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2012年1月

2012年1月31日 (火)

例年通りのNIHEの御用始

 今日はNIHEの御用始でした。9時から所長の挨拶がありました。旧庁舎前にシャンペンが置かれ、皆で乾杯した後に各部署ごとに記念写真を撮りました。その後は、各自部屋に戻ったわけですが、フレラボを除いてどこも午前中で終わりでした。もちろんエントも、ワインを飲みながら部屋で餅を食べたところで、新室長のHの家に皆で出かけて昼食会となりました。

 その後はF部長の家に皆で行ったようですが、私はNIHEに戻りました。といっても、お昼からワインをかなり飲まされたので、少しダラダラしたのですが。

 今週から8回に分けて私の書いた記事が、とあるベトナムの日本人向け情報誌に掲載されます。先週までに半分書き上げたので、来月中に残り半分を書きあげなくてはいけません。その前に、昨年の寄生虫学会の談話会で話した内容をまとめて世話人の方に送らなければなりません。これは明日が締め切りなのですが、なんとか今週中には提出したいです。どうしても人から頼まれたのを優先せざるをえないので自分の論文が遅れがちになるのですが、本職の方も頑張らないと。

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2012年1月27日 (金)

バンコクから戻る

PhotoPhoto_6 昨日、タイから戻りました。写真は私が宿泊していたホテルです。なるべくマヒドール大学から近くて、さらに交通の便が良いところをネットで探していたら、偶然、2年前にバンコクで行われた研究会の会場となったでした。ただし、当時受け付けとロビーがあったところは工事中になっていました。

 プールとジムがあるのも魅力だったのですが、日曜日に1時間ほどプールで泳いだだけとなってしまいました。

 
 バンコクにはセブンイレブンとファミリーマートが至る所にあって、コンビニで買ったパンと牛乳、飲むヨーグルトで朝食をとっていました。でも、パンはあまり種類がなくて、日本のパンに比べて小さかったです。写真はタイのあんパンです。本当は日本のあんパンもあったらわかりやすいのですが、私の手で我慢して下さい。

 バンコクにいた時はだいたい28度から30度でしたが、ハノイに戻ったら気温は13度でした。

 テト前にフレラボにコートを忘れてしまったのですが、ポケットにNIHEのオフィスの鍵を入れたままでした。まだ誰も日本から戻っていないようですし、さらに携帯電話のシムカードが切れてしまって電話をかけることもできないので、月曜まではオフィスに入れません。どっちみちテト休暇ですし、これは家にいた方がいいと自分会議で決まりました。

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2012年1月25日 (水)

アユタヤの洪水の後

2 朝、蚊の標本写真を撮っていると、Rさんからこれからアユタヤへ調査に行くので一緒に行かないかと、声をかけられました。洪水の後で蚊をはじめとした害虫が発生するので、定期的に調査をしているそうです。日本でも震災や津波の後の害虫の発生が問題になっていると聞いていたので、行ってみることにしました。

 高速に乗って40分ほどでアユタヤに着きました。写真は洪水の後の家の壁の様子です。窓のあたりを境にして下側が薄汚れています。この高さまで水がきていたそうです。しかも2カ月も。

Photo 
 家の下はまだ水浸しです。といいますか、あまり下水道が整備されていないので、流しの水は家の軒下にそのまま排泄されていました。近くによると臭いです。この水が川の水と混じって2カ月も顔の高さくらいまであったのではたまりません。

 水たまりの中にはご覧の通り、すごい数の蚊の幼虫と蛹がいました。夕方になると蛹がいっせいに成虫になって飛んでいくそうです。 

 Rさん一家はバンコクの郊外に住んでいるのですが、1カ月ほどアパートを借りて生Photo_5活していたそうです。1カ月ぶりに様子を見に行ってみると、家具は汚水に浸かった後で、家じゅうカビだらけになっていたそうです。

 他人ごとではありません。

 

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2012年1月24日 (火)

