教育

2008年8月 6日 (水)

オフィスの騒音と分類学

 今朝、エントのラボに出勤すると、見慣れない男性が机に座って仕事をしていました。業者の人かと思いましたが、ベルギーに修士留学していたDさんというスタッフの一人でした。

 お昼を食べて戻ってくると、オフィスに音楽がかかっていました。やれやれ、昼休みが終わるまでは我慢するか、とフレラボで気分転換してから戻っても、やはりベトナム歌謡曲が鳴りやまないので、うるせえな、静かにしろ!と、日本語で言ってから、音楽が聞きたけりゃ、ヘッドホンで聴け、と英語で言いました。ベトナム人の騒音、雑音に対する神経の無さは百も承知ですが、国から高い金出してもらってヨーロッパまで行ってこの程度か、と言いたくなります。この前私から、オフィスはカフェじゃねえぞ、と言われたS君がベトナム語でなにやら混ぜっ返していましたけど、言ってわからない奴はそれまでです。

 今日は長崎からT教授と副理事のM教授がNIHEに見学に来られました。プロジェクトのことで最近いろいろとこじれていたので、ボスのT教授には間に入ってもらってエントのトップのYさんと話し合ってもらいました。

 エントのH部長、YさんがT教授、M教授を夕食に招待したので、私も同席したのですが、植物性プランクトンの分類がご専門であるM教授からいろいろとためになるお話を聞かせていただきました。特に、途上国から日本に来る留学生が日本で最先端の機械を使って研究をして帰っていくけれども、研究者として日本での学位取得で終わってしまう人が多い。むしろろくに器具もないような条件の中でも独自の研究テーマを見つけ出し、そこから解決法を工夫していける人を育てていかなければならない、という意見に共感しました。

 それから、DNAの情報ではこれまでの形態的な分類とは一致しない問題が起きているけれども、今こそ形態(的形質)を再検討していくべきだ、という意見にも考えさせられました。衛研にいたときに私がダニの同定をしていたのを見ていた、細菌の専門家の人から、これからはDNAがわかればいちいちそんな毛の数を数えることをしなくてすむよ、と言われたことがあったのですが、望遠鏡を通してにせよ、顕微鏡を通してにせよ、見てわかるのだったら、それが一番確実です。自分でも何だかわからない材料を機械を通してA種、B種と判定してもらってから実験や観察に使うのは、想像しただけで気味が悪いです。生物学者が皆、自分の実験材料をPCRにかけて同定できる必要なんてありません。材料を使う前にこれは何の種類かと特定できるその道の専門家が最低一人いれば十分で、そういう人を育て、守っていく体制こそ必要なのだと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年8月 5日 (火)

雲仙からの少年使節団

 昨日食べた食事に当たったのか、それとも裸でクーラーをつけっぱなしで寝ていたのが悪かったのか、朝からひどい下痢でした。それでも今日はホーチミンに出張です。出勤前に何度かトイレを往復して、空港でもトイレに行き、午後にも何度かトイレに行きました。なにはともあれ、パスツール研に着くとまずウイルス研究室で頼まれていた用事を済ませました。それから昆虫研究室によったところ、まだ誰も調査から戻ってきていなかったので、研究所から少し離れたところにある、パン屋とカフェを兼ねた店に入って時間をつぶしました。ここは前回ホーチミンに来た時に見つけた店で、割とこじゃれていて、ケーキやパンもそこそこうまいので、パスツール研に来て時間のあるときにはよくここに来ます。

 今日は、長崎にの雲仙から中学生が13人ベトナムの中学生との交流ののち、ここパスツール研究所も見学することになっていて、知り合いのTさんに頼んで彼女にパスツール研究所と昆虫研究室の内容について英語で説明してもらい、私が日本語に訳す予定になっていました。少し早くに一行が到着したので、フィールドから戻ってきたばかりのTさんには申し訳なかったのですが、30分近くかけていろいろと説明してもらいました。私も端折るところは端折って、不足するところは適当に付け足して説明したので、あまりよい通訳ではなかったでしょうが、何とか無事、代表者のOさんとの約束を果たしました。

