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2011年10月

2011年10月31日 (月)

サッカーのすごい小中学生とラグビーのすごいおじさん

 午前中はサッカーの試合でした。相手はいつものベトナム人チーム。ゴールキーパーが本職でなかったため、1対2で敗れました。先週から3名、今週から4名の人が新たに加わりました。特に、今日の試合での中学生のお兄ちゃんと小学生の弟のコンビは素晴らしかったです。二人とも日本のJリーグのユース出身で、ポジション取り、ボールタッチなど、うちのチームのエースも顔負けでした。子供は無限の可能性があっていいなあ。自分も本来なら息子の野球やサッカーの試合につき添いに来るお父さんのはずだったのですが、どこで道を踏みちがえたのでしょうか。

 今日はまだスタミナが残っていたので、タッチラグビーにも参加しました。古株の方ですが、私と一緒にプレーをするのは初めての人がいましたが、この方がキレキレのプレーをするのでびっくりしました。おなかが出て、見た目はただのおっさんなのですが、ステップが鋭く、一歩目のスピードの速いことといったら、一対一で簡単に抜かれました。関東大学リーグと社会人リーグでプレーしていたそうです。やっぱ違うなあ。

 

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2011年10月30日 (日)

外人ラグビーチームの練習とサッカー送別会

 土曜日の午後4時半からUNISへ行って、ハノイドラゴンズ(ハノイ在住外人ラグビーチーム)の練習に参加しました。いきなり高校生や大学生がするようなパスとタックルの基礎練習をやったりして、面喰いました。もう、だいぶそんな練習はやっていなかったので、よかったかも。

 その後でコンタクトの練習があったのですが、来週のプノンペン遠征に参加する人主体だったので、私はタッチラグビーの練習に参加しました。

 それにしても、UNISの環境の素晴らしいこと。グラウンドは全面芝生でサッカー場が約二面分で、屋内プールあり、バスケット場ありで、そのほか公園のような場所でフリスビーをやっていました。

 あとは、コンタクトの練習をする前に皆が肩と膝にパットの入った、鎖帷子のようなシャツをジャージの下に着たのにはびっくりしました。Andyさんに聞くと、もう2000年ころからみな着用しているとのこと。全く知らなかった。

 6時半からはダラットから車で2時間近くの僻地に赴任するKさんと中国へ異動するK2さんの送別会がおふくろ亭でありました。Kさんの方は、日本人が一人もいなくて、たぶん英語を話せる人も全くいない環境で仕事をするのですから、大変です。ストレスがたまるでしょう。

 サッカーは皆で遠征に行ったりして割と付き合いが深まっていきます。その間に、去っていく人、新たに入ってくる人、一度去ってまた戻ってくる人もいて、様々です。今はまだ想像もできませんが、いつか自分もベトナムを離れる時が来るでしょう。その時は明るく行きたいです。

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2011年10月28日 (金)

ハノイの学生の住宅事情

Imgp0493 フィールドの仕事をしていると時々びっくりすることがあります。これもそんな一場面です。

 ベトナムの家は隣の家の建物まで隙間なく家を建てるのですが、これも隣に家が建ったせいで長屋の一室の壁を壊して入り口にしました。6畳一間くらいのスペースの部屋が奥にあと3つあり、学生が2人ずつくらいで住んでいます。それにしてももうちょっとセンスのいい入り口はなかったのでしょうか。

Imgp0494

 ハノイ市は大学が多いので大学の近くには学生相手に貸し間をやっている家も多いです。これもそんな学生の部屋の一つです。3階建ての一番上の階にベニヤ板で仕切りをしただけの部屋がありました。天井はありません。隣の話声は筒抜けで、プライベートはなし。

 大学時代にお金がなくなって下宿を引き払って、札幌市のど真ん中なのに家賃5千円の先輩の下宿に転がり込んだのを思い出しました。その先輩は私が出た後でしっかり女をつれこんでいました。

 

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2011年10月26日 (水)

非人道的に選ばれた研修生

 来年早々エントから1名長崎大学へ研修に行くことになっていました。私は受け入れ先の先生に電話をかけて、研修のお願いをして、書類などを準備していく予定でした。

 今日、月例報告会でY教授から教授会とステコミ(NIHEとベトナム拠点の運営会議)の内容について報告がありました。彼の報告では研修生がエントじゃなくて疫学からになっていました。

