住まい・インテリア

2012年11月 6日 (火)

オフィスの配置換え

 先週、突然、今のオフィスを隣の部屋に移すから、とエント部長のP君から言われました。今の居室はオーストラリアとの共同研究のために実験室にするという話でした。ちなみに隣の部屋というのは今の建物(ハイテクセンター)に入ってすぐの、最初の頃にビル管理の人がいた部屋です。先週までは事務の人達が使っていました。  先週の金曜日に、いよいよ移るという段になって、ビル内をモニターするテレビなどを取り外せないこと、さらに時々モニターの点検にビル管理の人が部屋に入ることが判明しました(なんで当日そうなるのか)。  結局もとの部屋に戻ったのですが、今度は部屋の配置を変えることになりました。理由は、Pさんの体の具合が悪いのは部屋の気の流れが悪いからだそうです(出たー、Yさん得意の占い)。バイクに乗る分少し歩けと言いたくなるのをこらえて、彼らの言い分通りに部屋の配置を変えた結果、P君の席は部屋の奥の一番いい場所に、私の席はドアのすぐ隣のあたかも彼の秘書のような場所になりました。金曜日、半日だけ座ってみましたが、すぐ隣は会議用の机、そのすぐ後ろでバタバタ人が出入りするのが気になり、ストレスがたまりました(私の健康と運勢はどうなるんじゃ)。  週が明けて、今朝、机の位置をずらしたのですが、会議用の机を動かすことに同意してもらえず、泣く泣く元のドア近くに机を戻しました。どうしてもすぐ後ろで人が出入りするのが気になる、と申し出たところ、席の後ろに衝立を置かれたのですが、今度は私の椅子が大きすぎるから小さいのと取り換えよ、という要求を出されました。ヘルニアになる前から腰を気遣って、なるたけ座り心地のよい椅子を買ってきたのですが、これもY教授に、こちらの方が拠点長にぴったりです、とよいしょして交換してもらいました。  あほらしい、情けねえ、とも思いましたが、今の部屋にいれば、実験室の鍵がいつでも使えますし、いざという時にP君に頼めばトップダウンで仕事が進みます。以前に大部屋にいた時は実験室の鍵を持って昼食に外出されたまま3時間も帰ってこなかったことがありましたし、先週、Hさんから熱研の教授が今年のデング熱患者のデータを欲しがっているから3日以内に何とかならないか、とメールを受けた時に、エントのデング担当者に頼んでも(というか英語が半分位しか理解されず)、まる一日待たされたあげくに私が直接疫学部門に掛け合え、とほとんど匙を投げ出されたのですが、P君に説明してみたところ、その日の夜にデータが手に入りました。  実験やベトナムの情報入手の効率という点では今の部屋にいるのがベストです。でないと、かなり非効率になります。今のところ2階のフララボに机の空きがありますから、どうしても我慢が出来ない時は論文書きやネットからの情報収集には2階に行くか、アパートに戻って仕事をするようにします。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2012年1月14日 (土)

ベトナムの貯水タンクから近未来の日本の家を検証する

 今日で今月のハノイ市内の媒介蚊調査が終わりました。最終日は絹製品で有名なHa Dong区でした。

 案内の人はいつものおばさんではなく、8月くらいに来てくれたおじさんだったのですが、男のくせになんでこんなにしゃべるんだ、っていうくらい、よくしゃべるおじさんでした(年齢は退職しているので60歳以上でした)。

 ベトナムの人は、地下に貯水タンクを作ってそこに雨水を貯めておきます。市内ではお金持ちはたいてい持っています。Ha Dongのような郊外ですと土地代が安いので、たいていの家が庭の一画とかに貯水タンクを持っています。いつもNIHEのスタッフとまわっているわけですが、彼らが記録用紙に記入する間に、私は貯水タンクに網を入れて5回かきまわしてボウフラを取ります。

 今日の案内のおじさんは、「ツノダ、(蚊は)いたのか、いなかったのか。」としつこく聞いてきました。こんな濁った水で、すぐわかるわけないだろ、まあ、待てや、と腹の中で思いつつ、さらに、言葉で言えない悲しさも感じつつ、泥がコップの底にたまるのを待って、ボウフラがいるかいないかを判定しました。

 正直、この人、うざいな、と思ったのですが、調査が終わって、別れ際に、私の手を握りながら、「帰るから、帰るから。」 と、言われた時、一昨年亡くなった伯母のことを思い出しました。

 伯母のことを生前は、うざいな、と思ったりもしましたが、それだけ自分に対して気持があったのかと今になって思うと、悪かったかもしれない、と思います。自分は大人ではなかったなあと。

 話がそれてしまいましたが、都市化が進んで水道が普及してきたにもかかわらず、貯水タンクをもっているのは正解だなあ、と思います。実際、市街地で少し生活レベルが低い人たちが住んでいる場所では、あまりにも水道料を滞納するので地域全体の水道を止められたりします。そんな生活条件だと水を貯めざるを得ないのですが、そこにデング熱媒介蚊が卵を産みつけるので、貧しい地域では、病院に行けなくて家でデング熱の患者が寝ていて、その人達目当てに新たに蚊が血を吸いに来て、貯めてある水桶に卵をうみつけていきます。これは負の連鎖です。