 一行が帰った後、三週間前からホーチミン入りして調査を始めているAT君と会って、少し情報交換をしました。NIHEとの他にパスツール研内部でももめごとがあって、当初の予定通り調査は進んでいないようです。明後日から私も合流して、媒介蚊の調査を始める予定でしたが、蚊の調査は来週にずれ込みそうです。

 飛行機まで少し時間があったので、Tさん、AT君と研究所近くの日本料理屋で食事をしました。お昼には肛門が痛いくらいだったのですが、結局ビールで消毒しました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年7月23日 (水)

ビギナークラスの卒業証

 ベトナム語講座はとりあえず先週で終わったわけですが、今日は先生がわざわざ卒業証を届けに来てくれました。評価も書いてあって、AからDの4段階評価でBでした。ちょっと甘いんでないかい、と内心思いましたが、とりあえずめでたしです。

 今度の日曜日にあるベトナム語学校主催の旅行に誘われましたが、コウモリ調査に行くのでお断りしました。あとは次のレベルのレッスンについて簡単に説明を受けましたが、8月、9月は野外調査が多く、とても継続してベトナム語講座を受けられそうにないので、しばらく休むことにしました。その間テキストで基本的な単語と文法をおさらいしておきます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年7月16日 (水)

とりあえずベトナム語講座が終わる

 今日は二十回目のベトナム語の授業、すなわち最後の授業でした。簡単な復習をしたのち、試験をしました。声調の試験の後で、文法の試験でした。声調の方は最初はわりとすんなりできていたのですが、途中からとたんにできなくなりました。正解は半分くらいでしょうか。文法は、どうにもボキャブラリが不足していて、「黄色」なんて単語すらもわかりませんでした。全体では半分もできませんでした。文法はだいたいわかったつもりでしたが、細かいミスをなくすにはもう一度やり直すしかありません。ただし、これからフィールドに行くことがかなりあるので、蚊のシーズンが終わりになる10月か11月位から再開する予定です。

 採点が終わったら、土砂降りの雨でした。先生が帰ると言うので、大丈夫ですかと聞くと、この季節はいつも6時過ぎから雨で、こんなのはいつものことで慣れている、と言って出て行きました。すごい。

 私は、今日は飲みのお誘いがあったのですが、正直この土砂降りの中を出掛けるのはかなり億劫でした。HTさんに電話をするとかなり明るい声で、待ってるよー、というお答だったので豪雨の中をタクシーを呼んで出かけました。実は、試験直前に携帯が鳴って、どうせY教授からの飲みの誘いだと思って、しかも日本から直前に電話が来ていたので無視していたのですが、しっかり携帯メールにお店の名前が書かれていました。

 それでタクシーですが、何箇所か雨で通れなくなった道を迂回して、最後にHTさんからお店の人に電話を代わってもらって、近くまで行きました。というのも、お店の前の道も川になっていて小型車ではとても行けそうになかったので、100mほど手前で降りて、歩道を走るバイクをよけながら歩いていきました。

 なんやかんやで二時間ほど三人で日本料理を食べながらビールを飲んでいると、帰る頃にはすっかり水はひいて元通りの道になっていました。日本だったら翌朝まで雨が降り続いたりして、いろいろ被害が出るでしょうに、ベトナムの雨で道の水が増す速さと引く速さには驚かされます。

 だけど、普段あれだけ汚している道で、おまけに下水管と側溝が共用だから、やっぱキタネエはずだよなあ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年7月 4日 (金)

プレゼンの練習とベトナム語講座

 今日もベトナム語講座はピンチヒッターの先生でした。ベトナム語の質問を最初に30分ほど受けたのですが、あまりの私の不出来に先生の集中力が切れてきたらしく、突然英語を話し出しました。彼女の話を聞くと、なんでも午後からすでに日本人二人に英語を教えてきてストレスがたまっているとか。

 昨日はレッスンの復習をしましたか、と聞かれたので、酒を飲んでましたと真っ正直に答えると、どうしていつもお酒を飲むのですか、とさらに質問をされました。長いこと生きてりゃ人生いろいろあるんだよ、と答えたかったのですが、話が混乱しそうですし、さらに突っ込まれそうな気がしたので、奥さんを忘れるためだと答えたら会話がぷっつり途絶えてしまいました。

