« 2014年3月 | トップページ | 2014年5月 »

2014年4月

2014年4月30日 (水)

謎の鳥の丸焼き

 昨日の昼間、NIHEの2階のテラスに七面鳥が籠に入れられていたそうです。たまたまたばこを吸いに行った同僚が目撃しました。しかし、夕方また煙草を吸いに行ったらいなくなっていたそうです。

 夕方、仕事が終わって家に帰る前に、守衛さんのところに届けてあった新聞をもらっていこうとすると、顔なじみの守衛さんから、身振り手振りで、飲んでけ―、と強引に誘われました。中に入ると、鶏よりもでかい、ガチョウのような鳥のまる焼けがありました。それを太った、料理のうまい守衛さんがさばいて皿に盛り付けして、香草が少しそえて、出来上がり。
 7,8人の守衛さんと例によって、誰かの知り合いか、たぶんNIHEではあまり見たことのない人が二人加わって酒盛りとなりました。鳥肉は少しにおいが強くて、肉が噛み切れないくらい硬かったのですが、3,4杯飲むうちにだんだん気にならなくなりました。それにしてもあれは七面鳥だったのでしょうか。気になります。
 前日の酒で中途半端な睡眠をしたせいなのか、今日は眠い一日でした。6カ月間、前の秘書さんが産休に入ったため代理で来ていたTさんは今日で終わりだったので、昼食は皆でビュッフェに行ってきました。お疲れさまでした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年4月28日 (月)

サイゴンタッチ2014

 サイゴンでのタッチフット大会に行ってきました。タッチフット日本代表の奈良さんに助っ人として加わっていただいて、先週からコーチングをしていただきました。奈良さんからは今回の試合前にいろいろと会ったのですが、とりあえず先週の助言は、疲れる前に、そして守備の時には交代しないということでした。

 第一試合のフランスチーム(だったと思う)との試合で、勝てそうだったのですが、一点差で負けてしまいました。やっぱり自分たちのチームが攻撃になってから選手交代するのは嫌だとは思うのですが、私はもう年なので積極的に代わりました。それでも、一試合目が終わって、2回プレーしただけだったのですが、もうばてばてした。暑さのせいもあって軽い熱中症にかかったような感じになりました。
 第二試合目は、サイゴンジャパン。もうしんどくて休ませて下さい、と言いたかったのですが、とてもそんな雰囲気はありませんでした。同じ日本人同士で、北朝鮮と韓国ではないですが、どうしても負けたくない、という雰囲気はお互いに高かったです。結果としては引き分けになりました。これも勝てそうで勝てなかった。
 第三試合目は(たぶん)オーストラリアチーム。私もラインを間違えてトライしたり(当たり前ですがトライとは認められず)、これも僅差で負けました。
 予選リーグ最後のフランス人10代チームに負けたら、もうそれでおしまいでした。三試合目から雰囲気はだんだん良くなっていき、最後は楽しみましょう、となったのですが、相手が下手だったこともあって、徐々にうちのペースになっていき、やっと一勝できました。
 どうにかもう一試合できることになって、どこだったか忘れましたが、欧米人チームとの試合をやりました。最初は1対2で負けていたのですが、どうにか2対2に追い付いて、そこでいったん試合終了。その後は、6対6から、1分ごとに人を減らしていく間にトライを先に取った方が勝ちという、サドンデスに突入しました。正直、途中で変わりたかった気持ち半分、あー、俺、入ってなくてよかった気持ち半分でした。4対4になった時に、相手ゴール前で奈良さんがMMにパスを出して、彼女がトライを取って劇的な幕切れで我々が勝ちました。
 正直、今回こそニュージーランド、オーストラリア、フランスを破って優勝をと考えていたのですが、ビリの方のカップ戦に加わってようやく勝てたのでした。
 
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年4月25日 (金)

Dさんの結婚式

Photo_2  フレラボでアシスタントをしていて、無事NIHEの正職員になったDさんの結婚式が今日、彼女の実家のナムディンでありました。前にも書きましたが、偶然が重なって私はハノイから2時間半車に乗って行ってきました。彼女の両親はすでに他界されていて、式は彼女のお兄さんの家でとり行われました。子どもが多いのなんの。