 おかしいので、エントの部長と室長に事情を説明して、確認を取ってくれるように頼みました。結果は、今回はエントからの研修生はなしでした。

 疫学からの研修生が第一候補者だったのですが、先月出産を終えたばかりで今年度中の研修はないだろうと、部長以下の人達は思っていたようです。でも、どうやら辞退をするとかの手続きをしていなかったらしく、本人がそのまま行くことになったようです。

 生まれたばかりの赤子のいる母親を一ヶ月間も研修に送り出すとはなんて非人道的な措置をとる職場なんだと思ったりしましたが、本人がどう思っているのかはわからないので実際のところ何とも言えません。

 それでも、この国では、辞令がひっくり返ることもありうるので、しばらく静観しようと思います。

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2011年10月25日 (火)

科研と助成金の申請、外国で街をフィールドにしたことの難点

 科研の申請書はともかく無事書き終えて、電子申請も終わりました。毎年書き終えた後はそれなりに自分のやりたいことが頭の中でまとまり、さらにそれを文章にした充実感があるのですが、それを他の人がおもしろいと思うかどうかは別です。まわりの指摘を取り入れて、なるべく模式図やオリジナルの図を作って、テーマをわかりやすく説明したのですが、本番での審査はどうなりますか。

 さて、もう一つの助成金の締め切りが実は今日だったのですが、こちらは断念しました。理由はテーマが煮詰まっていなかったからにつきます。予備データも不足していましたので、もう少し実験をしてテーマを掘り起こしてから挑戦します。

 明日からまたハノイでの媒介蚊調査です。テトに向けて、本当は先週行いたかったのですが、早々と勝手に予定を決められていました。テトが何なんだ、と思う人がいるかもしれませんが、ベトナム人にとって本当に特別な時なので、テト+前後一週間(最低でも3日間)は仕事になりません。保健所の人はともかく中央官庁もNIHEも、この時は人と会うのと宴会がなによりも重視ですから、蚊の採集などとてもできません。といいますか、最初に家に来た人でその家の一年の運が決まると信じているお国柄なので、デング熱を媒介する蚊が見つかりましたなんて、縁起でもねえ、と思われかねません。外国で仕事をすることもありますが、街中をフィールドにすることの欠点です。

 

 

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2011年10月23日 (日)

へとへとサッカー、ラグビーW杯でNZ優勝

 午前中はサッカー三昧でした。ベトナム人チームと30本×3セットの試合をしましたが、前半は0対3でボロ負け。後半3対4まで盛り返しましたが、その後両チームとも結局追加点は奪えませんでした。今日の相手チームは反則がほとんどなく、マナーもよかったです。それにしてもこの4試合負け越しています。

 その後25分ハーフで2本紅白戦をしました。ビールがかかっていましたが、こっちはなんとか4対3で勝ちました。

 今日は3時からラグビーW杯の決勝戦だったので、タッチラグビーの練習はいつもより早めて12時からでした。そのころは紅白戦の真っ最中だったので、当然ラグビーはお休みしました。遅めの昼飯をいつものおふくろ亭で食べて、なんとか3時までに家に帰り、テレビで決勝戦の模様を見ました。しかし、かなり疲れていて、ソファでうつらうつらしていました。結局は、地元開催で、前回の決勝戦で惜しくも涙をのんだニュージーランドが優勝したわけですが、ボールの支配率はフランスの方が上で、特にFWが奮闘していたのが印象に残りました。

 12月にインドシンカップというアジアの邦人チームのラグビー大会があるのですが、そろそろ行くか行かぬか決断しないといけません。

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2011年10月21日 (金)

Vさんとエスペランサ

 今日はベトナムの女性の日だったので、お昼はフレラボの人達でヘリテージホテルへ中華を食べに行きました。前回はベトナム人の女の子たちは敬遠しがちで、料理を残していましたが、今回は皆よく食べていました。飲み物を適当に飲んで、ギョーザや麻婆豆腐を腹いっぱい食べて一人17万ドンは安いです。男性3人で女性7人分をまとめて支払いました。

 エントの方はスタッフもあまりおらず、部長のP君も忙しかったので、花を買っただけで終わったようでした。

 木曜日は合気道の稽古です。2月の国際婦人デーの時は、ココナッツのゼリーを稽古の後に皆で食べましたが、今回もそうでした。その後で、Vさんから、今日、一緒にエスペランサに行こうと誘われました。

 Vさんは稽古の時は師範代も務める程で、女性に親切ですし、ソフト会社の社長で、30代前半、ハノイ工科大卒、独身。裏でいろいろ活動をしているようなのですが、日本人女性が好みらしく、日本から先生方に付いて合気道の指導に来た女性とはいつも一緒に稽古をしています。