 翌日のプレゼンに使うベトナム語の歌詞を教えてもらおうとパソコンを取り出してパワポを見せたところ、結局全部の話の流れを説明することになり、結果的に予行練習をしていました。昼間にもベトナム人学生のCちゃんにプレゼンの内容を全部説明したので、結局、朝一番にY教授に日本語で説明したのを加えると三回練習していました。おかげでどこがわかりずらいのか指摘してもらえました。

 ベトナム語講座は先生が今日は申し訳ないからと、なかったことになり、来週以降に持ち越されました。

 翌朝起きたら、携帯にCちゃんとベトナム語の先生から、プレゼン頑張ってくださいと、メールが入っていました。クー、泣けるなあ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月20日 (金)

クリーニングとベトナム語試験

 昨日の雨でスーツがびしょぬれだったため、クリーニングを出しにアパートの近くのクリーニング屋に行ったつもりでした。そのお店はとても狭く、日本の一般のクリーニング屋と同じくらいの間口で、カウンターがあって(お客が置いていったと思われる)衣類が積み重なっています。壁には衣類がかかっています。店員の応対が変なので、おかしいな、と思って、秘書のTさんに電話を入れてお店の人に代わってもらい、再び私が電話に出ると、彼女は、服をきれいにするほかに何の色にするのですか、と尋ねてきました。はっ?何のことなんだ、と思ってあとで彼女に確認すると、そこは仕立て屋でした。

 研究所近くのクリーニング屋をTさんに探してもらい、お店の住所と店員にいうセリフを紙に書いてもらってお昼休みに行ってみると、衣類がひもでくくられて両側の壁にうずたかく積見上げられていて、どうみても布団屋かリサイクル用の衣類を回収しているようにしか見えない店が本当のクリーニング屋でした。一応、店の看板にはベトナム語のほかに英語でlaundryと書かれていました。店員のお兄ちゃんは私のスーツを受け取りながら、片言の英語で、トウキョウ、ジャパン、フォーデイとだけ伝えてきましたので、多少の不安はありましたが、たぶんクリーニングに出せたのでしょう。 

先週の土曜日にベトナム語の先生から、来週で5章までが終わりますから、試験をします、と言われていました。このペースで行くと木曜日に試験だ、と予測し、月曜日には5時半過ぎに秘書のTさんに1時間だけ残ってもらって、発音と声調を特訓してもらいました。火曜日の授業のあとで、じゃ、次回で5章が終わりますから、残り時間で試験をしますね、と言われたのですが。

 今日も記憶力が弱った頭をたたきながら、必死こいて試験勉強しました。ベトナム語授業の30分くらい前には胃が痛くなってきて、俺は教官なのに胃が痛くなるほど試験勉強してどうなっているんだ、と考えたら笑ってしまいました。

 今日の授業で先生は開口一番、「今日はこれまでの復習をします。試験は次回です。」えー、まだこの苦しみがあと二日続くんかいと最初は思いましたが、試験勉強の成果か、授業はいつもより集中できましたし、先生の質問にも楽に答えが出ていました。

Photo_2 クリーニングの預かり証。宛名がTOKYOになっています。

 間違って東京に運ばれてたりして^^;)。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2008年5月30日 (金)

ネットの接続とベトナム語漬け

 一昨日の晩からアパートのおとうさんがベトナム語で何か説明するのですが、インターネットしか聞き取れなかったので、昨日、ベトナム語の先生がアパートに来たついでに、彼女に通訳してもらいました。カフェでの勉強は音楽や人の話し声がやかましくて、先生の声がよく聞き取れなかったので、自宅でレッスンを受けることにしたのです。彼の話だと、私のパソコンが昼間ないために何が原因で接続できないのかわからなかったそうです。お父さんに、プロバイダー業者に電話をかけてもらって、都合のよいときに私がたちあうように言ってもらうと、これから来ますとの返事でした。ベトナム語の勉強がありましたが、どうせベトナムだから1時間くらいたってから来るだろう、と思っていたら、こんな時に限ってすぐにやって来ました。