 この前、実家のまわりの写真をお見せしましたが、家の近くでは湧き水があって、わさびを作っていて、その水を家にひいていました。湧水からひいてくる水道管ができる前は井戸水だったそうです。井戸は埋めてしまいましたが、水道水でない水は今でも沸かしてお茶を飲むときに使っています。あれ、ベトナムと同じか。

 まだ私が日本にいた時ですから、5年くらい前でしょうか、オール電化の家というのを電力会社がCMで宣伝していました。子供の時に停電を何度も経験していたので、停電になったらどうするんだ、と感じていましたが、実際にそれは昨年の3.11で思い知らされました。今の日本だったら、○●電力と契約しつつ、太陽光とか風力とかで自力でできるだけ発電をし、万が一の時のために煮炊きができる設備を持っておくべきかもしれません。決して○●電力だけに頼れない状況です、これからの日本は。

 オール電化の家というのは5年前の段階での技術の極致であるかもしれませんが、あくまで私の考えでは、それはあまりにも無機質な感じがしてなりません。

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ベトナムの貯水タンクから近未来の日本の家を検証する

 今日で今月のハノイ市内の媒介蚊調査が終わりました。最終日は絹製品で有名なHa Dong区でした。

 案内の人はいつものおばさんではなく、8月くらいに来てくれたおじさんだったのですが、男のくせになんでこんなにしゃべるんだ、っていうくらい、よくしゃべるおじさんでした(年齢は退職しているので60歳以上でした)。

 ベトナムの人は、地下に貯水タンクを作ってそこに雨水を貯めておきます。市内ではお金持ちはたいてい持っています。Ha Dongのような郊外ですと土地代が安いので、たいていの家が庭の一画とかに貯水タンクを持っています。いつもNIHEのスタッフとまわっているわけですが、彼らが記録用紙に記入する間に、私は貯水タンクに網を入れて5回かきまわしてボウフラを取ります。

 今日の案内のおじさんは、「ツノダ、(蚊は)いたのか、いなかったのか。」としつこく聞いてきました。こんな濁った水で、すぐわかるわけないだろ、まあ、待てや、と腹の中で思いつつ、さらに、言葉で言えない悲しさも感じつつ、泥がコップの底にたまるのを待って、ボウフラがいるかいないかを判定しました。

 正直、この人、うざいな、と思ったのですが、調査が終わって、別れ際に、私の手を握りながら、「帰るから、帰るから。」 と、言われた時、一昨年亡くなった伯母のことを思い出しました。

 伯母のことを生前は、うざいな、と思ったりもしましたが、それだけ自分に対して気持があったのかと今になって思うと、悪かったかもしれない、と思います。自分は大人ではなかったなあと。

 話がそれてしまいましたが、都市化が進んで水道が普及してきたにもかかわらず、貯水タンクをもっているのは正解だなあ、と思います。実際、市街地で少し生活レベルが低い人たちが住んでいる場所では、あまりにも水道料を滞納するので地域全体の水道を止められたりします。そんな生活条件だと水を貯めざるを得ないのですが、そこにデング熱媒介蚊が卵を産みつけるので、貧しい地域では、病院に行けなくて家でデング熱の患者が寝ていて、その人達目当てに新たに蚊が血を吸いに来て、貯めてある水桶に卵をうみつけていきます。これは負の連鎖です。

 この前、実家のまわりの写真をお見せしましたが、家の近くでは湧き水があって、わさびを作っていて、その水を家にひいていました。湧水からひいてくる水道管ができる前は井戸水だったそうです。井戸は埋めてしまいましたが、水道水でない水は今でも沸かしてお茶を飲むときに使っています。あれ、ベトナムと同じか。

 まだ私が日本にいた時ですから、5年くらい前でしょうか、オール電化の家というのを電力会社がCMで宣伝していました。子供の時に停電を何度も経験していたので、停電になったらどうするんだ、と感じていましたが、実際にそれは昨年の3.11で思い知らされました。今の日本だったら、○●電力と契約しつつ、太陽光とか風力とかで自力でできるだけ発電をし、万が一の時のために煮炊きができる設備を持っておくべきかもしれません。決して○●電力だけに頼れない状況です、これからの日本は。

 オール電化の家というのは5年前の段階での技術の極致であるかもしれませんが、あくまで私の考えでは、それはあまりにも無機質な感じがしてなりません。

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年10月28日 (金)

ハノイの学生の住宅事情

Imgp0493 フィールドの仕事をしていると時々びっくりすることがあります。これもそんな一場面です。

 ベトナムの家は隣の家の建物まで隙間なく家を建てるのですが、これも隣に家が建ったせいで長屋の一室の壁を壊して入り口にしました。6畳一間くらいのスペースの部屋が奥にあと3つあり、学生が2人ずつくらいで住んでいます。それにしてももうちょっとセンスのいい入り口はなかったのでしょうか。

Imgp0494

 ハノイ市は大学が多いので大学の近くには学生相手に貸し間をやっている家も多いです。これもそんな学生の部屋の一つです。3階建ての一番上の階にベニヤ板で仕切りをしただけの部屋がありました。天井はありません。隣の話声は筒抜けで、プライベートはなし。

 大学時代にお金がなくなって下宿を引き払って、札幌市のど真ん中なのに家賃5千円の先輩の下宿に転がり込んだのを思い出しました。その先輩は私が出た後でしっかり女をつれこんでいました。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)