教育

2023年6月22日 (木)

長崎大学での講義

長崎大学での講義に対する研修生からの評価が送られてきた。まずは辛口のコメントがなかったので一安心。

もう一つの留学生向けの講義はかなり早く終わってしまったので、反省した。最後に質問を受け付けても15分も残っていた。例年だとじっくり、途中で質問に答えながらやっていたのだが、今年は英語圏からの参加が多く、しかも例年の倍以上の人数だったのでやりずらかった。もしこっちでも学生からの評価があれば、かなり低いだろうな。

毎年、講義の準備が大変だし、準備の最初の頃は英語がなかなか思い出せないのできついのだが、自分の勉強にもなるので引き受けている。一年の活動のメリハリにもなるし、長崎に行くのも楽しみなので、もう十年以上続けているが、あと何年できるかという段階になってきたので、できるうちは続けさせてもらおうと思う。

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2023年5月28日 (日)

ダニの大家、A先生のお別れ会

 もう二週間前の日曜日だったが、昨年亡くなったA先生のお別れ会に参加した。東京の学士会館で昼食会を兼ねて開催されたが、久々に懐かしい人たちと出会うことができた。告別式はその通り故人と別れを告げる時であるが、疎遠だった人たちと再会する場でもあると思う。特に、A先生の人柄を考えると、そういう機会を設けることができてあの世で喜んでいると思ってしまう。大学時代の後輩、学会の仲間、先生の勉強会に参加した時の学生さん達など、たぶんこのような機会がなかったら再会することはなかったかもしれない。

 料理好き、酒好きの先生に倣う感じで昼食はフレンチのフルコースで堪能した。終わった後も、主催者のSさんを中心に京大のHさん、北海道教育大のTさんと横国大OBの方と中華を食べて飲んで、もう腹一杯だった。Sさんからの三次会の誘いを断って6時に帰路に着いたが、昼から6時間も食べて飲んでいた。

 私がダニを始めるきっかけとなった本を書いたA先生であるが、専門のダニの研究はもちろん、退職後に始められた甲虫の研究、弟子の育成、啓蒙書の執筆、どれもすごかった。この年になっても30代の時の先生に全然追いついていないが、追いつくことは無理でも、死ぬまで追いかけて走ることなら自分でもできる。

 安らかにお休みください。

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2022年9月29日 (木)

小学校の先生の問題でついでに思い出した兄貴のこと

 久々のブログです。前立腺癌の経過はいい感じがしていたのですが、9月になってからなんとなく尿意が近くなってきた気がします。時々夜に起きてトイレに行くこともありますし。来月に久々の検診なので経過がどうなのかわかるかもしれません。

 時々学校教諭の言動が問題になります。今日見てニュースでは、50代の小学校教員が「無視しましょう。」とか、医学的根拠もなく、「発達障害だから。」と発言していたそうです。

 テレビをつらつらと見ていて自分が小学校の時を思い出しました。田舎の小学校なので、兄弟三人が同じ先生に教わりました。私がその先生に教わったのは小学2年生の時でした。当時はドリフの「8時だよ全員集合」、堺正章の「ハッチャキまちゃあき」、クレイジーキャッツの「シャボン玉ホリデー」がテレビで放送されていて、お笑い第一次ブームみたいな感じでした。ちなみに私の定義だと第二次は高校一年の時の「俺達ひょうきん族」と漫才ブームです。

 ちょっと脇道にそれましたが、自分もクラスで面白いことをやったり、言ったりすることが楽しくて仕方がなかったような気がします。その裏返しで、私は普段から落ち着きがなかったのでしょう、ホームルームでの家に帰る前の連絡を聞いていなくて、えっ、さっき先生何言ったの?と言うことがよくあったような気がします。もう50年も前のことなので記憶は曖昧です。

 その時の担任の先生の対応は、「聞こえていなかったのか。補聴器を使った方がいいぞ。」でした。

 今だったら、父兄に知れたら、彼は自宅謹慎でしょう。でも、当時は、違いました。私もまだ純真な子供だったので、先生から何度も補聴器を使った方がいいぞ、と言われて、母親に病院に連れて行ってくれ、と頼んで、親も渋々大学病院に連れて行きました。紹介状もなしに行けたのですから、今思うと大学病院の敷居も低かったのです。そして、母親も先生の対応について疑いを持つ、という感覚がなかったのだと思います。

