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2015年3月

2015年3月30日 (月)

2015年桜が満開の長崎

20153 長崎は桜が満開です。今年は長崎大正門前の桜が見れてよかった。

 今まで病害動物にいた数人の人たちが去り、新しい人が入ってきつつあります。そんな人達と挨拶を交わして、スーツのボタンが取れたのを修繕したり、パソコンのカバーを買ったりしていたら、すぐに長崎から羽田に向かう時間になってしまいました。明日の朝はハノイに向かうので、お花見には参加できず、残念!

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金沢21世紀美術館

21 午後から金沢21世紀美術館へ行ってきました。

 北陸新幹線開通で今、金沢はすごく混雑していて、この美術館も混んでいました。
 金沢は建物の装飾なども一手間あって、凝っている感じがします。
  美術館にはこんな展示もあったりして。
 美術館に着いた時にはあいにくの雨でしたが、帰るときにはやんでいました。
Photo
 長崎大関係者3人で見学したのですが、私だけ残って庭など見ながら少しボーっとしました。
 小松から福岡へとANAで移動したのですが、福岡から長崎までバスの予約をしていなかったので、電車で帰ろうとしたらすごい混雑でした。皆週末は福岡に買い物や遊びに来て、帰るのでしょうか。次回から日曜日に電車で帰るのは避けるようにします。 

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2015年3月28日 (土)

 昨日羽田に夜の9時に着いたのですが、なんとホテルの予約を忘れていました。梅酒トラブル以来、いろいろ年度末で東京出張もあり、さらに復活したはずのmy Macが先週の土曜日からまた動かなくなってしまって、今週は月曜日にまた修理にだしました。それからメールは見れず、水曜日に直る予定だったのですが、直ってなくて、羽田行きのフライトが木曜日の午後だったので、午前中に電話で問い合わせをしたら直ったということだったので、バイクですぐに取りに行きました。

 よかったー。直ったー。と思ったのは、NIHEで土曜日からのメールをチェックして、学術関係の情報はノイバイ空港でチェックしたまででした。
 それで、ANAのフライトで羽田に着いたら、忘れていたホテルのチェックをメールで確認しようと思ったら、なんとパソコンが立ち上がらない。
 ド~ン。
 羽田の観光案内所でホテルを紹介してもらってなんとか蒲田のホテルに宿泊できました。携帯からじゃらんで調べていた間にホテルが埋まってしまった時には、本当に焦りました。
Photo 金沢行きの新幹線で11時半について、ホテルに荷物を預ける前にトイレに行っておこうと歩いていたら、Nさんに声をかけられました。Nさんは私が北大の時に実験生物センターで助手をやっていた方なのですが、コオロギの世話を一緒にしたり、修士の時にも公私にわたってお世話になった方です。今は金沢工業大学の教授になっていて、金沢に来る前に会いませんかとメールをしたのですが、たまたま私の出張とNさんの大阪出張が全くかぶってしまったので、会えないと思ったら、トイレに向かっていた私に声をかけてきました。
 よかった。
 昔と全く変わっていなくて、私よりも12歳上なのですが、まだ髪の毛は真っ黒でした。奥さんの旧姓kさんとももちろん知り合いなのですが、駅まで送ってもらう時に、角田のことだから恋愛して苦労してるんだろうな、と話していたそうです。
 それで、金沢駅で名残惜しくも別れて、学会会場に向かいました。
  とりあえず、今回のお勤めを果たして、富山に大学の時の友だちを訪ねて行きました。いやー、お互い年をとったけど、頑張っているな、と確かめあえてよかったです。
 写真は、二人で飲んで、その後の締めにラーメンを食べようかと、富山でお薦めの富山ブラックというラーメン屋に行きました。奴が、ここだよ、角田、と入る前に記念に撮った写真です。 でも結局、麺切れになってしまって、しぶしぶ帰ったのですが。
 それでも、その後に入ったラーメン屋は旨かったです。
 ありがとう。