 30分ほど悪戦苦闘したのち、どうにかセッティングが完了し、ネットにつながるようになりました。めでたし、めでたし。

 レッスンはネットの接続のため途中で中断しながらも一時間半やりました。私の部屋は窓を閉めるとかなり静かなので集中できるはずですが、やはり年のせいでしょうか、持続力がありません。次から途中で休憩を入れてもらおうと思います。

 ベトナム語の先生はハノイ大学の学生で、22歳だそうで、フレラボに来ている女子学生二人と同級生です。やけに私を年寄り扱いすると思ったら、お父さんと一歳しか違わないとか。それならおかしくないですが、本来ならこれくらいの年ごろの娘がいてもおかしくないのに、俺、何やってるんだろうと一瞬考えました。

 昨日教わったベトナム語の内容は家族や会社での年上年下の人に対する呼び方でした。ベトナム語には自分と両親の年齢を基準にして、周りの人に対する呼びかけ方にかなりバリエーションがあります。今朝、先生に教わった通りに秘書の人に、おはようと挨拶したら、それはかなり年上の人に対する呼び方なので、別の言い方にしてほしいとさっそく直されました。

 エントのラボに行くと、Yさんが偶然かもしくはどこかで聞きつけたのか、ベトナム語で挨拶してきました。うーん、これは大変なことになってきました。私の記憶力は限りなくゼロに近いのですが、皆さんの期待を裏切らないようにベトナム語を覚えるようにします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年5月28日 (水)

ベトナム語のレッスンとバイタク

 昨日からベトナム語の勉強を始めました。秘書さんにどこか近くに外国人にベトナム語を教えてくれるところはありますか、と尋ねると、マンツーマンでベトナム語を教えてくれる会社を教えてくれました。昼休みに秘書さんにカフェを選んでもらっておいて、夕方、そこで講師の先生と待ち合わせをしてお茶を飲みながらベトナム語を教えてもらいました。

 今回は一時間半、ベトナム語の発音を主に教えてもらったのですが、ずっと先生の口元を見て、それをまねることに集中したのでかなり疲れました。Nの発音などは「ン」という感じでどうしても口を閉じてしまうため、繰り返し練習しましたが、良くなったので先生がOKを出したのか、時間がなくなって諦めたのか、どっちだったのか。今日、昼間にフレラボの学生二人に発音をもう一度チェックしてもらったのですが、やはり昨日と同じ部分を直されたので、先生も疲れたのかも。

 これから業務で患者の血液などを扱うために、念のためB型肝炎の予防接種を受けにフレンチホスピタルに行ってきました。昨日からハノイは超暑く、昼の気温は35度くらいなので、歩いて移動する気にとてもなれず、バイタクを使いました。乗る前に行先を見せて(私の発音では通じない)、値段を交渉して(外国人だとボッタクろうとする)、研究所から病院、お金がなくなってきたので病院から銀行、銀行から研究所とすべてバイタクでした。病院へ行くまでのおじさんは目的地の病院の前を通り過ぎて、正門に向かうのかと思いきや別の建物に行って、ここか?、と尋ねたのでまたもと来た道を引き返しました。かなり時間に余裕をもったつもりでしたが、結局10分前に着きました。

 病院から銀行から研究所に戻るときに乗ったバイタクのあんちゃんは、明らかに小遣い稼ぎでやっている感じで、途中他のバイタクのおじさんと信号待ちの見知らぬおじさんに道を聞いていました。まあ、私は道を知っているからいざとなったら指示を出しましたが、知らない場所で乗るのは正直言ってまだちょっと怖いです。

 今日はB型肝炎の抗体を持っているか否かを検査しただけだったので、明日また病院へ行って結果を聞いてから、ワクチンの接種するかを決めます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年5月11日 (日)

啓蒙誌への投稿

 共同研究者に送った原稿がいくつか修正されて戻ってきました。もうこれでOKです。この原稿は、「植物防疫」という、農業分野の雑誌に掲載される予定です。この雑誌は農業試験場や農業改良普及所で働く方の啓蒙誌的な存在で、専門家が分野外の人にもわかるように解説しています。農学部にいた頃私もこの雑誌に目を通していました。いつか自分の書いた原稿を載せてみたかった雑誌の一つです。ついこの間別の雑誌にアクセプトされた原稿に少し新しい知見を加えて、日本語でわかりやすく書き改めてあります。二重投稿みたいですが、オリジナルを掲載する編集長の許可を得ていれば問題ありません。

