ベトナム

2020年3月25日 (水)

刻々と迫ってきた帰国

 先週の土曜日に長崎大と関係する機関の方々との送別会を開いていただきました。日曜日はタッチラグビーをやり、その後リパブリックで送別会をしてもらいました。ありがとうございます。

 両方の会で御礼の言葉を言った時に、日本にいたら絶対に出会えない人たちと出会えたことが本当によかったと思っていると述べたのですが、それはベトナム滞在中にずっと実感してきたことでした。

 今日は引っ越しでした。刻々とタイムリミットが近づいているのを感じながら、日々やれることを朴訥にやる。父の葬儀の時と同じで何もしないとぼーとして、時には泣くだけになりそうなので、忙しいのに越したことはない。

 結果はどうであれ、日本に帰りたいと思っていたので、帰るに越したことはない。

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2020年3月19日 (木)

日増しに別れの寂しさが募る

 今日の昼は4月から東大の修士課程に進学するフレラボのアシスタントと私のための送別会でした。新型コロナウイルスのためにどこの日本食屋もベトナム料理店も休みで、4 pieceというイタリア料理店で開いてもらいました。こういう場所でのスピーチは苦手です。特に英語だと言葉が出てきません。アシスタントの方がよく話せていました。

 合気道の送別会は先週で終わりです。拍子抜けしましたが、ベトナム人は今はみな外出を控えているようです。

 ジムも20日で終わりです。声をかける友達が最近増えてきたのに、残念です。去る時というのはこんなものかなあ。

 だんだんベトナムを去る寂しさが募ってきました。

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2020年3月15日 (日)

帰国準備に荷物の追加

 カントー大学の後、公募をいくつか見つけたのですが、若手限定とか募集期間がとても短くて内定者のアリバイ作りとしか思えないようなものでした。腹を括って群馬で論文書きに集中しようと考えていたら、准教授のKさんからアフリカでのマラリア媒介蚊の調査を手伝わないかと誘われたので、参加することになりました。

 タッチラグビーに加えて合気道関係者にも帰国の連絡をしたところ、昨日送別会を開いてくれました。聞くと、コロナウイルス騒動で皆、会社が終わったらまっすぐ家に帰ってじっとしていたそうです。お酒を飲むのはテト以来だという人もいました。しかしこんな状況下でも集まってもらえるのはありがたいことです。

 徐々に帰国の準備をしていると長崎のボスから気象観測装置も持って帰れという指令がありました。マニュアルを一から見直して昨日どうにか直したのですが、それでも持って帰れという指令です。来週、対策を考えます。

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2020年2月21日 (金)

失敗したカントー大学での面談

 先月ホーチミンに行った際に、ホーチミンパスツールにいる知人が私の事情を知ってカントー医科薬科大学の教職を紹介してくれました。

 本当は二週間前のはずだった面接が新型コロナウイルス騒動で延期になり、今日に至りました。

 パスツールの知人は元長崎大の院生で、まだ博士論文を提出していない身なので、一緒にカントーまで来るという彼女の誘いをありがたくもお断りして、宿泊先のホテルで自転車を借りて一人で出かけました。

 大学に行ってみると会議室に通されて教員5人が私と向かい合って座り、別に一人が通訳として私の隣に座りました。通訳の教員がパワーポイントを使って大学の紹介をした後、私が簡単な自己紹介をして自分のこれまでのベトナムでの仕事をパワポを使って簡単に説明しました。

 簡単過ぎたかも。

 通訳の人がどうしようかという感じで笑いながら向かい側の5人に話しかけていたので、発表に対する反応はまずかったのでしょう。あまりにも基礎的で、分子生物学的な研究はないのですかとかいう質問を受けました。後でサポート的に、分子生物学のラボで働くことはできますかとの質問が部長からあったのですが、プロトコールに従って実験をすることはできますが、自分でプロトコールを作成するのは無理ですと断りました。

 あー、これで最後の砦も失いました。

 また、4月から無職です。13年前に逆戻り。

 

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2019年12月 8日 (日)

アシスタントHさんの反抗

 事故で骨折した足はだいぶよくはなってはいますが、来年の四十九日の法要が終わるまでは喪に服して仕事以外の活動は控えるようにしています。タッチラグビーと合気道はもちろん、飲み会と日曜のゴミ拾いも控えています。まだ父が死んでから二週間ですから、一ヶ月近くありますね。

 実験を専門にやってもらっているHさんですが、近頃反抗的です。サンプル数が多いと文句を言ったり、オフィスに戻ってから他のベトナム人アシスタントに対して不満をぶちまけているそうです。別に仕事が着実に進んでいればいいとあまり気にしなかったのですが、飼育アシスタントのTさんが、早く話し合った方がいいと私に言ってきたり、秘書のTさんが、私とHさんを取り結ぶから必要な時はいつでも声をかけてね、と珍しく自分から言ってきたのをみると、そうでもなくなってきたようでした。