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2015年3月26日 (木)

理解あるボスあっての仕事

 故障したMacについて電話で問い合わせたのですが、まだ修理中でした。明日の朝、もう一回かけてみます。

 とりあえず明後日の殺虫剤研究班で話すスライドがMacのハードディスクに入った状態になっていたので、エントのM君に頼んでデータをWindowsにコピーしてもらいました。これで半日潰れましたが、なんとか取り出せてよかったです。
 クリーニングの方は、お昼休みか夕方に持ってきてくださいと頼んだのに、仕事中に二回住所の問い合わせが入ったと思ったらすぐに、知らせた住所の前にいますが、アパートがわかりません、とのメールが入りました。
 ここでぶち切れても始まらないので、日本人対応の電話番号がVetterに書かれていたのですぐに電話をかけて状況を説明しました。きちんと対応してもらえて、お昼休みにシミを抜いたズボンを受け取れました。
 
 昨日は同僚のTさんがNIHEに来た最終日でした。ベトナムでもっと仕事をしたかったのに仕事を打ち切られた無念をひしひしと感じました。
 去年は同僚のHさんを送りだしました。あれからもう1年経ってしまいました。
 7年前にしぶしぶベトナムに来た自分は、1年経ってもまだ結果らしい結果を残していなかったので2回目の夏休みに一時帰国した際に、元ボスにもう少し仕事をさせてくださいと頼んで仕事を続けさせてもらったのでした。そしてそのまま今のボスのもとで5年間仕事をさせてもらっています。今のボスは結果に厳しいですが、それはそれでブレがないのでいいです。一番ダメなのはたいした業績もなく、自分で研究する根性もなくなってしまったくせに自分を尊敬しろとか、もっと立てろとか部下に要求する上司です。
 今のボスとは1年前に論文を今年の3月までに5本出しますと約束したので、論文書きのペースを上げないといけません。今年は血反吐を吐くまで論文書きをします。そうでないとボスにも去っていった人にも申し訳が立ちません。

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2015年3月24日 (火)

再びMac修理

 昨晩は中途半端に酒を飲んだせいか、なかなか眠れず、朝方になって1時間ほど寝ました。

 まずは、パソコンの修理に再びMac特約店に行ってきました。本体を開けると、また少し濡れていました。最近湿度が高いので、前に残っていた梅酒の糖分が水蒸気を吸着したようでした。
 それと、本体を開けるときに店員がネジを落としたのですが、そのまま作業を続けて拾おうともしないので、ネジを落としたと説明したところ、店員も付き添いに来てくれたエントのM君も
 「ドントウォーリー」
 本当に任せられるのかな。
 ベトナムに長く住んでいると、あれはネジ一本なくても大丈夫という意味ではなかったのか、と疑ってしまいます。

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2015年3月22日 (日)

いまだトラブル続く

 クリーニングができたという連絡があったので、土曜日に取りに行ってきました。念のためシミが落ちているか確認すると、TシャツOK、シャツOK、ジャンバーは落ちなかったという連絡を受けていてので、しかたがありません。でも、ズボンはまるっきりシミがとれていませんでした。

 「あれっ、ジャンバー以外は全部きれいになった、という連絡だったけど。」
 「ズボンのシミ取りを忘れていました。火曜日に出来上がります。」
 わざわざAu Coまでバイクで片道20分かけてまた取りに来るのは嫌だったので、できたときに配達してもらうことにしました。
 家に戻ってMacの電源を入れてみると、また立ち上がらなくなりました。朝、メールを確認した時にはできていたのですが、なぜか急に電源が入らなくなってしまいました。
 はー。
 いまだに、トラブル続きです。

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2015年3月19日 (木)

