲートを出たところにいるのかと思っていましたが、それらしい人はいませんでした。

 しょうがないので、空港のネットカフェで会場とホテルを調べて、シャトルバスで会場に向かいました。会場近くのバス停で降ろされたので、そこから市内バスに乗り換えて、台風の影響で小雨の降る中、ホテルに着きました。

 ホテルでチェックインをしようとしたところ、私の名前で予約されていませんでした。ホテルの受付の人が会場で担当者に聞けというので、会場の受付に行ったところ、学会の関係者は引き揚げた後でした。もう一人中国人の女性がいて、やはり学会の関係者と連絡がとれなくて困っていたところ、国際会議場の関係者の人が電話で学会の関係者と連絡を取ってくれました。

 私が代わって連絡を取ったのですが、ホテルの受付に戻れば学会の関係者がいると言うのでそこでしばらく待っていると、ようやく担当者が現れました。彼女が言うには、私のホテルはワンランク上の5つ星ホテルで、ここからタクシーで5分かかるとのことでした。

 言われるままにタクシーで目的のホテルに着きましたが、受付をすると、またしても私の名前がありませんでした。ホテルの主任とみられる人が学会の関係者に連絡を取って、さらに5分ほど待って、ようやくチェックインできました。一応これでも口頭発表を依頼された形で来たのでもうちょっとましな待遇を期待していたのですが、これでは空港に出迎えもないわけです。ホテルに予約すら入れてなかったわけですから。

 それでも、たまたまシャトルバスに乗り合わせた、英語を話せた女性の人、市内バスセンターのおばちゃん、国際会議場の関係者で船越英二に似た人には宿泊するホテルにたどり着くまで、助けてもらいました。こういう人達もいるので、中国も捨てたものではありません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

年数だけ半年になった合気道

 合気道では自分は今、変な立場にあります。

 まだまだ初心者なのですが、ひっきりなしにベトナム人の若者が入門してくるため、初級クラスでは年長組になっています。合気道の練習は二人一組で技を交互に掛け合うのですが、自分より早く始めた人とするときは相手は上手ですし、ポイントを英語で教えてくれたりして親切なので、楽です。しかし、自分より遅く始めた人と稽古をするときは悲惨です。なんつったってコミュニケーションがとれないですし、体で教えようとしても技のかかりがいまいちですから。そのせいでしょうか、同じ頃に入門した人は練習では私を避けるように見えます。

 私と同じくらいに始めたうち半分くらいの子は辞めてしまっていますが、残っているこの顔つきはだんだん変ってきています。特に男の子で自分に自信を持ち始めた子は、顔つきにはっきり出ています。それに引き換え、自分は相変わらず体の固いおじさんのままでしょうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

不安を残しつつも中国へ

 火曜日からデング熱媒介蚊の調査をやっていました。明日から北京なので本当は一日前にずらしたかったのですが、受け入れ先の保健所の都合と私が日本に帰国していたため、致し方ありません。火曜日に行うべき調査地の一つであるホアンキエム地区も、部長のP君が自分も行くと言い出したのでOKのサインを出したのですが、結局調査は行わず、調査地の変更を話し合っただけなので来週に延期になりました。確かに私もホアンキエム地内の調査場所の変更に同意したわけですが、調査をやってから話し合ってもいいだろうに。

 とにかく、明日も含めて三か所の調査が残っているため、不安は大いにあるのですが、いつもこの調査をサポートしてくれているC君とD君を信じることにしましょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年7月25日 (月)

一人海水浴

 日曜日の午前中はサッカーでした。夕方は合気道。サッカーは日本に帰る人の送別会も兼ねていたため、ま、暑かったせいもあって試合後の昼飯に少々ビールを飲んでしまい、午後は合気道に行くまで寝てしまいました。そのせいで、来週の北京での国際会議のスライド作りが夜遅くまでかかってしまいました。

 お昼にサッカー仲間と食事をしているときに、自分は一人で海水浴に行くけれど他の人はいかないというのを聞いて、自分が他人と少しずれているのかと感じました。ベトナムでは一昨年、蚊の調査でニャチャンに行ったときに泳ぎましたが、やはり一人でした。ニャチャンパスツールの人達も朝仕事に来るついでとか、夕方帰りがけに目の前の海で泳ぐと言っていましたが、気ままに一人で泳いでいる感じでした。数人で海で泳いだ記憶で一番新しいのはやはり調査旅行中にニャチャンでベトナム人と泳いだ時でした。

