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2011年8月

2011年8月31日 (水)

研究と快便

 人間、食べたら、出します。

 研究活動を食事と排泄にたとえた、ある偉い先生の随筆に書かれていました。快便があるからこそ、健康な生活が送れるわけだし、食事もますますおいしくなります。研究もそれと同じで、論文として形に残して世に出してこそ、正常な研究活動といえるそうです。

 私自身はベトナムに来てから糞詰まりです。千葉大にいた頃の論文が滞っていますし、この二年間は長崎大に来てから二つ目の論文に手を焼いています。この原稿はあちこち落ちまくり、今回も半年待たされてリジェクトされました。返ってくるコメントがだんだん辛辣になってきたような気がします。もう一度手直しして、昨日、別の雑誌に投稿しました。

 もう一つはベトナムに来てから初めての仕事で、ようやく英文校閲も終えて投稿する段階まで来たのですが、共著者から、医学的な調査なので原稿にインフォームドコンセントをきちんと行ったことなどを加えるように指示がありました。これまで、この手の論文を書いたことがなかったので、この修正にも時間がかかっています。

 私は便秘も下痢も嫌で、快便するとトイレで少し幸せを感じます。日々の研究活動も快食快眠快便のサイクルに近づきたいですね。

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エントの掃除と実は近かった北大からの出張者

 午前中に仕事をしていたら、部長のPさんから、「今日はエントのメンバーで一緒にお昼に食べに行きましょう。」と、誘われました。

 何でですか、と尋ねると、これから実験室の掃除をはじめます、との返答。いつものことながら、突然その日に言われたので、とりあえず勝手に長崎大学の機材とか消耗品を移動されると困るので、私も掃除に付き合いました。

 案の定、部屋の隅に置かれた機材一式をロッカーに移してくれと言われたので、とりあえず移しました。数日前に副所長はじめ事務職の人達が見回りに来た際に、部屋が整理されていないのを指摘されたそうです。仕事の効率よりも見栄えさえ良ければいいのかとか、思いましたが、郷にいったら郷ひろみ、ではなくて郷に従わなければならないので、長崎大学のものをロッカーにしまいました。

 お昼はNIHE近くのホアビエンというビアホイでした。はー、昼間っから飲まなくてもいいのにとも思ったりしましたが、男衆が盛り上がっていたので、私も飲みました。

 一息ついて、蚊からの日脳ウイルスの分離をHさんのスタッフと行った後、もう合気道の稽古に行く気力は残っていなかったので、Hさんと北大からハンタウイルスの研究に来ているYさんとIさんと海鮮料理を食べに行きました。

 Yさんはもう2カ月近くハノイで仕事をしていて、この一カ月の間に何度か飲んだりしていたのですが、先週に飲んだ時に北大の理学部生物の後輩だと知りました。彼は理学部の後は地環研に移って哺乳類を研究したそうで、応用動物の関係者もよく知っていました。

 Iさんは今週から来ているのですが、前にどこかで会った気がしていたのですが、数年前は長崎大のMTMの学生さんで、私のダニの講義も受けたそうです。すみません。ちっとも気付かずにいました。

 こういう業界は狭いですね。身の振る舞いには気をつけよう。

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2011年8月27日 (土)

シルク村、熊を飼っている家

 昨日のC君の件ですが、彼の上司のHLさんにメールで昨日の状況を伝えて、今後は最低限、調査が終わったら(寄り道せずに)NIHEに直行することと、午後はNIHEにいるか、私とコンタクトをとれる状態でいるように言ってもらいました。データの記入は見直すと言った割には相変わらずミスがありましたが、HLさんのおかげで今日の彼の対応は違いました。

Imgp0434 今日は他の保健所の保健所の人がインターシップに来ていたそうで、そのうちの5名の女性が我々の調査に最初の1時間ほど同行しました。

 前回から、同じ区の保健所の管轄内なのですが、今までの隣の区域を調査区域に変更しました。

 で、案内する人も変わったのですが、中央に移っている帽子をかぶったおじさんがその人でした。かなりテンションが高くて(というか高すぎて)、訪問する家々で、日本から蚊の調査にやってきたスーだ(ツノダと発音できない)とか、ベトナムのための研究をやるているんだ(推定訳)とか、かなりしゃべくりまくっていて、訪問した家の人にかえって悪い印象与えないかなとか、ひやひやしました。