Photo_3 予想はしていたのですが、すごい田舎でした。え、こんな狭い道を車で行くんかい、という私たちの不安も垣間見ず、何とか着いたのですが、のんびりした場所でした。家の周囲は田んぼと運河で、家の前の運河では、お兄ちゃんが小舟で子魚を取っていました。
 今日の私のベトナムデビューはガチョウの卵。今を去ること25年前にC県の新人研修で知り合った友人たちとフィリピン料理店に行ったのですが、その店の壁に貼り付けてあった料理がこれでした。ホビロンというそうです。孵化寸前のガチョウの卵を充分茹でて、食べるのですが、かじった後で中身を見なければどうってことはないです。味は確かにおいしい。
Photo_5 で、酒はビールかと思いきや、栓のところに枯れた葉っぱが差し込まれていて、色はちょっと乳白色がかっている液体が入っていました。その隣にあるのは旧正月の時に食べる何だっけ。で、3種類の日本で一番近い料理だとソーセージ。それから、肉と野菜の炒め物と茹でた鶏肉、伝統的で家庭的なベトナム料理です。
 Dさんはもう4カ月になる子どももいて、去年の7月に、子どもがいると

Photo_4

聞いた時には、えー、で、その後、シングルマザーになる、で、さらに、えー、と、なったわけでしたが、どうにか彼氏が結婚に承諾したので、めでたし、めでたし。
 Dさんはダメンズかつイケメンが好みだと聞いていたので(どうして俺じゃなかったのだろうか)、どんなチャラ男かと思っていたら、実際会ってみたら感じのいい彼氏旦那でした。ちなみに、Dさんの弟は沖縄っぽい顔立ちでした。
 両親がいないのもありますが、彼女は本当に苦労して幸せをつかんだので、本当に良かったと思っています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年4月23日 (水)

偶然が重なってDさんの披露宴に参加決定

 今朝、前にフレラボにいたDさんから電話がありました。今週の金曜日に結婚するので、式に参加してくれないかとのことでした。

 日本では結婚式の招待を三日前にするのはありえないのですが、ベトナムでは普通のことです。エントでたぶん私と一番長く一緒に仕事をしていたC君が結婚した時は、式の日取りが占いか何のせいか知りませんが、予定より2週間以上ずれて、結局他のエントスタッフの日取りとダブってしまいました。おまけにエントの男性陣は泊りがけでの参加で、私は翌日早くにタイへ行かなければなりませんでした。結局式には参加できませんでした。どうして来てくれないんだ、というC君の要望が、あの時はあまりにも無理強いだと感じました。
 ところで、先週の金曜日に、培養していたデングウイルス株にカビが生えてしまったことがわかり、急遽、Gさんのラボに行って新たにC6/36細胞をもらってきたのですが、その直後に蚊も8系統のうち4系統で謎の大量死がありました。偶然に偶然が重なってしまったわけですが、それでも予定通り今週の金曜日に蚊のウイルス感染実験を行う予定でいたら、私が特に何も言わなかったのでウイルスは別の検査に使うと、今朝、通知されました。
 立場が弱いから、ま、しょうがないか、となったのですが、よく考えたら、ハノイに残って仕事をする必要はないわけなので、Dさんの結婚式に出席することにしました。
 さらにまた偶然が重なって、フレラボの下痢班がDさんの実家のタイビンへ前日から出張していて、当日は車が迎えに行くことになっているので、私は朝9時にNIHEからその車に乗っけていってもらって、お昼のDさんの披露宴に皆で参加して、帰りは下痢班と一緒に戻ってこれることになりました。
 万事塞翁が馬。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年4月19日 (土)

クーラーなしの実験室

 今週は毎日2系統のネッタイシマカの殺虫剤抵抗性を10時から5時まで調べました。蚊を氷で冷やして動けなくして、一匹一匹に注射針のようなもので一滴ずつ薬をつけていくのを午前2時間、午後3時間行うのですが、集中力がいるのでかなり疲れました。十分冷やしていないと蘇生して飛んでいってしまいますし、かといって冷やし過ぎると死んでしまいます。そのあんばいが難しいのです。あとは、実験が終了した後で注射針のような器具を丹念に掃除しないと殺虫剤が残ってしまい、翌日の実験がうまくいきません。