 衛生研究所にいたとき、Fさんという、古生物学で有名な人とよく話をしました。彼は衛生研究所の所属なのに恐竜とか化石で学会やマスコミに名前が知られていました。彼から、オリジナルペーパーを書くのも大事だけれど、3本なり5本なりいくつか書いたのをまとめて、解説もしくは総説を学会誌や啓蒙誌に出すことも名前を売る点でも、社会的な貢献という意味でも大事だ、と言われたことがありました。なるべく心がけていましたが、前のボス、つまり今回の共同研究者が農業関係で顔が広いためにようやくチャンスが巡ってきました。

 Fさんは若い頃お金がなくて、「遺伝」とか、「自然」とか、原稿料を出してくれそうな雑誌に片っ端から電話をかけたそうです。彼は印税で生活費を稼ぐのを人生の目的とし、退職するまでにかなりの財産を残しました。動機はさておき、そのバイタリティは見習わないといけません。

 今回の原稿料は、共同研究者が奥さんを連れて今度の8月にハノイに来るので、その時に何かうまいものを食べるのに使う予定です。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2008年5月 5日 (月)

苦手だった統計の勉強法

 ずっと、統計が苦手でした。衛研在職中に放送大学の統計講座を聴いたり、本を何冊も買ってみたものの続きませんでした。

 最初のポスドクの話がダメになった後、腰を据えて統計の勉強をすることにしました。ちょうど、農環研の三中信宏さんがブログで、卒業実習に来ていた学生と統計の勉強会の進捗具合を公表していました。テキストはZarStatistical Analysisで、だいたい週一回一章のペースでした。私は平日、毎朝大学に行くと最初の一時間を統計の勉強に充てました。

 私は、Zarの本を主軸にして、Sokal & RolfBiometry石居進生物統計学入門で相当する部分を勉強しました。Biometryには藤井先生訳の簡略版もあるので、おもにそちらを読んで、日本語版に入っていない部分だけは本家のほうを勉強しました。また、必ずExcelなどを使って練習問題を解きました。三中さんらはRを使っていましたが、自分も公開されているR関係のHPを参考にできるだけRでも解きました。

 Zarの本はSokal & Rolfに比べて、例題と練習問題が多いので、自習用にはいいです。ただし、多重比較などに誤用があるので、問題ありの箇所をわかっている人から聞いておいた方がいいと思います。

 私のような意志の弱い人は勉強会に出席したり、ネットで進捗状況を公表している人に合わせて勉強しないと続きません。おかげでようやく統計についてひととおりフォローできるようになりました。人間万事塞翁が馬です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年5月 2日 (金)

身銭を切ってベトナム語

 昨年ベトナム語を勉強したいのでいいテキストを教えてもらえないかと、ベトナム人の友人に頼んだら、CD付きのテキストをいただきました。けれど、CDの規格が日本とベトナムで違うのか読み出せません。その人に頼んでUSBにコピーしてからパソコンに取りこみました。そのときは全部で3枚のCDをコピーしたつもりでしたが、2番目のCDをコピーしておらず、レッスン3でベトナム語は滞ったままになっていました。今日残りの1枚をコピーしました。

 日本人スタッフの中には週末にベトナム語の家庭教師を1回90分10ドルで雇っている方もいます。毎朝家でCDで勉強したあと、昼休みに10分位ベトナム人スタッフの人に発音を矯正してもらおうかと考えていたのですが、私のような性格は自腹を切らないと上達しないと鋭い指摘をY先生から受けました。確かに、そう思います。

 給与が入ったら前向きに検討させていただきます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月17日 (月)

リサーチの発表練習

 今日はリサーチの発表練習でした。一人30分ずつ、私が担当する二人とK先生が担当するうちの一人とで行いました。K先生チームは三週間前に一回行っているのであまり問題はありませんでした。うちは、Fさんは先週がんばって毎日10時近くまで残ってPower Pointに取り組んでいたので、あまり問題なかったのですが。