 先週の日曜日に神戸の先生を囲んで夕食会をやりましたが、その時に、Vさんから、日本人の女性を紹介して下さいと、頼まれました。彼から前にも言われたことがあって、そのときは断ったのですが、エスペランサのママさんだったら、大人だし、新しいお客さんを連れていくわけだからそんなに迷惑にはならないかと思って、先日OKしました。

 お客は私たちだけでした。いつものカウンターで、日本語とベトナム語が飛び交う中で、私もVさんも殺気ばしったりするようなこともなく、まったりと楽しくお酒を飲みました。

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不信感からきた不和と当日に準備をするベトナム人

 朝出勤すると、いきなりエント元室長のYさんが部屋が入ってきて、長崎大所有の、サンプルを凍結して運搬する液体窒素のタンクが見つからないから、探してくれ、と頼まれました。12号室のいつも置いてある実験室にはないので、また部屋の整理をしたときに勝手に自分たちで片づけて忘れているのだろうな、と、思ったのですが、彼女が二階の長崎大学のどこかにある、と言い張るので、Hさんに電話で確認したところ、彼も知りませんでした。

 結局、二か月前に、階段の下に新たにエントのロッカーを置いたのですが、その中に入っていました。

 はあー。

 彼女が、長崎が(ようするに角田が)隠した、というような受け取り方を最近急にするようになったのは、何度か注意しても蚊の翅を切るための専用のピンセットをエントの人が使うのに私が腹を立ててというか、自己防衛のために、標本をしまっておく引き出しに鍵をかけたせいだと思います(その後、彼女が気づいて、逆に引き出しに鍵をかけられたりしたわけですが)。

 たぶん、そのことで私に不信感を持ったのだと思います。Yさんは情が深い分、頭に血が上ると、自分でもコントロールができないのでしょう。

 まだ、そこまで頭がまわらなくて、ちょっと疲れたなー、と部屋に戻って申請書書きを始めたところ、今度はS君が部屋に入ってきて、いきなり今日から11月まで長崎の(ほかの人のプロジェクトの)調査に行くからGPSを2台貸してくれ。

 来週、自分の調査があるので、貸すわけにはいかないと断ると、じゃ今の室長のHLの持っているのを貸すから代わりに一台貸して欲しいと。

 ちょっと、待て。じゃ、なんでHLから借りないんだ。今自分が使っているGPSは二台ともいつも同じ場所に調査に行くときに持って行っているわけなのだから、という理由で断ると、納得したようなしないような感じで戻っていきました。

 一年前もGPSが不足して一台でなんとかしたので、本当に不足しているのなら一台貸して、自分の調査地が終わった後でもう一つの調査地に行って記録するのもなんか発見があるかもしれないから、まあいいか、と聞きに行ってみると、大丈夫、2台あるのでって。

 要するに、長崎のプロジェクトだから自分たちのGPSを使わずに長崎の備品で全部済ませたかったということですな。

 日本語が通じるのであれば、バカヤロー、俺らは共同研究をやっているんだろ、と怒るところですが、共同研究とはいいながら、本人達はお金をもらっているからやってやっているんだ的な感覚なので、怒ることもできず、疲れます。特に、2週間近くも調査に行く、出発当日に突然言われると疲れます。そもそも他の人のプロジェクトで、私は調査のお手伝いのつもりだったのですが、いろんな実害が出るとなると、来年からは、他のプロジェクトでもいつから調査に行くのか聞いておいて、準備を早めに整えさせる必要があるのかな、と思った瞬間、また疲れました。

 こうやってみな年を取っていくのかな。

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2011年10月20日 (木)

申請書書きの一週間

 科研の申請書もまわりの人にコメントをもらってそれを修正していると、だんだん良くなっていくのがわかります。一番の問題はテーマの新規性と独自性です。今度のテーマは意外性があって一般受けしそうだと内心思っているのですが、結果は蓋を開けてみないとわかりません。

 科研は一応完成したのですが、他に来週締め切りで、アジアでの研究を支援する助成金がもう一つあります。こちらには昨年度から続けているテーマを申請しようと思います。ルーチンの蚊からのウイルス分離を今日の午前中にやったくらいで、今週は申請書書きで一日が過ぎていく感じです。

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2011年10月17日 (月)