 それから、今週は実験室のクーラーが壊れていて、今日の午前中にやっと復旧しました。それまで毎日30度の部屋で実験をやっていたので、それもあって結構きつかったです。でも、考えてみると、70年代にタイなどで同じような実験をやっていた方々はクーラーもない状態で仕事をしていたのですから、すごいものです。そう思ったら、少し暑さも我慢できました。
 来週はちょっと一休みです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年4月15日 (火)

深酒と停電

 昨日も午後はタッチラグビーの練習をやって、その後は飲み会に出て家に9時ころに戻ってすぐに寝たのですが、寝たのが早すぎたせいか夜中の3時くらいに目が覚めてしまいました。仕方がないので1時間ほどテレビを見たりしてからまた寝たのですが、朝起きるのがつらかったです。深酒は健康な生活によくないので、ほどほどにするようにしていたのですが、ラグビーの後はつい飲み過ぎ、食べすぎてしまいます。

 ところで、寝ていた時にしばらく停電があったようなのですが、今朝、NIHEに行ってみると、実験室のエアコンが止まっていました。スイッチを入れなおしてみたものの、故障してしまったのが、30度のままでした。午後にメンテの人に見てもらったものの、まだ調子が悪いです。そのせいで夕方になってから、人工気象器が1台、大型のディープフリーザーが1台故障してしまいました。
 今朝はもっと早めに来て対処していたらと悔やんだ一日でした。もう深酒はやめよっと。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年4月12日 (土)

日本のこれからに必要な主婦の目線

 また、また、今日はブログを書いていますが、かつて、家電の松下といわれたパナソニックが、なんでここまで海外勢に負けているのかというと、消費者との乖離が大きくなってしまったらしいです。少しでも機械内部の設計を究めたいという、オタクか一流大学出の研究者を集め過ぎたのかもしれないそうです。今、掃除機で売れているメーカーは、主婦目線で開発しているらしいです。

 これからは、日本の主婦の方々が、もっともっと日本の技術立国に役立てるようにしていかないと思う、今日この頃です。子育てをして、本当に大変だったという、経験を得てきている、その意見と着想を利用しない手はないでしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

おぼちゃんの会見で思ったこと

 「ラーメンの鬼」の佐野さんがなくなったそうです。一度、行列に並んでもいいから食べてみたかったのですが、残念、無念。

 おぼちゃんの元上司から、STAP現象は本物、という記事が出ているのですが、どうなるのでしょうか。とりあえずベトナムでは全く関係ないのですが、日本と、もしかして欧米をも賑わしている(騒がせている)この問題は。
 彼女はいろんな研究室を渡り歩いていたのだけれど、一番の事のつまずきは、本当の意味で根本的な研究者としてのトレーニングを受けていなかった、という話になると思います。
 それはおいといて、それでも、彼女はSTAP細胞を見たんだ、という話です。今、とりあえず実証できないのだけれど。ピンクの壁の実験室とムーミン谷(ダニ?)の住民の中での研究生活は現世の人には、あー、しまった、とんでもない人を世に出してしまったー、としか受けとめられません。
 いろんな括弧が重なり合った部分は集合論的には共集合というのですが、彼女の場合はそこは空集合だった、のかもしれません。私が今のところ感じているのですが。
 理研は今、本当に必死です。かつては「研究者の楽園」と言われた場所なのですから。国会で、国家が本当に重要な研究所と言われるのか、どうかと問われているまっ最中ですから。でも、こうなってしまった以上、こすからい手を尽くさず、後世に、科学的倫理とは何か、研究とは何か、を問いかける、究極の材料(=テーマ)を残していってほしいです。
 でも、とりあえず、今の私の意見で、おぼちゃんは科学者として失格です。STAP細胞の究極のレシピは、次の論文で種明かしします、ってないでしょう。指輪を売ってでも(討ってでも)、勝負すべきでしょう。いくらでも(How muchではないです)、無料で自分の発言ができるネットがあるわけですから。
 私のようなカレー臭の漂っているおじさんとしては、これからの科学教育をどうすればいいんだろう、と思うような事態です。誰か、なぜ、優秀な人材がオーム真理教に走ってしまったのか、と、今のところ是か非かはわからないのですが、なぜ、おぼちゃんが良しにつけ悪しきにつけ注目を浴びるような事態になったのか、おぼちゃんの場合のネイチャー権威主義はとりあえず私でもわかるので、根本的な、哲学的な原因を突き止めてほしいと思いました。
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年4月11日 (金)