 近頃は、明日チップが切れるとか、もうチューブが無くなったとか言うようになってきて、仕事がストップしてしまうような事態になってきました。もともとベトナム人スタッフからも頭がよくないと言われているので能力のせいで在庫管理ができないのか、仕事が面白くないので遅らせているのか見分けがつきません。

 もう一人の日本人スタッフに早々と見切られて行き場のなかったHさんを私が拾ったような形で彼女が私の仕事を手伝うようになったわけですが、ベトナム拠点の日本人スタッフも私もなあなあというか気を遣って、最初にそういう素振りは見せませんでした。そのためか、短期のレンタルだと本人は捉えていたようです。

 しかし、仕事に支障が出てくるようになったので、彼女が私の元で働くようになった経緯を先週の金曜日にメールで伝えておきました。今のところ返事はありません。

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2019年11月22日 (金)

立て続けのバイクのパンクと借金まみれのアシスタントの夫

 昨日の夜、ジムで汗を流して帰ろうと思ったら、バイクの前輪に空気が入っていませんでした。パンクです。仕方がないのでそのまま乗って帰り、橋を渡り終えてから押して家まで帰りました。今日の夕方修理してもらいました。

 実は先週の土曜日もジムから帰る途中、橋の上で後ろのタイヤの異常に気が着いて渡りきったところから押しました。幸い昼間だったので修理屋は空いていて、その日のうちに修理できました。誰か愉快犯がパンクさせているのかな。

 昨日のベトナムは先生の日でした。私のアシスタントは子供の行事があるからと早退し、今朝は早めに来て観察の準備をしておくと言っていたのにやっていません。実験室の鍵がなかったとか明らかな嘘をついてしょうがない奴だな、と思いながら、別の実験の準備を先に終えて、蚊の観察を始めようとしました。

 実験台を見たらアシスタントはうずくまっています。具合でも悪いのか、悩みでもあるのか、言い出すまで待って、さくさく観察に取り掛かると、昨日、家にヤクザが夫の借金の取り立てに来た、と話し始めました。

 彼女の夫は元エントのスタッフで、私の仕事も過去に何度が手伝ってもらいました。嫁にもっと金を稼げと尻を叩かれたのかどうかは知りませんが、嫁さんの実家から借金をしてネットビジネスをやってみたのもの失敗して借金まみれになり、家を手放しました。その穴を埋めようと彼は嫁に内緒でサラ金に手を出したようで、昨日はその取り立てに押し掛けられたのでした。

 ハノイにいた日本人の知り合いで弁護士事務所で働いていた人がいるので、彼女に簡単に事情を説明するメッセージを送って誰かいいベトナム人弁護士を紹介してもらえないか頼んでみました。それと彼に、奥さんの実家が資産家なので、とりあえず借金はそこから返済してもらって、奥さんの実家だけに借金を返す形にするようにメッセージを送りました。私のできるのはその程度でした。

 夜、アシスタントから明日の朝、銀行へ行くので遅れるというメールが届きました。

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2019年11月15日 (金)

ブルーにハノイに戻る

 昨日の朝、胃検診でバリウムを飲み、検診の後ですぐに検査技師の人から言われた通りに下剤を飲みました。病害動物の部屋に行って、少しだけメールのチェックをして、お腹の成り行きを見守っていたのですが、10年くらい前にやったときほどすぐに急激な腹下しはなく、1時間ほど経ってからトイレに行ったら、普通の便でした。

 あー、もう、長崎空港に行かなければ、となり、ホテルに預けてあった荷物を受け取って、空港行きのバスに乗りました。バスの中ではどうにか持ち堪えたので、空港のトイレにとりあえず行くと、少し白っぽい便が出ました。

 お昼を食べて、飛行機で羽田に行き、電車で成田に移動して、そこでもとりあえず用を済ませましたが、ほんの少しでした。

 成田からハノイまでのJAL便(びん)は通路席ではなく真ん中で、しかも通路側に座っていた人がたぶん身長170cm、体重120kgくらいの人で、おまけに氷入りのコーラをCAにせっついているか寝ているかのような状態だったので、なるべくトイレに行かないようにビールとコーヒー、お茶を控えるようにしました。その努力もあってフライト中に一度もトイレに行くことはありませんでした。

 やっと空港に着いたら、税関で呼び止められました。プラスチック!と騒ぎ立てられて、長崎から持ち帰ったキアゲンの検査キットが申告違反だ、とずっと繰り返されました。もう夜の11時過ぎで早く家に帰りたかったので、エント部長に深夜ながら電話をして状況を理解してもらって税関と話をしてもらったら、彼から50万ドンか100万ドンを渡してけりを付けるしかない、という指摘をされたので、仕方なしに50万ドンを渡して夜の12時半くらいに帰りました。

