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2016年4月

2016年4月26日 (火)

バイクで自転車を押しのけたおじさん

 昨日から来なくなった県の衛生部の男性の代わりに別の人が来ました。どう見ても私より年上の男性だったのですが、年を聞いたら一つ下でした。さて、この方は、きちんと丁寧に働いてくれたのですが、バイクの運転がいま一つでした。保健所から現場まで彼のバイクの後ろにまたがって移動したのですが、スピードはのろのろで安全運転かと思いきや、交差点や大きな道路を横切るときに2-3mほど進んでから左右を確認するのでした。
 作業も無事済んで保健所に戻る途中で事故は起こりました。
 交差点を左折するときに、右手から来た高校生の自転車の一団にそのまま合流したかとおもいきや、左手から来た小型ダンプにぶつかりそうになり、よけた彼はバイクで自転車を押しのけたため、自転車2台が倒れたのでした。
 幸い男子二人にけがはなく、無言ですぐに起き上がったのですが、私なら文句を言っていたでしょう。どう見たって、彼が悪いです。ちゃんと左右を確認してから交差点に入らなかったのですから。
 バイクから降りもせず、何やら言い訳しか言っていなかった彼に代わって、カバンを拾い、英語で、すまん、とだけ言って、去っていったのですが、後味が悪かったです。
 ホテルに戻ってからも、女にのぼせて仕事をミスしたT君、C君を注意して、さらに気を利かせてかえって状況を悪くしているD君とメールと電話でやり取りをしました。こういう日は、食事をしても、手前の席にまとめて料理を当然のように置いていくベトナム式のボーイの給仕に腹が立ち、少しブルーな一日でした。

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2016年4月25日 (月)

遊びを我慢して地味に調査

 4月には毎年恒例の合気道サッカー大会とサイゴンタッチフット大会があるのですが、どちらも仕事で参加できず、土日返上で地味に調査をしています。
 今日は本来なら来るはずの県の衛生部のスタッフが来なかったため、私と相方の二人だけで調査をしてました。一緒に付き添った保健所の所長さんは年寄りなので戦力にはならず、バイクで私を運んでくれるだけでした。さすがに普段は3人で、場合によっては4人で30軒の家を調査してきたのを2人でやるのは酷で、本日は23軒で終了しました。今日の地域はトイホア市の郊外で、集落から集落までの距離が遠く、おまけに庭が広いので疲れました。
 あと3日間調査は続きます。

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2016年4月21日 (木)

パソコンと時計の修理

 日本から戻ってきたらMacのキーボードは別のものと交換されて一応使えるようになりました。でも、またいつ壊れるかわからないそうなので、今度日本に戻った時に新しいのを買います。
 私のパソコンのことでいろいろ骨を折ってくれたC君ですが、彼はiPhoneを2台持っています。一台はiPhone 5で100USドル、もう一台はiPhone 6Sで450USドルで購入したそうです。いろんな部品を組み合わせてベトナムで作り直しているので安くなるのだとか。
 私の梅酒Macも300USドルで引き取るよ、と言われたので、同じように使える部品を組み合わせてどこかで売られるのでしょうね。念のためデータの消去はきちんとやっておきましょう。
 ところで、10年以上使っていた時計も修理に出しています。年の暮れに都内で電池を交換してもらった後で、2月にバンドが切れたので修理に出したばかりだったのですが、今度は外れやすくなったのでオーバーホールに出しました。2か月くらいかかるそうです。値段も結構します。最初からそうすればよかった。

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2016年4月17日 (日)

宇都宮で衛動大会

 日本衛生動物学会大会が終わりました。金曜日から宇都宮入りして、土曜日はセミナー参加、日曜日は一般演題と特別講演を聞きまくり、今日は自分の発表でした。発表も大事ですが、とりあえず今は論文です。
 昨日、今日とボスと会い、今のベトナム拠点の現状と今後のプロジェクトの予定について話し合いました。あまり期待せず、かといってがっかりせず、地道にやっていきましょう。
 今回は実家の隣の県での学会だったのですが、ベトナム中部での蚊の調査を早くに仕上げておかないといけないので、実家に寄らずに帰ります。長崎には研究に必要な荷物を取りに行くわけですが、年度がわりで発注が遅れ、さらに熊本地震で間に合わないかもしれないとか。意味ないけど、致し方ありません。

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2016年4月15日 (金)