バンコクの動物園

Photo 日曜日は散歩がてらバンコクの動物園へ行ってきました。途中にマヒドール大学もあるので、明日の下見も兼ねていました。結構荷物が重いので、月曜日に探し回るのは避けたかったので。

 動物園は思ったより広くて、20年くらい行っていないですが上野動物園くらいあったでしょうか、10時くらいに着いたのですが、ゆっくり見物していたら3時くらいになってしまいました。東南アジア産の動物相が豊富なせいもあって、タイ国産の動物、鳥、爬虫類が充実していた感じがしました。特に目を引いたのがアルビノ(白)個体が多かったことでした。白いキングコブラ、白いトラ、などなど。で、これは白いキョン。寝ているヤギではありません。野生では目立っちゃって絶対に生き残れないでしょうね。暑いせいか、寝ている動物が多かったです。

Photo_2 さすがだなあ、と感じたのは、放し飼いされたオオトカゲ。コモドオオトカゲと違ってこの種はおとなしいので大丈夫なのでしょうね。動物園内の池で泳いでいましたし、逃げて野生化したのか、それとも前からいたのかわかりませんが、隣にある王宮のお堀といいますか水路で少なくとも二匹目撃しました。ベトナムだったら肉を食われて、ベルトかバックにされてしまうでしょう。仏教国でよかった、とトカゲになりかわって感じました。


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2012年1月21日 (土)

今年のテトはバンコクで

 昨日、お昼にエント元室長のYさんと日本から来ていたHさんとチャカーという、雷魚を油で揚げて香草やネギと一緒に鍋で炒める料理を食べたのですが、その後腹を下しました。今朝も下痢が治りません。

 今日の午後からバンコクへ行きます。マヒドール大の熱帯医学部に共同研究者がいるので、1週間ほど彼のところで蚊の標本を作成したり、形態を比較する作業をします。ベトナムに赴任してから三年間、毎年テトをハノイで過ごしてきたのですが、仕事をするにしても効率が悪いので海外に出ることにしました。

 ベトナムにはあまり休日がないので、本当はお休みしたいのですが、忙しくてそうも言っていられません。できれば、来年は群馬でスキーでもしたいです。

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酒びたりのテト前夜

 水曜日の午前中にNIHEでは講堂で御用納めがあったようで(日本人は参加しないのでわかりません)、お昼には食堂の前にテントが張られて、そこでベトナムのお正月料理を食べました。

 私はエントスタッフとフレラボスタッフにはさまれる感じで座りました。当然のようにハノイウォッカが置かれてあり、エントの若手に日頃のサポートに対する感謝の意をこめて一人ずつとイッキをしました。

 当然、午後はヘロヘロでした。よろよろとH1さん、H2さん、秘書のTさんとともに各研究室をまわって、お酒やお茶、お菓子の入った、ベトナム版お歳暮のようなものを配りました。

 普通日本では御用納めの日は最終日なのですが、NIHEでは数日前に行われます。エントのスタッフでも地方にある実家に帰る人たちは明日からもう来ないよ、と言っている人もいました(実際そうでした)。

 昨日の夜は、ウイルス部長さんの家に日本人スタッフが全員呼ばれました。小さなパーティーだから、そんなに飲みませんよ、と言われていたのですが、行ってみたら、メインスタッフとその家族がほとんど来ていました。そしてウィスキーのイッキの嵐。ワインやビールが軽く思えて、おいしかったです。私は途中から子供たちに絡まれて、そのまま子供と遊んでいたので、この日は深酒に至りませんでした。

 ですが、Hさんがどうしてもエスペランサに寄っていきたいというで(本人は寝入ってしまっていましたが)、一杯だけ立ち寄ってから帰りました。

 そんな状態だったので仕事がたまってしまいました。今日の午前中は、実験室とオフィスを閉鎖するので早くしろ、というエントスタッフからのプレッシャーを受けながら、蚊の卵の観察を終えました。午後はフレラボに引っ越して、たまったメールの返事と3月の学会の講演要旨を書きあげました。ネットの接続がよくなかったので多少焦りました。

