旅行・地域

2009年12月27日 (日)

NIHEの慰安旅行

 金曜日の午後にエント室長のYさんから、NIHEの若い人たちが明日旅行に行くから、角田も行った方がいい、とお誘いしてくれました。私は若くないし、明日も蚊の卵の観察をしなければいけないからいいですと、いったん断ったのですが、ぜひとも行かせたいらしく、観察だったら自分が代わってやってやる、とまで言われたので、時間をやりくりして行くことにしました。

Rimg0020_2  実際に土曜日の朝NIHEの門に行ってみると、若手を中心に所長以下100人弱の人が集まっていました。子供や奥さん、旦那さんを連れてきている人もいて、さながら慰安旅行のようでした。ハノイ市内を西へ向かい、Bic Cを過ぎてさらに西へ1時間ほど進んで、最初の目的地に着きました。何でもベトナムの最初の王の墓がある場所で、かなりみすぼらしい博物館がありました。さらに奥にあったお寺に行きました。

 皆お寺巡りが目的だったらしく、一日で三つのお寺をまわりました。写真は最後に訪れたお寺です。

Rimg0019_2  朝から腹痛で、行く先々でトイレに立ち寄っていたほどでしたが、山頂にあるお寺に向かう道すがら木々の緑を楽しんだり、写真のような牧歌的な風景を見るのはハノイではなかなかできないことなので、来て正解でした。

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2009年12月 8日 (火)

広州遠征

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 週末は、サッカーチームの遠征で広州へ行ってきました。といってもハノイジャパンからの参加者は7人で、あとは今回の取りまとめ役であるSGさんの前にいたチームから5名の方が参加した混成チームでした。土曜の朝8時25分のフライトで広州へ飛んで、宿泊先のホテルで着替えた後すぐに近くのグラウンドに移動しました。広州市は中国第三の都市であることすら知らず、空港が成田級であることに驚き、市街地に向かう高速道路が湾岸線並みに広く、整備されているのに感動しました。ベトナムだったらバイクが逆走していますから。でも、完全にベトナムから来たお上りさん状態でした。写真は試合を行ったグラウンドです。超高層ビル群に囲まれています。試合は4対0で負けました。

 試合の後で、広州チームの人達と懇親会を兼ねて夕食会を行いました。広州料理はおいしいはずだったのですが、試合中に相手とぶつかった際に顎を強く打って、あまり口を開けることができず、料理を堪能できませんでした。白酒と呼ばれている中国版焼酎の一気もありましたし。一次会の後は皆ダッシュで二次会のカラオケに行きました。

Rimg0008_3 翌日は、皆で飲茶を食べに行きました。昨日より少し口が開けられたので、今度は堪能しました。帰りのフライトまでは自由時間だったので、私は地下鉄で越秀公園に行って散歩をしたり、博物館を見学したりしました。写真は五羊仙庭という、五人の仙人が乗ってきた羊の像です。足に疲れが残っていたので公園をゆっくり散策してたらいつの間にか4時を過ぎていました。

Rimg0016  写真は、孫文を記念して建てられた、中山記念堂です。手前に立っている銅像が孫文です。

 試合を行った競技場といい、越秀公園といい、市街地に緑が多く、地下鉄やバスも整備されていて、住みやすい印象を受けました。

 いつもは必ず蚊の観察があって、土日も仕事をする毎日ですが、今回はアシスタントの人に観察を頼んで、パソコンも持たず、つまりメールのチェックすらせず、完全に休養しました。

 たまにはこういう週末があっていいものです。

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2009年12月 4日 (金)

成田からハノイへ

 研修が終わって、成田からハノイに戻りました。成田では朝11時のフライトだったので、前日は千葉港のホテル「オークラ」に泊りました。20日前に予約すると素泊まり5千500円で泊れるので、かなりお得な感じがありました。千葉駅も東口はそれほど変わりはないですが、西口はだいぶ変わっていました。東口から千葉公園に向かう途中に「風月」という、定食屋があるのですが、そこで夕食を食べました。この店には衛研にいたときに、組合のTHさんやYさんによく連れてきてもらいました。安くて魚がうまかったのですが、再開発で店も小奇麗になったせいか、値段が高くなった気がしました。店のマスターがTHさんの電話を調べてくれて、ひさびさにTHさんと話をしました。

 成田ではまた10キロ重量オーバーになったのですが、本をリュックに移してなんとか甘くみてもらいました。荷物の重量制限はもう10キロくらいゆるくならないもんだろか。

 飛行機の乗ると、ベトナム航空のもの悲しげな音楽が耳に入って、ハノイに戻るのだなあ、と実感しました。

 ハノイに戻ってから、スイカを探したのですが、見つかりません。第二空港ビルの改札を出たあたりか、第二空港ターミナルでなくしたのかもしれません。電話で問い合わせてみたのですが、見つかっていません。

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2009年11月30日 (月)

浅草、秩父宮ラグビー場

明日、マイクロサテライトの研修をするために東京に来ています。研修会場が八丁堀なので、八丁堀の「ドーミーイン東京八丁堀」というホテルに宿泊しています。ここは亀島川温泉新川の湯ともいうそうで、鉱泉を沸かした大浴場があります。部屋も温泉も感じがよくて、夜二回も入りました。

