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2012年11月

2012年11月30日 (金)

ハノイにK-pop来たる!

1 今度の土曜日は誕生日なのですが、前倒しでフレラボの人達を昼食会に誘いました。NIHEに近くて、スタッフの女性陣の受けがいいということでNo1という、エントでもよく利用するレストランにしました。

 一人30万ドンで12人はちょっといたかったです。明日はエントのスタッフとの昼食会です。

 夜はミーディンスタジアムで韓越国交40周年というイベントでK-popコンサートがありました。今広島から実習に来ている医学生と事務のNさんと私の3人で、行ってきました。全部で17組だったのですが、私らは少女時代とKaraくらいしか知りませんでした。それでも、いやー盛り上がりました。今年の紅白には韓流が全く出ないのでがっかりしたのですが、私の紅白はこれで幕を閉じました。

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2012年11月28日 (水)

共著者の要請についての苦い記憶

 来週、ホーチミンへ出張なのですが、その際に、パスツール研究所の人達に蚊を採集してもらいます。それで契約書のほかに、パスツール側から簡単なプロトコールを作成して送ってくれるように頼まれました。雛型を参考にすぐに送ったわけですが、一週間ほどしてからかなりいろんな項目が書き加えられたプロトコールが戻ってきました。

 大体は同意できたのですが、一番最後に、本研究に関わった研究者はすべて国際誌に投稿する際に名前を入れること、という一文がありました。

 実は、私がベトナムに来て最初に行った調査結果を、今ある雑誌に投稿している最中なのですが、それに際して嫌な思い出がありました。今回のようにパスツールの人達と共同で行った調査でしたが、論文を投稿する際にパスツール側から副所長二名を共著者として加えるように要求がありました。もちろん納得できないと抗議をしたのですが、これから先調査を協力してもらうこともあるので、泣く泣く妥協しました。あとで聞くと、副所長が教授の審査を受けるのに論文が必要だったとか。情けなくて泣けてきます。

 二度と前回のような思いをしたくはなかったので、本研究に関わった、の部分を本研究に責任のある、に変更して送り返しました。カウンターパートナーのTさんはそれで受け取ったので、今回は一応おさまりました。

 日曜からTさんが来ているわけですが、昨晩は彼女を囲んでH1さん、H2さんと4人で「紀伊」で一緒に食事をしました。彼女のお土産のワインも2本あけ、さらにワインを2本注文してそれもあけ、最後はJICAの支援でハノイに来ている感染研グループと合流してお開きとなりました。

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2012年11月26日 (月)

ボロ負けソフトボールと回復しつつある体調

 今朝5時10分に起きて、ハードンスタジアムにバイクで行きました。まだ真っ暗でした。去年と同様にタッチラグビーのメンバーでソフトボール大会に参加したのはいいのですが、第一試合でした。相手は去年と同じJICAさんチームで、1点も取れずボロボロに負けました。

 9時過ぎには家に戻ったのですが、朝早かったのと疲れで2時間近く寝てました。パスツール研究所のTさんから、夕方ディープフリーザーにサンプルを置かせてくれ、という電話で起こされて、昼食をとりました。

 昼食後はまたうとうとしてしまいましたが、2時半に起きて今度はタッチラグビーへ行きました。来週、ホーチミンでタッチラグビーの大会があるので、その練習を結構しっかりやりました。私は普段のランニングを止めたままで、まだ万全ではありませんが、先週よりも足腰の調子は良かったです。少し改善されているのでしょうか。

 練習後は真っすぐ帰宅して、NIHEでTさんからサンプルを受け取りました。エントのフリーザーにしまって、カフェで少し話をしてから、バイクで彼女をホテルまで送りとどけました。

 

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2012年11月24日 (土)

持ち帰りサンプルを巡るトラブル

 日本からお客さんがきていたので、昨日の晩は「紀伊」で夕食会を行いました。深夜のフライトだったので、8時半くらいまで彼らと食事をしていたのですが、頼んでおいたタクシーが来なかったらしく、Tさんに連絡をして対応してもらいました。

 最近は私たちもタクシーで空港への往復をすることが多いのですが、日本からのお客すら送迎できないのであれば何のために買った車なんだ、という話になりました。

 そのごハノイクラブに移動して、カラオケ、と思いきや、今度は空港で荷物が引っ掛かった、という連絡が入りました。ネズミのサンプルということが引っ掛かったらしいです。本来ならば英語でratと呼ばれるネズミのサンプルは問題にならないそうです。たまたまホーチミンでハンタウイルスの患者が発生して問題になっていることや、馬鹿正直に中身はネズミです、と答えたのが悪かったようです。そのせいで我々はサンプルを夜中の2時半にフレーザーホテルまで取りに行く羽目になりました。私は帰ってもよかったのですが、日本側の受け入れ者がへべれけになっていて心配だったため、付き合いました。結局、彼が帰りのタクシーでつぶれてしまったので、私がサンプルを家まで持ち帰りました。

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2012年11月23日 (金)

転換期の前触れ?