 まあ沢山で遊びに行った方が楽しいのですが、長崎にはそういう友達がいませんからね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年7月23日 (土)

久々、バテバテのタッチラグビーと合気道

 今日のハノイは朝から雨が降ったりやんだりでした。これでは午後のタッチラグビーも中止かと危ぶまれたのですが、水はけの良いグランドのおかげで予定通り練習となりました。それでもなかなか最初は人が集まらず、2対3かとも思われたのですが、結局外人も3人加わって4対4で練習を行いました。一応、前半の長崎でも群馬でもそれなりに走ってはいたのですが、今週は走っていなかったためかなりばてました。

 練習の後はお好み焼きの店に行く予定だったのですが、2週間合気道もやっていなかったため、練習に行きました。ところが、最初の初心者コースでバテバテになってしまったため、後半の中級者コースはやめて帰宅につきました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年7月21日 (木)

まる一日の講義

 午前中に二コマ英語でダニの講義をして、午後に二コマ蚊とダニの講義をしました。さすがに午前の講義が終わった後で疲れを感じました。やはり英語で授業となると神経を使います。パワーポイントで作ったスライドを中心に授業を進めたのですが、スライドの構成とか無駄な言葉をなるべく省いて図にするとか、最低限必要な英語の単語を入れておくとか、授業中にもこうした方がいいなとか、感じる場面がありました。あとは、学生がきょとんとするようなスライドは二度と使ってはいけないですね。誰のブログだったか覚えていませんが、授業で使ったスライドはその日のうちに見直しておいて、来年の講義に備えておくようにするというのを見たことがあったので、今回ホテルに戻ってから実践しました。確かに授業の直後であれば、どこで学生たちが理解しづらかったかとか覚えていますので、4コマ分のスライドを一字一句直すのは無理としても、構成を変えたりとかダメなスライドを消去するとかだけはやっておきました。

 昨日は熱研の病害動物の人達にこれまでの仕事の進捗状況を説明したので、今日の講義でもって今回の仕事のノルマを無事すべて達成できました。あと残っているのは来週の中国の国際学会での発表です。これは今からでも発表練習を少しでも多くやっておきたいと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年7月19日 (火)

今年の夏の帰省、カモシカ・シカの展示会と付録のマダニ

 日曜日に実家へ戻りました。いつもですと夕方家に到着することが多いのですが、今回はお昼についたので午後から父親の車を借りて買い物に行ったり、地元のプールへ行ったりしました。この日の群馬は最高気温が館林で38度でした。

 なぜかプールでは少しも疲れず、ひたすら平泳ぎで50mを往復していました。家に帰ってから犬の散歩をして、その後ジョギングしたのですが、このときにはさすがに疲れていました。ビールで腹が膨れてパンパンになったので、9時過ぎにはあっさり床につきました。私の家は赤城山麓の谷間にあって、関越自動車道が近くを通っていて、夏は霧で有名です。これは昼と夜の気温差が大きいために起きるので、実際この日の晩も窓を開けていたらぐっすり眠れました。

 連休の最終日は千葉中央博へOさんを訪ねました。来年の夏に彼がカモシカとシカの展示会を企画することになり、そこでマダニの展示も入れる予定なので打ち合わせに行きました。彼の分野の場合、展示にストーリー性を持たせる必要があるそうで、結構悩んでいました。マダニはパネルを飾って、顕微鏡で標本を拡大するそうですが、それ以外にアイデアがあったら教えてくれと頼まれていたのですが、今のところ特に思い浮かびません。私が博物館に行ったのが夕方5時頃だったので、1時間ほどで飲みに出かけたのですが、飲みながらも展示会の話は尽きませんでした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年7月17日 (日)