東大の忠犬ハチ公

 昨日の夜の便でハノイを発って、今朝成田に着きました。そのまま成田で寝て時間を潰して、9時過ぎに京成スカイライナーで東大農学部に向かいました。

 千葉衛研に勤めていた時には、3,4ヶ月か半年に一回くらいここの図書館に通っていました。当時はまだ、大学の図書館というのは一般に開放されていなくて、首都圏だと唯一農学系で開放された図書館でした。共産系の教官が頑張って広く市民にも開放したのだと、教えてくれたのは衛硏の時の知り合いのFさんでした。
Photo 今は、ベトナム拠点時の同僚のHさんがいるので、いろいろと積もる話もあって、というか、午後の感染研での発表には時間があったので、彼女に会いに行きました。
 その東大農学部も今は少しでも一般市民に受けようと、渋谷駅前の忠犬ハチ公像を東大にも作ってしまったのでした。なんでも飼い主が東大の先生だったとか。おかげで観光客が三四郎池や赤門から農学部に流れてくるようになったのかな。
 私がまだ北大の学生だった時にお世話になった実験生物センターのNさんという助手の方がいたのですが、彼が、角田、見てみい、と教えてくれたのが、忠犬ハチ公の実話という、渋谷駅前で主人を待つハチ公を美談に見立てた、当時の新聞記者が新潮45に書いた話でした。
 なにはともあれ、この写真を私が撮っていた間、あー、恥ずかし、という感じのHさんでした。
 それで、今回の帰国の目的の感染研でのセミナーでしたが、K先生をはじめとした本当に蚊の分野で偉い先生方を前にしての発表で恐縮したのですが、いろいろと有益なコメントを頂けてよかったと思いました。
 飲み会は長崎の時の知り合いのM君と高田馬場で飲み過ぎてしまって、山手線を1周しかけたところで目が覚めて、成田に午前様の前にたどり着きました。

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2015年3月18日 (水)

7年間の海外生活

 朝、デング熱ラボのD君から先週金曜日のミーティングの件について、少し話し合いました。彼からは過去3年間のデング熱患者数の県別データと先週準備していたスライドのコピーを送ってもらったので、長崎のボスに私のコメントを加えて転送しました。

 お昼はフレラボのTさんの送別会でした。彼女は2年間助教として現地の病院とのコーディネートと情報収集をやっていたようでしたが(分野が全然違うのでよくわからない)、ベトナム人スタッフともうまくやっていたように思います。
 次は自分の番、次は、と言い続けて7年経ってしまいました。ラグビー仲間からは狼中年ピロとか呼ばれそうです。
 千葉衛硏にいた時に英語の講師を職場の有志で雇っていたのですが、最後の講師のRさんとは気があって、自分の奥さんとも仲よくなって、お互いの家を行き来するようにもなりました。でも、彼が7年間も日本にいながら一言も日本語を話せなくて、かみさんと、お前7年間何をやっていたんだ、みたいなツッコミを当時よくやっていました。最近、ベトナム人から似たことを言われます。
  今、振り返るとよく言えたものだと思います。

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2015年3月17日 (火)

トラブル続出

 梅酒漬けとなったMacは、今日どうにか復旧しました。エントのM君に今朝もまだ電話がないよ、と言うと、電話をかけてみては、というので、かけてみたら、もう直っているとのこと。やはりベトナムのサービス業です。

 ところが、取り外しておいたハードディスクを入れてもらう際にビニル袋ごと渡したのですが、職場に戻ってからマウスのUSBが一緒に入っていたことに気付いたので取りに戻って説明したら、探したけど見つからないとのことでした。まあ修理費は33万ドン(約1600円)だったので、それでも安かったと諦めることにします。