 前のボスがハノイでいろいろとビジネスをやりたがっています。それで顧問になっている会社の社長さん達がハノイに来ています。私の勝手な解釈だと、元ボスは自分が儲けることではなくて、自分の親友、知人がいるベトナムでなにか彼らに貢献したいようです。自分は元ボスに拾ってもらった立場ですし、彼の行おうとしていることは、ベトナム人側がどう思っているかは別にして、間違っていることではないと思うのでサポートする立場にいます。

 私の生まれと育ちは商売に縁があるのですが、私自身は自分の関心外でなおかつ守備範囲外なので、そういう話が自分に降りかかってきてもまったく役立たずです。それなのに、ベトナムである商売をやろうという人達とここ最近関わっています。

 過去を振り返ると、自分が人生の転換期になる前には、必ず大学や研究以外の人達との何らかの出会いがありました。当時本筋から外れたきっかけは、お金がなかったからであったり、職場環境で行き詰っていたからだったり。

 また自分の人生が何か変わるのかなあ。

 気のせいかも、杞憂かもしれませんが。

 

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2012年11月22日 (木)

紙にまつわる理不尽な話

 読書の秋。最近は、理不尽な境遇におかれた主人公の葛藤を描いた小説を続けて読んでいます。先週は山本周五郎の「さぶ」、今週から山崎豊子の「沈まぬ太陽」。共感する、しないは別にして、すっと読めます。

 論文書きの途中で、幾度かデータを見直して、さらに調査の記録用紙まで見直しています。記録用紙はエントスタッフのC君が、解析をしてみたいので貸してくれというので、喜んで貸したのですが、昨日今日と手に取ってみると記録用紙がばらばらに入っていて、非常にチェックしずらいです。しょうがなしに並べ替えていると、数枚紛失していたことが判明しました。

 昨日の夕方、彼に聞いてみたものの、どこにいったのかわからずじまいでした。これも一種の理不尽です。

 ところで、VPNの方は復旧したので、文献をダウンロードできるようになり、ラジコも聞けるようになりました。一部の方にはご迷惑をおかけしました。

 

 

 

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2012年11月20日 (火)

ヘルニア再発にびくつく毎日

 インターネットのVPNに接続できない状態が先週末から続いているので、長崎大学が契約している海外の出版社の文献のダウンロードができません。あと、ラジコもきけません。こういうのに詳しかったUさんが1年前に辞めたので、直せる人が今いなくて不自由な毎日です。

 日曜の午後にタッチラグビーの練習に出たのですが、休み休みやっていたにもかかわらず、練習中にだんだん脚が重くなってきました。前回ヘルニアになった時の直前の症状と似た感じだったので、見学に切り替えました。

 うーん。ずっとこのままなのでしょうか。

 

 

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2012年11月16日 (金)

学生のための道端焼き肉

Photo 先月末から他大学の医学部の学生が同僚のところに実習に来ています。国外実習です。私の学生の時には考えられなかったです。もっとも当時でもかなりの貧乏苦学生だったので、3か月も海外で生活するなんて無理だったでしょうね。

 彼は中学の時からずっと柔道部だそうで、こちらにいる間はウエイトトレーニングのジムに通っています。

 若いし、体育会系なのでよく食べます。NIHEの食堂ではいつもご飯大盛りです。代謝が活発なので、それだけ食べても太っていません。

 肉が食べたい、とよく言っているので、見かねて火曜日に皆で焼き肉を食べに行きました。といってもロードック通りの道端の炭火焼き肉屋です。いやー、彼はよく食べました。ビールを飲んで、ハノイウォッカも追加して、それでも一人700円くらいでした。

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2012年11月13日 (火)

登頂断念

 昨日は久々にタッチラグビーをやりました。スタミナは大丈夫でしたが、ちょっと腰を曲げたり、ひねったりするとかなり違和感を感じました。今日は少し背中が痛いです。まだまだ様子見ですね。

 ところで、論文は頂上まじかまで来て立ちつくしていましたが、目指したジャーナルはあきらめて他の雑誌に投稿することにしました。どうやっても調査方法の要求が高過ぎて、今回の我々の論文では無理でした。臨床試験の登録まで済ませたのにとても残念ですが、文章表現を変えることはできても、もう調査も終了しているので内容を変えることはできません。今回の失敗を次回に活かすまでのこと。