 ああいう時のベトナムの税関はヤクザと一緒です。英語を話せる税関からの、カメラが見ているからお金をこの紙の間にはさめ、という指示通りにしたのですが、チッというその人の反応を後ろに聞きながら、そろりそろりと帰ろうとしたら、50万ドンが少なかったらしく、まだ自分のボスが納得しないから戻れと言われました。もう一回、荷物受け取り台から荷物チェックの検査所の間の場所に戻されて、もう一回、スーツケースを開けさせられて、チンピラみたいな若手から、これはプラスチックばかりだ、とか騒がれても、そのまましれっと突っ立っていたら、もう取り立ては無理と悟ったのか、比較的若い、そのボスは、英語のできる税関吏に一言話して、ようやくお役御免となりました。

 そういえば、前回はキットを新聞紙を包んで無事スルーしたのですが、今回は全く失念していました。それだけ日大での講義と熱帯医学会の準備が頭の中でいっぱいだったのでしょうか。

 帰る前に知人からPM2.5の数値が、ハノイは260台、北京は110台、東京は20台と知らされ、長崎は朝のNHKのニュースで17で国の基準を下回る数値と聞いて、あー、また、あの空気の汚い場所へ戻るのかと思ったら気分が落ち込んだ後で、ノイバイ空港に着いて、あーやっぱりベトナムに着いた、と思い知らされた昨日でした。

 

 

 

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2019年10月 2日 (水)

バイクの事故

 日曜日のタッチラグビーの帰りに事故を起こしました。幸い人を轢いたりとか同乗者とかはなかったのですが、バイクは右のミラーが割れ、工具を入れる部分のカバーを無くしました。早く家に戻りたかったので、あまりバイクの状態を確認していません。

 家に戻ってからシャワーで傷口を洗い、皮膚に優しい絆創膏を貼って寝たのですが、体の右側が痛くて右に寝返りを打てませんでした。

 翌日、右足首が腫れて歩くのもままなりませんでした。行きつけの日本人の医者のいる病院へ電話をして、車でアパートに迎えに来てもらって診察してもらいました。右足首は骨は折れていないのですが、右膝の擦り傷の他に腓骨が折れていました。そこからフレンチホスピタルへ紹介状を書いてもらって、改めて足首の検査とその後に傷口の処置をしてもらい、さらに血液が滞らないように注射をし、破傷風のワクチンの注射もしてもらいました。

 松葉杖を借りたのですが、アパートからNIHEに歩いていくことを考えたらブルーになったので、月、火と休みました。

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2019年2月 1日 (金)

恒例のNIHEの忘年会

 昨日はNIHE全体の忘年会で、例年通り食堂の前で昼間に行われた。鍋と鶏肉の蒸し焼き、バインチュン(豚肉をもち米で包んで葉っぱで巻いて蒸した正月料理)、太ネギの漬物、そして冷えたウォッカ、ビールはなし。

 長崎スタッフのテーブルの中、ただ一人下痢班に関係したNIHEのベトナム人スタッフが相席したため、彼の音頭でウォッカを飲みました。それからは所長、副所長らが相次いで乾杯にきたため、こちらも前所長たちのテーブルをはじめ、ドライバーさんのテーブル、エントのテーブル、ウイルスの男性陣のテーブルを回りました。
 毎年の恒例行事ですね。
 西暦の上での正月が過ぎてもまだ旧正月が過ぎるまでざわざわ落ち着かないベトナム。仕事は西暦で区切っているようなのでクリスマスくらいまで仕事であたふたした後は、旧正月が過ぎるまでまったりムードです。

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2019年1月29日 (火)

合気道の忘年会と市民公開講座

 土曜日の夕方は合気道の稽古はなく、代わりに今年の会長を任されたVさんの家で忘年会がありました。忘年会はベトナム人の個人宅でいつも行われるので、住所がよくわからなくて断念してきたのですが、Vさん宅はまだ日本人のMさんやKさんがいた頃に一緒に訪問したことがあったのでたどり着けました。

 しかし、彼らと訪ねた時の会とは違って、今回はほぼ今のベトナム人のフルメンバーが集まった感じになったので総勢60名か70名近くになりました。私は金箔入りの濁り酒を持参したのですが、みんなに行き渡ることはありませんでした。
 料理は鍋とバーベキューが主体だったのですが、ほとんど食べることはなく終わりました。その後ローカルカラオケに無理やり付き合わされて、家に帰ったのは深夜1時過ぎでした。
 翌朝はなかなか起きられず、ザンボー湖でのゴミ拾いは休みました。10時くらいに起きだして、昼過ぎにデーウーホテルに向かい、毎年恒例の市民公開講座のお手伝いをしました。しかし、一般市民の参加はほとんどなく、寂しいものでした。去年は健康管理休暇を取っていたので出られませんでしたが、もっと少なかったらしいです。夜は講師の先生たちと会食、その後はカラオケへ。講師の先生たちの分を自腹で負担したので、バカにならない出費ななりました。

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