酒について思い出す、父親のこと

 足の肉離れの状態がまだよくないので、サッカーとラグビーは休みました。合気道には夕方行きました。今日も神戸から来た先生が指導をしてくれたので、ベトナム人の練習生で道場がいっぱいでした。あまり型にこだわらない稽古だったので、我々としては大変でした。隣の人が私と稽古をする前に、「アイ、ドント、アンダースタンド。」と言ったりしていました。今日は、先生が模範演技をする時間がいつもより短めでその分稽古の時間が長かったので、疲れました。

 終わった後は、先生ご夫妻を囲んで夕食会でした。ここで、一緒に練習している何人かのベトナム人から私の名前を聞かれ、私も彼らの名前を覚えました。

 ベトナムに来て酒の席で知り合いが増えるので、自分は酒を飲めて本当によかったとつくづく思います。私は酒は弱い方で、おまけに気分が乗らないとろくに話もしませんが、なぜか合気道の稽古の後にベトナム人の人達と飲むのは楽しいです。

 酒が弱いのは父方の遺伝でしょう。自分の父は若いころは酒が弱くて、母親の実家に行くのが苦痛だったらしいです。母親の兄弟は皆酒が強くて、正月とお盆には兄弟親戚が皆集まって酒盛りになるのですが、従兄のところは皆両親がそろっているのにうちだけ父親が来ませんでした。うちの父親が姿を見せるのは、家に帰るときに車で迎えに来る時だけでした。子供は賑やかなことが好きですから、少し寂しい思いをしました。

 それから父親も人生の流転があって、酒がだんだん飲めるようになり、私が家を離れてからは、私が帰省した際に私と酒を飲むのを楽しみにするようになりました。仕事柄土日はなかなか休みをとれないのですが、私や兄や妹の子供が来るとなると、無理をしてでも仕事を休むそうです。今はガンになってしまって(年寄りなので幸い進行は遅いようです)、酒は控えているのですが、それでも実家に帰った時には一緒に飲みます。あと何回一緒に飲めるのか、もうそんな年になってしまいました。

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2011年10月16日 (日)

神戸から来た合気道の先生夫妻

 先週末に続き、今度は神戸から合気道の師範の先生が来ました。先週の先生の稽古も独特だったのですが、今日の先生の稽古もまた独特でした。

 今日はベトナム語の解説がつきませんでした。先生が何回かベトナム人の有段者の人を相手に模範演技をして見せて、その後いつものように二人一組で稽古をしていたのですが、先生が順繰りに稽古をつけていくので、いつのまにか道場の四分の一で先生を囲んで皆が正座をして先生に呼ばれるのを待って、稽古をつけてもらう雰囲気になっていました。それを四隅で繰り返して、次の模範稽古が始まる感じでした。

 でも、みんなにこにこしながら先生に投げられるのです。最初は何なんだ、やっぱ合気道は神道が入っているからなんか宗教じみているのかと思ったのですが、みな先生と奥様(彼女も合気道の有段者)が好きなんですね。稽古の後の飲み会でしみじみ感じました。ちなみに、もうご夫妻はベトナムに6回も来ているそうです。

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ハノイの行きつけの店

 昨日の晩、1時半まで飲んでいたので、朝起きてまだ酒が残っていました。千葉に住んでいたときはまだ行きつけの店ができる前に、(別れた)かみさんと付き合っていたのもあって、行きつけの飲み屋はできませんした(彼女は全く飲めませんでしたので)。栄町に私が衛研に入ったときの次長の行きつけのバーがあってそこは気に入っていたのですが、マスターがガンになったりして休みがちだったので、足が遠のいてしまいました。

 札幌の時はもちろん峯ちゃん。学生にはやや高めの料金でしたが、毎週一回は行っていました。峯さんには、店が終わってから寿司に食べに連れて行ってもらったりしてかわいがってもらったのですが、残念ながら、昨年峯さんの体調が悪くて店を閉めたそうです。

 長崎にいた時は、市立図書館近くの立ち飲みの店です。立ち飲みの店というのは長崎に来て初めて知りました。昼間は酒屋で普通のお酒を売っていて、夜になるとおでんとか、缶サバとかをつまみに出して、お店でお客専用に開けてあるお酒を飲むというシステムです。長崎に来てから演劇鑑賞で知り合った人から教えてもらいました(いつもブログを見ているそうで、ありがとうございます)。