ついに壊れたMacと知らない人の財布を預かりそうだった話

 一昨日の朝、パソコンの調子が不安定だったのですが、午前中の実験を済ませてオフィスに戻ってみると回復していました。ところが、昨日の朝、また立ち上がらなくなり、午後にエントのC君に頼んで、前回修理してもらった業者に持っていってもらいました。彼からの電話によると明日また連絡するということでした。
 今朝、彼から連絡が入り、マザーボードもチップもコーヒーに浸かったような状態で、キーボードもダメになっていたそうです。コーヒーをこぼした記憶など全くないので、たぶん2年前の梅酒の糖分か何かが変色したのではないでしょうか。梅酒を完全に取り切れなくて、去年の春に湿度が高くなった時に再び壊れました。
 ところで、修理するにはキーボードを取り寄せするが、2、3か月待ちで、しかもまた壊れる可能性もあるそうです。それでも修理するか、捨てるか、この業者に買い取ってもらうかということになり、結局買い取ってもらうことにしました。一応なんとなく虫の知らせで月曜日にバックアップをしておいたのですが、念のため全データのバックアップを取っておいてもらうようにしました。
 そんなわけで今は2月のテト休暇に一時帰国した際に群馬の電気店で予備として買ったWindowsを使っています。Macに慣れてくるとWindowsは使いづらいですが、しばらくの辛抱です。
 ところで、ハノイのノイバイ空港から飛行機に乗るため、ANAのカウンターで手続きを済ませて税関に向かう手前で、知らない男性に声をかけられました。私よりも若そうで40代前半くらいでしょうか、カートに荷物をいっぱい積んでいてどう見ても本当の帰国の感じでした。
 いきなり、彼から手に持っているものを家族に渡してくださいと頼まれて、彼の手を見ると分厚い財布でした。やばいものなのではないかと疑いつつ(そのあげく長崎大学教員●○密輸で逮捕とか)、何のために私がそんな役を頼むのかわからないと思いつつ、彼の素性を尋ねてみると、日本に妻と子供が三人いて、家族を残してベトナムにビジネスに来たが失敗したらしく、日本にいる家族の生活がかなり大変らしいです。
 日本の家族の話をすると涙をこぼすし、話を信じていいかどうかわからなかったのですが、このままベトナムに残るよりも一度日本に帰って家族に会ってから考えたほうがいい、と返事をしました。彼を説得するために自分の父親の話までしてしまいました。家族のことを一番大事に思うのなら、逃げたりせずにもう一度家族の顔を見てから決心すればいいじゃないですか、迷惑をかけて会わせる顔がないなんてかっこつけてるんじゃない、歯を食いしばって生きている父親の姿を見て恥ずかしいと思う子供なんていない。
 わかりました、ありがとうございましたと、頭を下げられたので、頑張ってください、と声をかけて、私は税関に向かいました。搭乗口のところで再び彼を見かけたのですが、係員と何か話していました。彼が飛行機に乗ったのかは、結局、わかりませんでした。
 なんで私に声をかけてきたのか、今もわかりません。
 

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2016年4月 8日 (金)