 あまり詳しくは書けませんが、NIHEのエントから研修生を送る件とか、長崎大医学部3回生のリサーチセミナーを受け入れることとかがごたごたしていて、結構大変です。研修生を送り届けるのはベトナム拠点関係者のルーチンなのでいいのですが、リサーチセミナーの方は、日程的に無理だ、という回答がわかってもらえていません。

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2012年11月10日 (土)

ラグビーおやじのつぶやき

 11月だというのに、ハノイは暑いです。昼間は30度あったのではないでしょうか。今も冷房をつけています。

 今、増やしている蚊の系統があるので、午前中は蚊の世話をしにNIHEに行って、カフェマイで新たにコーヒーを買って、スーパーで一週間分の食品を買ってきました。午後はネットで梅ちゃん先生の特別編を見ながら、ポトフを作りました。

 夕飯を食べながら、NHKの「実験刑事トトリ」を見ました。三上博と梅ちゃん先生の松岡役の俳優の組み合わせは、どっちもいい俳優なのですが、元研究者で刑事に転職した三上博と若手刑事の松岡役という設定よりも、ベテラン刑事三上と元研究者の松岡の設定の方がうまくかみあったのではないかと思うのは私だけでしょうか。松岡役は梅ちゃん先生でむしろ旦那さんのノブよりも存在が大きくて、いい味を出していただけに、今後に期待します。

 少し体の調子もよくなってきたので、明日はタッチラグビーに行こうかと思っています。それにしても、松尾雄二はヘルニアだったのによく日本選手権に出れたものだと、つくづく思います。朝、痛み止めの注射を脊椎に打って試合に出たとか、確か当時の新聞に書いてあったように記憶しているのですが、自分でヘルニアになってみて、冗談じゃない、と思いました。

 日本はラグビーシーズンですね。大学ラグビーでは早稲田はもう対抗戦優勝はなくなったとか。ネットのコラムを読むと、試合を見ていた往年のファンが、昔の早稲田のほうがよかった、とつぶやいて、帰って行ったとありました。

 かつては地方の無名校(ただし地方でそれなりの進学校)から早稲田に憧れて浪人してまで入部した学生が試合に出ていて、OBとかが知恵を絞って戦術でカバーしていったものです。そこが判官びいきとなって早稲田ラグビーは人気があったと思います。今はラグビー有名校からどんどん有名選手を引き抜いているとか。

 もちろん、堀越とか高校日本代表クラスも毎年入部していましたが、ラグビー有名だったっけ、という高校出身の選手も半分くらいはいて(ロックなのにプレースキッカーの坂本とか)、文武両道だな、とか私は思っていました。

 かつては新日鉄釜石のように東北の高校の無名選手と森や松尾のような有名大学出身の選手がかみ合った社会人チームもありました。あまりラグビーを見なくなったせいもあるかもしれませんが、最近、日本のラグビーは面白くなくなったかも。野球やサッカーのように高校の次はプロ、しかも本場で勝負できるような能力のある若手がラグビーでも出てきたら変わってくるかもしれません。

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2012年11月 9日 (金)

治験登録は済ませたけど

 先週、やっとこさ投稿した論文は、編集部から治験とみなされたので、今週はWHOの関連する、日本では日本医師会の関連団体が窓口になっている登録センターに研究計画と結果を登録していました。本来、医者が新しい薬や治療法を登録する窓口に、それらの既存の書式や形式にのっとって、新たな蚊の防除法を提案して病気になる人の数を減らしましょう、という内容の申請をするのですから、かなり無理がありました。

 きょうやっとそのハードルを乗り越えて、無事登録が完了し、センターからIDももらえました。これが再投稿のための第一段階だとすると、第二段階は倫理委員会に申請した文書を添付することでした。これは何とかなります。

 最終の第三段階が、難問だと気付いたのが今日。指定されたHPにいってみると、第一段階の登録での計画の部分をさらに厳しくしたような内容でした。なんといってもこの原稿の一番弱い部分はサンプリングのランダム化なのですが、最初にランダム化したと宣言したうえで項目をチェックしていくので、もうお手上げです。

 なんとか頑張って山を登ってきて、最後に頂上の前の断崖絶壁を見上げている感覚になりました。

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年度内の出張予定

 今年度内の出張予定をどんどん立てました。来月すぐにホーチミン周辺でヒトスジシマカの採集をします。

 3月までにエントから熱研に研修生が一人行くことが正式に決まりました。野外調査を一緒にやってきたC君で、彼は一度も外国に出たことがないので、私は彼に付き添うように前々からYさんやP君から頼まれていました。