 で、ハノイにもようやく行きつけの店ができました。前にも書いたかもしれませんが、ハノイ工科大近くにある、「エスペランサ」。スペイン語で栄光という意味だそうです。カウンターとテーブルが二つだけの狭い店なのですが、ママさんが日本に長くいたベトナム人の20代の人で、かなりリラックスできます。他のベトナム人スタッフも非常に感じがいいです。一言でいえば彼らは日本語はできる人もいて、できない人ももいますが、空気がわかります。

 昨夜はたまたまカウンターで同席した人がとても面白い人でした。最初はスマートホンをずっといじっていて、オタクか、と思ったのですが、その人の知り合いの方がベトナム人の彼女を連れてきて、私の隣にそのオタクと思った人が座っていきなり話しかけてきて、それはほとんど下ネタだったのですが、私はずっと笑いっぱなしでした。彼は大学時代に峯ちゃんでよく一緒に飲んでいたIによく似ていました。そして、後からその隣に座ったベトナム人の女性はこれも私の知っている人によく似ていました。

 こんなおじさんがベトナムに来て時々ふとまた学生に戻ったような気持ちになるのですが、それはそれでいいじゃないですか。

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2011年10月14日 (金)

冷凍庫が発端の気苦労

 先週は科研の申請書が「書けん!」などと、ほざいていたのですが、どうにか形になってきました。内容と文書の形式がもう少しよくなるように、来週の学内締め切りまでに何人かの方に見てもらう予定です。いくつかの項目は今すぐにでもできそうなので、これも来週早々に英語に直してNIHEで検討してもらって、仕事をスタートしてもらおうと思います。予想が正しければそれなりにいい仕事になると思います。

 午後に、タイのマヒドール大学のRさんからメールの返事がありました。科研のプロジェクトの共同研究者としてのOKの返事と、彼からの助言がありました。これも早めに内容を詰めて返事をしておかなくてはなりません。

 日本の大学の海外拠点にいると、日本での立場は均等だったはずなのに、なんで自分がほかの人の仕事や研究資金も背負わにゃいけないの、と思うことがあります。今日もこのことが頭の隅にあったので、冷凍庫のサンプルの管理の際にNIHEと問題がこじれてしまいました。Yさんの英語がよく伝わらなかったのを発端に私が問題をこじれさせ、Yさんが冷凍庫を来年からは外に置く、といい出す始末となりました。今、冷静になると、他の人の仕事のために自分に割り当てられた予算を使われるのを自分がもう少し大人になって、辛抱しておけばよかった、と思いました。その反面、いきなり、明日、冷凍庫を廊下に置くから、とか言われるのを(本当にありうるので)、ベトナム側に牽制する意味でよかったかもとも思っています(まったくきいていないかもしれませんが)。この国にいるとそういうずるさは必要です。

 冷凍庫は何とか元通り使えるようにして、別の冷凍庫に保管しておいたサンプルを元に戻しつつあるのですが、これからまた新しいキャビネットが入る予定なので、そうなると置き場所がありません。それで、Yさんも私の今日の態度に腹を立てたせいもあって、冷凍庫を廊下に置く、とか言い出したわけです。-80度の大型冷凍庫で熱を大量に出しますから、空調のきいた部屋に置いとかなければまずベトナムでは故障します。

 複雑怪奇なのは、一昨年まで水生生物の実験室として使っていたエントの部屋が取り上げられて、庁舎のメンテナンスの人達の物置に使われていることです。この部屋をエントの冷凍庫と冷蔵庫の保管庫としてまた使えるように上層部にかけあってくれ、と頼んではみましたが、結果は..1年後にわかるのでしょうね。

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2011年10月12日 (水)

怪我の功名で申請書書きがはかどる

 5時半過ぎに帰ろうとしていた矢先にどしゃ降りの雨になりました。30分ほどで小降りになったので、迷わず帰宅しました。その後、合気道の稽古に行こうか迷ったのですが、右足のふくらはぎがまだよくなっておらず、また、雨の後は道路は渋滞になることが予想できたので、本日の稽古は休みました。

 ちょうどサッカー日本代表のアジア予選をやっていたのですが、ベトナムのテレビ局では放送されていなかったため、科研の申請書書きをアパートでも行いました。おかげで、かなり申請書書きがはかどりました。

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2011年10月10日 (月)

時間のあった日曜日と韓国戦

 サッカーの試合は夕方からだったので、午前中は科研に関係する論文を読んで、時々考え事をしながら寝たりして、ゆっくりと過ごしました。午後のラグビーは主力の人達がKLで試合だったので、練習は休みでした。