 土曜日の朝、まだかなり前日の酒が残っていました。午後から科博の自然教育園で発表があったのでスライドの最後の見直しをしてからお昼前にホテルを出ました。

Imgp0281 
 ベトナムのオフィスで同室となったPさんから、娘のために日本語のテキストを買ってきてくれと頼まれていたので、まず新宿の紀伊国屋へ向かいました。日本語検定用のレベルの高い本が充実している割に初心者向けの本はあまりなかったため、あまり迷わずに本を購入できました。できるだけ漫画やイラストが多くて、あまり厚くない本にしました。それから、大人向けの日本語入門というのがあったので、それはエントのD君か、さもなくば合気道の誰かにあげようと思って買っておきました。

Imgp0282 談話会の開始時間は2時半からだったのですが、1時間前に教育園にはいって、園内を探索しました。ここには15年ほど前に、植物の生態学講座と実習を受けに千葉から何回か通ったことがありました。今回の談話会は三年前に話があったのですが、ベトナム行きのためにお断りをして、さらにこの前の大震災で延期となりました。昔、生態学の勉強のために通った場所で、マダニの生態学について発表するというのは、縁があったというか、感慨深いものがありました。

 私の前の演者はこの談話会の常連で、病院の症例報告を中心とした発表をしたため、自分の発表は今回の聞き手の人にわかってもらえるか不安になったりもしたのですが、終わってみると結構厳しい質問が出たりしました。

 発表の後は懇親会になったのですが、結構皆さん付き合いが長いようで新参者の私は最初はなかなか話に加われませんでしたが、最後の方は世話人のK先生や富山大のYさんと話をすることができました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年7月16日 (土)

 今日、土曜日の出来事の追加です。そもそも、今となっては、遠い、とおい、私が高校の時のお話です。

 私が通っていた渋川高校の、下校時の通り道に宮川書店という本屋さんがありました。ま、男のサガで、その本屋の近くに渋女通りという女子校生が登下校にしていた通りの近くにありました(な、なんつー、ローカルかつわかりやすい)。

 当時の自分はすごく中途半端でした(今でもそうかも)。渡井の通った高校は伯父がずっとそこの数学の先生だったこともあって、そのくせ成績はパッとしない、部活もしていない、でも、大人を斜めに見ているいやーな高校生でした。そうなった元をたどれば、おやじの会社の倒産であったことは否定しません。ぐれたり、つっぱることもせず、大人を斜めに見ていた嫌ーナ、思春期の男でした。

 で、宮川書店に話を戻すのですが、おねーちゃんと知り合うチャンスがあったのもあるのですが、そのほかにエッチ系の週刊誌や写真誌が当時としては充実していました。早い話がそれで足げく通っていました。

 本当に当時の自分は将来のことについて悶々としていました。おねーちゃんのことは置いといて、とりあえず、文科系に行くのか、理科系に行くかで悩んでいました。子供のころから怪獣、恐竜、動物、昆虫、と好きなものを追いかけていて、あの当時のテレビ番組の、「驚異の世界」、「野生の王国」、「素晴らしい世界旅行」という、ドキュメンタリー番組が小学生の頃に大好きなお子茶までした。いつか自分も世界中の、未開の地域に行って動物の研究をしたいと思っていました。

 それが、中学二年の時のおやじの会社の倒産で、人生観が変わるくらいにショックを受けました。所詮、世の中金だ、とガキのくせに開き直っていたのですが、さすがに高二くらいになると、そろそろ進学か就職かとなって、人生の岐路で迷っていました。

 いつもの行きつけの宮川書店でエッチな雑誌の新刊号が来ていないかと探していたときに、たまたま自然とかの写真主体の雑誌が目にとまりました。手にとって開いてみると、密猟でアフリカの野生動物が危機にひんしているという記事や、逆に国立公園ではアフリカゾウが増えすぎて間引きしているとかいう記事もあって、なかなか中身の濃い内容でした。その雑誌に日本人の獣医師がサバンナでマサイ族とともに家畜の病気を治療したりしているというのを見ました。

 自分としては、お金も大事だけれど、それでも人生は一度きりなのだから、やりたいことをやってみた方がいい、と思って、結局、動物関係の大学に行って、いきものを研究する仕事をしたいという結論になりました。

 それで何を言いたかったかというとその獣医の方が、今長崎大学で博士号を取ろうとしています。テーマは家畜や人間に眠り病という病気を媒介するハエの生態を研究することだそうです。本人かどうかの確信は持てませんが、たぶん、つーかあまりそういう方はいないので、私の中ではOKとしています。 長崎大のゲストハウスから空港までずっとその人とマダニの話とか、これまでの人生とか、語ったのは、すごく不思議な感じです。十代の子供がサッカーの本田とか、沢選手とかに会ったような感じなのでしょうか。