 一方、クリーニングの方は向こうから電話が入って、ジャンバーだけがシミが取れなかったけど、他は落ちたそうです。シミ取りの追加料金が全部で20万ドンで、木曜日に出来上がるそうです。
 ところで、私のバイクでT君と今日のお昼を食べに行く途中、バイクの調子が急に悪くなってエンストしました。100mほどバイクを押していって修理してもらったのですが、その際にオイルを追加してそのまま蓋を閉めずにエンジンをかけられたものだから服にオイルが飛び散りました。それにしても排気ガスがやけに白いし、最初にエンジンをかけようとすると全くかからないので、今度スズキの修理店で見てもらったほうがよいかもしれません。
 あまりついていない今日このごろです。

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2015年3月14日 (土)

梅酒づけになったMac Book

 3月までの任期を終えて帰国するIさんの送別会を夕方、ヘリテージホテルの中華料理店で行いました。そういえば、2月に長崎から講師として来たSさんがベトナム人からもらった梅酒を懇親会で飲んだ時に、残りはIさんにあげてくださいと託されたままだったのを思い出して、朝持って出ました。

 皆でタクシーに乗った時にカバンに入れて時々中身を確認すると漏れている気配はないようだったので、そのままにしておきました。
 ところが、ヘリテージホテルについてタクシーを降りようとすると、脇腹の部分がびっしょり濡れているではありませんか。カバンを開くと、中はこぼれた梅酒でじとっ。携帯は大丈夫、カメラもiPodも大丈夫。でも、肝心のMac Bookが、動きません。アー(涙、涙)。
 昨日は長崎からボスが来て、これからのプロジェクトについて話合いをしました。NIHE側の部長のPさんのおこちゃまぶりに日本人一同呆れてしまった一幕もあったのですが、それよりもMacが気が気でなりませんでした。
 エントの若手のM君がMacの代理店を調べてくれたので、午後にMacの修理に行くと、梅酒づけにされた部品を見せられました。しかしながら、ハードディスクの部分は奇跡的に濡れていませんした。M君の説明だとベトナムの代理店はパソコンの修理をするときにハードディスクの保存をするような気のきいたことはしないらしいので、そこだけ取り出してもらって、翌朝作動したら電話をくれる、という話でした。
 でも、今日は電話が鳴ることはなく(涙)、仕方がないので、梅酒でシミがついたジャンバー、シャツ、ズボン、Tシャツをジャパンクリーニングさんに持って行って預けてきました。こちらもシミ抜きできるか、電話待ちです(涙)。

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2015年3月 7日 (土)

カンボジアでのマダニ調査終了

Photo 今日の午前中は牛からマダニを採集する予定だったのですが、案内人のおじさんが夜明けとともに近くの農家の牛から取ってきてくれていました。

 もう一回山に入ることも考えたのですが、ダニ布は昨日洗っておいたし、5日間も外界と連絡を取らず、なにか緊急のメールでも入っていたらどうしようと思っていたこともあって、朝食をとった後ですぐにプノンペンに戻ることにしました。おかげさまでマダニはたくさん取れました。
 ところが、あとプノンペンまで1時間というところで車が故障しました。幸いカウンターパートのSさんも別の車を運転して来ていたので、運転手の人を残して私はSさんの車でホテルまで送ってもらいました。やっぱり何があるのかわからないのが海外での調査です。昔の自分ならぎりぎりまで欲張って仕事をしていたのでしょうが、今回くらい余裕を持っていれば十分サンプリングできるし、トラブルにあっても対応できます。
  写真は今回の調査でお世話になった方々です。まだカンボジア人の内面的な部分はよくわからないのですが、いい人達なのはなんとなく感じました。ただ、同じカンボジア人同士でも警戒しているような感じを受けました。
  それにしても、月曜まで毎朝規則正しくトイレに行っていたのが、最初に見たトイレが衝撃的だったせいもあって調査の間は1回しか行きませんでした。下痢にならなかっただけでもましかもしれません。
 今回の調査中に感じたのは自分の体力でした。初日の幼虫を取っていた時の腰の負担を想像すると、毎回調査に出かけるのがつらかったです。最初にマダニの研究をはじめた頃、やっぱり幼虫が取れすぎて大変だったな、と思い出しました。でも当時はまだ20代。体の負担などそれほど感じていませんでした。
  ちなみに帰りの車中は昼食をはさんで5時間だったのですが、やはり最後の方で腰が痛くなってしまってきつかったです。
  あとは作業中の暑さが今までの野外調査で一番きつかったです。10時を過ぎると野帳に記録している時に汗がポトポト落ちてきました。午後はベトナムモードでしっかり2時まで休みを自分も皆にも取ってもらったのですが、それでもこたえました。唯一2日目から冷えたビールがステーションにあったのがせめてもの救いでした。
 夜はハノイからプノンペンの会社に移ってきた、タッチラグビーの知り合いと日本食屋でおいしい日本食を食べました。