 昼間時間があったので、まず浅草にあるMさんの墓参りに行ってきました。いつもはまっすぐ帰るのですが、ちょうど昼時で天丼を食べたくなったので浅草寺近くの「葵丸進」で天丼を食べました。ここは以前、衛研のSさんとMさんの墓参りに来た帰りに連れてきてもらいました。いやー久々にうまい天丼を食べました。ついでに浅草寺にも寄ってきたのですが、観光客でめちゃ混んでいました。

 その後、秩父宮ラグビー場に行って関東大学ラグビーリーグ戦を見てきました。秩父宮にラグビーを見に行ったのは15年ぶりくらいです。青いジャージが東海大、オレンジに青の縞のジャージが法政です。試合は、東海大が外人二人を中心としたFWの力で勝ちました。スポーツはやっぱり間近で、見るのがいいです。あとは競技の好きなおじさんとかのヤジとか勝手な解説とかを聞いているのも楽しいです。

 神宮外苑の銀杏並木はすっかり黄色く色づいてました。今の時期の東京が暑くなくて、いろんなイベントがあって、食べ物もうまくて、一番好きです。

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2009年9月18日 (金)

ベトナム人のハンカチと二十年後の民度

 日本では新型インフルエンザでの死亡が何人か大変そうです。今回のフォーラムでも圧倒的にインフルエンザ関連の発表が多かったです。ただし、最先端の発表なので私にはさっぱりわかりませんでした。今日の午前中はホテルの部屋で論文書きをしていました。

 ベトナムにも新型インフルエンザは入ってきているようですが、なぜもっと感染が広まらないのか不思議です。日本人から見たら衛生という概念が欠如していますから。

 オフィスやトイレの洗面台に多少気のきいたところですとタオルがぶら下がっています。そしてタオルが汚れたら新しいタオルを隣に掛けています。日本人の感覚ですとタオルの共有はウイルスの感染につながるので、衛生的でないと考えるのが常識ですが、ベトナムではまだそのような考え方は定着していません。

 ベトナムの女性はハンカチとかタオルを持ち歩きません。日本に帰った時にハノイとホーチミンのエントの人たちにハンカチをお土産に買っていったのですが、辞書でハンカチという単語を指して、これは何をするために使うのですか、と後で尋ねられました。外で手を洗って拭いたことないんだ、とわかると、こりゃ説明しようがないなと思い、とりあえず、涙を拭くときに使います、と答えておきました。

 フォーラムが終わり、ベトナム人の人たちと長崎から来た教官も含めた日本人スタッフと一緒に夕飯を食べました。庶民的なタイ料理店でしたが、そんなに騒がしくなく(一気とかやっていない)、店もきれいでした(床に残飯やごみを捨てる客がいない)。帰りに電車に乗ったのですが、切符の販売機が故障していたのが直ったとたん、自然と一列に行列ができたのには感心しました。まずベトナムでは我先に切符を買おうとするでしょう。

 ハノイは二十年後にはバンコクのようになるとあるベトナム人が言っていましたが、民度もそれと並行して上がっているのかとふと思いました。

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2009年9月16日 (水)

バンコクでのジョイントフォーラム初日

 日本の大学の海外拠点の集まりでバンコクに来ています。いやー、ハノイとは違います。空港からホテルまでタクシーだったのですが、高速道路は羽田から千葉に向かう湾岸線を思い出すほど、道が広くてきれいでした。市内の道路もきれいで、広いし、何よりも人がどこからでも道路を横断することがないので、タクシーに乗っていても快適です。市内を走る電車もきれいで、5分おきくらいに来ますし、何より乗客がキチンとホームに並んで待っていたのが印象的でした。ベトナムではありえません。

 昼過ぎにホテルに到着したので、中心街に買い物に行きました。デパートも日本にいるのかと思うくらい、品ぞろえがありました。値段はチェックしませんでしたが、唯一紀伊国屋で買った本が日本の定価の二倍くらいでした。Y教授は二倍でも手に入るだけまし、と言っていましたが、確かにその通りです。

 夜の7時からレセプションがありました。料理が少しと飲み物だけだったので、終わった後で幾人かで屋台に行って、卵焼きをのせた焼きそばみたいなのを食べました。それからその店の名物のオレンジジュースを頼みました。どちらもうまかったです。

 いやー、いいですね。バンコク。

 ところで、今朝は6時15分に私のアパートでベトナム人のTさんとKちゃんと待ち合わせをしたのですが、目が覚めたのが6時20分で、やベー、と思った瞬間、Tさんからの電話が鳴りました。空港までの車中でずっと文句を言われました。

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2009年7月23日 (木)

房総の知人とダニの展示企画

 日曜日には千葉中央博のOさんと会いました。彼は哺乳類屋さんで、房総でマダニの調査をしていたときにかなりお世話になりました。私が衛研を辞める一年くらい前から共同研究が始まったので、そろそろ10年来の付き合いになります。