 自分の人生を決めてしまった本や、新聞も含めた読み物に関連した人と出会えたのは良かったです。 

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

四捨五入して二十年ぶりのフラテの飲み会

 今日は移動日だったので早々と長崎から東京に移りました。

 

 例によってと言いますか、新国立美術館でワシントンナショナルギャラリー展をやっていたので、見に行きました。西洋の絵画では、宗教画とか神話を題材にした絵は日本人にはイマイチわからないと思うのですが、印象派とか後期印象派の絵はそんな知識なしに受け入れられますし、ヨーロッパの画家がジャポニズムのブームから日本の絵画から影響を受けているので、日本人に受け入れやすいのかもしれません。ちなみに、これは私の勝手な憶測です。

 

 7月第1週の土日に私が大学生の時に所属していたラグビークラブチームの30周年記念がありました。フラテという名前なのですが、ドイツ語で仲間たちという意味です。もともとは北大の医学部ラグビー部があまりにも人数が足りないので、他の学部でもいいからラグビーをやっていた人、やりたい人を集めてできたクラブでした。

 それで、30周年の時に北海道まで行けなかった東京近郊のメンツで、角田と久々に連絡をとれたから囲んで飲もう会を今日の夕方開きました。皆それなりに年はとった人も若干いましたが(髪の毛とか)、それでもほとんどの人はあまり変わっていませんでした。

 

 それにしても、自分と同期のキャプテンだった、粟井の(敢えてA君とは書きませんが)内面の全く変わっていないのにはほっとした半面、びっくりしました。

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年7月14日 (木)

長崎で実習の手伝い

 土曜日に長崎に戻ったわけですが、結構毎日せわしないです。

 月曜日は病害動物実習のお手伝いで、諫早市に蚊の幼虫と成虫を取りに行きました。4年前に長崎大へ赴任したばかりの時にも同じ場所へ採集に行ったわけで、懐かしかったです。それにしても暑かった。昼間の暑さはハノイとそれほど変わりません。

 火曜日の午前中は前日採集した蚊の同定の実習でした。ここはさほど苦労せずに終わりました。一応肉体労働的な実習が済んだあとは、ひたすら翌週の講義のスライド作りと3年前に房総で採集したマダニ標本の同定に時間を費やしました。今回はあまり買い物にも行かず(というか行く暇もなく)、仕事以外は近くの陸上競技場へ行って走っていました。実は日曜日に車を借りて、長崎市周辺をドライブしたのですが、それは後で写真をアップします。

 日本に来てあっという間に一週間が経ち、明日から東京です。明日の夜は熱研の研究室の飲み会と北大のラグビーの時の仲間との飲み会のダブルブッキングになったのですが、北大が先約ですし、飛行機のチケットも取ってあるので、東京での飲み会に参加します。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年7月 9日 (土)

今年の夏の一時帰国

 熱帯医学研修コースの授業をするので今夜から日本に一時帰国します。私の講義は最終日なのですが、実習の手伝いもするように言われたので例年よりも一週間くらい多く日本に滞在します。今年はウイルスを媒介する蚊の講義を日本語と英語それぞれ1時間半も担当するので、その準備が結構大変でした。それから、ダニの講義は新しいハウスダストマイトの本が4月に手に入ったので、去年の内容に少し家の中のダニの話を加えました。

 他に来週末、東京に出張して、寄生虫学会の談話会でマダニの話をします。このときはついでに20年ぶりに大学時代のラグビーの先輩や後輩と会う予定です。実は先週末に札幌でクラブの30周年記念パーティーが盛大に開催されたのですが、参加できない私のために東京在住の先輩が皆に声をかけてくれたのでした(涙)。

 さらに来年千葉中央博でシカ、カモシカ、キョンの展示会があるのですが、そこでダニの展示を盛り込むことになったので、博物館のOさんと打ち合わせをする必要があります。また、長崎大の研究室で仕事の進捗状況を発表しなければなりませんし、新たな蚊の防除機材を開発した方と長崎大で会ったり、三年前に房総のカウント調査で採集したマダニの幼虫の同定をしたり、イエカの飼育法を学んだりと、今回はかなり密度の濃い日本滞在になります。

