酒について思い出す、父親のこと
足の肉離れの状態がまだよくないので、サッカーとラグビーは休みました。合気道には夕方行きました。今日も神戸から来た先生が指導をしてくれたので、ベトナム人の練習生で道場がいっぱいでした。あまり型にこだわらない稽古だったので、我々としては大変でした。隣の人が私と稽古をする前に、「アイ、ドント、アンダースタンド。」と言ったりしていました。今日は、先生が模範演技をする時間がいつもより短めでその分稽古の時間が長かったので、疲れました。
終わった後は、先生ご夫妻を囲んで夕食会でした。ここで、一緒に練習している何人かのベトナム人から私の名前を聞かれ、私も彼らの名前を覚えました。
ベトナムに来て酒の席で知り合いが増えるので、自分は酒を飲めて本当によかったとつくづく思います。私は酒は弱い方で、おまけに気分が乗らないとろくに話もしませんが、なぜか合気道の稽古の後にベトナム人の人達と飲むのは楽しいです。
酒が弱いのは父方の遺伝でしょう。自分の父は若いころは酒が弱くて、母親の実家に行くのが苦痛だったらしいです。母親の兄弟は皆酒が強くて、正月とお盆には兄弟親戚が皆集まって酒盛りになるのですが、従兄のところは皆両親がそろっているのにうちだけ父親が来ませんでした。うちの父親が姿を見せるのは、家に帰るときに車で迎えに来る時だけでした。子供は賑やかなことが好きですから、少し寂しい思いをしました。
それから父親も人生の流転があって、酒がだんだん飲めるようになり、私が家を離れてからは、私が帰省した際に私と酒を飲むのを楽しみにするようになりました。仕事柄土日はなかなか休みをとれないのですが、私や兄や妹の子供が来るとなると、無理をしてでも仕事を休むそうです。今はガンになってしまって(年寄りなので幸い進行は遅いようです)、酒は控えているのですが、それでも実家に帰った時には一緒に飲みます。あと何回一緒に飲めるのか、もうそんな年になってしまいました。
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