 明日から9日間、ベトナムはテト休暇です。

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2012年1月17日 (火)

テトの一週間前

2012nihe_2 もうNIHEのまわりはテト前モード全開で、金柑や桃の木の市が歩道を埋め尽くしています。バイクの人達もよそ見しながら運転するので、歩くのにいつも以上に神経を使います。この光景を見ると、また一年たったのかと、実感するようになりました。

 今日はベトナムでは台所の神様の日とかで、もとエント室長のYさんの家に皆で集まってお昼を食べました。ベトナム風魚の煮つけがおいしかったです。

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2012年1月14日 (土)

韓国ドラマ「戦友」

 先週から「戦友」という韓国ドラマにはまってしまって、毎日仕事が終わってからDVDを見るのを楽しみにしていました。昨年、知人の奥さんに勧められて借りっぱなし状態だったのですが、先週見だしたらもうのめり込みました。1話1時間ずつで全部で20話あるのですが、今日の午後に最後の4話を一気に見てしまいました。あー、面白かった。私は長い映画やドラマを見終わった後はしばらく呆けてしまうのですが、今も少しボー然としています。

 明日は日曜日で、自分にとってはスポーツする日なのですが、あいにく先週の靴擦れがまだ治っていなくて、靴を履けません。午前中は蚊の観察で、午後は本でも読んで過ごそうと思います。

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ベトナムの貯水タンクから近未来の日本の家を検証する

 今日で今月のハノイ市内の媒介蚊調査が終わりました。最終日は絹製品で有名なHa Dong区でした。

 案内の人はいつものおばさんではなく、8月くらいに来てくれたおじさんだったのですが、男のくせになんでこんなにしゃべるんだ、っていうくらい、よくしゃべるおじさんでした(年齢は退職しているので60歳以上でした)。

 ベトナムの人は、地下に貯水タンクを作ってそこに雨水を貯めておきます。市内ではお金持ちはたいてい持っています。Ha Dongのような郊外ですと土地代が安いので、たいていの家が庭の一画とかに貯水タンクを持っています。いつもNIHEのスタッフとまわっているわけですが、彼らが記録用紙に記入する間に、私は貯水タンクに網を入れて5回かきまわしてボウフラを取ります。

 今日の案内のおじさんは、「ツノダ、(蚊は)いたのか、いなかったのか。」としつこく聞いてきました。こんな濁った水で、すぐわかるわけないだろ、まあ、待てや、と腹の中で思いつつ、さらに、言葉で言えない悲しさも感じつつ、泥がコップの底にたまるのを待って、ボウフラがいるかいないかを判定しました。

 正直、この人、うざいな、と思ったのですが、調査が終わって、別れ際に、私の手を握りながら、「帰るから、帰るから。」 と、言われた時、一昨年亡くなった伯母のことを思い出しました。

 伯母のことを生前は、うざいな、と思ったりもしましたが、それだけ自分に対して気持があったのかと今になって思うと、悪かったかもしれない、と思います。自分は大人ではなかったなあと。

 話がそれてしまいましたが、都市化が進んで水道が普及してきたにもかかわらず、貯水タンクをもっているのは正解だなあ、と思います。実際、市街地で少し生活レベルが低い人たちが住んでいる場所では、あまりにも水道料を滞納するので地域全体の水道を止められたりします。そんな生活条件だと水を貯めざるを得ないのですが、そこにデング熱媒介蚊が卵を産みつけるので、貧しい地域では、病院に行けなくて家でデング熱の患者が寝ていて、その人達目当てに新たに蚊が血を吸いに来て、貯めてある水桶に卵をうみつけていきます。これは負の連鎖です。

 この前、実家のまわりの写真をお見せしましたが、家の近くでは湧き水があって、わさびを作っていて、その水を家にひいていました。湧水からひいてくる水道管ができる前は井戸水だったそうです。井戸は埋めてしまいましたが、水道水でない水は今でも沸かしてお茶を飲むときに使っています。あれ、ベトナムと同じか。