 昨晩11時近くから拙宅にF君が来て明け方までかかってPower Pointを作ったのですが、あまりにも始めるのが遅かったため、ダメ出しの出そうなものしかできませんでした。絵や文字のセンスは昔の自分を見ているような気分になりました。何よりも今の彼のプレゼン能力では準備する時間が足りませんでした。今回少しはこたえてもらって、次回の励みにして欲しいです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年2月19日 (火)

リサーチの追加

 石垣島での調査結果をリサーチの学生二人に解析してもらったのですが、これだけで二人分の発表するにはデータの量・質とも足りません。それで一人には私が今行っているネッタイシマカの産卵行動の実験を手伝ってもらい、そこで得た結果を報告することにしました。ただし、これまで二人で協力して石垣島での調査やらデータの解析やらをしてきたので、これから行う室内実験も一人だけに任せるのではなく、なるべく協力してもらうようにします。

 とりあえず今月末に発表の要旨を提出し、来月中旬には発表練習をしてもらいます。その間私は1週間ほどベトナムへ出張するので、リサーチの二人には頑張ってもらなければなりません。二人とも追試があるので、この一ヶ月がうちのチームの正念場です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年2月14日 (木)

研究室の中

 昨日はリサーチの学生たちと「ちえママ亭」に行きました。石垣島に行ったときから連れて行ってください、とせがまれていたので、とりあえず約束を果たしました。ハンバーグにさんが焼き、どの料理もおいしかったし、女性二人も全品残さず食べていました。あいにく私の終バスの時間になったのでご飯を食べずに帰りました。焼酎もボトルを入れて半分くらい残すはずでしたが、一杯分しか残っていませんでした。

 学生たちが、研究室って中に入ってみるとおもしろい、と言っていたのが印象的でした。そうでしょ、俺もそうだったんだ。同級生や部活の仲間以外のいろんな人たちと出会えたのが一番の収穫でした。あと一月ほどですが、満喫していってほしいです。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年2月 4日 (月)

お土産のドラ焼き

 リサーチは実家からFさんも戻ってきたので、N君と本格的にスタートしました。Fさんは昨日も研究所に来たそうですが、玄関が閉まっていて、N君との連絡も取れなかったので、家に帰ったそうです。今日は実家のある北九州の榮太楼総本舗のドラ焼きをお土産に持ってきてくれたので、3時のお茶の時間にKさんのリサーチの学生さん達と一緒に食べました。皮がモチモチしていてうまかった。

 肝心の中身の方ですが、今日は石垣産のボウフラの世話をしてもらい、羽化してきた成虫をチェックしてもらいました。そのあとで、石垣島調査のときのデータを入力してもらいました。二人ともExcelをまだあまり使っていないようなので、明日は平均や標準誤差を算出してもらい、そのあとでグラフを描いてだいたいの傾向を掴んでもらおうと思います。2月末が要旨の締め切りなので、あまりうかうかしていられません。Kさんチームはすでにパワポの作成に取り掛かっています。

 これと並行して、ヤブカの産卵場所選好性について自分の実験を始めています。明後日が本格的なデータ収集となります。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年1月19日 (土)

リサーチ

 私が勤めている大学の医学部では3年生のときに希望する研究室に3ヶ月間配属され、簡単なテーマを与えられて研究発表する機会があります。うちの研究室にも4人の学生が来ることになり、私はそのうちの2人を受け持つことになりました。

 私が出したテーマは、南西諸島におけるデング熱媒介蚊の生態、です。今は沖縄県にはデング熱患者もいませんし、重要なベクターであるネッタイシマカもいません。ですが、戦後しばらくはデング熱患者が発生していましたし、もうひとつの重要なベクターであるヒトスジシマカは存在します。

 来週から石垣島に学生たちと1週間滞在して、調査します。今日もいろいろと蚊についてディスカッションしたり、調査内容や石垣での生活について話をしてかなりテンションが上がりました。でも、いくら石垣島とはいえ1月に蚊を採集するのは厳しいと考えています。悪天候などで調査がうまくいかなかったときのことを考えて、保険としての調査や戻ってからの実験なども考えておかなくてはなりません。