Imgp0435 今日調査したHa Dongは絹で有名で、休憩中にやけに外人の観光客が目について、そのことを思い出しました。以前は、表通りでなくて、裏通りの地域をまわっていました。もちろん3,4人体制の町工場とか、おばちゃん一人でやっている機織り場とかをこれまで目にしていたのですが、1年近く通っていて表通りを見たのは今回が初めてでした。写真ですと、遠くに門が見えます。

Imgp0438 ベトナム人の家を訪問すると時々びっくりすることがあります。今日のびっくりは、最後に訪れた家で熊を10頭近く飼っていたことでした(ムツゴロウさんか)。何のために飼っているのか聞きたかったのですが、同行したスタッフも聞きずらい感じだったので、写真だけ撮らせてもらいました。ベトナム人もあまり公にしたくはないんでしょうかね(私のブログでは公開していますが)。漢方薬か精力剤になるんでしょうね。日本にもいるツキノワグマは、ネパールから日本までの東アジアに分布していますが、大部分の地域で絶滅が危惧されているはずです。

 群馬県の渋川市から草津に行く途中に吾妻渓谷という場所を通ります。今は国道にバイパスができて渓谷沿いの狭い国道を通ることはなくなりましたが、紅葉で有名な場所なので、昔は結構にぎわったものです。その吾妻渓谷にあったドライブイン(今は絶滅危惧です)の駐車場脇に、崖をくりぬいて熊が数頭飼われていました。草津温泉に行った帰りとかに、よく立ち寄って熊を眺めたものでした。記憶が定かではありませんが、たぶん10年以上前にこのドライブインはなくなったと思います。最近もてはやされている、動物の権利という概念からすれば、今から思うととんでもない話でした。





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2011年8月26日 (金)

ハチに刺され、ミスターミステイクに怒る

 今日の媒介蚊調査で、いつものようにベトナム人の家の中に入って最上階まで上がらせてもらったあとで、ベランダへ出ようとしてドアを開けたところいきなり指に激痛が走りました。見ると、軒下にアシナガバチの巣があって10匹ほどの大きなアシナガバチが巣作りをしている最中でした。ドアを開けたときに巣に触れて、ハチを刺激したようでした。

 ぬるい、ちょろちょろの水道水で冷やしている最中にも1匹のハチが襲いかかってきました。そいつはひとまず網で撃退したのですが、さすがにこのまま立ち去ると家主に迷惑がかかるのでドアを再び閉めて下に降りました。刺された左の中指は当初は腫れて熱をもったのですが、2時間ほどで腫れはひきました。

 調査が終わった後でNIHEに戻って、採集した蛹の処理をした後で昼を食べに行きました。今日は動物昆虫部の部長のPさんの御尊父の三回忌だったので、私も他のスタッフと一緒に彼の家に招かれました。

 NIHEに戻った後はすぐに午前中に取ったデータのチェックと入力をしました。私のチームともう一つのチームの2チームで毎回調査を行っているのですが、片方のチームのC君の書いたデータには空欄があったり、字が読めなかったりと何かとミスが多いので困っています。私が彼につけたあだ名は「ミスターミステイク」です。

 ともかく、なるべくすぐに彼に尋ねて問題を解決するようにするのですが、時々午後にいなくなります。今日もPさんの家を出た後で消息を絶ちました。

 調査の後半の二日間にはC君は家から直接現場に向かった方が近いそうなので、私は前日に彼が帰宅するまでに(4時くらいまでに)入力を済ませ、翌日の準備を整えます。そのためにこっちはお昼休みを削って仕事をしています。それなのに、電話にも出ないのはどういうことなんでしょうか。腹が立ちました。

 5時近くになって、「机の上に明日使う紙とGPSを置いといてくれ」とメールが入ったので、聞きたいことがあるからオフィスに来るように言いました。それも5時半までには来るといいながら、時間に遅れて来たので、いい加減頭にきました。

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2011年8月22日 (月)