 もちろん、蚊とマダニの論文も溜まっているのでこれらも書きあげなくてはなりません。今回は自分で忙しくした感じもありますが、そうしないと仕事が溜まっていきそうなので、今年の夏は溜まった仕事をまとめて掃き出そうと思っています。

 今はまだハノイで、ベトナム航空のラウンジにいます。時刻は深夜の12時半です。深夜のタクシーはトラブルがありそうなので、最近は早めに空港に来るようにしています。ラウンジだとゆったりできますし、ネットがつながるので快適です。それでも福岡行きは2時発なので、まだ1時間半もあります。前はネズミが走り回り、お姉さんたちが制服からパジャマに着替えて、椅子を並べて寝始めましたけど、今回もそうかなあ。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年7月 7日 (木)

エスペランサで深酒

 日曜日は午前中にサッカーをやったのですが、9時から30分のゲームを4本のほかPK戦の練習までやったので終わったのが昼過ぎになりました。お昼を食べたらすでに2時で、先週採集した蚊の同定や卵の観察があったのでタッチラグビーに参加する時間はありませんでした。合気道は練習をいつもしているハノイ貿易大学の試験日だったので休みでした。

 ここのところハノイは連日猛暑です。今朝オフィスに入った時に気温が30度でしたので、昼の気温はたぶん35度を超えています。夜寝るときの寝冷えと睡眠不足にならないように気をつけているのですが、昨晩はHさんとエスペランサでつい深酒をしてしまいました。先週の金曜日にも別のHさん夫妻の結婚のお祝いの後、Y教授とこの店に来てボトルを一本空けてしまいました。そのせいか少し体調不良気味です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年7月 1日 (金)

デング熱媒介蚊調査での大失態

 デング熱媒介蚊調査は2チームに分かれてハノイ市内の8つの区を4日間かけてまわります。各区15軒の家を200軒の中から乱数表を使って毎月選びます。もちろん、留守の場合とか拒否される場合もあるので、予備として余分に何軒か選んでおきます。今日は今月最終日の予定でした。

 昨日の引っ越しで書類の紛失がないように、あらかじめ訪問する家をリストアップした紙を別のチームに渡しておいて、自分のチームの分も相方のD君に渡してきました。いつもなら自分のチームの分は私がもっているので、今日の現場に向かう車の中でも、リストを忘れた、と思ったりしましたし、それ以外でもなんか落ち着かない感じでした。

 最後の区は一番郊外にあるのですが、現場に着いてからいつも待たされます。今日も30分近く待たされて、いざ始めようかと思ったときに、家のリストを間違って渡していたことに気がつきました。急いで別の現場に行っているチームに電話をかけたのですが、悲しいかな、英語があまり通じないので要領を得ません。

 ベトナム人はこのような場合勝手に自分の判断で行動する傾向があります。うちのグループの保健所の人もリストがないのに勝手に自分たちで家をまわろうとしたので、とりあえず保健所に戻ってリストの控えとかコピーがないか探してもらいました。結局、そのようなものを残してありませんでした。

 もう一つのチームは案内をする人がリストのコピーとこれまでに回った家を控えてあったのでいくつか家を訪問していました。結局私たちが電話をしたときに雨が降ってきたので仕事は中断していました。自分としては早くに相手のいる区の保健所に行ってリストを交換したかったのですが、それをやっていると午前中に仕事が終わらないという判断から明日に仕事を延期しました。

 私が間違ってリストを渡したところからことの発端がおこったわけですが、別のチームが最初に気がついたときにこちらに電話してほしかったです。そうすればもう少し早く対処できたかもしれません。予定外の状態になった時に自分たちが自己判断で行動するのは戦争で生き残るときやスポーツの試合では良いかもしれませんが、仕事では、携帯を持っているのですから指示を仰いでほしいです。

 現場では保健所のスタッフに、NIHEに戻った後はベトナム人スタッフに真っ先に謝りましたが、その後で、今後は必ず電話をするように頼みました。

 たぶん、ベトナムに赴任してから二番目の大失態でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2011年6月 | トップページ | 2011年8月 »