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2015年3月 6日 (金)

調査終了前日

Photo_8  午前中はまた別の場所へ。最初は、また農場の端っこの森か、マダニはいないんじゃないかと思ったのですが、それからどんどん山に登っていったので、とりあえず案内としてのハズレはなく、森林地帯としてはよかったです。幼虫以外の成虫と若虫が取れました。幼虫が取れすぎると腰に負担がくるので、ラッキー。

3  山のふもとで私はくくり罠に足を取られました。写真は私が脚で踏みつけているところ。フラッギングに気を取られて全く気が付かなかったです。それなりに動物はいるということですね。と感心している場合じゃなくて、今回3日間午前午後と6回山に入ってくくり罠を見つけたのは2回でした。野ブタがかかった場合は食べて、それ以外の小動物の場合は売るそうです。

 Photo_9 今回は、森林局の研究員の方は常に1名付き添って、時々カウンターパートのSさんも加わりましたが、それ以外の人の場合もありました。4日間のうち2日間、一緒にまわった森林局のおじさんはすごく腰が低くて人のいい感じの方でした。マダニの幼虫をもうそれ以上取ってくれるな、と言いたいくらい取ってきてくれました。一昨日から来た、別の森林局の人はたぶんフランスの血が混じっている感じで、すごく真面目でマイペース。それから、自動小銃を持った警官が4人待機していていつも2人が付きました。Sさんの話ですと、警官がいないと仕事ができないそうです。あとは、山を案内してくれるおじさん。普通の道を歩いているときはとても遅いのですが、山に入るとなたもしくは山刀を使ってどんどん道なき山を進んでいきました。今日も、おじさんに山頂にどうやって行くのかと聞いたら、おらしらねー、で、本当に道を見失ったわけではなくて道がなくなったので、7合目辺りで引き返しました。

 乾季といいながら暑くてたまらないので、午後は一眠りして、2時半から調査を再開しました。酒の強い、3人のうちの最年長の警官のおじさんと人のいい感じの森林局のおじさんは共に55歳で、たぶん次が私のはずですが、かなり疲れました。高温は低温に比べて体力を消耗します。

 1時間ほどで猛烈なスコールに降られて、作業は中断しました。雨宿りさせてもらった家は胡椒農園の隅にあったのですが、壁が1/3ほどしかなくて、風が吹き付けたのでびしょ濡れになりました。1時間で雨はぴたりとやんだので、ステーションに帰りました。食事の前に今回の調査の精算を済ませました。その後は軽い宴会をしました。が、なんか、ベトナムとは違う雰囲気を感じました。Sさんの上意下達というのがあるのか、それともやっぱり内戦の後遺症があるのか。

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腰を痛めてマダニ採集と果樹園おじさんの娘の披露宴

Photo_4  今日もまた別の場所でマダニ採集でした。前日とはまた違うダムがあってまずそこへ行ってみたのですが、対岸に渡れないので山の向こう側のバナナ農園から山に入りました。ほんの一山程度なのであまり森は深くなく、マダニは1匹も取れませんでした。