 本当は11月くらいに行ってしまいたかったのですが、C君の希望や受け入れ側の先生方の要望もあって、正月明け早々に彼について一時帰国することになりました。一月中旬にも東京で拠点関係の発表会があるので、来年の年越しは一時帰国せず、ハノイで過ごすことにしました。

 例年旧正月はベトナムで過ごしてきました。今度の旧正月は日本で過ごそうと思ってチケットをとろうとしましたが、すでに満席ばかり。秘書のTさんに頼んで旅行代理店にあたってもらったところ、どうにか取れました。二週間ちょっとで長めの一時帰国ですが、健康管理休暇をあてました。

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2012年11月 6日 (火)

オフィスの配置換え

 先週、突然、今のオフィスを隣の部屋に移すから、とエント部長のP君から言われました。今の居室はオーストラリアとの共同研究のために実験室にするという話でした。ちなみに隣の部屋というのは今の建物(ハイテクセンター)に入ってすぐの、最初の頃にビル管理の人がいた部屋です。先週までは事務の人達が使っていました。  先週の金曜日に、いよいよ移るという段になって、ビル内をモニターするテレビなどを取り外せないこと、さらに時々モニターの点検にビル管理の人が部屋に入ることが判明しました(なんで当日そうなるのか)。  結局もとの部屋に戻ったのですが、今度は部屋の配置を変えることになりました。理由は、Pさんの体の具合が悪いのは部屋の気の流れが悪いからだそうです(出たー、Yさん得意の占い)。バイクに乗る分少し歩けと言いたくなるのをこらえて、彼らの言い分通りに部屋の配置を変えた結果、P君の席は部屋の奥の一番いい場所に、私の席はドアのすぐ隣のあたかも彼の秘書のような場所になりました。金曜日、半日だけ座ってみましたが、すぐ隣は会議用の机、そのすぐ後ろでバタバタ人が出入りするのが気になり、ストレスがたまりました(私の健康と運勢はどうなるんじゃ)。  週が明けて、今朝、机の位置をずらしたのですが、会議用の机を動かすことに同意してもらえず、泣く泣く元のドア近くに机を戻しました。どうしてもすぐ後ろで人が出入りするのが気になる、と申し出たところ、席の後ろに衝立を置かれたのですが、今度は私の椅子が大きすぎるから小さいのと取り換えよ、という要求を出されました。ヘルニアになる前から腰を気遣って、なるたけ座り心地のよい椅子を買ってきたのですが、これもY教授に、こちらの方が拠点長にぴったりです、とよいしょして交換してもらいました。  あほらしい、情けねえ、とも思いましたが、今の部屋にいれば、実験室の鍵がいつでも使えますし、いざという時にP君に頼めばトップダウンで仕事が進みます。以前に大部屋にいた時は実験室の鍵を持って昼食に外出されたまま3時間も帰ってこなかったことがありましたし、先週、Hさんから熱研の教授が今年のデング熱患者のデータを欲しがっているから3日以内に何とかならないか、とメールを受けた時に、エントのデング担当者に頼んでも(というか英語が半分位しか理解されず)、まる一日待たされたあげくに私が直接疫学部門に掛け合え、とほとんど匙を投げ出されたのですが、P君に説明してみたところ、その日の夜にデータが手に入りました。  実験やベトナムの情報入手の効率という点では今の部屋にいるのがベストです。でないと、かなり非効率になります。今のところ2階のフララボに机の空きがありますから、どうしても我慢が出来ない時は論文書きやネットからの情報収集には2階に行くか、アパートに戻って仕事をするようにします。

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2012年11月 4日 (日)

臨床研究とみなされた蚊の論文

 ベトナムに来て最初にやった調査を論文にしたのですが、昨年あえなくリジェクトされたので、今年に入ってからレフリーの意見を参考に中身を修正して、先日、同じ系列の雑誌に投稿しました。電子投稿する際にいろいろ聞いてくるので投稿するまでが面倒くさい雑誌なのですが、どうにか半日かけて投稿しました。

 しかし、翌日、編集長から、この論文は臨床研究に相当するから、臨床研究事例として登録してから雑誌に投稿して下さい、という返事が来ました。たしかにデング熱の抗体価が上がったか血清を調べたりしましたが、蚊の防除がメインの話ですからいいのでは。

 どうにか相当するHPにたどりつき、16ページもある記入用紙をダウンロードしたのですが、この時点でかなり精神的に消耗しました。私のまわりにはこういう経験をしたことのある人がいないので、この後どう対処すればいいか、途方に暮れています。とりあえず、この調査のメインであった長崎大のKさんにメールでこれからどうするか、指示を仰いだのですが、彼もよい解決法が浮かばないらしく、保留状態です。

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