日本

2020年9月28日 (月)

日本の四季を実感

 九月の末になって朝晩はかなり涼しくなってきました。朝10時に食べる果物もスイカから梨へと変わり、最近は実家の柿を食べています。とうもろこしも先週で食べ納め。あとはサンマといきたいところですが、今年は不漁で、異常に高いそうです。

 ベトナムも果物や花で季節の変化を感じますが、真夏でも鍋を食べたりするので、日本ほど季節の移り変わりを感じることはなかったです。空、雲、山の緑。食べ物と風景で四季の移り変わりを実感できるのが日本で暮らしていて一番いいところです。

| | コメント (0)

2020年8月18日 (火)

父の新盆

Img_0134_20200818114301 Img_0135

 新盆が終わりました。今年はコロナウイルスの流行もあって、親戚を含めてお客さんがお線香をあげたらさっさと帰る感じになりました。さらに家族内で少しゴタゴタしてしまい、後味の悪いお盆となりました。新盆が終わったのであとはお彼岸と一周忌を残すだけです。

 子供の頃はお盆が過ぎると気温も下がり、秋の気配が漂ってきたものですが、今年は連日最高気温が35度近くになり、まだとても暑いです。喪に服すのとコロナとで家にいることの多い今年の夏。しかし、稲穂が次第に実ってきました。でも、よく考えてみると、最近の稲は台風を避けて早めに収穫できるように改良されたようです。そういう点でちょっと季節の感覚がずれてます。

| | コメント (0)

2020年7月 1日 (水)

今年の折り返し

 今年も半分折り返しました。日本に戻ってから3ヶ月が経ちました。この間に投稿できた論文は1報だけです。

 今は失業保険をもらっているのですが、毎月最低2件、どこかに就職活動をした実績がないともらえません。今のところ4月から3回連続落ちています。それ以前のも加えると何件になるのか、もう忘れてしまいました。私の場合、失業保険の出るのも8ヶ月間なので、秋までにはなんとか決めたいですし、論文もできるだけ仕上げてしまいたいです。

| | コメント (0)

今年の折り返し

 今年も半分折り返しました。日本に戻ってから3ヶ月が経ちました。この間に投稿できた論文は1報だけです。

 今は失業保険をもらっているのですが、毎月最低2件、どこかに就職活動をした実績がないともらえません。今のところ4月から3回連続落ちています。それ以前のも加えると何件になるのか、もう忘れてしまいました。私の場合、失業保険の出るのも8ヶ月間なので、秋までにはなんとか決めたいですし、論文もできるだけ仕上げてしまいたいです。

| | コメント (0)

2020年5月20日 (水)

日本の暗い未来

 今、自分の近所には自分より年上の独身の男性が二人いるのですが、それぞれ一人で一軒家に住んでいます。さらに、母親と息子が二人で住んでいる家が自分を含めて三軒あるのですが、そのうちの一軒は息子が精神病院に入り、もう一軒は息子の暴力があるらしく母親が施設に引き取られたそうです。家族がたぶん一家団欒で住んでいるのは七軒で、残りの一軒は廃屋です。

 三権分立のはずが、内閣総理大臣の不正に対してあまり踏み込まない検事を時期検察のトップにするための法案改正について、いろんなところから批判が出ていました。これについては納得したのですが、当事者が外出自粛のこのご時世に新聞記者と賭け麻雀をやっていたということで今度は懲戒免職にしろという世論が起こっているようです。

 家に籠もるストレスでDVをやったり、倒産、失業など暗い話題ばかりです。日本の未来はどうなるんでしょうか。

 

| | コメント (0)

2020年4月27日 (月)

3ヶ月研修とアフリカ行きの無期限停止

 3ヶ月研修コースのダニ学の講義をオンラインで行いました。朝8時半に接続を確認して、8時50分から開始。最初のうちは1時間半は長いなあと感じていたのですが、後半は時間が足りなくなり、2分くらい時間をオーバーしてしまいました。まあ、終わってよかった。

 本来なら長崎で講義を行なって、そのまま成田へ直行してエチオピア空港でマラウィに行く予定だったのですが、コロナのせいで中止。代わりにハローワークに行って、失業保険の手続きをしてきました。あとは郵便局で住所と印鑑の変更と国民年金の口座からの引き落としの手続きをしてきました。帰りにTSUTAYAで漫画本とDVDの下見をしてきました。

 数年前からアフリカに行くことを目標にしていたのですが、今年はその夢が叶うと思ったら、無期限停止。

| | コメント (0)

2020年4月12日 (日)

復活祭に活動再開

 新型コロナウイルスの患者は毎日増え続け、東京から徐々に地方に広がりを見せています。私は昨日でまる二週間が経ち、自宅軟禁も終わりました。毎日熱を測っていましたが、37度になることはありませんでした。

 帰国してからの役所の手続きも二週間以内にする必要があったので、一日前倒しで金曜日の午前中に市役所で住民票の手続きをしてきました。保険証や年金の手続きは長崎大からの証明書が必要だそうなので、メールで催促しておきました。