 しかたがないので場所を変えて、もう一度サンプリング。今度は森というよりところどころ笹薮のある二次林だったのですが、牛が放し飼いにされていたのでひょっとすると牛によく寄生する種がいると思ったら、案の定たくさん幼虫が取れました。たくさん採れすぎてまた布から管瓶にマダニを移している最中に腰が痛くなったので、営林署のおじさんにもう採らなくていいですと、頼んだほどでした。

 お昼は塩味効かせた玉子焼き二切れと豚の脂身一切れのおかずで飯だけ1合弱のお弁当でした。それでも食欲だけはあったので、なんとかなりました。ただ、午前中にマダニを布から取っていた時に頭痛がひどかったので、たぶん軽い熱中症になっていたのかもしれません。

Photo_5  2時半に仕事を切り上げて、ステーションに戻りました。さっさとシャワーを浴びたのですが、結婚式に行くのは5時半からと言われ、ちょっと間延びしました。でも、私がフラッギングしていた間に、警察官のお兄さんはそこら辺の放牧されていた牛から吸血していたマダニを取ってくれて、今日は留守番役だった、非常に濃いキャラクターの警官のおじさんも犬からマダニを取っておいてくれたのでした。どうもありがとうございます。

Photo_6Photo_7車で片道45分の予想より遠かった、集落の中の披露宴の会場はすごかったです。特設ステージがありました。そこで(たぶん)カンボジア版ドサまわりの歌手を呼んで大宴会でした。昨日のお父さんの30代の若い奥さんを紹介してもらったのですが、デビー夫人にしか見えなかったです。カンボジアのお姉さん方を今回拝見したのですが、ベトナムの女性よりも化粧が濃く、半分くらいがゲイのようにも見えました。多少肌は黒くても、化粧なしのほうがいいのに。30代くらいの化粧気のないおばさんの方がきれいに見えたのは私の偏見かもしれませんね。

 ところで肝心の新郎新婦はどこにいるのかと思っていたら、特設ステージの前に南国の果物が盛りつけてあって、そこで指輪の交換をする代わりに果物をお互いに食べさせることで誓いを立てるようでした。そのまま写真を撮っていると、少し男色のありそうなおじさんと若者にダンスに誘われて、線香花火踊りと鶏踊りくらいしか踊れないっちゅーのに、歌手の歌と生演奏のもとで踊りました。いつの間にか警官のおじさんがマイクを持って歌手の女の子と一緒に歌っていました。そうしてカンボジアの夜は更けていったのでした。

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大量の幼虫と炭を飲んでいるようなカンボジア地酒

Photo_2  朝7時半に朝食をとって815分にステーションを出発しました。午前中の調査地は車で15分位でした。果樹園を営んでいる家の奥に森林があって、そこは落葉樹林ではなかったので、それなりに日当たりは悪かったのですが、乾季のせいもあって地面はカラカラでした。

 どうかなー。でもいそうな雰囲気はあるよなー、と思ってフラッギングをやっていたら、幼虫の塊が端の隅にありました。

Photo_3  あー、やっぱり今は幼虫の時期なのか。あまりに小さくて数だけ多くて面倒くさかったのですが、乾季に幼虫が多いのをカンボジアでも再確認できて一安心。

 現地の森林局のおじさん、たぶん日本でいうと営林署の人も、旗を振ってマダニを取ってくれたのはいいのですが、最後は取り過ぎてしまって2時間以上ずっと幼虫をピンセットで布から取り続けました。ヘルニアなのに。あー腰が痛い。

 遅めの昼食をとっているとカウンターパートのソマニックさんが車でステーションにやって来ました。差し入れのビールが冷えていてうまかったこと。

 昨日来なかったことは、許す。

 本当に腰が痛くて横になりたかったので昼食後に少し休んで、それから別の場所に行ってマダニを採集しました。午後の場所は幼虫は少なかったのですが、若虫は午前に比べて多かったと思います。いいことです。