 ほとんどの医学部生は臨床の方面に進学します。ですから、彼らが今後、基礎の分野の現場を覗き見る機会はめったにないでしょう。大学の勉強で何が一番面白いかったかと聞かれたら、私なら卒業実習と答えます。自分の問題意識と実行力次第で最高に面白くも、つまらなくもなります。研究室の人たちとの出会いもいい思い出でした。私なりに彼らには、あとで、来てよかった、と思えるように舞台を設定してやりたいものです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年12月 8日 (土)

生物学の講義

 先週に引き続き、午後に文教地区で講義をしました。1、2年生対象の生物学で、2回にわたって進化について話しました。何人か眠そうな学生がいましたが、どうにか最後まで起きていたようです。

 授業が終わったあとで、二人の学生さんから、資料が英語なのと、グラフの説明がくどい、という指摘がありました。私も理学部の学生のときに日本語訳した用語で板書してくれないかな、と思いましたが、新しいことはすぐには日本語の本で紹介されないので、勘弁して、と答えておきました。それから、来年からグラフの説明はもう少し簡単にします。

 教育でネグレクトがまずいのと同じように、教える側も学生からの反応がないと伸びないから、少し突っ込みを入れてほしいです。試験をすればわかっているのかいないのかがはっきりするのでしょうけど、教えているときに反応が欲しいなあ。難しいのでもう一回説明してくださいでもいいから。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年12月 5日 (水)

春口監督の辞任と昨春のきつい別れ

 ラグビー部の部員2名が大麻を栽培し、さらに他の十数名とラグビー部員用に借り上げているマンションで吸っていた事件の責任を取って、関東学院大学の春口監督が辞任されました。ラグビー部の最高責任者なので辞任は当然ですが、ご本人の健康も悪化されており、ひょっとするともう復帰はないかもしれません。関東学院ラグビー部解散という噂も流れていますし、最悪の場合、もう大学選手権で関東学院大学が見られなくなるかもしれません。

 二十年程前、平尾が同志社で大学選手権3連覇、新日鉄釜石が日本選手権7連覇を成し遂げ、ユーミンが「ノーサイド」をうたって、ラグビー界がおおいに盛り上がっていた頃、関東学院はまだ全国的に無名でした。それが大学日本一6回を成し遂げるまでになりました。春口監督の監督としての手腕はたいしたものですし、社会人になっても伸びる選手が関東学院には比較的多いことは学生を育てるのも上手だということでしょう。

 部員が百名以上もいたら変なのが一人二人いても仕方ないですが、大麻栽培は私の感覚では度を越えています。芸能人ならわからないでもないですが、今は学生の手の届くところにも麻薬がある、ということでしょいうか。変なところまでイージーな世の中になってしまいました。

 栽培していた学生も、吸った学生も、監督とかラグビー部とか好きではなかったのでしょうか。お馬鹿も悪さも若いときの特権や甘えとして多少は許されていいと思いますが、麻薬や強姦は犯罪だというくらいはわかってるでしょうが。一番可愛がってくれた人が一番傷つくんだ、っていうこと想像できなかったのでしょうか。

 自分が学生の頃、指導教官のSMZ先生や助手のN尾さんは怖くもありましたが、(変な意味でなく)人間的に好きでした。だから、私なりに学生生活を満喫しつつも、見捨てられるような行動や失礼な態度だけはとらないように気をつけていました。

 私は千葉大にいたとき、学生とも先生ともいえない中途半端な立場でした。千葉大を去る前に、ある学生に予定をすっぽかされたり、貸した本がそのまま本人の机に置かれたまま卒業していかれたことがありました。そのときは、失礼だなと思うと同時に、「俺は別に嫌われたってどうってことないと思われているのか。」と淋しさも感じました。私はその学生とは親しかったし、人間的に好きでしたが、卒業式のあとの最後の飲み会であえてきつい別れをしました。とても失礼なことをしたとわかって欲しかったし、二度と繰り返して欲しくなかったので。

 その学生のことは、正直、気になります。ときどき、元気にしているかなあ、と思い出します。

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)