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2014年8月16日 (土)

仕事のモチベーションと始末に困る人

 今週投稿した恙虫の論文は、なぜかわかりませんが、昨日の夜になって、受け付けできなかったので再投稿してください、というメールが送られてきました。実は、短報は2,000字以内にして下さい、と投稿規定にあったのですが、ちょっとくらいオーバーしてもいいんとちゃうか、と思って、2,300字だったのですが、短報として投稿しました。やっぱり、ダメなものはダメなのでしょうか。

 若い時には少しでも評価の高い雑誌に論文を載せたいという意欲だけで論文を書いていました。それが実現することは業績が上がるということに直結するわけだし、しいては就職に有利になるからと考えていました。でも、離婚して、長崎大学に就職したあたりから、それは研究をして論文を書くモチベーションとしては十分でなくなったような気がします。任期付きの仕事ではありますが、今の自分は研究職として給料をもらっている立場になれたにも関わらず、一緒に喜んだり、悲しんでくれる人がいない喪失感を拭えません。別に、別れた奥さんを忘れられないというのではありません。
 要するに、仕事のモチベーションの一つに家族を支えたい、という気持ちがあると思います。仕事=飯を食っていく、ということはいつの時代も変わらないのではないでしょうか。今の自分の家族は年寄りの父と母だけです。この人達は私に食わせてもらおうなんて全く考えていません。じゃあ、自分のモチベーションをどこにおくのか。
 千葉大学の前総長だった古在先生は最終講義の時に、自分の人生の理想のイメージとして、春先の寒い朝の日に小さな一輪の花が咲くのを見守って死んでいく年老いた人間でありたい、という彼のメッセージに対して絵心のある教え子が描いたスライドを我々に見せてくれました。一輪の花とは学生とも、研究テーマとも受け取れます。ロマンチストだな、カッコつけてんな、とかあの時は思いましたが、今は少し共感しています。
 衛生害虫が病気を媒介する仕組みを解き明かすというのは私の研究している分野では王道のテーマであり、予算も人材も集まりますが、蚊やダニなんていなくなってしまえばいい、としか思わない人達に、確かに人に被害を及ぼす程に増えたら困りますが、そうでない一面もありまっせー、とか、病気を媒介しているだけとはちゃいまっせー、とかわかってもらえる仕事をしていくのが私の使命かな、とこの頃思うようになっています。
 西郷隆盛の言葉に、お金も地位もいらないという人は始末に困る人で、始末に困る人でないと世の大事は為さざるなり、というのがありました。大概の人はお金や出世がモチベーションとなって働きます。世の大事ではないにせよ、ちっぽけな虫けらの、これまで誰も気づかなかった一面を見せるようになるには始末に困る人でないと無理だと思っています。まあ、世間からは変人とも言われてもしょうがないでしょうけど。

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