 彼は若い頃にカモシカの本を出しています。前に話を聞いたときには、研究職を探すのをあきらめて県の職員になったけれど、やっぱり仕事が面白くなくて、鬱屈した気分を晴らすために本を書いたそうです。他にも2冊の啓蒙書を単著で書かれていますし、昨年度まで毎年房総のシカ調査会の報告書をまとめていました。私は彼との共同研究の仕事でまだまとめていないのがいくつもあるので、彼に会うたび尻をたたかれる気分になります。

 Oさんからはできたら3,4年のうちにダニの展示を企画したいと話を持ちかけられました。ダニは、一般の人は気持ち悪いとか言いながら、興味を持ちそうな材料だと、彼は言い切っていました。

 前にも誘われたことがあったのですが、私は当時千葉大の研究生でとてもそこまで手が回りませんでした。今回はできるだけ協力したいです。

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2009年4月29日 (水)

バンメトート3日目

 昨日の晩は一匹もコウモリは取れませんでした。結局、3日間で取れたコウモリは8匹でした。何もする作業がなくて、夜8時45分のフライトまで時間をつぶすのが大変でした。午前中は市内の少数民族の住む地域に行って来ました。ここでは家はどこも木造、高床式でした。ここでストローで飲む、前回つぶされた地酒をまた飲まされました。今回は味わえる余裕があったのですが、韓国のマッコリみたいな味でした。薄まってしまうのではないかなあと思いましたが、飲んでは水を継ぎ足すのを繰り返しました。

 お昼はなぜか哺乳類学者の集会の懇親会に我々も参加して、食事を取りました。いろんな人が入れ替わり立ち代りお酒を注ぎに来て、乾杯を繰り返しました。グラスに大きめの氷を入れておいて一気の時のビールの量を減らすすべを知らなかったら、体がもたなかったでしょう。

 午後は一昨日とは別の滝に連れて行ってもらいました。TYさんが一足早くホーチミンへ発つので、彼女を空港まで送ってから、我々は夕食を食べに市内まで引き返しました。海鮮料理を食べたのですが、食事を始めるとTIHEのエントとウイルスの室長も加わって、またにぎやかな飲み会となりました。エントの室長はスポーツや飲みの友達が多くて、彼の知り合いが次々に来ては乾杯をしていきました。ここでも「大きめ氷作戦」で何とかしのぎました。

 収穫はあまりなく、疲れた旅でした。

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2009年4月24日 (金)

バンメトート二日目

Rimg0021_2 昨日は一匹しかコウモリが取れなくて、結局保険所の屋根裏で取った五匹のコウモリと合わせて六匹と(可哀想でしたが母親についていた子供を合わせて)合計七匹から外部寄生虫(ほぼ全部ダニ)を取りました。さすがに、せっかくお金を出して来たのにこれしか取れないのはまずいということになり、今日は我々も現場(コーヒーと胡椒を栽培している畑)に行ってみました。左はコーヒー園、右は胡椒園です(つってもわかりませんね、この写真では)。胡椒はツル性植物で、板か丸太を立てておいて、そこの周りに胡椒の種をまいて、巻きつかせます。だいたい3メートルくらいにしておいて収穫します。コウモリは胡椒を食べるわけでなくて、近くに植えてあるロンガンを食べに来るそうです。ベトナムというと、子供の頃からジャングルを思い浮かべていたのですが、正面に見える山にはどう見ても高い木は生えていませんでした。ほんとにこれで新種のシカとかいるんかと、思います(もう食っちゃっていないのかも)。

 今夜もあまり仕事の方は期待そうにできませんでしたが、例によって、夕食を食べに行って、こちらの若手のQ君と彼のお父さんが作った地酒を飲んで(ひと口飲んで頭が痛くなって、二口目から麻痺しました)、 はい、例によって飲み会になりました。苦しかった、でも、ハノイから来た我々以外は皆、コウモリを取りにまた現場に戻っていきました。

 で、部屋で寝ていたら携帯が鳴って、地下にあるクラブ(こちらでは今でもディスコで通じてます)に呼び出されて、結構飲み過ぎて(言い訳みたいですが)行きたくなかったのだけど、いっちまったらこっちのもので、正午まで飲んで踊りました。

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2008年11月12日 (水)

現地を歩いて感じる、家族について

Rimg0001_2  バッチャンのある陶芸の工房で花瓶の下絵を描いている女性。ここの家のお嫁さんでしょうか、すらすらと葉の模様を描いていました。ただの土の器が彼女のひと筆一筆で命を吹き込まれていきます。そして彼女自身も命を宿しています。薄暗い工房でしたが、彼女のいる場所にだけ光が当たっていて、とても神々しい感じがしました。

 蚊の調査でいろいろな家々を回りますが、たいていの家は大家族です。おじいおばあがいて、倅夫婦がいて、孫もいます。日本の実家に帰ると、まわりは皆老人ばかりで、子供が見あたりません。日本と違ってベトナムは物資が不足がちですが、それでもみんな明るく、淋しさを感じさせません。この頃現地を回っていると、家族について考えさせられます。

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