タッチフットキャプテンの送別試合

 8月いっぱいで日本に帰国する、タッチラグビーチームのキャプテンの送別試合を日曜日の昼間に行いました。彼はハノイの外国人チームとも交流があったので、外国人も多数参加していました。また、日ごろハノイチームと交流のあるサイゴンチームからも4人の人がわざわざ参加してくれました。

 炎天下の中、日本人2チーム、外国人2チームの合計4チームで総当たり戦を行いました。午前中にサッカーをやった後だったので、左足首に多少痛みがあったのですが、なんとか試合を行ったら痛みなど忘れてしまいました。

 今回のイベントを記念してジャージ作ったり、優勝チームに賞金が贈られたりと、なかなか盛り上がりました。試合後はいつものようにJafaでビールを飲んで、その後焼き肉屋で夕食会となりました。

 さらに三次会をキャプテンの家で行いました。Mさんの用意してくれたスパークリングワインを飲み、キャプテンの奥さまの料理を堪能し、さらに盛り上がって皆でプールに飛び込んだりしました。ふるちんの人もいたような。ヘロヘロになって帰宅しました。

 

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2011年8月20日 (土)

氷を取って凍傷になる

 -80度の冷凍庫の蓋がきっちり閉まらなくなっていて、霜というか氷が蓋についてそれがだんだん大きくなるので、時々それを取り除いています。私が日本に帰国している間とかベトナム人スタッフも霜取りをしてくれているのですが、氷を取るというよりも中へ落とすので、だんだん氷が下の方へたまっていました。

 木曜日にいったん冷凍庫の底にたまった氷を取り除いたのですが、蓋の部分で溶けていた氷をいじってからそのまま濡れた軍手で作業をしたので、軍手が凍ってしまいました。15分位で作業は終わったのですが、薬指をはじめとして左の指先の感覚がなくなって、軽い凍傷にかかったようでした。

 その後、ずきずきと指先は痛みだして、今日は薬指の先が水膨れになっています。どうすべ。

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2011年8月17日 (水)

バイクの故障と修理

 日曜日に家に帰った時、いつものようにバイクのエンジンをいったん止めました。管理人のおじさんがバイクを入れる踏み台を置いてくれるのを待ってから、再びエンジンをかけようとしたらかかりません。キックでエンジンをかけようとしてもかかりませんでした。

 月曜日に秘書のTさんに、「エンジンがかからないので、直してほしい。」という文面を英語からベトナム語に訳してもらった紙を持って、NIHEの近くの修理工場へ行きました。バッテリーを交換したら直る、と言われたので、とりあえず修理工のあんちゃんの言うことを信じて、交換してもらいました。

 その通り。再びエンジンがかかりました。

 おかげで今日は合気道の稽古に行ってこれました。今はバイクがないとかなり不便です。合気道、サッカー、タッチラグビー、マッサージには毎週必ずバイクで行っているので、結構バイクを使っています。

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2011年8月13日 (土)

1Q84

 先週から村上春樹の「1Q84」をY教授に借りて読んでいます。実はもっと前に私が彼にジャレッド・ダイアモンドの「銃・病原菌・鉄」を貸して、代わりに1Q84を借りたのですが、Y教授の方はすぐに読んでしまいました。私は、単行本3冊はかなりがさばるので、一時帰国の時も中国の時も持たずに旅行しました。それで、中国から戻ってから読み始めたのですが、今、はまっています。

 特に2巻目のあたりが物語のクライマックスで自分としては引き込まれました。オウム真理教を彷彿させる宗教団体が出てきて、物語がますます面白くなっていきました。今週は風邪をひいていたのですが、夕食を取るとさっさとベットに入って、眠くなるまで読んでいました。今は3巻目の半分くらいを読んでいるところです。

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2011年8月10日 (水)

夏風邪をひく

 ハノイに戻ってきてから、暑くて毎晩寝苦しいので、エアコンと扇風機をつけっぱなしで寝たら、風邪をひいてしまいました。たぶん中国での疲れも残っていたかもしれません。

 鼻水が止まりません。風に当たると条件反射のように鼻水が出てくるのでティッシュを手放せません。あと、時々くしゃみが出ます。

 昨日は合気道の稽古を休んで早めに寝たのですが、それでも体調は良くなりません。今日も仕事の後はどこにも外出せず、真っすぐ帰宅します。

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2011年8月 6日 (土)