明日があるさー

 フレラボ秘書のTさんが産休に入ってから、日経新聞が午後にフレラボに届かなくったので、私が帰りがけに新聞を持ち帰って見てから翌日届けています。

 今日もじゃあ、新聞をもらって帰るから、といって、帰ろうと思ったら、おい、寄って(酔って)いけ、とセキュリティーの人たちから強引に呼び止められました。
 5周でもいいから、NIHEの構内をジョギングしようと思っていたのですが、とどのつまりは犬肉とウォッカの飲み会でした。
 ところで、P部長とはどうなんだ、という質問に、えっ?。本当にベトナム人社会は血縁人脈が濃いなー、と再認識させられました。
 まあ、Pさんとはどうでもいいんだけど、ベトナムに来て最初の3カ年は毎年テトにはハノイにいたのですが、ここ最近は帰国していて、セキュリティーの人たちとは飲む機会がありませんでした。そう、3年ぶりに飲みましたね。
 前にも書きましたが、ベトナムでは犬肉を食べると不運が流れさると信じられているようです。それでは、お言葉に甘えて、明日からまたいいことあるさ、と信じるようにしましょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年4月10日 (木)

3回目のカッティエン自然公園

Giant_tung_tree  月曜からまたカッティエン自然公園にマダニの調査に行ってきました。2月に行った時には幼虫ばかりだったので、今回はどうなっているのか気になっていました。

 前回と同様のクロコダイルレイクへのトレイルコースでしたが、今回は時間が十分あったので湖まで行ってみました。途中には写真のように樹齢400年のgiant tung treeの板根があったり、これまではコースの1/3程度までしか歩いたことがなかったので、だいたいの森林の感じがわかりました。
Photo トレイルコースの2/3くらいで12時になったので、そこでマダニの採集はやめて、その後は30分ほど湖まで歩きました。
 ここがクロコダイルレイクです。ワニがいるそうなのですが、見えませんでした。
 あと一月ほどで雨季になるのですが、そうすると水牛が集まってくるそうです。また、対岸にはたくさんのマダニがいるらしいので、今度行ってみたいと思います。
Photo_2 お昼は湖岸にあったベースキャンプでとりました。今回は公園の所長に正式に手続きをして調査をしたのですが、朝に電話を入れてもらって食事の用意をしてもらったのでした。お昼を食べて1時間ほど昼寝をしてからまた来た道を戻りましたが、すぐに雨が降り出したので、マダニ捕りは中断し、ひたすら歩きました。
 おかげさまでマダニの方は全ステージが取れて大漁でした。しかし、それ以外はとても大変でした。一番の問題はカウンターパートナーとの関係とあるエントスタッフの仕事の態度なのですが、長くなりそうなので今日はここまでにします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年4月 7日 (月)

合気道のサッカー交流会

 今朝は日曜でしたが、朝6時半に起きて日本寄りに時間早いTBSのサンデーモーニングを見ながら朝食を済ませて、タンスワン区の高校のグランドに行きました。年に一度の合気道のサッカー交流会でした。去年もヘルニア回復後にすぐに参加したのですが、今年も声をかけられました。

 本当は明日からまたマダニ調査に行かなければならないので、今日のうちに蚊の胚形成の確認とかやっておかねばならないことがあったので一旦は断ったのですが、そんな私の断りをすっかり無視されたのと、久々にサッカーをするのも悪くないなと思ったので参加しました。
 外国人は日本人の私だけ、ベトナム人を中心に4チームに分けて、午前中、たぶん20分の試合を3回やりました。私の入ったチームは平均年齢が一番高かったのですが、どうにか全勝して優勝することができました。
 その後の飲み会の誘いを断って、家で昼食を取った後、NIHEで蚊の観察を半分ほどやり、それからタッチラグビーに行きました。午前中のサッカーの時、左腿がつりそうになり、グランドが人工芝のせいだったためかかなり腰が痛かったのですが、先週、火、水、木と嫌なことがあるたびにNIHE構内を走っていたせいか、タッチラグビーでもよく走れました。
 こちらも飲み会は遠慮して、NIHEで科の観察の続きをやって8時前にどうにか終わりました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年4月 5日 (土)