 面白くていい先生だったのですが、今の自分の年齢で思い出すと、感情の振れ幅が大きすぎて、怒ると相手が子供であってもストップができなかったです。同級生で当時おしっこ臭い子がいたのですが、「お前のことをこれから寝小便しったろうと呼ぶぞ」、と言ったり、私の兄が親のことを悪く言われたと言って、授業中であるにも関わらず家に帰ってきたことがありました。この時は私は保育園(まだ教育機関ではなかったので幼稚園ではなく保育園)に入ったかその前だったような気がしますが、これも当時衝撃でした。今なら言葉にできるのですが、相手が先生だろうと兄貴は怒った時はやるんだ、という本質を見た気がしました。

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2018年8月 5日 (日)

長崎からの高校生の研修

 先週は文科省のプロジェクトとして長崎から高校生がベトナムの医療を視察に来ました。3日間、我々が講義を行ったり、休暇中の拠点長の代わりにWHOやMOHへのアテンドをしたりと大変でしたが、なんとかトラブルもなく無事に終わりました。

 最終日にはパワポでプレゼンがあったのですが、選抜された優秀な高校生だけあって、よくまとまっていました。自分が高校生の時とは全然違いますね。ベトナム人の生活を偏見のない目で見ていたのにも感心しました。

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2018年6月15日 (金)

今年も夜間実習が終わる

 ホーチミン経由で、今朝、福岡に到着しました。眠気に負けながら高速バスで長崎に到着。貯まっていた郵便物を確認し、学会費や学会の選挙投票などをして、一旦ホテルに荷物を預けに戻りました。

 今日の仕事は日本脳炎媒介蚊の夜間採集です。事務処理や準備は全てやっていただいているので、自分は付き添いに行くだけです。例年、助教4人で付き添うのですが、一人は他の職場に異動し、もう一人はアフリカで調査中のため、今年は2人だけでした。昔に比べて研修生の数が6、7人増えているので大変ですが、途中の雨も本降りにはならず、つつがなく終えることができました。
 毎年、夜間実習を終えると、例年4月にMTMの講義や衛生動物学会のあることもあって、半分終わったなあという感じになります。確かに6月は新年度としてはまだ3ヶ月目ですが、1年で捉えると半分です。

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2016年3月12日 (土)

師匠からの献本

 昨日、日本から本が届きました。定価1万2千円。タイトルを見たら、欲しいと思う本なのですが、記憶を辿っても思い出せなくて、もしかしたら酔っぱらって家に帰ってからアマゾンでクリックしてしまった本だったのかも、と思っていました。

 日本から直接NIHEに送られてきた本なので、秘書のTさんにパスポートのコピーを取ってもらったり、書類にサインをしたりして、あれっ、いつ注文したのか思い出せないまま、手元に届きました。
 「生物学のための水と空気の物理」
 私の師匠が翻訳した本です。翻訳なので、本人が書いた本ではなかったのですが、それでも彼は、これはなんとかして翻訳しておかないと日本の生物学が遅れてしまう、と思って訳したそうです。
 今、研究について、あれこれ悩み考えている私に、どういう巡り合わせか、送ってくれた本です。先生から託されたというのはおこがましいかもしれませんが、何年かかっても読もうと思っています。

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2015年6月19日 (金)

2015年のダニ学講義

Photo 火曜日から実習と講義のため長崎大熱研に来ています。 水曜日の夜は夜間実習の予定でしたが、雨で中止になりました。長大に就職して以来毎年参加していますが、中止は初めてでした。諫早でのコガタアカイエカの夜間採集は毎年恒例なので、この時に1年の節目を感じたものですが、今年はなかったので、なぜか不思議な感じです。

 昨日は午前は留学生向けの英語のダニの講義で午後は三ヶ月研修コース向けの日本語での講義でした。英語の講義はいつもながら苦手なのですが、時間どおりに終わりました。日本語の授業は質問がどんどん出てやりやすかったです。学生も楽しかったと言っていましたが、威厳というか貫禄がないのは私のキャラクターなのでしょうがないですね。学生が学問の真髄に触れたと感じるような講義は私には無理かもしれません。
 最近、日本に戻ってくると日本の甘いものが食べたくてしょうがありません。いつもどこかの店に新しい商品が出たり、昔懐かしい食べ物が復活していたりしますから、スーパーやコンビニでつい買ってしまいます。昨晩は鹿児島の白くまアイスを食べました。あれっ、でもマンゴーはベトナムでしょっちゅう食べていました。

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2014年11月23日 (日)

