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2019年12月

2019年12月30日 (月)

2019年の十大ニュース

 私の今年の十大ニュースです。

1. 父の他界。

2. バイクの事故で腓骨を骨折した。(まさか折れているとは思わなかった。)

3. 来年度の契約更新がないという通知を受けた。(論文が出ていないから言い訳できない部分はあります。)

4. ザンボー湖の清掃活動に参加した。(怪我と喪中で最近は行ってません。)

5. 札幌でのフラテの同窓会に参加、北大総合博物館でS先生に再会、I君と五色温泉へ行く。(今思えば、無理して行っておいてよかった。) 

6. 松戸で松虫会に出席。(これも出ておいてよかった。)

7. 日大で特別講義をした。(学生以外に教官も来ていたので焦りました。)

8. Hさんがアシスタントに加わり、ウイルスの準備と分子生物的実験をやってもらう。(誤解もあって反抗されました。)

9. 久々に苗場でスキー。(義弟にウェアを借りました。)

10. 日本用とベトナム用にiPhoneを2台買う。(1台は4月から母親に譲ります。)

 実は先週にアップしたはずなのですが、消えていたので書き直しました。前よりポジティブになりました。 

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2019年12月24日 (火)

気持ちを切り替えるための掃除

 土曜日の午後はアパートの本棚を中心とした書斎、日曜日はキッチンと寝室を主に部屋全体、月曜日はオフィスの自分の机と本棚の掃除をしました。捨てる物がわりと出たので、明日は掃除のおばさんが大変かもしれません。

 今年の出来事とか、ベトナムに駐在した12年間の出来事をいろいろ思い出していたら、あー、俺何やっていたんだろう、と暗くなりました。進歩していねえなあ。

 心が折れそうになるのを踏みとどまって、掃除をしたら少しだけ前に進んだ気になりました。

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2019年12月12日 (木)

おめでたい人

 今日、フレラボの日本人スタッフでお昼を食べに行きました。9月末の交通事故から始まり、父親の他界、そして自分の就業のことで悪いこと続きで頭がいっぱいの中、

 今年もあと残すところわずかですな。

 そろそろおでんの季節ですね。

 同僚のスタッフの何気ない会話に今の自分を鑑みて愕然としました。

 俺は何もなし得ていないのに、全然焦っていない。

 5年前なら、あー論文が間に合わないから首かもとか愚痴っていたりして、帰る帰る詐欺とかタッチラグビーの仲間から揶揄されながら、最低限の宿題であるノルマをギリギリ首の皮一枚で乗り切っていたのですが、この4年間今の仕事関連の論文を全く出していませんでした。

 まるで焦っていなかったのです。

 切腹ものですね。

 事故があって、なんか十数年前に千葉衛研を辞める前の状況と似ていたのに、直属のボスの仕事の要求に応えていると思って満足して、来年度も仕事をこのまま続ける気になって、これから採用するつもりのアシスタントのことで気に病んだり、ベトナムの新たな携帯電話の契約をしたりして、本当におめでたいですね。

 全然成長していない。

 

 

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2019年12月 8日 (日)

アシスタントHさんの反抗

 事故で骨折した足はだいぶよくはなってはいますが、来年の四十九日の法要が終わるまでは喪に服して仕事以外の活動は控えるようにしています。タッチラグビーと合気道はもちろん、飲み会と日曜のゴミ拾いも控えています。まだ父が死んでから二週間ですから、一ヶ月近くありますね。

 実験を専門にやってもらっているHさんですが、近頃反抗的です。サンプル数が多いと文句を言ったり、オフィスに戻ってから他のベトナム人アシスタントに対して不満をぶちまけているそうです。別に仕事が着実に進んでいればいいとあまり気にしなかったのですが、飼育アシスタントのTさんが、早く話し合った方がいいと私に言ってきたり、秘書のTさんが、私とHさんを取り結ぶから必要な時はいつでも声をかけてね、と珍しく自分から言ってきたのをみると、そうでもなくなってきたようでした。

 近頃は、明日チップが切れるとか、もうチューブが無くなったとか言うようになってきて、仕事がストップしてしまうような事態になってきました。もともとベトナム人スタッフからも頭がよくないと言われているので能力のせいで在庫管理ができないのか、仕事が面白くないので遅らせているのか見分けがつきません。

 もう一人の日本人スタッフに早々と見切られて行き場のなかったHさんを私が拾ったような形で彼女が私の仕事を手伝うようになったわけですが、ベトナム拠点の日本人スタッフも私もなあなあというか気を遣って、最初にそういう素振りは見せませんでした。そのためか、短期のレンタルだと本人は捉えていたようです。

 しかし、仕事に支障が出てくるようになったので、彼女が私の元で働くようになった経緯を先週の金曜日にメールで伝えておきました。今のところ返事はありません。

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2019年12月 4日 (水)

火葬場への遅刻と遺体を前にしての決意

 先月末の日曜日に父が他界しました。すぐに飛行機のチケットを取って、その日の夜の便で成田に向かい、午後には遺体の置かれている葬儀場へ。葬儀の日取りなどは私が帰るまで待っていてもらったので、夕方父の勤めていた葬儀社の人と段取りを決めて、私はそのまま父の遺体の安置されている家に泊まりました。告別式の前の晩は妹の一家が泊まったので、私は結局二泊しました。

 お通夜、告別式と滞りなく済ませましたが、火葬に遅れそうになって顰蹙を買いました。告別式は前橋市で火葬は渋川市で行ったのですが、火葬場に向かう時に駐車場でうろうろしている人がいたのでてっきり車がないものだと思い、車に乗せてあげたのですが、火葬場に着いたら駅に向かう予定だったと言われて、えー。

 何を今になって言っているのかと思いましたが、急げば15分くらいで行って戻って来れると思い、急いで駅まで送って戻ってみるとお坊さんをはじめ皆が私の来るのを待っていました。急いでお焼香を済ませたのですが、母と兄に咎められました。

 翌日、送ったからから詫びの電話が入り、実家に菓子折まで送られてきました。

 父の葬儀は80歳近くまで働いていた葬儀社の人たちに見送られての事で、会社の人たちに大変よくしていただきました。孫、ひ孫にも見送られて幸せだったろうと思います。一人も孫を残せていない自分が情けない。

 葬儀では事務的な仕事が多くて、それをこなすことに集中して、あまり悲しんでいる余裕がありませんでした。遺体と二日間を過ごしたわけですが、最後の夜だけ父の亡骸を前に飲みました。

 喪に服している間に自分のやり残している仕事を終えてしまおうとだけ強く感じました。

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