隠れた仕事での苦労

 今は隠れて仕事をしている状況なので、あまり仕事について書くつもりはなかったのですが、ベトナムの人たちのことについてなので書きます。

 昨日は、NIHEとTuy Hoa市の保健所の若い男性スタッフとTuy Hoa市郊外の保健所の男性とどう見てもそこら辺のお兄ちゃんみたいな若い男性がなぜか調査に加わりました。
 現地の家を3軒ほどまわった後で、私も、お兄ちゃんが、何をどうしたらいいのかわからない、ということがわかったので、NIHEのスタッフに、じゃあ、(言葉は通じなくても私がやっていることを真似すればいいから)私について回るように話したところ、お兄ちゃんの返答は、家に帰ります、でした。
 一方、もう片方の郊外の保健所の男性ですが、彼も何をしたらいいのかわからない、という感じだったので、尋ねた家の花瓶を調べていいか、家主に聞いてもらって、ボウフラがいるかどうか調べてくれ、と頼みました。
 ところが、1軒目の家では、あの花は造花だと言い(違っていました)、5軒目の家では棚にある花瓶を取れないといい(家主は畑仕事をしていたのですが、だったら自分で台を探して取ればいい話)、花瓶の水を捨てた後に私に汚れた検査用の容器を手渡してから必ず自分の手を洗いに行く (調査に使っている容器をきれいにしろ、と言いたくなるのは道具を大事にする日本人の習性なのか)、おまけに花瓶の水を捨てる時には汚いといって腰を引く(俺のサンダルにお前の捨てている水がかかっている)。それでも、調査した1軒1軒が離れていたので、バイクでNIHEのスタッフを運んでくれただけでもありがたいというべきか。
 今日は私とNIHEとTuy Hoa市の固定されたメンバーの他に、郊外の保健所の女性スタッフと2人の若い女性が加わりました。聞いたところによると、若い女性は大学を卒業したばかりでインターンで、昨日途中で帰ったお兄ちゃんもそうだったらしいです。
 ところが、今日の二人は、自分が何をするべきかすぐに理解して、訪問した家々で花瓶がないか家主に聞いてから検査をして、さらに私や他のスタッフが調査をしているところをスマホで撮ったりしていました。
 うーん。ベトナムの女性と男性に対して偏見を持たざるをえないです。
 今日はすごく暑かったのですが、昨日とは違って家々が近く、予想より早く仕事を終えました。ところが、4つのチームのうち2つのチームが勝手に仕事を終えてホテルに引き揚げてしまいました。確かに最低25軒はクリアしたのですが、目標は30軒です。しかも、まだ10時半でした。
 Dさんと話し合って、彼からきちんと30軒まわるようにしよう、と話してもらったのですが、私も、もし何かトラブルがあって作業を中断しなければならなくなったら、他のチームに電話をかけて、サポートにまわるようにしよう、とにかく、利己的なことはやめよう、と話しました。
 社会主義国の人に自分からこんなことを言っていいのか、とも後から思ったりしました。
 とりあえず、Dさんが取り計らってこの日の夕飯を海鮮料理の店で食べることにして、パスツールのスタッフとも飲んで、ストレスを発散することにしたのでした。
 

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隠れた仕事での苦労

 今は隠れて仕事をしている状況なので、あまり仕事について書くつもりはなかったのですが、ベトナムの人たちのことについてなので書きます。

 昨日は、NIHEとTuy Hoa市の保健所の若い男性スタッフとTuy Hoa市郊外の保健所の男性とどう見てもそこら辺のお兄ちゃんみたいな若い男性がなぜか調査に加わりました。
 現地の家を3軒ほどまわった後で、私も、お兄ちゃんが、何をどうしたらいいのかわからない、ということがわかったので、NIHEのスタッフに、じゃあ、(言葉は通じなくても私がやっていることを真似すればいいから)私について回るように話したところ、お兄ちゃんの返答は、家に帰ります、でした。
 一方、もう片方の郊外の保健所の男性ですが、彼も何をしたらいいのかわからない、という感じだったので、尋ねた家の花瓶を調べていいか、家主に聞いてもらって、ボウフラがいるかどうか調べてくれ、と頼みました。
 ところが、1軒目の家では、あの花は造花だと言い(違っていました)、5軒目の家では棚にある花瓶を取れないといい(家主は畑仕事をしていたのですが、だったら自分で台を探して取ればいい話)、花瓶の水を捨てた後に私に汚れた検査用の容器を手渡してから必ず自分の手を洗いに行く (調査に使っている容器をきれいにしろ、と言いたくなるのは道具を大事にする日本人の習性なのか)、おまけに花瓶の水を捨てる時には腰を引く(俺のサンダルにかかっている)。1軒1軒が離れていたので、バイクでNIHEのスタッフを運んでくれただけでもありがたいというべきか。
 今日は私とNIHEとTuy Hoa市の固定されたメンバーの他に、郊外の保健所の女性スタッフと2人の若い女性が加わりました。
 聞いたところによると、若い女性は大学を卒業したばかりでインターンで、昨日途中で帰ったお兄ちゃんもそうだったらしいです。
 ところが、今日の二人は、自分が何をするべきかすぐに理解して、訪問した家々で花瓶がないか家主に聞いてから検査をして、さらに私や他のスタッフが調査をしているところをスマホで撮ったりしていました。
 うーん。
 今日はすごく暑かったのですが、昨日とは違って家々が近く、予想より早く仕事を終えました。
 ところが、4つのチームのうち2つのチームが勝手に仕事を終えてホテルに引き揚げてしまいました。確かに最低25軒はクリアしたのですが、目標は30軒です。しかも、まだ10時半でした。
 Dさんと話し合って、彼からきちんと30軒まわるようにしよう、と話してもらったのですが、私も、もし何かトラブルがあって作業を中断しなければならなくなったら、他のチームに電話をかけて、サポートにまわるようにしよう、とにかく、利己的なことはやめよう、と話しました。
 社会主義国の人に自分からこんなことを言っていいのか、とも後から思ったりしました。
 とりあえず、Dさんが取り計らってこの日の夕飯を海鮮料理の店で食べることにして、パスツールのスタッフとも飲んで、ストレスを発散することにしたのでした。
 