 5時少し前に調査を切り上げて、6時から夕食をとっていると午前中にマダニを取りに行った時に車を置かせてもらった果樹園のおじさんがビールと地酒を持ってやって来ました。明日は末の娘さんの結婚式だとか。ソマニックさんの話だと、明日はお弁当を持って別の森に行って調査をしては早めに切り上げて3時からの彼のお嬢さんの結婚式に皆で参加するそうです。私も参加していいそうで、その辺の感覚はベトナムと同じです。それにしてもお父さんの持ってきた地酒が見た目は醤油か炭飲料(酸なし)かと思うくらいに真っ黒で、味としては決して気の抜けたコーラには思えませんでした。それでも日本でいうと養命酒代わりにお父さんは毎日飲み続け3人の息子と3人の娘を作り、今は30歳の若い奥さんがいるそうです。

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Kravanh stationにて回想した馬毛島

Photo  初日の朝、プノンペンのホテルにカウンターパートの人が迎えに来てくれるはずでしたがなかなか来ず、10時くらいになってようやく来てくれました。朝、ミーティングだったとか。午後もミーティングだったそうで、明日自分も行くから、今日は運転手の人に全て任せておく、ということでした。

 プノンペンから北西に向かうこと4時間、直線ばかりの道路から逸れて山に向かっていく道をひたすら進むと森林局のステーションに着きました。

Kravanh_station  ステーション。懐かしい響きです。かつて房総のシカ調査会が活動していた場所が長所ステーションという名称でした。

 そんな私のノスタルジックな感傷を吹き飛ばすようなここはカンボジアの人里離れたステーション。

 写真の左手の家がゲストハウスで手前に三個並んでいる青いのは雨水汲み置き用巨大ポリタンクです。水はすべてゲストハウスの屋根に降った雨水の汲み置きを使い、トイレに当然紙はなく、不浄の手でふいて汲み置き水で流すのみと判断しました。シャワーも巨大ポリタンクからドラム缶に貯めた、日中30度の気温で少しぬるくなった水をかけるだけです。

 比較的野外調査に慣れている私でもここに4日間泊まるのか、と思うと、ついベトナムが恋しくなりました。当然インターネットなど繋がらず、携帯は持ってきていないので、緊急の場合はどうなるんだろうと、ここに来てから考えてしまいました。カウンターパートの人が来ないわけだ。自分も昨日贅沢をしておいてよかったー。

 そういえば、衛硏をやめる1年前に種子島の隣の馬毛島へマダニの調査に同じくらいの期間行ったことがありました。携帯もつながらず、廃校を京大のTさんが改良して、電気もここと同じく自家発電で、夜は寝袋にくるまって寝ましたが、酒も料理もTさんを中心にそれなりに準備して楽しんだ記憶があります。学生中心の集まりでしたが、みなデータの収集に集中して、夜は学生や助手の人と研究などについてああでもない、こうでもないと酒を飲みながら話をした記憶があります。そのせいか、馬毛ボケとかいって、馬毛島から戻ってくると脱力感を感じたものでした。

 今日の夕方少しだけステーションの周りでマダニの採集を試みましたが、日当たりの良すぎる林と草原のため、全く取れませんでした。明日はもっと深い森に行かないと。

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2015年3月 2日 (月)

プノンペンのホテル

Plantation_spa 朝7時に出発してノイバイ国際空港へ。プノンペン直行便かと思いきや、ラオスのビエンチャンに到着しました。いったん飛行機から出て、待合室に30分ほどいてから同じ飛行機でようやくプノンペンに着きました。

 少し贅沢をして私が普段宿泊するようなホテルよりも高めのホテルに今夜は泊まりました。部屋は一階で、テラスからそのままプールに出られます。空と空気が東南アジアです。ハノイとは違います。ホテルでマッサージをやってもらって、それからプールサイドでボーっとして、時々メールやスケジュールの確認をしていました。
 明日からフィールドでマダニの採集です。

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