 まだ私が日本にいた時ですから、5年くらい前でしょうか、オール電化の家というのを電力会社がCMで宣伝していました。子供の時に停電を何度も経験していたので、停電になったらどうするんだ、と感じていましたが、実際にそれは昨年の3.11で思い知らされました。今の日本だったら、○●電力と契約しつつ、太陽光とか風力とかで自力でできるだけ発電をし、万が一の時のために煮炊きができる設備を持っておくべきかもしれません。決して○●電力だけに頼れない状況です、これからの日本は。

 オール電化の家というのは5年前の段階での技術の極致であるかもしれませんが、あくまで私の考えでは、それはあまりにも無機質な感じがしてなりません。

 

 

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ベトナムの貯水タンクから近未来の日本の家を検証する

 今日で今月のハノイ市内の媒介蚊調査が終わりました。最終日は絹製品で有名なHa Dong区でした。

 案内の人はいつものおばさんではなく、8月くらいに来てくれたおじさんだったのですが、男のくせになんでこんなにしゃべるんだ、っていうくらい、よくしゃべるおじさんでした(年齢は退職しているので60歳以上でした)。

 ベトナムの人は、地下に貯水タンクを作ってそこに雨水を貯めておきます。市内ではお金持ちはたいてい持っています。Ha Dongのような郊外ですと土地代が安いので、たいていの家が庭の一画とかに貯水タンクを持っています。いつもNIHEのスタッフとまわっているわけですが、彼らが記録用紙に記入する間に、私は貯水タンクに網を入れて5回かきまわしてボウフラを取ります。

 今日の案内のおじさんは、「ツノダ、(蚊は)いたのか、いなかったのか。」としつこく聞いてきました。こんな濁った水で、すぐわかるわけないだろ、まあ、待てや、と腹の中で思いつつ、さらに、言葉で言えない悲しさも感じつつ、泥がコップの底にたまるのを待って、ボウフラがいるかいないかを判定しました。

 正直、この人、うざいな、と思ったのですが、調査が終わって、別れ際に、私の手を握りながら、「帰るから、帰るから。」 と、言われた時、一昨年亡くなった伯母のことを思い出しました。

 伯母のことを生前は、うざいな、と思ったりもしましたが、それだけ自分に対して気持があったのかと今になって思うと、悪かったかもしれない、と思います。自分は大人ではなかったなあと。

 話がそれてしまいましたが、都市化が進んで水道が普及してきたにもかかわらず、貯水タンクをもっているのは正解だなあ、と思います。実際、市街地で少し生活レベルが低い人たちが住んでいる場所では、あまりにも水道料を滞納するので地域全体の水道を止められたりします。そんな生活条件だと水を貯めざるを得ないのですが、そこにデング熱媒介蚊が卵を産みつけるので、貧しい地域では、病院に行けなくて家でデング熱の患者が寝ていて、その人達目当てに新たに蚊が血を吸いに来て、貯めてある水桶に卵をうみつけていきます。これは負の連鎖です。

 この前、実家のまわりの写真をお見せしましたが、家の近くでは湧き水があって、わさびを作っていて、その水を家にひいていました。湧水からひいてくる水道管ができる前は井戸水だったそうです。井戸は埋めてしまいましたが、水道水でない水は今でも沸かしてお茶を飲むときに使っています。あれ、ベトナムと同じか。

 まだ私が日本にいた時ですから、5年くらい前でしょうか、オール電化の家というのを電力会社がCMで宣伝していました。子供の時に停電を何度も経験していたので、停電になったらどうするんだ、と感じていましたが、実際にそれは昨年の3.11で思い知らされました。今の日本だったら、○●電力と契約しつつ、太陽光とか風力とかで自力でできるだけ発電をし、万が一の時のために煮炊きができる設備を持っておくべきかもしれません。決して○●電力だけに頼れない状況です、これからの日本は。