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2016年4月 4日 (月)

今回はブレがちなDさん

 調査のためにベトナム中部のトイホア市に来ています。

 昨日はホテルに到着してすぐにミーティングを行いました。NIHEから4人が同行したわけですが、NIHE側の代表でいろいろと打ち合わせをしてきたDさんが昨日になってこれまで話し合ってきたこととは違うことを言い出したので面食らいました。これでは夜から合流するパスツールのスタッフも混乱してしまうし、もう一度彼らを交えてミーティングをする予定だったのですが。。
 夕飯を食べに行ったら、すでに県の保健局の人がギターを持って待っていて、宴会をやる気満々でした。まあ、明日からしっかりきつい仕事をやってもらうので、昨晩は無礼講ということになってしまいました。
 一夜明けて、今日は朝6時半から朝食で、7時半から調査開始。午前中いっぱいかかってほぼ予定通りに終えました。
 午後はサンプルの処理だったのですが、またDさんと意見が食い違いました。どうして、ここに来る前に話し合ったことを変更したがるのか、わかりません。今回は結構お金がかかっているからというのですが、上の指示が途中で変わると現場が混乱するわけで、良いデータが取れないでしょう。調査中に良いアイデアが浮かんだら、個人的にはそれは次の調査を計画した時に活かせばよろしいと思うのです。

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2016年4月 3日 (日)

水難の相

 先々週の土曜日に実験結果の確認にNIHEに来たら、向かいのエントの大部屋が水浸しでした。金曜日の午後に断水だったのですが、スタッフの一人が大部屋で夕飯を食べて、鍋を洗おうとしたら水が出ないのでそのまま出しっぱなしにして帰ったからこうなってしまったようでした。あいにく鍋が排水口を塞いでいました。私のいるオフィスにも水が入っていました。

  アシスタントの子たちもまだ来てなかったので、しょうがないから実験の確認をする前に一人で床の水をバケツに入れて捨てる作業をやっていました。しばらくして、アシスタントの子たちがやってきたので、彼女の旦那でエントスタッフの一人も入れて総勢4人で大部屋と私のいる部屋と廊下の水を拭き取りました。
 昨日は、実験に使ったピペットを洗浄するために3年ほど前にスタッフのC君に作ってもらった洗浄装置の水を出しっぱなしにしてお昼を食べに家に帰って、2時過ぎに戻ってきたら実験室の床が水浸しになっていました。詳しい原因はわかりませんが、洗浄装置から漏れていました。
 とりあえず床の水を1時間近くかけてふき取りました。
 そして、今日、ベトナム中部での蚊の調査のために前回と同じホテルに泊まりました。夕方、ジョギングをしてからシャワーを浴びて、汗びっしょりのシャツやパンツを洗ったら、水道の水が止まりません。
 しょうがないのでアシスタントのDさんに電話をして、フロントに状況を説明してもらいました。すぐにスタッフが来てくれて、蛇口を交換してくれたので事態は収まりました。
 今、水難の相ありですね。

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2016年4月 2日 (土)

今年の年度末はきつかった

 仕事でいろいろやらなければいけないことがありすぎて、いっぱいいっぱいの3月後半でした。嫌な言い方ですが、国や県の試験研究機関や大学では年度末までに予算を消化しなければなりません。2月末にプロジェクトが頓挫した後は、どうしようか迷って血迷って、ロンビエン橋から紅河に飛び込んで、そのまま失踪しちゃおうかとまで考えたり、真面目な人ってこういう状況になると自殺するのかもしれないな、とか考えたりしていました。

 どうにかごまかして切り抜けたのですが、それでも5月の中旬に長崎で開かれる会議までに結果を出してくださいというボスからの指令があるので、それまでは休みがありません。明後日に開かれる合気道道場恒例のサッカー大会にも今回は出られず、ホーチミンで4月に開催される恒例のサイゴンタッチにも仕事のため参加できません。ま、もう少し、頑張ってみます。

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