景山公園とジャージャー麺

Imgp0419_2 朝9時にチェックアウトを済ませて、荷物を預かってもらってから、景山公園へ向かいました。フライトは午後5時半なので、半日をどこで過ごそうか考えたのですが、緑の多い場所でボーっとしたかったので、消去法で決めました。

Imgp0420

 地下鉄の駅から15分位てくてく歩いて目的地に着きました。緑が多いという意味では正解でした。ここは明の永楽帝が護城河を掘った土で作ったそうで、山の上には万春亭という楼閣があります。昔はこの山が北京で一番高かったそうです。

Imgp0423 万春亭から南を見た眺め。紫禁城がまる見えです。夕方になると紫禁城の屋根が金色に輝いて見えるそうです。

 山の上を風が吹き抜けていって涼しいので、しばらく北京市内の景色を眺めてボーっとしていました。

 だいぶ汗がひいたので、お昼を食べに行くことにしました。

Imgp0424 地下鉄に乗って、観光ガイドに載っていたお店を目指したのですが、移転してしまったらしく、跡地はもぬけの殻になっていました。

 仕方なしにまたとぼとぼともと来た道を引き返していくと、路地裏から人々が表通りに出てくるので、なんだろうと思って裏路地に入ってみると、路上市場やこ汚い食堂が立ち並んでいます。

 表通りを歩いていたときにやけに生活臭が匂うなと感じていたのですが、裏通りはハノイと全く変わりませんでした。車があるのと、路面が泥で汚れていないのが違うくらいです。上半身裸で、真昼間からビールをラッパ飲みしたおじさんが果物を売ったりしていました。

Imgp0425 OLらしき女性二人が出てきたお店があったので、それほど汚くはないだろうとふんで、一人でお店に入りました。

 私が頼んだのはジャージャー麺。他の客は焼きそばみたいなのを食べていましたが、今こうして写真を眺めていると、平たい皿にスープなしで麺がのっているのが焼きそばで、どんぶりに汁が入っているのがジャージャー麺な気がしてきました。味付けは薄くて、どちらかというと盛岡のジャージャー麺の方が私は好きです。













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2011年8月 4日 (木)

天安門、紫禁城、天壇公園

Imgp0355 今日はまず天安門広場へ行きました。話には聞いていましたが、確かに広かったです。広場の至る所に公安がいました。私などは1989年の天安門事件が記憶に新しいのですが、先日の高速列車脱線事故の後処理を見ても中国の民主化はまだ先のことになりそうです。

 毛沢東の肖像画がかかっているのは紫禁城の正門です。私たちは肖像画の下の入り口から中に入りました。

Imgp0373



 紫禁城というとラストエンペラーを思い出します。ジョン・ローンは最近映画で見ませんが、どうしているのでしょうか。

 紫禁城の中に入ると人また人で、人をかき分けて写真を撮ったりしました。これは皇帝の玉座です。映画でも使っていたような気がしました。

 見学は王道ルートと観光案内に書かれている直線コースを進みました。東西にも御殿と宝物殿があるのですが、時間がなくて今回は最後に少ししか見れませんでした。

Imgp0416 昼食の後は皇帝が五穀豊穣を祈ったとされる天壇公園へ。敷地は四角い壁で囲まれて、その中に円形の建物があります。四角は地を円は天を意味するのだそうです。それから昨日からガイドさんがよく言っていたのが9という数字です。日本では苦を連想させるのであまり好まれませんが、中国では良い数字だそうで、この石段も9段ずつ3つの段を積み重ねています。

 暑さのせいか、今日も午後にはぐったりしていました。Imgp0417



 一日の終わりは北京ダックでした。この店は1864年に創業した老舗だそうで、我々が訪ねたのは市内にあるいくつかの支店の一つです。この店ができたおかげで、宮廷料理を庶民が口にできるようになったとか。サービスは日本と比べて今一つでしたが、料理は確かにおいしかった。

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2011年8月 2日 (火)