科学論文の不正

 今日の日経新聞に、なぜ不正な論文がネイチャーに掲載されたのか、という記事が載っていました。今や新聞のみならず週刊誌でも一番話題になっている方の問題を取りあげて、研究の立案から論文になるまでの過程がとてもわかりやすく書かれています。

 一流の雑誌となると斬新なアイデアと結論が必要で、審査も厳しくなります。ただし、その分多くの人に見てもらって、これ自分の研究にも使えるとなると、何度も引用される(インパクトファクターが高くなる)ことにつながります。自分の業績を上げるには、どれだけより引用率の高い雑誌に、より多くの論文を掲載することにできるか、ということが重要になります。
 新聞では不正を引き起こす根源にはこのような評価を得たいという欲求とそうしなければ生き残れないというプレッシャーがあると、指摘されていました。必然的に、事務処理みたいな作業でも上司だ、という立場を利用して共著者として論文に加わる人も出てきます。前に書いたかもしれませんが、ベトナムでの最初の論文を掲載するときにベトナム側から副所長を3人共著者にするように圧力がありました。理由は彼らがプロフェッサーになるのに論文の数が必要だったからでした。
 さて私の身の回りでも似たような状況になってきています。6年間もここにいて、お前がNIHEでの仕事を論文にしていないから、自分はなかなかアシスタントプロフェッサーになれないと少し前に言われたことがあります。書くのが遅いなら自分が論文を書くから、データを俺に渡せ、とまで言われました。
 ベトナム語で我々の知らない雑誌か報告書に1報として書かれたり、今やっている内容が漏れて欧米の研究者に似たような研究を始められたらたまったものではありませんので、のらりくらりとかわしてきましたが、昨日は口論になりました。その後の話は省きますが、結局、ベトナム人のYさんとうちのY教授とがとりなしてくれました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年4月 4日 (金)

母親も怪我

 母親から、いつ日本に来るのかという電話がありました。なんでも、2月の大雪の時に転んで頭を打ったらしいのですが、病院で診てもらったらくも膜下出血になる恐れがあるそうです。できれば手術しておきたいらしいのですが、父親も年で一人にしておくと心配なので、私が日本に戻った時にまとめて休暇を取ってもらって、その間に手術をしたいようです。6月に熱研で講義があるので、その時に土日を利用して実家に帰ろうと思っていたのですが、もっと長く家にいた方がいいようです。この年まで親の面倒をみられるのはある意味幸せなことだと感じています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年4月 3日 (木)

まただめだった科研と自分の研究哲学

 4月は若者にとっては入学、新社会人の季節です。若者と言われる時期を過ぎると4月は新しい職場でのスタートになることも何度かあるのでしょうが、とりあえず新年度の始まりです。

 そして大学や研究所で働く研究者にとっては、半年前に提出した科研の審査結果が発表される時です。私も7年前に長崎大に就職した時から毎年出しているのですが、毎年ダメ。自分でも今回はいけるかと思ったり、経験のある人に見てもらって、おもしろいし、大丈夫じゃない、と言われて、自信を持って臨んでもやっぱり駄目だった、という繰り返しです。
 そして今年もダメでした。誰が評価しているのかは知りませんが、それなりの有識者から、やっぱり、お前の研究はつまらねえ、先がねえよ、と言われたような気がするので、落ち込みます。なんか恒例になっているのですが、仕事の後NIHEの構内を走って、その後酒を飲みました。
 正直、もう年だし、研究はほどほどにして、講義や学生の指導に自分の生きがいを見つけようかと数年前から思ったりもしたのですが、最近やっぱり考えを変えました。そんな後ろ向きの教員の研究を誰も面白いとは思わないのではないか、馬鹿と思われても、俺はこれがおもしれえと思うんだ、と言いきれないと、誰もおもしれえと思ってくれないのではないか、と改めて考えるようになりました。役に立つとか、金になるとか、その人によって価値観や表現は違うと思いますが、根源では同じかもしれません。
 いずれにせよ、後進のためと思う気持ちがあるのなら、研究の世界では引退するのではなくて、私のような人間はやっぱり自分が先頭に立って走るつもりでないとだめなのではないかと思っています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2014年3月 | トップページ | 2014年5月 »