 今日は復活祭ですが、朝食後に赤城山麓に行って、一時間ほど山道を歩いてきました。少しリフレッシュできました。

| | コメント (0)

2020年4月 1日 (水)

ほうほうのていで帰国、今日から環境が整う

 国のコロナ対策として長崎大学へは行かずに、さらに公共交通機関を使わずに実家に帰ることになったため、事務職員に羽田空港近くのホテルとレンタカーの手配してもらい、どうにか家に帰りました。

 税関で1時間以上も待たされたので12時過ぎに空港を出てから雨の中をホテルまで歩きました。もうびしょ濡れでした。

 翌日の東京はみぞれから雪でした。レンタカー屋で私の予約が入っていないという店員の回答があったり、領収書がてっきり入っていると思っていたらなかったりと朝からハプニングがありましたが、予定の10時過ぎに出発できました。久々の首都高でしたが、慣れないレンタカーに戸惑いながらも急いで、しかし慎重にみぞれ雪の積もった道を運転して、どうにか関越に乗りました。後半は順調で、渋川駅前のレンタカー屋まで母に迎えにきてもらいました。

 家についてからは二階に引きこもっています。私が家にいることが近所にバレるとお店にお客が来なくなるからと、通りの側の雨戸は閉めたままになっています。布団部屋になっていたのを母とよけて2畳くらいのスペースを作り、そこに妹が使っていたテーブルを置いて作業をしています。本当はこたつがよかったのですが、足がどこを探しても見つからないので仕方がないです。まだ寒いので、電気マットを敷いてこたつの掛け布団を下半身に掛けています。

 今日長崎大に退職届をはじめとして一切の書類と領収書を送りました。ベトナムでコーヒーをこぼしたMacを修理に出して、wifiルーターを注文して、今日どちらも届いたのでやっと仕事ができる環境が整いました。

| | コメント (0)

2020年1月 4日 (土)

喪中の年越し

 帰省してから一週間経ちましたが、大掃除と明日の四十九日の準備をしていたらあっという間でした。

 毎日だいたい7時半に起きて、朝食を食べて、新聞を読んだら9時近く。母親の手伝いをしながらメールのチェックと文書を少し書いたら12時でお昼。三箇日は昼過ぎにテレビを見ながら寝てしまったのですが、他の日は片付けをしていることが多かったです。健康のために、夕方1時間ほど家の周りを散歩して、車で敷島温泉へ行って戻るともう6時過ぎ。夕食を食べてなんだかんだと9時くらいまで母親とテレビを見たり、話をして、それから一人でパソコンに向かって12時前に寝るという日常でした。

 その間に10月に投稿した論文の結果がメールで送られてきました。

 Withdraw。退却。

 ん?Rejectじゃないのか。

 よく読んでみると、もう一回投稿し直してみてくれ、という内容でした。レビューに2ヶ月もかかっています。

 前回のParasite & Vectorsの時はレビューに時間がかかってrejectされたと勘違いして、再投稿して結局rejectされたわけですが、もう一回同じ雑誌に挑戦してみようか考えています。

 明日は四十九日の法要です。これで一区切りです。

| | コメント (0)

2019年12月 4日 (水)

火葬場への遅刻と遺体を前にしての決意

 先月末の日曜日に父が他界しました。すぐに飛行機のチケットを取って、その日の夜の便で成田に向かい、午後には遺体の置かれている葬儀場へ。葬儀の日取りなどは私が帰るまで待っていてもらったので、夕方父の勤めていた葬儀社の人と段取りを決めて、私はそのまま父の遺体の安置されている家に泊まりました。告別式の前の晩は妹の一家が泊まったので、私は結局二泊しました。

 お通夜、告別式と滞りなく済ませましたが、火葬に遅れそうになって顰蹙を買いました。告別式は前橋市で火葬は渋川市で行ったのですが、火葬場に向かう時に駐車場でうろうろしている人がいたのでてっきり車がないものだと思い、車に乗せてあげたのですが、火葬場に着いたら駅に向かう予定だったと言われて、えー。

 何を今になって言っているのかと思いましたが、急げば15分くらいで行って戻って来れると思い、急いで駅まで送って戻ってみるとお坊さんをはじめ皆が私の来るのを待っていました。急いでお焼香を済ませたのですが、母と兄に咎められました。

 翌日、送ったからから詫びの電話が入り、実家に菓子折まで送られてきました。

 父の葬儀は80歳近くまで働いていた葬儀社の人たちに見送られての事で、会社の人たちに大変よくしていただきました。孫、ひ孫にも見送られて幸せだったろうと思います。一人も孫を残せていない自分が情けない。

 葬儀では事務的な仕事が多くて、それをこなすことに集中して、あまり悲しんでいる余裕がありませんでした。遺体と二日間を過ごしたわけですが、最後の夜だけ父の亡骸を前に飲みました。

 喪に服している間に自分のやり残している仕事を終えてしまおうとだけ強く感じました。

| | コメント (2)

より以前の記事一覧