 昨日の稽古がよかったので、本当は、合気道の稽古に行きたかったのですが、今日はボール係だったのでサッカーに行きました。因縁の韓国戦でしたが、日本帰国とか出張している人が多くて、うちは14人。しかもBKは4人でした。90分やるつもりでいたのですが、30分位で右足ふくらはぎに違和感を覚え、45分で肉離れを起こしたのでリタイアしました。試合は結局2対4で負けました。

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2011年10月 9日 (日)

鹿児島から来た合気道の師範

Imgp0487_2 鹿児島から合気道の先生が我々の指導に来られました。雨の中、しかもいつもと違う場所での稽古だったので、行くのか迷いましたが、科研書きが一向に進まなかったので、稽古に行きました。

 でも、行ってよかったです。普段はベトナム語でポイントを説明されて、ああ、こう言っているんだろうな、と推測して、稽古しているのですが、実際にできるかどうかは別として、日本語の説明がこれほどわかりやすいとは。時々、合気道の精神のようなことも説明されたので、これまでで一番充実した稽古でした。

 写真は初級の人に先生が配られた直筆の字です。使命ってなんですか、とベトナム人たちに尋ねられて、情けないことに単語が出てきませんでした。ずっとハノイに駐在している日本人師範のMさんがミッションと訳したのを聞いて、あっそうだった、と思い出した次第です。せいぜい御指名のダジャレしか頭の中にありませんでした。

 稽古の後は先生を囲んでの夕食会となりました。ハノイの大学で日本語学科の先生をしているHさんが日本に留学していた時の合気道の先生だったことをこの時知りました。

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2011年10月 8日 (土)

雨の多い最近のハノイ

 9月以来ハノイはずっと雨です。昨夜、Y教授と「おふくろ亭」で日本対ベトナム戦のサッカー中継を見に行く車中で、Y教授が「私は雨男だ。」と言っていました。気温も急に下がった感じで、暑がりの私でもさすがに家では長袖のジャージーでいます。

 日本は今日からまた三連休ですが、ベトナムはいつもどおりです。科研の締め切りが近いので、この週末は申請書書きをします。それにしても、なかなか書けん。

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2011年10月 6日 (木)

壊れかけの大型冷凍庫

 エントの実験室にある-80度の大型冷凍庫の蓋がきちっと閉まらなくなり、一月ほど前から対策を講じてきました。一昨日、ようやくこちらのベトナム人エンジニアの人が来てくれて、状態を見てくれました。が、彼の口からは、一回電源をオフにして全部の氷を溶かすべし、の助言が出ただけでした。

 半信半疑ながら、昨日、エントの若手に手伝ってもらって、中に入っていたサンプルを全部新型の冷凍庫に移しました。引っ越し完了、それでは電源オフ、と思ったら、勝手に切られていました。

 夕方、冷凍庫の様子を見てみると、蓋が完全とまではいきませんが、かなり元通りに近い状態で閉まるようになりました。蓋の内側にはゴムのパッキングが取りつけてあります。前の方のゴムは何ともなかったのですが、蓋を開け閉めする際に後ろのゴムに霜や氷の融けた水が入って再び凍るのを繰り返しているうちにだんだん閉まらなくなってしまったようです。

 この冷凍庫は一年前に温度が下がらなくなりました。今回と同じように一旦電源を切ってから、だましだまし使ってきました。もう5年以上たって大学の備品台帳からも消えています。今年、新型の冷凍庫を購入するまではサンプルをめいっぱい詰め込んで使っていました。2台もの冷凍庫を余裕を持って使うのは贅沢な気もしますが、万が一のトラブルがベトナムでは頻繁にあるので、重宝しています。私がここで仕事をする間は持ちこたえてほしいです。

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2011年10月 5日 (水)

いつもの週末

 日曜日の午前中は久々にベトナム人チームとのサッカーでした。30分3本の1本目と2本目まではパスもつながって、先週のJ-Asiaのよかった時のような試合ができたのですが、3本目で急に皆力尽きた感じになり、2対4でボロ負けしました。

 午後のタッチラグビーは最初はなかなか体が動かなかったのですが、徐々に慣れて、コンビネーションもうまくいくようになりました。練習が終わった後はいつもの場所でビールを飲み、そのあと沖縄料理店に行きました。ここは先週の金曜日にY教授と飲みに来たのですが、そこそこうまかったので、また行きました。

  土曜日は半日仕事で、午後は本を読んだり、DVDを見て、日曜日は朝昼スポーツ。いつもの週末が戻ってきました。

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