 オール電化の家というのは5年前の段階での技術の極致であるかもしれませんが、あくまで私の考えでは、それはあまりにも無機質な感じがしてなりません。

 

 

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2012年1月 9日 (月)

靴擦れ

 今日は成人式ですが、ベトナムは平日通りです。

 土曜の夜は合気道の後、エスペランサに立ち寄ったのですが、鍋パーティーをやっていました。さっさと帰るつもりがだらだらと居てしまい、結局家に戻ったのは12時過ぎでした。

 年末年始に日本へ帰った時にスパイクを買ったのですが、日曜日のサッカーの試合でさっそく履いてみました。ウォーミングアップ中にかかとが痛みだしたのですが、そのまま試合に出たところ、20分位で痛みに耐えられずに交代しました。

 ストッキングを脱ぐと両足のかかとの皮が剝けていました。痛い。

 昼飯をキャンセルし、タッチラグビーも、合気道の鏡開きもキャンセルして家でじっとしていました。

 明日からまた蚊の調査です。

 

 

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2012年1月 7日 (土)

一年の計画の前に半年の計画

 毎年ハノイでは旧正月の前は寒くなるのですが、今年は例年よりも寒い気がします。来週は蚊の調査なのですが、ほとんどいないかもしれません。

 旧正月はタイ、2月下旬は長崎、3月下旬は長野と群馬に行く予定です。すでにタイへの航空券は購入済みですが、2月と3月の分は早めに予定を立てないといけません。それから今年から研修コースが一カ月早まって、病害動物は講義と実習を6月に受け持つことになるので、その計画も早めに立てないといけません。

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2012年1月 5日 (木)

2011年から2012年にかけての帰省

Imgp0575_2 00:10発の成田行きで30日に帰国しました。6時に成田に着いたのですが、なんだかんだで8時近くになってしまいました。今から新幹線に乗っても立ちっぱなしですし、かといって快速や鈍行で群馬に戻る気はなかったので、高速バスで高崎まで帰り、その後上越線で敷島駅まで戻りました。

 家に帰ると、父親はだんだん忘れっぽくなり、耳が遠くなりつつあって、伯母ももうろくした時は同じ傾向でしたので、これは父方の血筋なのかと思いました。

 写真は子持山を背景に3時頃に撮った実家です。右から母屋、車庫、昔父が運送会社をしていた時の事務所と下の車庫が写っています。

Imgp0577_2 子持山は母屋から見ると西側で、東側は赤城山です。手前に見えるおしゃれな家は、ご近所です。なんか実家は西日が落ちる感じで、こちらは朝日が昇る感じですなあ。まあ、後継ぎが長男はあんなだし、次男はこんなだし、しょうがないかも。奥に雪をかぶっているのは赤城連峰の鈴が岳です。

 空気と水と星空がきれいなのが自慢です。まわりが山に囲まれているので、空は狭いのですが。

Photo_3 群馬の名物はからっ風と言いますが、やっぱり温泉です。家の近くに敷島温泉というのがあって、タダ券を旧赤城村のおじいちゃん、おばあちゃんに配っているのですが、数年前に赤城村は渋川市に吸収されたので、今は伊香保温泉も同じ市になっています。それで、うちの両親にも、伊香保から赤城までの温泉タダ券が配られているのですが、うちの母親はなぜか湯檜曽温泉がひいきなので、温泉タダ券を使いきらないので、代わりに私が温泉につかりに行きました。最初は伊香保温泉の石段の湯に行ったのですが、駐車場が満車だったので、渋川市の田んぼの真ん中にある渋川温泉に行きました。なんか、SFをモチーフにしたような建物ですが、二階の円盤の部分が風呂場になっています。もう、げろ混みで、地元のおじさんが言うにはいつもの四倍混んでいたそうです。

 お正月は、社会人マラソン(=群馬マラソン)を見て、天皇杯を見て、箱根マラソンを見て東洋大の優勝に感動して、ちょこっと大学ラグビーを見て、またハノイに戻ってきました。

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