久々のブログです。前立腺癌の経過はいい感じがしていたのですが、9月になってからなんとなく尿意が近くなってきた気がします。時々夜に起きてトイレに行くこともありますし。来月に久々の検診なので経過がどうなのかわかるかもしれません。
時々学校教諭の言動が問題になります。今日見てニュースでは、50代の小学校教員が「無視しましょう。」とか、医学的根拠もなく、「発達障害だから。」と発言していたそうです。
テレビをつらつらと見ていて自分が小学校の時を思い出しました。田舎の小学校なので、兄弟三人が同じ先生に教わりました。私がその先生に教わったのは小学2年生の時でした。当時はドリフの「8時だよ全員集合」、堺正章の「ハッチャキまちゃあき」、クレイジーキャッツの「シャボン玉ホリデー」がテレビで放送されていて、お笑い第一次ブームみたいな感じでした。ちなみに私の定義だと第二次は高校一年の時の「俺達ひょうきん族」と漫才ブームです。
ちょっと脇道にそれましたが、自分もクラスで面白いことをやったり、言ったりすることが楽しくて仕方がなかったような気がします。その裏返しで、私は普段から落ち着きがなかったのでしょう、ホームルームでの家に帰る前の連絡を聞いていなくて、えっ、さっき先生何言ったの?と言うことがよくあったような気がします。もう50年も前のことなので記憶は曖昧です。
その時の担任の先生の対応は、「聞こえていなかったのか。補聴器を使った方がいいぞ。」でした。
今だったら、父兄に知れたら、彼は自宅謹慎でしょう。でも、当時は、違いました。私もまだ純真な子供だったので、先生から何度も補聴器を使った方がいいぞ、と言われて、母親に病院に連れて行ってくれ、と頼んで、親も渋々大学病院に連れて行きました。紹介状もなしに行けたのですから、今思うと大学病院の敷居も低かったのです。そして、母親も先生の対応について疑いを持つ、という感覚がなかったのだと思います。
面白くていい先生だったのですが、今の自分の年齢で思い出すと、感情の振れ幅が大きすぎて、怒ると相手が子供であってもストップができなかったです。同級生で当時おしっこ臭い子がいたのですが、「お前のことをこれから寝小便しったろうと呼ぶぞ」、と言ったり、私の兄が親のことを悪く言われたと言って、授業中であるにも関わらず家に帰ってきたことがありました。この時は私は保育園(まだ教育機関ではなかったので幼稚園ではなく保育園)に入ったかその前だったような気がしますが、これも当時衝撃でした。今なら言葉にできるのですが、相手が先生だろうと兄貴は怒った時はやるんだ、という本質を見た気がしました。
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