昨夜は広島大から来た学生さんの歓迎会があったので、ワインを結構飲んじまいした。
で、朝8時に目を覚ますと、家の前の道にはいつものバイクと車の通りはなく、道の両側には青い服を着た青少年が並んでいました。
今日明日とズン将軍の告別セレモニーがNIHEのすぐ近くの葬儀場であるので、私の家の前の通りも封鎖されていました。
一か八かでNIHEに行ってみたのですが、
はー、
案の定、バリケードができていました。

入ろうにも入れてもらえず。秘書のTさんは電話してもぶっちぎりの無視。電話したからどうなるってものでもないのですが。Y教授に電話すると、なんか朝早く目が覚めたので7時にNIHEに潜り込んだのだそうです。
でも、出るのも大変かも。つーか、昼飯に家に帰れないでしょ。
Y教授の情報によると2時か3時くらいにこの道路封鎖はなくなる予定だったのですが、3時過ぎに窓の外を見ると一般市民の行列ができていました。
告別式の参列ですね。
今日の蚊の世話は諦めて、科研の申請書の見直しをしました。
でも、夕方は合気道の稽古に行こうとしたのですが、やっぱり行列は途絶えていませんでした。
管理人のおじさんを一方的に説得して、バイクを出して、歩道でバイクを押していって、家の前の通りを出たところでバイクのエンジンをかけました。いつもなら、歩道でバイクを押すなんつーことはできないのですが、カフェも行商もまったくなく、唯一良かった点でした。

今日は鹿児島から日本人の師範の先生一行が来られて、ベトナム人に稽古をつけてくれました。いつもはベトナム人師範の説明を私の頭の推定訳で噛み砕いて稽古をしているのですが、今日はわかりやすかった。
でも、なぜか小学生との稽古の機会が多かったような気がしました。よろしく、と若い子が言ってきた後で、じゃあ、この子を、と、小学生だったりしました。
鹿児島のH先生はベトナム人に人気があって、なぜかというと、先生の芸で、二教取りイッキというのがあるのですが、要は間接技を決めて、相手が、あー、と声を上げたところに酒を流し込むという芸です。それをこれまで何人かのベトナム人にやったのですが、彼らが皆その後で結婚したので、これから結婚したい男衆は皆イッキを申し込んでいました。
で、宴会も終わって家に戻ったのですが、まだバリケードが家の前の道路にできていました。俺は家に帰るんだ、と数少ない知っているベトナム語で説明したのですが、それでもいれてもらえませんでした。30分くらい待たされて、同じようなベトナム人が入れてもらったのを見て、私の脇で見物していたベトナム人がお前も行け、と言ってくれたので、私も、家に帰るんだから通してくれー、と言いながら、ようやくアパートに帰れました。
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