 学会も昨日で終わり、今日は北京市観光ツアーを申し込んであったので、朝からバスで出かけました。

Imgp0318 まずは万里の長城。北京市郊外にある二つの長城のうちの居庸関長城へ行ってきました。かつて毛沢東は、「長城に至らずば好漢にあらず」と述べたそうです。好漢=ナイスガイ、と聞いて、サッカーチームの監督からイカメン長男と命名された私がどうして行かずにいられましょうや。

 かくして、2時間の制限時間の中で頂上を目指したわけです。

Imgp0317

 が、なにせ登りが急でした。しかも人が多すぎて渋滞していました。最初の見張り台からだんだん人が減っていったので、1時間後に頂上にたどり着きました。ガイドブックを見ると居庸関の城壁は全長4kmあって、一周できるそうですが、実際にやったら大変です。この日は曇っていたのですが、Tシャツと短パンが汗でびしょびしょで頂上で一回、下に降りてまた一回Tシャツを脱いで汗を絞りました。

Imgp0328

 次の場所へ向かう途中で、青磁の店と絹製品の店にそれぞれ立ち寄りました。これは絹製品のお店のガイドさんが説明したポスターで、羊毛も羽毛も綿もダニが繁殖するが、絹は決してそんなことないと訴えていました。中身はともかく来年の熱帯医学研修で使おうかな。

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 次に向かったのが”い和園”でした。ここはもともとは乾隆帝が母親のために作ったそうですが、その後西太后が自分の還暦を祝うため海軍の経費を流用して大改造したそうです。そのせいで日清戦争で日本に負けたのだそうです。写真は昆明湖の湖岸から見た万寿山。人工の湖を作った時の泥を盛り上げて写真の丘を作ったそうです。やっぱ中国の皇帝はスケールがでかいです。日本ではせいぜい秀吉の聚楽第でしょうか。

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 湖岸沿いに建てられた回廊。724mもあるそうで、柱には全部別な絵が書いてあります。万里の長城もそうでしたが、ここも非常に込み合っていました。もっと時間を取ってゆっくりまわりたいものです。

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什刹海を散策

 今日も午前で聞きたい講演は終わったので、午後から什刹海(シーチャーハイ)へ行ってきました。

Imgp0302 まずは、三輪車のおじさんの勧誘をぶっちぎって鼓楼(コロウ)・鐘楼(ショウロウ)へ。これは元代に建てられた木造建築で、向かい合って建てられています。昔は階上の大太鼓で時を告げていたそうです。

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 こちらは鐘楼の方です。最初にこちらで切符を買って入ろうとしたら、セキュリティーのおばさんから先に鼓楼へ行けと指示されました。

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 どちらもこけたら死にそうに急な階段を上り下りするので、汗がどっと拭き出ました。ここで半袖シャツがびちょびちょになったので、シャツを脱いでTシャツになりました。

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 次に向かったのが銀錠橋でした。途中でなんとなく観光客をひきつけそうな通りを見つけたので入ってみました。煙袋斜街(エンタイシャガイ)といって、古い民家を改造したカフェやお店が立ち並ぶ通りです。

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 銀錠橋からの眺め。橋自体は長崎の眼鏡橋に比べると全く大したことはありませんが、眺めが素晴らしいです。湖畔に沿って柳の木が植えられていて、カフェとバーが軒を連ねていました。夜になったら若者でにぎわうのでしょうね。ベトナムのようにうるさい音楽を流すのではなくて、ジャズやしっとりした音楽を流してほしいものです。

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 しばらく湖畔を歩いてから、恭王府(キョウオウフ)へ行きました。これは清の皇帝の一族の旧邸宅で、現存する皇族一族の邸宅のうち最大規模だそうです。それにしても観光客がひっきりなしに来て、行列までできていたりして混雑していました。平日の昼間だというのに何をやっているんでしょうか(人のこと言えないか)。

 帰りも三輪車のおじさんの勧誘を振り切って地下鉄まで歩いて帰りました。確かに北京の地下鉄は便利なのですが、ホテルから地下鉄に乗るまでと地下鉄を降りてから今回の目的地まで結構歩きました。この炎天下で余計体力を消耗しました。

 















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