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2013年4月 8日 (月)

26年ぶりの卒論

 衛動大会の発表は懇親会翌日の朝一番でした。それなりに早起きして間に合ったのですが、お客さんは身内ばっかりでした。おまけに、練習では8分以内におさまっていないかったのですが、なぜか本番は6ちょっとで終わってしまって、質問時間がやたら長くて我ながら失敗しました。

 午後の獣医関係の質疑応答も終わり、先週から予定を入れていた下澤先生とOさんと長崎大学の助教グループで飲みに聞きました。

26 今、先生は昆虫の微小形態を電顕でいろいろ調べ直して余暇兼研究として楽しんでいられています。写真に写っているのは下澤先生、卒業論文を戻された私、今回の橋渡しをしていただいたOさんです。

 まさか、お前に渡しておきたいものがあるといって、卒論を渡されるとは思ってもいませんでした。自分が死んだあとに奥さんと子供が処置に困るだろうと言って渡されました。

 今回渡されたのは、卒論の最終稿でした。そのあとで、私は九州ヒッチハイクに出かけました。なぜか旅に出たかったので。なんで九州かといわれると、北海道は寒すぎるし、本州は広すぎるし、海外に行くには金がないしで、九州を貧乏旅行しました。

 最終稿の前に手書きの原稿を3回提出しました。初校には、一番最後に先生の手書きの文章があって、そこには、

「昨年中に初校を渡すと約束した。1月たってもまだ出ずに、2月にたってもこの程度。自分の能力は人の半分以下なのだから、他人の2倍努力しなければならないということ。農学部に行ってものほほんとするな。」

 今日も角田はバカで、と言われっぱなしでしたが、親が馬鹿な息子ほど可愛いと思うのと同じで、馬鹿な弟子ほど気にかかると思っておきます。

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