ベトナム人学生からのインタビュー

 知り合いの日本語教師の方から授業の一環として自分のところの学生を日系企業のところへインタビューに行かせたいので協力してくれ、と頼まれていました。先週、学生からメールがあって、いったんはOKしたのですが、その日は仕事が立て込んでいたので、1週間ずらすか別の日にしてほしいと返答しました。同じ時間でいいですか、というメールがきましたが、日にちはいつなのかという連絡はなく、こちらも仕事の忙しさにすっかり忘れていました。

 金曜日の朝、NIHEの敷地内を歩いている時に、今玄関で待っていますと、電話がありました。幸い、あまり待たせることはなかったものの、インタビューでベトナム人スタッフとの仕事で感じたことなどを話していた時に、ベトナム人と仕事をするときには念には念を押すようにしていると話した後で、今回の打ち合わせのメールについて忠告しました。
 インタビューのことはすっかり忘れていたので、仕事はそのまま夕方遅くまでズレこんで、夕方のJICA関係者との飲み会には遅刻しました。

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2014年11月16日 (日)

恩師のハノイ訪問

 大学時代の恩師が奥様とベトナム旅行のついでに私を訪ねてくれました。朝9時にメリアホテルで待ち合わせして、まずすぐ近くのホアロー収容所へ。監獄独特の暗さがありました。ここで亡くなった方が隣のハノイタワーに出るんだろうか。

 その後、先生がここだけは行きたいといった、戦争博物館へ。ここは以前いとこの息子が来た時に行った場所なのですが、千年近く前からの戦争の様子や武器が展示されていました。もちろん、ベトナム戦争の遺品も数多く展示されていました。ここから文廟まで歩いて行ったのですが、今日は卒業式だったのか、正装した大学生らしき人たちでいっぱいでした。奥様の写真だけ撮って帰りましょう、の一言で、中には入らず、タクシーを拾ってNIHEの近くのブンチャー屋へ行きました。
 軽くビールを飲みながらお昼をとった後で、NIHEのエントの飼育室や実験室を案内しました。先生もかなり嬉しそうでした。
 NIHEの庁舎を背景に写真を撮ったりした後でまたメリアホテルに戻ってお茶にしました。先生は数日前から風邪をひかれたようで、奥様が心配されて、この後は見物などせず夕方まで休むそうなので、私はホテルを後にしました。先生も70歳ということなのですが、まだお二人であちこち旅行したいと話していました。
 大学4年の卒論の時の1年間(アメリカに出張されていたので、実質的には2/3くらい)と私が農学部に移った後も動物行動学の英語の本を使ってマンツーマンで指導していただいたのでした。非常に厳しいが、愛情深い先生です。
 仕事ができるとか自分独自の哲学を持っているとか、見習う点はたくさんあるのですが、私が学生時代から一番尊敬していた点は先生が家族を大事にすることでした。一番平凡なことで、実は大人になってわかるのですが、仕事と家庭の両立はなかなかできることではないと思います。そう言うときっと先生は奥様を立てられるのでしょうけど。今日も道を渡るときは必ず奥様の手を握っていました。
  自分にとって研究者とは、大学の教官とはどうあるべきか、模範となる道を示してくれたことに感謝しています。
 

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2014年10月 1日 (水)

ベトナム人向け研修コースの修了

 今日やっとベトナム人向け研修コースが終わりました。今朝、仕掛けておいたトラップを回収しに知り合いのオフィスに行ったら、5匹もかかっていました。

 渋滞の中9時少し前にNIHEに戻り、9時から解剖実習を始めておいてもらって、私は自分の実験をさせてもらいました。
 昨日、トラップを仕掛けて帰る車中で、唐突に明日の11時半から修了式を行って、お昼はパーティーをしたい、と言われた時には、目が点になったのですが、どうにか拠点長を始めとして日本人側の予定を調整して午前中に終了することになりました。本来なら、修了式は午後3時半の予定だったのですが、ベトナム人が修了パーティーを昼間にやることにこだわっていたので致し方ありません。最初からそのつもりだったのでしょうが、じゃあ昼食会をどうするという議論を始めてこちらが認めることになるとその費用は日本側が負担事になります。
  昨年度は大ボスの、そんなものにお金は出さん、の一言で、ベトナム側は提案を一旦は引っ込めたものの、大ボスが来ないと知るや、彼らがプールしたお金で昼食会を開いたのでした。今年もこちらからしたら無理やりだったわけですが、来年からは黙認ということで最終日の午後は講義を入れないようにしたらいいのでしょう。
 本研修コースも去年から8月から9月にかけての一大イベントになりつつあります。私は来年ベトナムにいるかどうかわかりませんので、2年だけの付き合いになるかもしれません。
 何はともあれ終わってホッとしました。

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